礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ2015/09/13 
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天上のかたち
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、天と地と全てのものを創り、治めておられる方です。
主なる神様は、愛と恵みに満ちておられます。
主なる神様は、良い事しかされません。

この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。


まず、いつものように、災害にあった地域の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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聖書の通読箇所を見てみましょう。

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9月13日(日)[ ]箴7-9/[ ]Tコリ15:1-19
9月14日(月)[ ]箴10-12/[ ]Tコリ15:20-34
9月15日(火)[ ]箴13-15/[ ]Tコリ15:35-58
9月16日(水)[ ]箴16-18/[ ]Tコリ16
9月17日(木)[ ]箴19-21/[ ]Uコリ1
9月18日(金)[ ]箴22-24/[ ]Uコリ2
9月19日(土)[ ]箴25-28/[ ]Uコリ3
9月20日(日)[ ]箴29-31/[ ]Uコリ4
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旧約聖書が箴言。
新約聖書がコリント人への手紙第一から第二です。
箴言は、おもに、ソロモンが書いたと言われますが、さまざまな知恵と訓戒が並べられています。
それは、時代を超えた、生きた言葉です。

また、新約聖書、コリント人への手紙第二は、第一に続いて、パウロが書いた手紙です。
これらのところを是非お読みください。
コリント人への手紙第一は、お話の中で見てまいりましょう。

では、コリント人への手紙第一の15章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】コリント人への手紙第一15章45−58節
・新改訳Up313(贈呈p274、英対p523)
・新改訳Vp342、英対p381(贈呈p312)
・口語訳p276
・新共同訳p322(贈呈p322、英対p487)
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朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
コリント人への手紙第一15章45−58節
15:45 聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。
15:46 最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。
15:47 第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。
15:48 土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。
15:49 私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。
15:50 兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。
15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
15:53 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
15:57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
15:58 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。
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主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。
コリント人への手紙第一 15章49節
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では、これらのところから、
「天上のかたち」
と題しまして御言葉を開いて参りましょう。

さて、今回の箇所、15章は、この言葉から始まります。
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1 兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。
2 また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。
コリント人への手紙第一15章1−2節
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コリントの人々は、当然イエス様を信じています。
しかし、パウロは、改めてこのことを語る必要がありました。

なぜなら、間違った教えがそこに入り込み、混乱が生じていたからです。
コリント人への手紙は、教会の一致の為の手紙です。
ですから、福音についての理解も正される必要がありました。

そこで、パウロは、改めて、福音とは何かを伝えようとしているのです。
では、皆さん、福音とは何ですか。

その質問の前に、福音という言葉の意味を、考えておきましょう。
福音とは、良い知らせと言う意味です。
それで、英語では、グッドニュースと訳されているものがあり、またゴスペルと訳されているものもあります。
もともと、ギリシャ語では、
エウアンゲリオンという言葉で、良いという意味のエウと、知らせという意味のアンゲリオンから出来ています。
これが、英語で、エバンゲリオンと言われます。
アニメのタイトルになったエバンゲリオンというのは、随分意味が曲げられていますが、このエウアンゲリオンに由来しています。
この語を、日本語に訳すときに漢訳の聖書の訳を流用して福音としたのだそうです。
日本語訳の聖書では、文語訳も、この語を用いています。

それで、良い知らせという事を、福音という言葉で表すのは、聖書の翻訳に由来します。
いまでは、この新薬は病気の人への福音とか、このマニュアルは仕事で悩んでいる人への福音とか、一般でも使われる言葉となっています。

いろいろ、言いましたが、福音とは良い知らせという意味です。

では、その良い知らせとはどんな知らせでしょう。

先ほどの、エウアンゲリオンに話を戻しますと、これは、戦いに勝ったとか、そういう知らせなのです。
戦争が起こり、兵士たちは、国境で戦います。
そして、見方が勝利すると、伝令は大急ぎでその知らせを民衆に知らせます。
戦いに勝った。その知らせを聞いて、民衆は喜びます。
それが、良い知らせなのです。

勝利の知らせというと、今は野球のチームが勝ったことも人によっては重要な知らせでしょう。
また、オリンピックで日本人が金メダルを取ったことなども、日本中が喜ぶ知らせでしょう。

そのような喜びの知らせ、勝利の知らせが、エウアンゲリオンであり、日本語で福音です。
そうであるなら、パウロの伝えたかった、福音、その勝利の知らせとはどんなものでしょう。

それは、これです。
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3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
4 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、
5 また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。
コリント人への手紙第一15章3−5節
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イエス様が十字架で死んで葬られ、三日目によみがえられたこと。
これが福音です。

皆さん。私たちにとって、イエス様が十字架で死んでくださったこと、蘇られたことが、良い知らせ、勝利の知らせなのです。

今日は丁度13日ですが、13日の金曜日はキリストが十字架に架かられた日だとする伝承があります。
それで、その日は不吉だとして、13日の金曜日なんていホラー映画もあり、西洋では悪い日だと、随分誤解されていると思います。
しかし、イエス様が十字架で死んでくださったこと、蘇られたことは、最大の喜びの知らせなのです。

皆さん。私は、おろかに見えても、何度も何度もこのことを言います。
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しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。
コリント人への手紙第一1章24節
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人類の問題はなんですか。
それは、人類の初めに、アダムとエバが悪魔に騙され、全てを悪魔に奪われ、そして、神様から引き離されたということです。
その結果、永遠の命を失い、祝福を失い、罪あるもの、呪われたもの、死ぬものとなったのです。

人間も、悪魔の支配におかれ、悪魔は、罪と死によって人間を支配するようになりました。

しかし、イエス様は、罪がないのに十字架で死に、そのことで悪魔を滅ぼし、そして、蘇られたのです。
それは、最大の敵である悪魔を打ち破るために、人類の歴史に現れた、神様の偉大な知恵であり、力であり、勝利なのです。
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十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
コリント人への手紙第一1章18節
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この十字架を信じること、それこそが、失われた神様との関係を取り戻す唯一の方法なのです。

そして、これは、わたしたちだけでなく、信じる全ての人にとって、救いを得させるものです。
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私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
ローマ人への手紙1章6節
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わたしたちは、御伽噺をいっているのではありません。空想話ではありません。
全ての人類にとってもっとも重要な話をしているのです。
そして、このことを信じるだけで、救いを得ることが出来るのです。

イエス様が死んで蘇られた、これを信じる事が大切なのです。

ところが、死者が蘇るということについても、コリントの人々の中には混乱があったのです。
それでパウロは視点を変えて説明します。
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35 ところが、ある人はこう言うでしょう。「死者は、どのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか。」
36 愚かな人だ。あなたの蒔く物は、死ななければ、生かされません。
37 あなたが蒔く物は、後にできるからだではなく、麦やそのほかの穀物の種粒です。
38 しかし神は、みこころに従って、それにからだを与え、おのおのの種にそれぞれのからだをお与えになります。
コリント人への手紙第一15章35−38節
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種は、死なないと生かされない。
穀物の種は、死んで、身体が与えられる。

イエス様も、一粒の麦が落ちて死ななければそのままで、死ねば、それが、二つに分かれて、そこから新しい芽がでて、新しい体が与えられ、成長して実を結ぶのだと言われました。

穀物の種と同じように、この身体が朽ちて、新しい体が与えられるとパウロはいうのです。
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42 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、
43 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、
44 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
コリント人への手紙第一15章42−44節
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私たちは、新しく御霊の与えて下さる身体を受けるのです。

そうして、パウロは言います。
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45 聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。
46 最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。
コリント人への手紙第一15章45−46節
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これが、今回の箇所です。

そして、こう続きます。第一の人とはアダムです。それは、土からつくられましたが、第二の人イエス様は天からこられました。
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47 第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。
48 土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。
49 私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。
コリント人への手紙第一15章47−49節
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土から造られたものは、肉にあってアダムににています。
しかし、信じた私たちは、天からのものでもあるのです。
新しい命を受け、新しい体が与えられるのです。

新しい体、天上のからだとはどんなものでしょう。
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イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。
ヨハネの福音書20章7節
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これは、イエス様が蘇られた時の事です。
イエス様の頭に巻かれていた布は、そのまますっぽりと抜けていたのです。
鼻や耳もあるからそんなことは普通出来ません。
でも、イエス様はそれを通り抜けられたのです。
イエス様が十字架に架かられた後、弟子達は、自分たちも危険だと恐れて、閉じこもっていました。
ところが、イエス様はドアも空けずに入ってこられました。通り抜けてこられたのです。
霊だと弟子たちは思いました。しかし、霊でない事を示すために、食べ物を食べられたのです。
もし、その時のイエス様が霊なら、身体が残っているでしょう。
でも、身体は、すっかりと、布から抜けていたのです。
どうしてそんなことになるのかわかりません。
私たちの考えをはるかに越えているからです。
しかし、その事がおこりました。

また、イエス様が三人の弟子達をつれて、山に登られたとき、イエス様の身体は光りました。
それは、天においてのイエス様が持っておられた輝きでした。
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1 それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。
2 そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。
マタイの福音書17章1−2節
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新しい都では、イエス様の光りが町を照らすのです。

でも、それだけではないと思います。
わたしたちは、主と同じに変えられるのです。
だとすれば、私たちも光るのだと思います。

わたしは、人間になぜ分厚い毛皮が無いのかと思います。
これは、推測ですが、エデンで、アダムとエバは神様の命を受けて、光っていたのだと思います。
光りを放つために、毛皮はないほうがいいのでしょう。
でも、神様の命から離れ、彼らは光りを失った。それで、お互いの姿をみすぼらしいと感じて隠したのではないかと思います。

まあ、これは、勝手な事ですが、新しい身体は、神様の命を受け、また、イエス様と同じなのです。
それは、神様の命で輝いていることでしょう。
そうであるなら、私たちは、天国で、お互いを見て、光ってますねえと言い合うことが出来るのです。

そもそも、アダムは、エデンで罪を犯さなかったら、その身体は朽ちなかったのです。
しかし、神様から離れ、それは朽ちるものとなりました。
ですから、神様は私たちに、信仰によって新しい身体を与えて下さるのです。
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50 兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。
52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
53 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
コリント人への手紙第一15章50−53節
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御国に行くのは、霊ではありません。血肉の身体ではありません。新しい身体を受けるのです。
それは、一瞬でおこります。

このことは、テサロニケ人への手紙にも書かれています。
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15 私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
テサロニケ人への手紙第一4章15−16節
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カブトムシは、幼虫の時は、土の中で、大きな芋虫のようです。
しかし、それが、サナギになります。その時は、中では、ドロドロになっているそうです。
でも、ゆらしたら死んでしまいます。そのとき、いったいどうなっているのか、それはまだまだ解明できていないそうです。
しかし、やがて、幼虫の時とは違い、角や羽を持って出てきます。
新しい身体になったのです。
蝶もそうです。幼虫の時は、キャベツなど食べる青虫です。でも、サナギになり、大きな羽をもって出てきます。

蝶や、カブトムシにどのような意識があるか知りませんが、幼虫の時には、サナギから出てどうなるかわからないでしょう。
でも、その時は来ます。

そのような虫にさえ、神様が素晴らしいことをされるなら、高価で尊いと言われる人間には神様はどんなに素晴らしいことを用意しておられるでしょう。

その時まで、わたしたには分からないかもしれません。しかし、その時、私たちはたちまち、新しくされるのです。

死ぬものが不死を着るときがきます。
朽ちるものであったけど、朽ちないものになるのです。
私も、膝がいたいなとか、歯が抜けたとかいろんなことがあります。
でも、全部新しくされるときが来るのです。
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54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
コリント人への手紙第一15章54−57節
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その勝利は、ただ、イエス様を信じる信仰によって与えられるのです。
それは、本当は全ての人類が知らなければならないことです。

イエス様は、十字架で勝利をとられました。
王様が敵に勝ったとき、意気揚々と王は凱旋します。
私たちは、その凱旋の行列に加えられているのです。

父が天に召されたことで、ご挨拶のお手紙を用意したとき、父は天の御国に凱旋しましたと書きました。
私たちは、皆、そのようにイエス様の凱旋の行列にあり、やがて天の御国に凱旋するのです。

この世界のことは滅びます。しかし、信じるものは、新しい身体を与えられ、新しい命に生きるのです。
パウロはピリピ人への手紙でもこう書いています。
++++++++++
18 というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。
19 彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。
20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
21 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。
ピリピ人への手紙3章18−21節
++++++++++
キリストは、私たちの卑しい身体を、イエス様と同じ栄光の身体に変えて下さるのです。

そのように、私たちは、天に国籍のあるものとして、主にあって歩もうと、パウロは、この箇所をこう結んでいます。
++++++++++
58 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。
コリント人への手紙第一15章58節
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救われたものとして、良い行いに励むようにと書かれています。
ここで、大切な事があります。

私たちが救われたのは、良い行いをしたからではありません。
ただ、イエス様を信じる信仰によるのです。
しかし、わたしちが、何のために救われたのか。
それは、良い行いをするためなのです。
++++++++++
私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。
エペソ人への手紙2章10節
++++++++++
そして、その良い行いも、神様が備えておられるのです。

肉によって良い行いを築くのでなく、聖霊様によらなければならないのです。

ですから、その良い行いとは、聖霊の実をあらわすことです。

わたしたちは、地上において歩んでいます。
しかし、天上のかたちを持つものです。
やがて、一瞬で変わるときがきます。
しかし、いま、信じたときから、聖霊様は私たちの内におられ、神の新しい命は私たちの内にあり、はじまっているのです。
そのように天に国籍を持つもの、天上の形をもつものとして、あゆませていただきましょう。
++++++++++
【 主題聖句 】
私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。
コリント人への手紙第一 15章49節
++++++++++
お祈りしましょう。


<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2015/09/13 天上のかたち
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