礼拝でのお話
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ワーシップ
メッセージ




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シティーチャーチ
メッセージ201001219 
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主は永遠に支配される
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は全世界の支配者、永遠に支配される王の王なる方です。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

さて、皆さん。メリークリスマス。
今日は、クリスマスの記念礼拝ということで、この後祝会もあります。
共にイエス様の御降誕を覚えて、礼拝して参りましょう。
また、これから、子どものクリスマス会や、キャロリング、イブ礼拝、クリスマス礼拝があります。
どの集会も、この素晴らしい福音を伝えるためのものです。
是非、お祈りくださりご参加ご協力下さい。

では、聖書の通読箇所から見て参りましょう。
本日の聖書の通読箇所は、
旧約聖書がミカ、ナホム、ハバクク、ゼパニア、ハガイ、ゼカリヤと続きます。
また、新約聖書は、黙示録です。
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12月19日(日)[ ]ミカ1-2 /[ ]黙6-7
12月20日(月)[ ]ミカ3-5 /[ ]黙8-9
12月21日(火)[ ]ミカ6-7 /[ ]黙10-11
12月22日(水)[ ]ナホム1-3 /[ ]黙12
12月23日(木)[ ]ハバ1-3 /[ ]黙13
12月24日(金)[ ]ゼパ1-3 /[ ]黙14
12月25日(土)[ ]ハガイ1-2 /[ ]黙15-16
12月26日(日)[ ]ゼカ1-5 /[ ]黙17
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イスラエル・エルサレムへのさばきを語るミカ。
ニネベへの宣告を告げるナホム。
暴虐と叫ぶハバクク。
エルサレムへの裁きと、敵への報復、そして、ユダの回復を告げるゼパニヤ。
総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアに戒めと励ましを語るハガイ。
そして、主の時について語るゼカリヤ。
と続きます。
是非お読みください。
また、新約聖書ヨハネの黙示録は、
お話の中で見て参りましょう。
聖書の言葉はあなたの霊を成長させます。
皆さん毎日聖書を読みましょう。
来年からと言わず、今から読み始めましょう。

さて、では、聖書の箇所を開きましょう。
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【 聖書箇所 】 黙示録11章1-15節
・新改訳Up447(贈呈p390、英対p742)
・新改訳Vp487、英対p539(贈呈p444)
・口語訳p396
・新共同訳p464 (贈呈p464、英対p684)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
11:1 それから、私に杖のような測りざおが与えられた。すると、こう言う者があった。「立って、神の聖所と祭壇と、また、そこで礼拝している人を測れ。
11:2 聖所の外の庭は、異邦人に与えられているゆえ、そのままに差し置きなさい。測ってはいけない。彼らは聖なる都を四十二か月の間踏みにじる。
11:3 それから、わたしがわたしのふたりの証人に許すと、彼らは荒布を着て千二百六十日の間預言する。」
11:4 彼らは全地の主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台である。
11:5 彼らに害を加えようとする者があれば、火が彼らの口から出て、敵を滅ぼし尽くす。彼らに害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される。
11:6 この人たちは、預言をしている期間は雨が降らないように天を閉じる力を持っており、また、水を血に変え、そのうえ、思うままに、何度でも、あらゆる災害をもって地を打つ力を持っている。
11:7 そして彼らがあかしを終えると、底知れぬ所から上って来る獣が、彼らと戦って勝ち、彼らを殺す。
11:8 彼らの死体は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる大きな都の大通りにさらされる。彼らの主もその都で十字架につけられたのである。
11:9 もろもろの民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめていて、その死体を墓に納めることを許さない。
11:10 また地に住む人々は、彼らのことで喜び祝って、互いに贈り物を贈り合う。それは、このふたりの預言者が、地に住む人々を苦しめたからである。
11:11 しかし、三日半の後、神から出たいのちの息が、彼らにはいり、彼らが足で立ち上がったので、それを見ていた人々は非常な恐怖に襲われた。
11:12 そのときふたりは、天から大きな声がして、「ここに上れ。」と言うのを聞いた。そこで、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。
11:13 そのとき、大地震が起こって、都の十分の一が倒れた。この地震のため七千人が死に、生き残った人々は、恐怖に満たされ、天の神をあがめた。
11:14 第二のわざわいは過ぎ去った。見よ。第三のわざわいがすぐに来る。
11:15 第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
すると、天に大きな声々が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」
黙示録11章15節
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では、このところから、主は永遠に支配される。
と題しまして、御言葉を共に開いて参りましょう。

今回の箇所には、二人の証人が出てきます。
この二人が誰かということには諸説があり、モーセとエリヤだとする節や、エリヤとエノクだとも言われます。
どちらにしても、彼らは、世の終わりの証人として登場します。
ところで、彼らの死体がさらされた場所について、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる大きな都の大通りだと書いてあります。
そして、その場所がなんと、主が十字架につけられたところだというのです。
イエス様が十字架につけられたのはエルサレムです。
ですから、エルサレムが、霊的な意味でソドムやエジプトと呼ばれるということです。
神様は、エルサレムをこの地上の真ん中におかれました。
そして、今、そのエルサレムは、争いが満ち、暴力が満ち、また、様々な罪が満ちています。
しかし、その全てを主は聖め、この世界全てをきよめようとされるのです。

そこに起こる様々な災害によって人々は主をおそれあがめます。
そして、第七の御使いのラッパ、今回のメッセージの箇所の主題聖句へと続きます。

今回クリスマスにこのような箇所からメッセージをするというのはどうかと思われる方もあるかもしれません。
この箇所をえらんだ理由は、メッセージの箇所は、通読表で決まっているからです。
しかし、聖書は、イエス様について書かれています。ですから、どこからでも、イエス様のご生涯に関連しているのです。

さて、クリスマスです。
父なる神様は、御子イエス様をこの地上に送られました。
御子イエス様が私達のところに来て、十字架で死んで、贖いを成し遂げてくださった、そこに救いがあります。
それが、福音です。

ところで、このイエス様は、本来は神様としての栄光を持っておられ方でした。
しかし、その栄光を捨てて、一人の人、一人の無力な赤ん坊となってこの世に生まれてくださったのです。

人間の赤ん坊と言うのは、なんと無力なのだろうと思います。
生まれてすぐの赤ん坊をほっておいたら、自分で食べることが出来ません。
ですから、最近は育児放棄などという言葉もありますが、あかんぼうをほっておく事は、決してしてはならないことです。
それは、その命を奪うことに等しいからです。

ところで、神の子であったイエス様は、そのようなあかんぼうとなられました。
父なる神様にとっても、神の御子イエス様にとっても、これは大変なへりくだり、でした。
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6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
ピリピ人への手紙2章6−8節
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神の御子イエス様は、神のありかたを捨てて、人間と同じようになられたのです。

そして、死にまで従われました。
その結果どうなりましたか。
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9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
11 すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
ピリピ人への手紙2章9-11節
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主は、全ての名に勝る名を受けられました。

この主の偉大な姿がそのまま黙示録には出てきます。

今回の箇所などは、非常に暗いイメージのある箇所かも知れません。
しかし、神の御救いは、その中で進められています。
また世の終わりは刻々と近づいています。

しかし、世の終わりとはなんでしょうか。
単に、この世界がなくなることではありません。
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第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」
黙示録11章15節
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世の終わりは、世界がキリストの支配となるときです。

黙示録は、七つの教会への言葉、天の礼拝、七つの封印をされた巻物、七つのラッパ、七つの鉢と続きます。
とくに、七つの封印以降、
これらによって、よの終わり、さまざまな災いが起こります。

ところで、この黙示録は、今のように、7という数字が何度も出てきます。
七つの教会、蜀台、ともしび、御霊、七つの封印、七つの角と七つの目、七人の天使、七つのラッパ、七つの雷、七つの災い、七つの金の鉢、七つの災害
七と言う数字は、聖書の中で、完成を表す数字とされます。
完全数とも言われます。
その最初は、神様の天地創造にさかのぼることが出来ます。

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1 こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。
2 それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。
3 神はその第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。
創世記2章1節
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神様の天地創造は完全でした。
おなじように、神様がこの世を終わらされるそのことも、完全なことなのです。

今回の箇所には第7の御使いのラッパが出てきますが、それは、8章のこの箇所からはじまっています。
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1 小羊が第七の封印を解いたとき、天に半時間ばかり静けさがあった。
2 それから私は、神の御前に立つ七人の御使いを見た。彼らに七つのラッパが与えられた。
黙示録8章1-2節
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関係ない話ですが、エンゼルトランペットという花がありますね。
河川敷などで群生しているときがあります。
華やかで私は好きなのですが、あれをみると、世の終わりのラッパを思わされます。

このラッパも、中には、角笛だと言う方もあり、また、イスラエルの召集ラッパのように、銀で出来ているともいわれますが、とにかく、世の終わり、御使いのラッパの音が響きます。

だれも解くことのできなかった封印を、小羊であるイエス様がとかれる。
その最後の封印の後、七人の御使いは、災いのラッパを持ってふきはじめます。
すると、そこでたくさんの災いが地上を打ちます。

もともと、神様の支配のもとにあった世界、しかし、アダムとエバの罪により、アダムに奪い去れ、汚された世界を、神様は打ち、きよめられるのです。

そして、10章にはこうあります。
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第七の御使いが吹き鳴らそうとしているラッパの音が響くその日には、神の奥義は、神がご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する。」
黙示録10章7節
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この箇所を見てください。第七のラッパのとき、何が起こりますか?
それは、神の奥義の成就です。

第7のラッパのとき、神様の奥義が成就する。
そして、今回の箇所です。
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第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」
黙示録11章15節
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この世界が、主とキリストのものになる。主が永遠に支配される。
これこそが、神のご計画の奥義です。

私たちは、世の終わりに向かって歩んでいます。
しかし、それは、キリストの支配へと世界が変わるという時です。

キリストがこられたとき、主は一人の子どもとなってこられました。
しかし、博士たちは、そのイエス様を拝みに来ました。
その方は王の王主の主であるかただったのです。

博士たちは、誰を探しましたか?それはユダヤ人の王です。
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2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
マタイの福音書2章2節
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といってイエス様を探しました。

そして、この方は、
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ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掲げた。それには「ユダヤ人の王ナザレ人イエス。」と書いてあった。
ヨハネの福音書19章19節
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という札のもと十字架につけられました。

イエス様はユダヤ人の王として生まれ、ユダヤ人の王として死なれたのです。
ユダヤ人の王、例えば、ソロモンはどれほど美しく着飾り、優雅な暮らしをしていたでしょう。
しかし、イエス様は、そのような姿ではありませんでした。

イエス様は、神の子としての姿を置いて、また、ユダヤ人の王としての姿を置いて、まずしい姿で地上を歩まれたのです。
しかし、この方は十字架で死んで、蘇られ、父なる神から全ての名に勝る名を与えられました。
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それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
ピリピ人への手紙2章9節
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それは何故ですか?
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2:6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
2:9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
2:10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
2:11 すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
ピリピ人への手紙2章6-11節
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ここにあるように、それは、キリストが、十字架で贖いをなしとげられたゆえです。
そのことで、どうなりましたか?
全てがイエス様にひざをかがめ、父なる神様がほめたたえられるのです。

つまり、イエス様の十字架があってこそ、この世界が神に帰するということなのです。

神様が世界を支配されるのは当たり前だと思われるかも知れません。
しかし、人間の罪によって奪われた世界の支配権は、キリストの十字架なしには取り戻せなかったのです。

イエス様のこられた理由はなんですか?
その十字架には、信じる私たちが、救われて、神の子とされて、天国にいけるという意味があります。
しかし、十字架には、神様の支配が永遠に回復されるという、大きな意味があるのです。
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第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」
黙示録11章15節
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多くの人々がクリスマスを祝っています。
イエス様は赤ん坊として生まれてこられました。
しかし、たまたまその赤ん坊が、立派になり、神の子と呼ばれたのではありません。
この方は神の子であり、人となってこられ、ユダヤ人の王として生まれ、ユダヤ人の王として死んで、蘇り、全世界の王となられたのです。

このクリスマスは、そのようなイエス様がこられたことを記念する日です。
イエス様の誕生は、そのまま十字架につながります。
そして、イエス様の十字架を信じるもの、イエス様が私達の罪の身代わりに死んで蘇られたことを信じる者は救われる。
それが、福音です。

このことを覚えて共にこの神様の偉大なご計画を告げ知らせるものとならせて頂きましょう。
お祈りしましょう。

<祈り>



[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。


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