礼拝でのお話
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ワーシップ
メッセージ


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シティーチャーチ
メッセージ201001212  
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神の愛のうちに自分自身を保ち
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主はあわれみ深い方、恵みに満ちた方です。
この方を覚えて御言葉を聞いてまいりましょう。

さて、いつものように今週の聖書の箇所から見て参りましょう。
今週の聖書の通読箇所は、
旧約聖書がヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書
新約聖書がヨハネの手紙第一第二第三、ユダ、黙示録とつづきます。

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12月12日(日)[ ]ヨエ1-2:17 /[ ]Tヨハ5
12月13日(月)[ ]ヨエ2:18-3 /[ ]UヨハVヨハ
12月14日(火)[ ]アモ1-3 /[ ]ユダ
12月15日(水)[ ]アモ4-6 /[ ]黙1
12月16日(木)[ ]アモ7-9 /[ ]黙2
12月17日(金)[ ]オバデヤ /[ ]黙3
12月18日(土)[ ]ヨナ1-4 /[ ]黙4-5
12月19日(日)[ ]ミカ1-2 /[ ]黙6-7
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その中から、本日は、ユダの手紙を見て参りましょう。

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【 聖書箇所 】ユダの手紙1章16-25節
・新改訳Up436(贈呈p379、英対p720)
・新改訳Vp475、英対p525(贈呈p433)
・口語訳p385
・新共同訳p451 (贈呈p451、英対p664)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】ユダの手紙1章16-25節
1:16 彼らはぶつぶつ言う者、不平を鳴らす者で、自分の欲望のままに歩んでいます。その口は大きなことを言い、利益のためにへつらって人をほめるのです。
1:17 愛する人々よ。私たちの主イエス・キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こしてください。
1:18 彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現われる。」
1:19 この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。
1:20 しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、
1:21 神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。
1:22 疑いを抱く人々をあわれみ、
1:23 火の中からつかみ出して救い、またある人々を、恐れを感じながらあわれみ、肉によって汚されたその下着さえも忌みきらいなさい。
1:24 あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、
1:25 すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。
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主題聖句をいいましょう。
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【 主題聖句 】
自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、
神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。
ユダの手紙1章20-21節
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では、この所から、
「神の愛のうちに自分自身を保ち」
と題しまして、御言葉を共に開いて参りましょう。

さて、今回はユダの手紙です。
ユダというと、日本人が思い浮かべるのはイスカリオテのユダかも知れません。
彼は、イエス様を裏切り、売り渡した者として福音書に登場します。
そういうことで、ユダという名前はイメージが良くないかも知れません。

しかし、聖書を読んでいる方は、ユダが、イスラエルの12部族の一つ、ユダ族のユダであることを知っておられると思います。
信仰の父アブラハムの孫でありイスラエルと呼ばれたヤコブには12人の息子がおり、その一人がユダです。
彼の母は、彼を生んだとき、今度は主を称えようと言って、ユダと名づけました。それは、神様を称えるという意味を持つ言葉です。
ですから、イエス様のおられた当時も、ユダという名の人は多くいたことと思われます。

ちなみに、マリヤという名前も、福音書には多く登場します。
イエス様の母マリヤ、マルタの妹のマリヤなどですが、その名前は、旧約聖書に出てくるモーセの姉ミリヤムに由来します。

新約聖書は、多くの面で、旧約聖書とのつながりの中で書かれています。
ですから、私たちは、聖書を、旧約聖書から新約聖書まで、通読する必要があるのです。
また、聖書を通読するとき、主は、聖書全体を通して語りかけてくださり、また、あなたは御言葉によって成長することが出来るのです。

さて、今回のユダの手紙のお話にもどりますが、ユダの手紙は、ヤコブの兄弟であるユダとなっています。
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イエス・キリストのしもべであり、ヤコブの兄弟であるユダから、父なる神にあって愛され、イエス・キリストのために守られている、召された方々へ。
ユダの手紙1章1節
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ユダは自分をヤコブの兄弟として紹介しています。すると、このヤコブはそれだけ有名な人だということです。
例えば、今、野球でイチローというのと、政治の世界で一郎というのとでは、思い浮かべる人物が違います。
野球ならシアトル・マリナーズの鈴木 一朗選手、政治で一郎というと、小沢議員が浮かぶでしょう。
ここで、ヤコブとしてでてくるのは、当時、エルサレムの教会のリーダー的な存在であった主の兄弟ヤコブとされており、
そのことから、このユダは、主の兄弟ユダであるといわれます。

ところで、この箇所良く見ますと、イエス・キリストのために守られている、召された方々へ。
と書いてあります。

どう感じますか?
あなたのためにイエス様が守ってくださるというのでなく、イエス様の為に守られている。
皆さん。召された人たちつまり、教会は、キリストの花嫁です。
ちょうど、ここにも、先週結婚式をされた花嫁さんがおられますが、新郎にとって、花嫁を守るのは花嫁のためだけではありません。
新郎にとって、花嫁は非常に大切であり、新郎は自分自身の為に花嫁を守ります。

皆さん。キリストにとって教会が花嫁である、教会とは、信徒の集まりですが、その一人一人は、キリストにとって重要な存在であり、
キリストのために守られるべき存在であるということです。

ところで、ユダの手紙の2章の1節には何が書いてありますか?
というクイズを見たことがあります。
ユダの手紙には、2章はありません。ですから非常に短い手紙です。

この手紙の目的ははっきりしていて、この3節4節に書かれています。
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3 愛する人々。私はあなたがたに、私たちがともに受けている救いについて手紙を書こうとして、あらゆる努力をしていましたが、聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必
要が生じました。
4 というのは、ある人々が、ひそかに忍び込んで来たからです。彼らは、このようなさばきに会うと昔から前もってしるされている人々で、不敬虔な者であり、私たちの神の恵みを放縦に変えて、私たちの唯一の支配
者であり主であるイエス・キリストを否定する人たちです。
ユダの手紙1章3-4節
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教会の中にひそかに入り込んできた者の考えに対抗し、信仰のために戦う。

そして、その人たちというのは、 
「不敬虔な者であり、私たちの神の恵みを放縦に変えて、私たちの唯一の支配者であり主であるイエス・キリストを否定する人たちです。」
神の恵みを放縦に変える。

恵みというとき、まずこの言葉を思い起こします。
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あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
エペソ人への手紙2章8節
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わたしたちは、恵みによって救われました。

恵みは代価を払わずに与えられたものです。
代価を払わないというと、駅前で配られるティッシュは、代価を払いません。私たちも配ることがありますね。
このマートン選手のサインボールも代価を払わずに頂きました。
しかし、同じ代価を払わないものでも、これと、ティッシュでは比較にならないことは皆さんお分かりだと思います。
ティッシュは、そこらへんに捨てられてしまうかも知れません。
しかし、このマートン選手が、一つづつサインをしてくれたボールは同じようには扱われません。
これをもらった人は飾っておくでしょうか、隠しておくでしょうか。きっと大切に扱うことでしょう。

代価を払わないことで、価値がわからなくなることもあるでしょう。

しかし、神様が与えてくださった恵み、これ以上にない恵みがイエス様です。
神様は世を、世にある人々を愛するがゆえに、恵みによってイエス様をお与えになり、
また、イエス様は私たちを愛するがゆえに、十字架で死んで下さったのです。

その価値は、金や銀より尊い、失礼ながらこのサインボールより価値のあるもの。
全世界の何物よりも価値のあるものです。

その恵みの代価のために、イエス様は十字架で死んで下さいました。
イエス様が十字架で苦しみ、その血を流し、死んで下さって、悪魔に勝利して、黄泉に下り、蘇り、救いの業をなしとげてくださって、
その上で私たちに与えてくださったのが、救いであり、永遠の命であり、罪からの贖いであり、神の子としての立場です。
これは非常に価値があるのです。これほどの価値あるものが恵みによって与えられているのです。

ところで、主は弱いところに働かれます。
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しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜
んで私の弱さを誇りましょう。
コリント人への手紙第二12章9節
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弱さの中に主が働かれると書かれています。
しかし、このことが、いい加減であって良いという事にはつながらないのです。

なぜなら、私たちは、キリストにあって、栄光から栄光へと変えられていくものであるからです。
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私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
コリント人への手紙第二3章18節
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ここで、大事なことは、これが人間によるものでないということです。
栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられなさいではなく、変えられていく。
そして、それが、御霊の働きだと書いてあるのです。
ですから重要なのは、この御霊の働きにゆだねることです。

皆さん。私たちは、救いを受け止めることも出来ればはねつけることもできます。
神様は人間をロボットとして造られたのではないからです。
御霊の働きも同じです。それを受け止めることも出来れば、はねつけることも出来る。
聖霊様がされようとしても、わたしはこのままでいいと言えばそうなるのです。
しかし、主と同じ姿に変えようとされる御霊の働きに自分をゆだねるならそのようになるのです。

私たちは、神様のされることを受け止めていかなければなりません。

また、黙示録にはこうかいてあります。
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花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」
黙示録19章8節
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皆さん。また花嫁がでて来ました。
先週は、京橋で結婚式があり出席させて頂きましたが、花嫁さんは美しく着飾っておられました。
しかし、それは、誰のためでしょう。
花嫁さん自身のため、それもあるかも知れません。
しかし、その美しい花嫁の姿を一番誇りに思っているのは花婿ではないでしょうか。

花嫁がみすぼらしい姿をしていたら、花婿ははずかしい思いをするのではないでしょうか。
女は男の栄光の現れとも書いてあります。
花嫁の美しい姿、それは、花婿のためです。

そして、ここにでてくる花嫁の姿、その着物は、聖徒たちの正しい行いで出来ていました。
神様の目から見たとき、霊の目で見たとき、私達の正しい行いはきらきらと美しく輝いているのです。

皆さん。救いは恵みによって与えられました。しかし、その着物は、正しい行いで飾られます。
しかし、また、その行いは、人の力ではありません。
私たちを、栄光から栄光へと変えるのは、御霊の働きです。

そして、ローマ人への手紙の中で、パウロは言っています。
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「善を現わすために、悪をしようではないか。」と言ってはいけないのでしょうか。――私たちはこの点でそしられるのです。ある人たちは、それが私たちのことばだと言っていますが、――もちろんこのように論じる
者どもは当然罪に定められるのです。
ローマ人への手紙3章8節
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もう、善を現すために、悪をしようというのが間違いであることがわかると思います。

わたしたちは、確かに罪人であり、そして恵みによって救われました。しかし、救われた私たちは、キリストとともにあって聖いものなのです。
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それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」と書いてあるからです。
ペテロの手紙第一1章16節
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そして、それは、ただ、
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あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
エペソ人への手紙2章8節
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恵みによって与えられました。

また、この恵みの中で生かされ、キリストと共に歩むものなのです。
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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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そして、それは、共におられる聖霊様によるのです。
これにたいし、こう書いてあります。
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この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。
ユダの手紙1章19節
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かれらの考え行動は、結局のところ人間の業でした。

信じた私たちも、御霊によって歩むのでなければ同じことです。
主に結びついている。つまり、聖霊様によるのでなければ実を結ぶことは出来ないのです。
ですから、私たちは主にしっかりと目を向けていなければなりません。

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信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
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そして、私たちは、キリストにつながり信仰によって歩むのです。
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しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、
神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。
ユダの手紙1章20-21節
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私たちは、この神の愛、神の恵みのうちにあって成長し、築きあげられて参りましょう。

お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。


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シティーチャーチメッセージ20101212 神の愛のうちに自分自身を保ち
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