礼拝でのお話
テキスト版
画像がある場合は
クリックすると
表示されます
※携帯で表示できない
物もありますので
ご了承下さい
トップページへ


音声ファイル
更新日10/04
更新ファイル10/03
(PC用:MP3形式)
ワーシップ
メッセージ



−−−−−−−−−−
シティーチャーチ
メッセージ201001003  
−−−−−−−−−−
キリストの律法を全うしなさい
−−−−−−−−−−

++++++++++
28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
++++++++++

<祈り>

皆さん。ハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は、王の王、全能者、力ある方です。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。
では、いつものように聖書の通読箇所から見て参りたいと思います。

今週の聖書の通読箇所は、
旧約聖書がイザヤ書
新約聖書がガラテヤ人への手紙からエペソ人への手紙です。
−−−−−−−−−−
10月3日(日)[ ]イザ22-24 /[ ]ガラ4
10月4日(月)[ ]イザ25-27 /[ ]ガラ5
10月5日(火)[ ]イザ28-29 /[ ]ガラ6
10月6日(水)[ ]イザ30-31 /[ ]エペ1
10月7日(木)[ ]イザ32-34 /[ ]エペ2
10月8日(金)[ ]イザ35-37 /[ ]エペ3
10月9日(土)[ ]イザ38-40 /[ ]エペ4
10月10日(日)[ ]イザ41-42 /[ ]エペ5
−−−−−−−−−−
イザヤ書の今回の箇所は、国々への主の裁きの御言葉が書かれています。
しかし、それらのところから、全てに神様のご計画と導きがあるのだということを知ることが出来ます。
また、どんな時も、主は悔い改めを待っておられます。

新約聖書。ガラテヤ人への手紙は前回も言いましたが、信仰についての書です。
もし、聖書の中で一箇所だけどこか進めるとしたら、私は、このガラテヤ書をお勧めします。
6章しかなく、非常に読みやすく、信仰をわからせてくれる書です。


エペソ人への手紙は、信仰生活の具体的な事柄と霊の戦いの方法が書かれています。
特に6章の神の武具などは、興味深いところです。
皆さん聖書を読みましょう。
聖書は、命のパンです。
聖書の御言葉は、あなたの霊を成長させます。

よく、御言葉を味わいなさいといいます。
御言葉を味わうというのはどんなことでしょうか?
理解しよう、わかろう、そこから感じ取ろうとすることでしょう。
しかし、それは、全て、頭の働きや魂の働きです。

御言葉を味わうことは大切です。
しかし、あえていいますと、理解しよう、わかろう、感じようとしなくても、聖書を読むことが大切です。
言葉に感動したら自分が変わるのではありません。
聖書の言葉をアーメンと受け取ることで、私たちは変えられるのです。

肉体のことを考えれば、食事を味わって取ることは大切です。
しかし、食物を食べたとき、味わっても味わわなくても、おいしくてもそうでなくても、あなたの血肉となります。
同じように、御言葉はあなたの霊を成長させるのです。
なぜなら、御言葉こそ、霊の食物だからです。

そして、この御言葉が人の姿になられたのがキリストです。
イエス様は言われます。
++++++++++
わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。
ヨハネの福音書6章55節
++++++++++
今日は聖餐式があります。
この聖餐式の意味がここにあります。
わたしたちは、まことの食物であるキリストをいただくのです。

ですから皆さん。けっしていい加減な気持ちで、聖餐に与らないで下さい。
真剣に、心から、主の御身体と血潮に与りましょう。

さて、では、お話を戻します。
ガラテヤ人への手紙6章です。
−−−−−−−−−−
【 聖書箇所 】 ガラテヤ人への手紙6章1-15節
・新改訳Up339(贈呈p296、英対p566)
・新改訳Vp371、英対p413(贈呈p338)
・口語訳p299
・新共同訳p350 (贈呈p350、英対p526)
−−−−−−−−−−
聖書をお開きください。
では、司会者お願いします。
++++++++++
【 聖書箇所のテキスト 】
6:1 兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。
6:2 互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。
6:3 だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。
6:4 おのおの自分の行ないをよく調べてみなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることではないでしょう。
6:5 人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。
6:6 みことばを教えられる人は、教える人とすべての良いものを分け合いなさい。
6:7 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。
6:8 自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
6:9 善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。
6:10 ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう。
6:11 ご覧のとおり、私は今こんなに大きな字で、自分のこの手であなたがたに書いています。
6:12 あなたがたに割礼を強制する人たちは、肉において外見を良くしたい人たちです。彼らはただ、キリストの十字架のために迫害を受けたくないだけなのです。
6:13 なぜなら、割礼を受けた人たちは、自分自身が律法を守っていません。それなのに彼らがあなたがたに割礼を受けさせようとするのは、あなたがたの肉を誇りたいためなのです。
6:14 しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたので
す。
6:15 割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。
++++++++++

では、主題聖句を言いましょう。
++++++++++
【 主題聖句 】
善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。
ガラテヤ人への手紙6章9節
++++++++++

では、この所から、
「キリストの律法を全うしなさい」
と、題しまして、御言葉を開いて参りたいと思います。

皆さん。先週は、関西フランクリン・グラハム・フェスティバルの河北地区の決起集会を開くことが出来ました。
ご協力くださった皆さん。ご参加くださった皆さん。お祈りくださった皆さん。本当にありがとうございました。
およそ60教会の中の8教会が参加され、人数も40人程と、大盛況だったとはいいませんが、素晴らしい励ましのときとなりました。
また、ここに大会実行委員長の高田先生にも来ていただき、薦めの言葉を頂きました。

それらをきっかけに、このフェスティバルのための祈祷会を開いてはどうかとの声を出していただき、金曜日に実施することになりました。
大変申し訳ないことに、当の私がうっかりして、参加できなかったのですが、姉妹方がここに集まってお祈りされ、素晴らしい時を過ごしたと報告してくださいました。

今週、来週とフェスティバルまであと二回しかありませんが、是非、皆さんご参加下さい。

この関西フランクリン・グラハム・フェスティバルの参加チケットが届きました。
また、皆さんにお渡ししますが、チケットの裏に教会の名前を書いて配るということです。
もうしばらくお待ち下さい。

皆さん。この場所で、先週高田先生が言われました。
傍観者になってはならない。
この働きは、福音を宣教するための働きです。
それは、主の御言葉である大宣教命令に基づきます。
ですから、皆さん、真剣に取り組んで参りましょう。

さて、お話に戻ります。

ガラテヤ人への手紙のテーマは信仰による義です。
この手紙の冒頭にこうあります。
++++++++++
6 私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。
7 ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。
ガラテヤ人への手紙1章6節
++++++++++
ガラテヤ人への手紙は、キリストの福音の本質を見直すために書かれました。

中でも、大切なのはこのことです。
++++++++++
しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによっ
てではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。
ガラテヤ人への手紙2章16節
++++++++++
人は、信仰によって義と認められる。

そして全ては信仰によります。

この世界の存在も私たちにとっては、信仰によって知られるものなのです。
++++++++++
信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
ヘブル人への手紙11章3節
++++++++++

そして、信仰によらなければ、私たちは主に喜ばれることが出来ません。
++++++++++
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
ヘブル人への手紙11章6節
++++++++++
なぜなら、信仰とは、神様との愛の関係でもあるからです。

その神の愛の証明が、イエス・キリストの十字架です。
ですから、これを信じることが、全ての信仰の原点となるのです。
それで、パウロはいいます。
++++++++++
しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。
ガラテヤ人への手紙6章14節
++++++++++

さて、それらを見た上で、今回の箇所に戻りますが、その最初はこう書いてあります。
++++++++++
1 兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。
2 互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。
3 だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。
ガラテヤ人への手紙6章1-3節
++++++++++
さて、この箇所から、キリストの律法とは何かを考えて見ましょう。

律法すなわちそれは、戒めです。
しかし、その戒めは、モーセに与えられた戒めとは違います。
モーセのときの契約の様子が、出エジプト記に書かれています。
++++++++++
6 モーセはその血の半分を取って、鉢に入れ、残りの半分を祭壇に注ぎかけた。
7 そして、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。すると、彼らは言った。「主の仰せられたことはみな行ない、聞き従います。」
8 そこで、モーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った。「見よ。これは、これらすべてのことばに関して、主があなたがたと結ばれる契約の血である。」
出エジプト記24章6-8節
++++++++++
彼らは、主の仰せられたことはみな行い、聞き従います。と言いました。
これが、モーセの契約です。

ここに契約の血とあります。
この契約の血と私たちの頂く聖餐の杯は非常に深い関係があります。

なぜなら、イエス様が、こういわれたからです。
++++++++++
23 また、杯を取り、感謝をささげて後、彼らに与えられた。彼らはみなその杯から飲んだ。
24 イエスは彼らに言われた。「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。」
マルコの福音書14章223-24節
++++++++++
今日は聖餐式です。お話がそれましたが、覚えておいてください。

さて、申命記にはこうあります。
++++++++++
私たちの神、主が命じられたように、御前でこのすべての命令を守り行なうことは、私たちの義となるのである。」
申命記6章25節
++++++++++
これが、律法による義です。
しかし、私たちはそうではありません。
義はすでに与えられています。
それは、信仰による義です。
++++++++++
しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによっ
てではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。
ガラテヤ人への手紙2章16節

聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される。」と前もって福音を告げたのです。
ガラテヤ人への手紙3章8節

ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる。」のだからです。
ガラテヤ人への手紙3章11節

こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。
ガラテヤ人への手紙3章24節

私たちは、信仰により、御霊によって、義をいただく望みを熱心に抱いているのです。
ガラテヤ人への手紙5章5節
++++++++++
ガラテヤ人への手紙には、何度も、このことが書いてあります。

また、それは、恵みによります。
++++++++++
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
エペソ人への手紙2章8節
++++++++++
皆さん。恵みによるとはどういうことですか?
あなたが、救われたことそのものが恵みによるのです。
あなたが、信じることが出来たのは、人より、心がやわらかだったからですか?
人より、理解力があったからですか?何か努力したからですか?
しかし、聖書はいいます。あなたが救われたのは恵みによるのです。

あなたが教会に来てからの信仰生活が恵みによるのではありません。
あなたが、教会にこれたこと、イエス様を信じることが出来たこと、それら全てが恵みによるのです。

だとしたら、私たちは、イエス様を信じない人を裁くことは出来ません。
あの人はあんなに頑なでとか、わからずやでとか言うことは出来ないのです。

ただ、あなたは、恵みによって先に救われたのです。
ですから、忍耐を持って福音を伝えることは大切です。

さて、キリストの律法の話でした。
義は、律法を行うことによる義ではありません。
また、それは、モーセの律法でもありません。
では、それはなにでしょう。

もう一度見てみましょう。
++++++++++
1 兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。
2 互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。
3 だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。
ガラテヤ人への手紙6章1-3節
++++++++++
柔和な心で罪に陥った人を正す。
それは、赦す事を含みます。
また、互いの重荷を負い合いとあります。
またここに、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、とあります。

私たちは、恵みによって救われたことを良く覚えなければなりません。
そして、互いに重荷を負い合うのです。

さて、キリストは何をしてくださいましたか?
イエス様は、私たちのために十字架に架かって死んでくださったのです。
それは、信じる私たちが救われるため、義とされるためでした。

では、それは何故ですか?
それは、神の愛の故です。
++++++++++
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
++++++++++
私たちを愛する父なる神様の愛のゆえに、そのことはなされたのです。
ですから、このキリストの律法とは愛の律法です。
だからイエス様は言われます。
++++++++++
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
ヨハネの福音書13章34節

わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
ヨハネの福音書15章12節

あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。
ヨハネの福音書15章17節
++++++++++
ヨハネの福音書では、イエス様は、このことを何度も言っておられます。

皆さん。
私たちは、このキリストの愛によって愛されています。
そして、この愛のゆえに、互いに赦しあうように言われるのです。
主の祈りの中でもこうあります。
++++++++++
私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
マタイの福音書6章12節
++++++++++
赦しは、非常に大切なことです。

それは、時に負担に感じるかもしれません。
しかし、私たちは、これを命じられた方が、敵であった私たちを愛して下さったことを忘れてはなりません。
++++++++++
もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。
ローマ人への手紙5章10節
++++++++++
私たちは、このキリストの律法、互いに愛し合いなさいと言われたキリストの戒めを守り行うものとならせて頂きましょう。

そして、イエス様がなしてくださったこの愛の故の十字架を、福音を、宣べ伝えるものとならせて頂きましょう。

お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。


−−−−−−−−−−
シティーチャーチメッセージ20101003 キリストの律法を全うしなさい
−−−−−−−−−−



最新の音声ファイルはこちら
(MP3形式.PCのみ再生可)
・ワーシップ
http://www.cityc.net/weekly/worship.MP3

・メッセージ
http://www.cityc.net/weekly/message.MP3






INDEX
TOP