礼拝でのお話
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ワーシップ
メッセージ



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シティーチャーチ
メッセージ201000919 
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すべてが新しくなりました
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、全てを創られた方、そして、私たちを新しく作り変えてくださった方です。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

では、いつものように、聖書の通読箇所を見てみましょう。
聖書の通読箇所は、旧約聖書が箴言から伝道者の書、雅歌、イザヤ書となります。
また、新約聖書は、コリント人への手紙第二が続きます。

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9月19日(日)[ ]箴言25-28 /[ ]Uコリ3
9月20日(月)[ ]箴言29-31 /[ ]Uコリ4
9月21日(火)[ ]伝1-3 /[ ]Uコリ5
9月22日(水)[ ]伝4-7 /[ ]Uコリ6
9月23日(木)[ ]伝8-12 /[ ]Uコリ7
9月24日(金)[ ]雅歌1-4 /[ ]Uコリ8
9月25日(土)[ ]雅歌5-8 /[ ]Uコリ9
9月26日(日)[ ]イザ1-2 /[ ]Uコリ10
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箴言の最後は、良い妻について書かれています。
そこには、立派な女性の姿、その女性を夫や子どもたち、周りの人々が褒め称える姿が書かれています。
この良い妻は、キリストの教会の姿です。
また、伝道者の書。これは、別訳では、コヘレトの言葉などとも書かれていますが、この世を追い求めたソロモンが行き着いたむなしさ。そして、神様しかないという事が書かれています。
雅歌も、ソロモンによると言われます。こちらは、男女の恋愛の歌ともとれますが、そこには、人類を愛し求めておられる神様の姿が書かれています。
そして、聖書の中の聖書といわれるイザヤ書に続きます。
新約聖書はコリント人への手紙第二こちらは、お話の中で見てまいりましょう。
皆さん。共に聖書を読みましょう。

では、このコリント人への手紙第二から5章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】コリント人への手紙第二 5章14-21節
・新改訳Up320(贈呈p280、英対p536)
・新改訳Vp351、英対p390(贈呈p320)
・口語訳p283
・新共同訳p330 (贈呈p330、英対p498)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
5:14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。
5:15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
5:16 ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。
5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
5:18 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。
5:19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。
5:20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。
5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。
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では、続いて主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
コリント人への手紙第二5章17節
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では、この所から、
「すべてが新しくなりました」
と、題しまして、御言葉を見て参りましょう。

さて、今回、コリント人への手紙第二へと入ります。
この手紙は、前回の手紙の続きです。
パウロがコリントへ書いた手紙は、この二つだけではないようですが、この二つの手紙だけが、聖書として残されています。

前回の手紙で、パウロは、コリントの教会の罪を示しました。

その中にはこう書いてありました。
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11 私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、
いっしょに食事をしてもいけない、ということです。
12 外部の人たちをさばくことは、私のすべきことでしょうか。あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。
13 外部の人たちは、神がおさばきになります。その悪い人をあなたがたの中から除きなさい。
コリント人への手紙第一5章11-13節
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非常に厳しい言葉です。

この手紙に続いて、今回の手紙にはこうかいてあります。
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5 もしある人が悲しみのもとになったとすれば、その人は、私を悲しませたというよりも、ある程度――というのは言い過ぎにならないためですが、――あなたがた全部を悲しませたのです。
6 その人にとっては、すでに多数の人から受けたあの処罰で十分ですから、
7 あなたがたは、むしろ、その人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。
8 そこで私は、その人に対する愛を確認することを、あなたがたに勧めます。
コリント人への手紙第二2章5-8節
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これが、コリント人への手紙第二の一つのテーマです。

この手紙は、前回の手紙のフォローとして書かれているわけです。
悔い改めたものを慰め励ますため。赦す為に書かれているわけです。

パウロは続きにこう書いています。
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9 私が手紙を書いたのは、あなたがたがすべてのことにおいて従順であるかどうかをためすためであったのです。
10 もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。
11 これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。
コリント人への手紙第二2章9-11節
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ここにまた、コリント人への手紙第一の目的も書かれています。
それは、従順と言うことです。

従順。それは、神様の言葉に忠実に従うことです。

そのことを考える上で、黙示録を開きます。
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わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。
黙示録3章19節
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懲らしめは愛のゆえです。
戒めというと私たちは面白くないと考えます。
しかし、それは愛の故です。

ところで、ここに二つのことを見ることができます。
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9 私が手紙を書いたのは、あなたがたがすべてのことにおいて従順であるかどうかをためすためであったのです。
10 もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。
11 これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。
コリント人への手紙第二2章9-11節
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一つは、従順であること、そして、もう一つは、人を赦す事です。

この従順ということから見たいと思いますが、
最近、成長している教会でよく言われるのは、忠誠心ということです。
神様に従順である、忠実である。
これは、教会が成長する上で欠かせる事の出来ないものだというのです。
わたしたちが、忠誠心を持つこと、御言葉に従い一つとなること。
それなくして、教会の成長はありません。

時に教会は、間違った忠誠心に縛られることもあります。
その結果カルト化してしまう教会もあります。
しかし、だからといって忠誠心が悪いのではありません。
キリストにあって一つとなる事は非常に重要です。
信仰生活の原点は祈りと御言葉です。
一人一人が聖書を読み祈ることなしに、信仰の成長はありません。
しかし、だからと言って、私たちは、個人主義になってしまってはならないのです。
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終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。
コリント人への手紙第二 13章11節
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私たちは一つとならなければならないのです。
御言葉を読み祈り、そして、一つとなるのです。

また、カルト化の危険があるからと言って、神に忠実であるということにいい加減であってはなりません。
私たちが、百パーセント神様に忠実であることを、神様は望んでおられます。
そして、こうも書いてあります。
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「イスラエル人の全会衆に告げて言え。あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない。
レビ記19章2節
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聖書の中で聖と言う言葉はいくつかの意味を持ちます。
清らかであるということ、そして、この世から分けられているということ、そして、完全であるという意味もあります。

イエス様はこういわれました。
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だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。
マタイの福音書5章48節
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わたしたちは、完全なものとならせて頂くのです。
それは、完全な愛、完全なあゆみ、完全な神への従順です。完全な一致。
こういうと、人は完全になることは出来ないといわれます。その通りです。
しかし、これは主が言われました。あなたは、主の言われたことに対して出来ませんといいますか?
それとも、アーメンとお答えしますか?
私たちは、主の言葉を信仰で受け止めなければならないのです。

さて、キリストにあって一つであるところに、主は共におられます。
そして、そこに神様の栄光はあらわされるのです。

ところで、イエス様は完全に神様に従われたゆえに何をされましたか?
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キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
ピリピ人への手紙2章8節
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キリストは命がけの愛命がけの従順を私たちに示されたのです。
また、それは命がけの赦しでした。

罪をおかしたものが刑をうけるのはあたりまえです。
しかし、キリストは、命がけで赦すために、自分が刑をうけて下さったのです。
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9 私が手紙を書いたのは、あなたがたがすべてのことにおいて従順であるかどうかをためすためであったのです。
10 もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。
11 これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。
コリント人への手紙第二2章9-11節
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先ほどの箇所で、パウロは、それが、サタンに欺かれないためだと言っています。
皆さん。従順は、神様との関係です。
そして、赦しは、もっとも尊い愛の関係です。
なぜなら、イエス様が私たち罪人を赦す為に十字架にかかってくださったことが、究極の愛だからです。

悪魔は欺きをもたらします。
その欺きは、従順に対するもの、また、赦しに対するものです。

神への従順という神への愛、神との愛の関係と、神の愛で人を赦すことは、悪魔の欺きをあばき、悪魔の働きを打ち砕きます。

皆さん私たちは、このキリストの愛に生きています。

それが、今回の箇所のはじめです。
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というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。
コリント人への手紙第二5章14節
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この愛のゆえに、キリストは私たちのために死んでくださいました。
それは、何のためかが書いてあります。
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15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
16 ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。
コリント人への手紙第二5章15-16節
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キリストは、私たちの人生が変わるために死んでくださいました。

私たちは、キリストを人間的に知ろうとはしません。
イエス様が癒しをなさったとか、奇跡をなさったとか、人々を愛されたとか。
確かにイエス様はそれらをなさいました。
それは素晴らしいことです。

しかし、そんなものよりもはるかに重要なことがあります。

それは、イエス様の十字架です。
あの十字架によって私たちはキリストと共に死に、キリストと共に蘇ったのです。

そして、私のためにキリストが死んでくださったから また、 誰かのためにキリストが死んでくださったから、私たちは、人間的に人を見ることが出来ないのです。
私たちは、人をどう見るのですか?
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だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
コリント人への手紙第二5章17節
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あなたがキリストのうちにあるなら あなたは新しくつくられたものです。
すべてが新しくなりました。だからあなたは素晴らしいのです。
自分を悪いものにしないで下さい

また教会で、あなたあの周りの誰かが、それは気に入らない人かもしれない。
しかし、その人も新しく変えられたのです。人間的に知ろうとしてはならないのです。

そして、全てのものは、神から出ています。
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18 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。
19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。
コリント人への手紙第二5章18-19節
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主は、全てに和解をお与えになります。

ところで、一般には、和解はどのようになされますか?
それは、違反したものが謝罪することからはじまります。
しかし、罪のない方が、和解のための働きをされた。
そして、いま、私たちを通して懇願しておられるのです。

懇願する。
というと、罪を犯したものが、助けを求める。
しかし、そうではなく、神様が、懇願しておられるのです。
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20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。
21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。
コリント人への手紙第二5章20-21節
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神様がイエス様を信じなさいと、お願いされるのです。

普通、刑罰を受けるのは誰ですか?それは犯罪者です。
自分のしたことを悔いて、刑を受ける。
しかし、イエス様は、ご自身が、十字架につかれました。それは、罪が無いものが罪のあるものとなられたということです。


この方によって、私たちは義とされました。

それは、自分だけではありません。
周りの人も、キリストにあるなら、新しく作られたものです。
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だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
コリント人への手紙第二5章17節
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そして、私たちの福音宣教には、人々を新しくする力があるのです。

お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。


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