礼拝でのお話
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ワーシップ
メッセージ



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シティーチャーチ
メッセージ201000905
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主から受けたことを
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は力ある神、全能者、王の王、主の主です。
この方を覚えて御言葉を聞いて参りましょう。

さて、本日も、今週の通読箇所から見て参りましょう。
今週の通読箇所は、
旧約聖書が詩篇から箴言
新約聖書がコリント人への手紙第一
です。
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9月5日(日)[ ]詩120-129 /[ ]Tコリ10:14-33
9月6日(月)[ ]詩130-135 /[ ]Tコリ11:1-16
9月7日(火)[ ]詩136-138 /[ ]Tコリ11:17-34
9月8日(水)[ ]詩139-141 /[ ]Tコリ12:1-11
9月9日(木)[ ]詩142-145 /[ ]Tコリ12:12-31
9月10日(金)[ ]詩146-150 /[ ]Tコリ13
9月11日(土)[ ]箴言1-3 /[ ]Tコリ14:1-19
9月12日(日)[ ]箴言4-6 /[ ]Tコリ14:20-40
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詩篇もいよいよ終わります。
150の詩は、主への真剣な祈りの言葉です。
その最後は、
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150:6 息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。
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という賛美で終わります。
私たちの主は全てのものの主です。
この方を私たちは、賛美しています。
この世界の全てのものにとって、命のある全てのものにとって、
主を賛美することは当然のことなのです。

コリント人への手紙は、お話の中で見てまいりたいと思います。

では、今日はこのコリント人への手紙第一から、
11章をお開きください。
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【 聖書箇所 】コリント人への手紙第一11章23-34節
・新改訳Up305(贈呈p268、英対p511)
・新改訳Vp334、英対p372(贈呈p306)
・口語訳p269
・新共同訳p314 (贈呈p314、英対p476)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
11:23 私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、
11:24 感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい。」
11:25 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」
11:26 ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。
11:27 したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。
11:28 ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。
11:29 みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。
11:30 そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます。
11:31 しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。
11:32 しかし、私たちがさばかれるのは、主によって懲らしめられるのであって、それは、私たちが、この世とともに罪に定められることのないためです。
11:33 ですから、兄弟たち。食事に集まるときは、互いに待ち合わせなさい。
11:34 空腹な人は家で食べなさい。それは、あなたがたが集まることによって、さばきを受けることにならないためです。その他のことについては、私が行ったときに決めましょう。
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続いて主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。
コリント人への手紙第一 11章26節
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では、このところから、
「主から受けたことを」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

今回の箇所は、皆さんがご存知の、聖餐式に関わるところです。
この聖餐式は、今回の箇所にあるとおり、主のからだと、流された血を覚えて行われるものです。

福音書の中では、マタイの福音書26章、
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26 また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
27 また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
28 これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。
29 ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
マタイの福音書26章26-29節
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ここに、契約の血であることや、罪を赦すためであることが書いてあります。

また、マルコの福音書14章
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22 それから、みなが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、彼らに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしのからだです。」
23 また、杯を取り、感謝をささげて後、彼らに与えられた。彼らはみなその杯から飲んだ。
24 イエスは彼らに言われた。「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。」
マルコの福音書14章22-25節
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ここで、も、契約の血と書かれています。

最後にルカの福音書22章
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19 それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい。」
20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。
ルカの福音書22章19-20節
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ここに、私を覚えてと書いてあります。

この聖餐式は、ユダヤ人の過ぎ越しの祭りに由来します。
それは、出エジプトに書かれています。
出エジプトにおいて、主がエジプトに災いを起こそうとされたとき、それが、イスラエルの家を過ぎこすために、
主は一つの方法をお教えになりました。
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5 あなたがたの羊は傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊かやぎのうちから取らなければならない。
6 あなたがたはこの月の十四日までそれをよく見守る。そしてイスラエルの民の全集会は集まって、夕暮れにそれをほふり、
7 その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と、かもいに、それをつける。
8 その夜、その肉を食べる。すなわち、それを火に焼いて、種を入れないパンと苦菜を添えて食べなければならない。
出エジプト記12章5-8節
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この一才のオスの羊。
子羊は、ほふられ、血を流され、その血は、門柱とかもいに塗られ、そのことにより、災いがイスラエルを過ぎこしたのです。
また、その肉は家族で食べました。

契約の血について、出エジプト記にこう書いてあります。
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5 それから、彼はイスラエル人の若者たちを遣わしたので、彼らは全焼のいけにえをささげ、また、和解のいけにえとして雄牛を主にささげた。
6 モーセはその血の半分を取って、鉢に入れ、残りの半分を祭壇に注ぎかけた。
7 そして、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。すると、彼らは言った。「主の仰せられたことはみな行ない、聞き従います。」
8 そこで、モーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った。「見よ。これは、これらすべてのことばに関して、主があなたがたと結ばれる契約の血である。」
出エジプト記24章5-8節
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契約には、血が流されました。

それは、契約が命をかけて守られるべきものであることを示していました。

アブラハム契約においても、血が流されました。
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10 彼はそれら全部を持って来て、それらを真二つに切り裂き、その半分を互いに向かい合わせにした。しかし、鳥は切り裂かなかった。
17 さて、日は沈み、暗やみになったとき、そのとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた。
創世記15章10、17節
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この血の流れる動物の間を通るというのは、自分たちが契約を守らないときこのようになってもよいという意味を持ちました。
ところが、そのとき、アブラハムではなく、主が、その間を通られたのです。

イエス様の救いの契約もそうです。
主が十字架でご自身を裂き血を流されました。
そのことによって、私たちと関係なく契約が完了したのです。
ですから、私たちは、このことを信じるだけで義とされるのです。

さて、聖書にもどりますが、聖餐式にどのような意味があるのか、その説明をルカの福音書の中でイエス様ご自身がしておられます。
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47 まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。
48 わたしはいのちのパンです。
49 あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死にました。
50 しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。
51 わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」
ヨハネの福音書6章47-51節
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そして、さらにイエス様はいわれました。
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53 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。
54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。
56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。
57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。
58 これは、天から下ってきたパンです。あなたがたの先祖が食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」
ヨハネの福音書6章53-58節
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命のパンであるイエス様を食べる。
そしてまた、イエス様が流された契約の血を飲む。
それが、聖餐式の意味です。

ですから、これは、非常に尊いものです。

ですから、カトリックにおいては、このパンには、司祭しか触れることが出来ません。
それで、パンは、司祭がとって、信徒の口に入れるのです。

また、ぶどう酒も、それは、キリストの血潮ですから、決して残してはなりません。
だから、もし、ぶどう酒が残るとどうするか。それは、全部司祭が飲むのです。

お酒に弱いと大変かも知れません。

それはとにかく、カトリックにおいては、パンとぶどう酒がそれほど尊く用いられている。

その方法は別として、私たちも、同じ思いで、聖餐に与ることが大切です。

今回の箇所にはこうあります。
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29 みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。
30 そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます。
31 しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。
コリント人への手紙第一11章29-31節
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ここには、まず、みらかだをわきまえない。ということが書かれています。
あなたは、どのような気持ちで聖餐に与ろうとされますか?
今日はちょうど聖餐式です。

わたしたちは、どのような思いで聖餐に与るのですか?

キリストが流された血、キリストの裂かれた御体。
そこに聖餐に与る意味があります。

ですから、あなたがそのことを信じておられないなら、また、そのことを感謝されないなら聖餐に与ることは出来ません。

それは、本当に神様への感謝であり、また、キリストにあって生きる事です。

自分の罪を認め、悔い改めの思いをもって与るなら、あなたがどのようなものであっても、主は赦し、聖めて下さいます。

大切なのは信仰です。聖餐は信仰によって与るものです。

主はあわれみ深いかたです。
あなたが、へりくだり、聖餐に預かり、主と共に歩むことを望んでおられます。

そして、私たちは、この赦しの中で、この購い主なるイエス様を伝えるものとなるのです。

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ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。
コリント人への手紙第一11章26節
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イエス様が十字架で死んでくださったこのこと、蘇られたこと、それを伝えるものとして、歩ませて頂きましょう。

お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。


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