礼拝でのお話
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ワーシップ
メッセージ



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シティーチャーチ
メッセージ20100829
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重要なのは神の命令を守ることです
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さん。おはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は、私たちを、ご自身の血潮によって買い取られた方。
愛をもって、全てを治めておられる方です。

この方を覚えて御言葉を聞いて参りましょう。

では、今週の通読箇所から見て参りましょう。
今週の通読箇所は、旧約聖書が詩篇
新約聖書がコリント人への手紙第一です。

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8月29日(日)[ ]詩103-104 /[ ]Tコリ5
8月30日(月)[ ]詩105-106 /[ ]Tコリ6
8月31日(火)[ ]詩107-109 /[ ]Tコリ7:1-24
9月1日(水)[ ]詩110-115 /[ ]Tコリ7:25-40
9月2日(木)[ ]詩116-118 /[ ]Tコリ8
9月3日(金)[ ]詩119:1-88 /[ ]Tコリ9
9月4日(土)[ ]詩119:89-176 /[ ]Tコリ10:1-13
9月5日(日)[ ]詩120-129 /[ ]Tコリ10:14-33
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詩篇ももう少しで終わりです。
今週は、詩篇で一番長い119篇もあります。
それは、御言葉に対する思いをつづった詩です。
是非お読み下さい。
また、コリント人への手紙第一も、非常に大切な教えが続きます。
是非お読み下さい。

では、このコリント人への手紙から、本日の聖書箇所をお読み頂きましょう。

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【 聖書箇所 】 コリント人への手紙第一7章10-24節
・新改訳Up298(贈呈p261、英対p499)
・新改訳Vp325、英対p363(贈呈p298)
・口語訳p263
・新共同訳p307 (贈呈p307、英対p465)
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司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
7:10 次に、すでに結婚した人々に命じます。命じるのは、私ではなく主です。妻は夫と別れてはいけません。
7:11 ――もし別れたのだったら、結婚せずにいるか、それとも夫と和解するか、どちらかにしなさい。――また夫は妻を離別してはいけません。
7:12 次に、そのほかの人々に言いますが、これを言うのは主ではなく、私です。信者の男子に信者でない妻があり、その妻がいっしょにいることを承知している場合は、離婚してはいけません。
7:13 また、信者でない夫を持つ女は、夫がいっしょにいることを承知しているばあいは、離婚してはいけません。
7:14 なぜなら、信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現に聖いの
です。
7:15 しかし、もし信者でないほうの者が離れて行くのであれば、離れて行かせなさい。そのようなばあいには、信者である夫あるいは妻は、縛られることはありません。神は、平和を得させようとしてあなたがたを召
されたのです。
7:16 なぜなら、妻よ。あなたが夫を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。
7:17 ただ、おのおのが、主からいただいた分に応じ、また神がおのおのをお召しになったときのままの状態で歩むべきです。私は、すべての教会で、このように指導しています。
7:18 召されたとき割礼を受けていたのなら、その跡をなくしてはいけません。また、召されたとき割礼を受けていなかったのなら、割礼を受けてはいけません。
7:19 割礼は取るに足らぬこと、無割礼も取るに足らぬことです。重要なのは神の命令を守ることです。
7:20 おのおの自分が召されたときの状態にとどまっていなさい。
7:21 奴隷の状態で召されたのなら、それを気にしてはいけません。しかし、もし自由の身になれるなら、むしろ自由になりなさい。
7:22 奴隷も、主にあって召された者は、主に属する自由人であり、同じように、自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。
7:23 あなたがたは、代価をもって買われたのです。人間の奴隷となってはいけません。
7:24 兄弟たち。おのおの召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
あなたがたは、代価をもって買われたのです。
コリント人への手紙第一7章23節
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ではこれらの所から、
「重要なのは神の命令を守ることです」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

さて、まずは、今回の箇所を見て参りましょう。
今回の箇所は結婚についての教えです。

一般の社会の常識として、「できちゃった結婚」という言葉が生まれ、そして、「おめでた婚」などと言われるように結婚がいいかげんに扱われ、
その一方で、少し古いですが、「成田離婚」などの言葉が生まれた頃からでしょうか、離婚率はどんどん伸びていて、それらは、当たり前の社会現象となっています。

実際、教会の中にもそのようなことはあり、今回の御言葉などは、耳をそむけたくなるところがあるかも知れませんが、私たちは、自分の現状をまず横において、聖書の原則をしっかりと見つめる必要があります。
そして、御言葉に照らして自分自身を悔い改めるのです。そういった意味で、今回の箇所も見て参りたいと思います。

聖書において、また、キリスト教において、結婚は非常に重要なものです。

結婚とはなにか、その定義はまず、創世記に出てきます。
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それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。
創世記2章24節
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ふたりは一つとなる。
これを引用してイエス様は言われます。
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19:4 イエスは答えて言われた。「創造者は、初めから人を男と女に造って、
19:5 『それゆえ、人はその父と母を離れて、その妻と結ばれ、ふたりの者が一心同体になるのだ。』と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。
19:6 それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」
マタイの福音書19章4-6節
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そして、主は言われます。
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「わたしは、離婚を憎む。」とイスラエルの神、主は仰せられる。
マラキ書2章16節
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この箇所は、その前後はこうなっています。
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14 「なぜなのか。」とあなたがたは言う。それは主が、あなたとあなたの若い時の妻との証人であり、あなたがその妻を裏切ったからだ。彼女はあなたの伴侶であり、あなたの契約の妻であるのに。
15 神は人を一体に造られたのではないか。彼には、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。あなたの若い時の妻を裏切ってはならな
い。
16 「わたしは、離婚を憎む。」とイスラエルの神、主は仰せられる。「わたしは、暴力でその着物をおおう。」と万軍の主は仰せられる。あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。裏切ってはならない。
マラキ書2章14-16節
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ここで、問題になっているのは、私たちの霊です。

よく、離婚において、言われるのは、性格や考え方の問題です。
しかし、私たちは、考え方や性格ではなく、霊において一つなのです。

皆さん。皆さんは、自分の顔を鏡で見て何を思われるでしょうか?
自分の顔を鏡で見るのが大好きだというかたもおられるかもしれません。
まあ、しかし、そういう方はまれではないでしょうか?

むしろ、何か不満をもっておられるかたが多いのではないでしょうか?
だから、いろいろな美容のための物が売れます。
自分の顔がこうだったらいいのにという方もおられるかも知れません。
顔だけではありません。
足が速かったらとか、もっと手先が器用だったらとか、いろいろあるかもしれません。
身体だけでない、性格も、いろんな点において、不満を持つことがあります。

しかし、神様は、あなたの姿をそのように作られました。

あなたと、あなたの顔、手、足、身体は、あなたと一つであり、どんなに不満があっても切り離すことは出来ません。
当たり前のことです。
一つであるとはそういうことです。

ですから、夫婦が一つであるということ、霊において、一つであるということは、分けることが出来ないということなのです。
もし、それを切り離そうとするなら、それは、大きな痛みを伴います。
手を切り取るならどれほど痛むでしょう。
もし、顔が気に入らないからと顔の皮を切ろうとしたらどうなりますか、考えただけでも恐ろしいです。

それは、皆さん。
夫婦だけではない。教会においてもいえることです。
なぜなら、こう書いてあるからです。
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教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。
エペソ人への手紙1章23節

ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のこと
です。
コロサイ人への手紙1章24節
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教会は、キリストの体です。
私たちは、キリストにあってひつの体とされたものなのです。
ですから、決して、互いを批判し、切り捨てるような目で見てはならないのです。

しかし、それでも、他の人を見て、「あんな人がいなければ」 というような事を言われる方もおられます。
しかし、少し視点を変えてみてください。

神様からあなたはどう見えていますか?
あなたは、神様の前で欠けていることがありませんか?
あなたは、恵みによって赦されているのです。
ですから、互いに、赦しあい、愛し合いましょう。

さて、結婚のことにもどりますが、中には、
私は、結婚式を教会でしていませんからと言われることもあります。

しかし、この原則は、アダムとエバに始まる原則です。
ですからどこで結婚式をしたかでなく。
結婚という関係そのものが、神様の手の中にあるのです。

では、なぜ、神様が結婚と言う関係をつくられたのか。
その答えを創世記から探してみましょう。
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18 その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」
19 神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となっ
た。
20 こうして人は、すべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけたが、人にはふさわしい助け手が、見あたらなかった。
21 そこで神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。それで、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。
22 こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。
23 すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
24 それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。
25 そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。
創世記2章
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ここに、人がひとりでいるのは良くない。
と、書かれています。

これが何故かを知るために、ヨハネの手紙第一の御言葉を見てみます。
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神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。
神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。
ヨハネの手紙第一4章20-21節
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皆さん。私たちは、神を見ることが出来ません。
では、愛すると言うことをどうやって学ぶのか。
それは、目に見える人と人との関係の中で学ぶのです。

その最初は、アダムとエバと言う夫婦の関係でした。
そして、そこに子どもが産まれ、その子どもたちどうし、つまり兄弟の関係の中でもその愛は確認されるべきものとなったのです。
この愛とはなにか、それは、神が私たちを愛してくださることにはじまります。
神が私たちを愛してくださるとは、私たちの存在を大切にしてくださることです。
そして、それと同じようにお互いの存在を大切にすることが、愛すること、互いに愛し合うことです。

神様は、私たちと愛の関係を持とうと思っておられます。
いや、そのために私たちを創造されました。
しかし、神様は目に見えません。
ですから、愛と言うことを学ぶために、神様は目に見えるお互いを置いておられるのです。

互いに愛し合う。
それは、イエス様のお与えになったいましめでもあります。
そして、互いに愛し合うことを通して、私たちは目に見えない神様を愛することを学ぶのです。

ところで、その愛するということにおいて、
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18 その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」
19 神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となっ
た。
20 こうして人は、すべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけたが、人にはふさわしい助け手が、見あたらなかった。
21 そこで神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。それで、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。
22 こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。
23 すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
24 それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。
25 そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。
創世記2章
++++++++++
ここで、裸を恥ずかしいと思わなかったとあります。
しかし、それは、何故ですか?

それは、本当の意味で互いを受け入れあっていたからです。
神様の創造の本来のありかたの中で、互いを感謝していたからです。

そのことはアダムの言葉にあらわれています。
「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」
これは、まことに自分の一部なのだと言っています。

人から取られたのだからとあり、まあ、当たり前のことだと思うでしょうか?
しかし、子どものある方は、自分の子どもがどれほど自分と違うかを感じるのではないでしょうか?
確かに、お父さんに似ている、お母さんに似ているという部分もあります。
しかし、なんで私たちの子にこんなことがと感じることもあるのではないでしょうか?

しかし、その違う存在を、自分の一部として受け入れる。
それもまた、神様の喜ばれる愛です。

そのような意味で、互いを恥ずかしいと思わなかったのです。

それは、最近のメディアなどのように、性的な事柄を誇張して、見せ付けるような事とははるかに違います。

先日たまたま、テレビ局の放送開始の記念番組を見ましたが、その最初の頃のポスターにさえ、裸の画像が使われていることに、テレビというメディアのもつ問題の根深さを教えられました。

これもまた、神様の創造の姿をゆがめ、間違って用いてしまうことです。
アダムとエバがお互いを美しいと思ったからとかそうではなく、互いを恥ずかしいと思わないでいた。

これは、夫婦だけではありません。
これもまた教会の中でもそうです。

お互いの問題点。もちろんときに私たちは互いの戒め、指導を必要とすることもあります。
しかし、その存在を恥ずかしいと思う、その存在をうとんじるようなことがないでしょうか?
私たちは、そのような点において、互いを恥ずかしいと思わないようにしなければなりません。
互いを受け入れるのです。

しかし、そのようなことを含め、何もかもを、私たちは律法とする必要がありません。
なぜなら、それらを、私たちは恵みの中で、キリストにあって解決することが出来るからです。
それは、信仰によって受け取らなければなりません。
また、負担になる状況についてはこのようにも書いてあります。
++++++++++
7:14 なぜなら、信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現に聖いの
です。
7:15 しかし、もし信者でないほうの者が離れて行くのであれば、離れて行かせなさい。そのようなばあいには、信者である夫あるいは妻は、縛られることはありません。神は、平和を得させようとしてあなたがたを召
されたのです。
7:16 なぜなら、妻よ。あなたが夫を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。
コリント人への手紙第一
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そして、パウロは、主の与えてくださった情況を感謝すると言うことを教えます。
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7:17 ただ、おのおのが、主からいただいた分に応じ、また神がおのおのをお召しになったときのままの状態で歩むべきです。私は、すべての教会で、このように指導しています。
7:18 召されたとき割礼を受けていたのなら、その跡をなくしてはいけません。また、召されたとき割礼を受けていなかったのなら、割礼を受けてはいけません。
7:19 割礼は取るに足らぬこと、無割礼も取るに足らぬことです。重要なのは神の命令を守ることです。
7:20 おのおの自分が召されたときの状態にとどまっていなさい。
コリント人への手紙第一
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そして、どのような状況でも、その置かれた中で、神の命令を守るのです。
その神の命令とは、究極的には、互いに愛し合うと言う命令です。
そして、そこで私たちは、見えない神様を愛することを知るのです。

とこで、ここで、いこじになってはならないことも教えています。
それが次の箇所です。
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7:21 奴隷の状態で召されたのなら、それを気にしてはいけません。しかし、もし自由の身になれるなら、むしろ自由になりなさい。
7:22 奴隷も、主にあって召された者は、主に属する自由人であり、同じように、自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。
7:23 あなたがたは、代価をもって買われたのです。人間の奴隷となってはいけません。
7:24 兄弟たち。おのおの召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。
コリント人への手紙第一
++++++++++
私たちは、困難な状況に入ると、こんどは意地でもそこで頑張ろうとすることがあります。

それは、自我の働きであり、自己主張です。
そうではなく、神の与えてくださった機会を用い、また、喜んで受け止めることが大切なのです。

私たちは、置かれた状況はどうであっても、キリストにあって本当に自由なのです。

ですから、出来ないと嘆く必要も、罪を犯したからと落ち込む必要もありません。
ただ、主の前に出て悔い改め、また、主に従えばいいのです。

こころをやわらかく、すなおにし、そして、神様の戒めを守って歩む。
そして、さらに神の愛を体験して歩ませて頂きましょう。

お祈りしましょう。



<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。


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シティーチャーチメッセージ20100829 重要なのは神の命令を守ることです
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