礼拝でのお話
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ワーシップ
メッセージ



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シティーチャーチ
メッセージ20100808
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主イエス・キリストのゆえに
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、創造主、全てを治めておられるかた。
私たちを愛し、購いをなしてくださった方です。
この方を覚えて御言葉を聞いて参りましょう。

さて、本日も、聖書の通読箇所から見てまいりましょう。
今週の聖書の通読箇所は、旧約聖書が詩篇
新約聖書がローマ人への手紙です。
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8月8日(日)[ ]詩23-27 /[ ]ロマ5
8月9日(月)[ ]詩28-31 /[ ]ロマ6
8月10日(火)[ ]詩32-35 /[ ]ロマ7
8月11日(水)[ ]詩36-38 /[ ]ロマ8:1-17
8月12日(木)[ ]詩39-41 /[ ]ロマ8:18-39
8月13日(金)[ ]詩42-45 /[ ]ロマ9:1-18
8月14日(土)[ ]詩46-49 /[ ]ロマ9:19-33
8月15日(日)[ ]詩50-53 /[ ]ロマ10
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詩篇は、古代のイスラエルにおいて礼拝の場で歌われた歌ですが、その言葉は、慰めと励ましに満ちています。
是非皆さんお読み下さい。
また、ローマ人への手紙は、信仰義認という聖書の基本的な教えが解説されているところです。
難しく感じるかもしれませんが、神様の恵みに満ちています。
皆さん。共に聖書を読みましょう。

では、いつものように本日の聖書箇所を開きましょう。
本日の聖書箇所は、このローマ人への手紙です。
7章をお開きください。

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【 聖書箇所 】ローマ人への手紙7章14-25節
・新改訳Up274(贈呈p241、英対p460)
・新改訳Vp299、英対p335(贈呈p275)
・口語訳p241
・新共同訳p283 (贈呈p283、英対p431)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
ローマ人への手紙7章14-25節
7:14 私たちは、律法が霊的なものであることを知っています。しかし、私は罪ある人間であり、売られて罪の下にある者です。
7:15 私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。
7:16 もし自分のしたくないことをしているとすれば、律法は良いものであることを認めているわけです。
7:17 ですから、それを行なっているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。
7:18 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。
7:19 私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。
7:20 もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。
7:21 そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。
7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
7:25 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。
ローマ人への手紙7章25節
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では、今日はこのところから、
「主イエス・キリストのゆえに 」
と題しまして、御言葉を見てまいりましょう。

多くの人は、マルチン・ルターという人をご存知だと思います。
彼は、カトリックの司祭であり、また、大学で、哲学と、神学を教えていた、非常に優秀な人物でした。
しかし、彼は、自分自身の体験から、
いくら禁欲的な生活をして罪を犯さないよう努力し、できうる限りの善業を行ったとしても、神の前で自分は義である、すなわち正しいと確実に言うことはできない。
と言うことにくるしんでいました。

そのようなとき、ローマ人への手紙から着想を得て、
ルターは人間は善行(協働)でなく、信仰によってのみ義とされること、すなわち人間を義とするのは、すべて神の恵みであるという理解に達し、ようやく心の平安を得ることができたといいます。

信仰による義。
それが、ローマ人への手紙を通して教えられる最も大きな事柄です。

ルターは、このことをまとめて、「キリスト者の自由」という本を書きました。
これは、非常に小さな本ですが、信仰義認という教理について明確に示した本です。

さて、この信仰義認は、私たちプロテスタントのキリスト教会において、非常に重要です。

人は何によって救われるのか。
これは、人類にとって非常に重要なテーマです。

今回の聖書の箇所の中でも、そのことがテーマとなっています。
ローマ人への手紙で、信仰と義について書かれたところを見てみましょう。

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なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。
ローマ人への手紙1章17節

人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。
ローマ人への手紙3章28節

何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。
ローマ人への手紙4章5節
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そして、パウロはさらにアブラハムに言及します。
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9 それでは、この幸いは、割礼のある者にだけ与えられるのでしょうか。それとも、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。私たちは、「アブラハムには、その信仰が義とみなされた。」と言っていますが、
10 どのようにして、その信仰が義とみなされたのでしょうか。割礼を受けてからでしょうか。まだ割礼を受けていないときにでしょうか。割礼を受けてからではなく、割礼を受けていないときにです。
11 彼は、割礼を受けていないとき信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じて義と認められるすべての人の父となり、
12 また割礼のある者の父となるためです。すなわち、割礼を受けているだけではなく、私たちの父アブラハムが無割礼のときに持った信仰の足跡に従って歩む者の父となるためです。
13 というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいはまた、その子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰の義によったからです。
ローマ人への手紙4章9-13節
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救いはただ、信仰によります。

そこで、だた信ぜよというような歌が歌われます。

ただ信ぜよ、ただ信ぜよ、信ずるものはたれもみな救われん。

しかし、日本においては、ここで、大きな誤解が生じます。

それは、キリストを信じるのでなくキリスト教を信じるという考えです。

日本は、なんでも神様にして信じてしまう文化と宗教観をもっています。
そのため、キリストの教えも、他の教えの中の一つにしか過ぎません。

そのため、信じたらええんやろ?という言葉が出てきます。
しかし、わたしたちは、何を信じるかが重要なのです。

それは、この世であれば誰でもわかることです。
例えば、どこの銀行にお金をあずけるか。
普通、明日つぶれると知っている銀行にお金を預けに行く人はいません。
また、どこの国でつくられた製品、どこの会社で作られた製品を買うかというようなことを私たちは吟味します。

しかし、見えない世界、永遠の事柄について私たち日本人はあまりにもいい加減であるため、何を信じてもいいかと考えてしまいます。

何を信じるのか。

大阪で大きな祭りといえば天神祭りでしょうか。
この天神というたいそうな名前のついた神は、みなさんご存知のとおり、菅原道真です。
それは、神様ではなく、ただの人です。
菅原道真を追い落とそうとした者たちが、太宰府に追いやり、そこで菅原道真が死んだ後、京都に悪いことがたくさん起こった。
それで、災いを恐れた者たちが、祟らないで下さいと、菅原道真をあろうことか、天の神に祭り上げてしまったのです。
でも、そんなものは、本当の神様ではありません。

先々週、桃谷教会で開かれるフランクリン・グラハム・フェスティバルの信仰生活と証のコースでインストラクターをするため出かけました。
京橋で電車の乗換えをしようとすると、ちょうど、天神祭りの日でたくさんの人が歩いていました。
うちわが配られて渡されましたが、どうも、汚らわしいものに触れる気分で、うちわを持って帰ることが出来ませんでした。
聖書は、人を神とすることを禁じています。
いや、まことの神様以外を神とすることを禁じているのです。
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あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
出エジプト20章3節
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では、この神様はどのような神様ですか?

それは、人を愛された神様です。
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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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これは、いいものにだけの愛ではありません。
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もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。
ローマ人への手紙5章10節
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敵をも愛された愛。
それが、神の愛であり、また、その愛のゆえに、この世にこられ、十字架で死んでくださったのが、神の御子イエス様です。

では、なぜ、この購いが必要なのか。
それは、この2つの御言葉が説明してくれます。
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すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
ローマ人への手紙3章23節

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
6章23節
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全てのものが神の前に罪人であり、また、私たちの罪のため、わたしたちは死ぬ存在となっている。
そうでないという人も、こころの中を良く見れば自分に罪のあることがわかります。
だからこう書いてあります。
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もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。
ヨハネの手紙第一1章10節
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このことに対する、神様の唯一の救済策が、イエス様の十字架なのです。
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罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
6章23節
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そして、ここに賜物とあるように、これは、恵みによって与えられたものです。
報酬ではなくプレゼントなのです。
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8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
エペソ人への手紙2章8-9節
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今回、フランクリングラハムフェスティバルの信仰生活と証のセミナーの中では、このことを、絵を用いて説明しています。
神と人との間に断崖があり、人は渡ることが出来ない。
そして、行い、宗教、哲学ではこの間を埋めれない。
そこで、イエス様の十字架だけが、この間をつなぐのです。

さて、このようなことを、しっかりと確認するのには二つの意味があります。

その一つは、私たちが、どのように救われたのかを確認するためです。
もう一つは、この非常に重要な事柄を周りの人に伝えるためです。

ところで、パウロはこういっています。
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21 そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。
22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
25 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。
ローマ人への手紙7章21-25節
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パウロでさえ、自分の力でどうしようもないと言っている。
そのためにイエス様が必要だと認めているのです。
ですから、わたしたち、全てにとって、イエス様が必要です。

そして、このことは、全ての人に必要なのです。
このことを自分自身の中にしっかりとらえ、また、人々に伝えることの出来るように、お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。


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シティーチャーチメッセージ20100808 主イエス・キリストのゆえに
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