礼拝でのお話
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ワーシップ
メッセージ




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シティーチャーチ
メッセージ20100509  
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永遠のいのちへの水  
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。

ハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、恵みに満ちた方。
命の水を与えてくださる方です。
この方を覚えて御言葉をともに聞いて参りましょう。

先週は、天候にも恵まれ、主の祝福と守りの中、バーベキューを楽しむ事が出来ました、主に感謝します。
春と秋に行っておりますが、是非、今後も皆さんご参加下さい。

さて、本日は母の日です。お母さん方の為に祈りのときを持ちたいと思いますので、どうぞ、お立ちあがりください。
<祈り>

では、皆さんいつものように、聖書の通読箇所から見て参りましょう。
今週の聖書の通読箇所は、
旧約聖書がサムエル記第二
新約聖書がヨハネの福音書です。
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5月9日(日)[ ]Uサム12-13 /[ ]ヨハ3:1-21
5月10日(月)[ ]Uサム14 /[ ]ヨハ3:22-36
5月11日(火)[ ]Uサム15 /[ ]ヨハ4:1-30
5月12日(水)[ ]Uサム16-17 /[ ]ヨハ4:31-54
5月13日(木)[ ]Uサム18 /[ ]ヨハ5:1-29
5月14日(金)[ ]Uサム19 /[ ]ヨハ5:30-47
5月15日(土)[ ]Uサム20-21 /[ ]ヨハ6:1-21
5月16日(日)[ ]Uサム22 /[ ]ヨハ6:22-51
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サムエル記第二は、ダビデ王の晩年です。
ダビデも罪を犯し、そのため、王国に影がさします。
また、神殿建設に向けてダビデが動き出すことも書かれています。
新約聖書はヨハネの福音書。
ヨハネの福音書は、はじめに言葉があったという言葉から始まります。
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1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
ヨハネの福音書1章1-3節
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ここで、この言葉をこの方と呼んでいます。
この神の言葉が人となって私たちの所に来て下さったのがイエス様です。
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ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
ヨハネの福音書1章14節
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あなたが聖書を読むときあなたは、この神の言葉、イエス様に触れているのです。
そして、この神の言葉は、あなたの内側にあるあなたの霊のためのまことの食物となります。
あなたの霊は、この御言葉を食べて成長するのです。
ですから、あなたがわかってもわからなくても、聖書を毎日読みましょう。
聖書を通読するそのことは、あなたの霊を成長させます。
そして、そのことが、神様とあなたの関係、すなわち信仰を強めるのです。

そして、信仰は祝福の扉を開く鍵です。
信仰によって私たちは、神様の祝福を受け取ります。

では、このヨハネの福音書から、本日は、4章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ヨハネの福音書4章3-15節
・新改訳Up163(贈呈p147、英対p270)
・新改訳Vp178、英対p200(贈呈p167)
・口語訳p140
・新共同訳p169 (贈呈p169、英対p260)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
4:3 主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。
4:4 しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。
4:5 それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。
4:6 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は六時ごろであった。
4:7 ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください。」と言われた。
4:8 弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。
4:9 そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」――ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである。――
4:10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生け
る水を与えたことでしょう。」
4:11 彼女は言った。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。
4:12 あなたは、私たちの先祖ヤコブよりも偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです。」
4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
4:15 女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。
ヨハネの福音書4章14節
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では、今日はこのところから、

「永遠のいのちへの水」
と、題しまして、御言葉を共に開いて参りましょう。

まずは、いま、お読みいただいた箇所の背景から見て参りましょう。

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4:3 主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。
4:4 しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。
4:5 それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。
ヨハネの福音書
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イエス様は、ユダヤを去って、ガリラヤへ行かれた。
しかし、サマリヤを通っていかなければならなかった。
ということですが、地図を見ると、ユダヤの北にサマリヤがあり、そのまた北にガリラヤがあるということです。
イエス様は活動の拠点をガリラヤに置いておられましたが、たびたびエルサレムのあるユダヤにいかれました。
そこからガリラヤへ帰るとき、イエス様は、このサマリヤのスカルという町を通られました。
そこで、イエス様は、井戸のそばで一人の女性に会われます。

その女性は、サマリヤ人でした。

イエス様はユダヤ人でしたが、サマリヤ人とユダヤ人は仲が悪く、つきあいをしませんでした。
そうなるには、歴史的な背景があります。
それは、どんなことかといいますと、
もともと、このサマリヤも、イスラエルという一つの国でした。
この国が分裂して、南と北に分かれたとき、北にイスラエル、南にユダという国が出来ました。
このときから、北と南は戦争をしていたのですが、
この北のイスラエルは当時の大国アッシリヤに滅ぼされました。
そのとき、そのアッシリヤは、そこにすんでいた人を他に連れて行き、代わりに他の人たちをここに連れてきました。
そうやって出来たのがサマリヤ。そして、南のユダもいったんは滅ぼされたりしましたが、神様の哀れみの中、神殿は再建されユダヤという国になりました。

もともとそこに住んでいた者と、敵によって連れられてきた者。彼らは仲が悪く、付き合いをしませんでした。

さて、そのサマリヤ人の女性に、イエス様は水を求められました。
それが、今回のやりとりです。
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7 ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください。」と言われた。
8 弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。
9 そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」――ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである。――
ヨハネの福音書4章7-9節
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この女性は、なぜ、つきあいのないサマリヤ人に水を求めるのかとイエス様に聞きます。

ところが、イエス様は、言われます。
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4:10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生け
る水を与えたことでしょう。」
ヨハネの福音書
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そして、さらにこういわれます。
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4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
ヨハネの福音書
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このやりとりは、さらに4章の半ばまで続くのですが、イエス様は、ここで、非常に大切なことを教えておられます。

ところで、この会話で、さきほどお読みいただいた最後からこう続きます。
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15 女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」
16 イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
17 女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。
18 あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。 」
19 女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。
ヨハネの福音書
++++++++++
実は、この女性には、大きな問題がありました。
彼女は、これまでに、何人も、結婚と離婚を繰り返していました。
そして、男性と暮らしていましたが、結婚していなかったのです。

いま、日本も結婚をしても離婚をする人が増え大変な問題になっています。
その離婚にはいろいろな理由があり、いちがいには いえないかも知れませんが、聖書にははっきりとこう書いてあります。
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「わたしは、離婚を憎む。」とイスラエルの神、主は仰せられる。「わたしは、暴力でその着物をおおう。」と万軍の主は仰せられる。あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。裏切ってはならない。
マラキ書2章16節
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そこには、結婚が、神様の定めた事柄であり、また、神様の前での契約であるという事がいえます。
そして、神の結びつけたものを離してはならないのです。

しかし、この女性は、すでに五回結婚し、五回離婚していたのです。
彼女の心はぼろぼろだったのでしょう。
良く、結婚についてお話するとき、このような例えをします。
それは、結婚とは、二枚の紙を糊で貼り付けてしまうようなものだと言うことです。
それをはがそうとすると、両方の紙がぼろぼろになってしまいます。
なんども繰り返すならどうなるでしょう。

痛み、渇いた彼女の心。

イエス様が彼女と会われたのは偶然ではありません。
イエス様は、このような彼女のところにこられたのです。

このとき、イエス様と彼女しかそこにはいません。
弟子たちは町に買出しに行きました。
でも、そこは井戸のそばです。
日本でも井戸端会議という言葉がありますが、井戸の周りは、女性たちの交流の場所でした。
しかし、そのとき、イエス様と彼女しかいない。
それは、彼女が人目をさけて人のいない時を狙って来ていたからだと考えられるのです。

その女性が、イエス様に、水を求めます。
イエス様の言われる乾くことの無い水。
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15 女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」
16 イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
17 女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。
18 あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。 」
19 女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。
ヨハネの福音書
++++++++++
するとイエス様は、夫を呼んでくるように言われます。

イエス様は彼女がどのような人がご存知でした。
しかし、イエス様は彼女に命の水を与えようとされたのです。

皆さん。神様の祝福を受けるにふさわしい人はどんな人だと思いますか?
立派な人でしょうか?
教会にちゃんと来ている人でしょうか?

ユダヤ人は、神様から祝福されるのはユダヤ人だというでしょう。
律法学者は、律法を守っている人が祝福されるというでしょう。
キリスト教でも、きよめ派の人たちは、立派な行いをしてちゃんときよめられたら祝福されると考えます。

ここに出てくる女性。
彼女はユダヤ人ではなくサマリヤ人でした。
また、彼女は結婚と離婚を繰り返す。
ユダヤの律法からすれば、罪深い女性でした。
しかし、イエス様は、彼女に救いの道を教えて下さったのです。

ヨハネの福音書7章でイエス様はこういわれます。
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37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。
ヨハネの福音書7章37-39節
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人は何に渇いているでしょうか?
夏の暑い日に、外にいればのどが渇きます。
この間のバーベキューの時も、水のペットボトルを2ケース飲んでまだ足りませんでした。

でも、人が自分自身もよくわかっていない、もっと別な渇きを抱えています。

イエス様が働きをはじめる前のことです。
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4:2 そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
4:3 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」
4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
マタイの福音書4章2-4節
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この時、イエス様は、空腹を覚えておられました。
試みるものすなわち悪魔は、イエス様に「石がパンになるよう命じなさい」といいました。
イエス様はそのような奇跡を行うことが出来る方でした。
しかし、イエス様は、『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と言われたのです。

そして、こうも言われました。
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わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」
ヨハネの福音書6章51節
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人が本当に必要としているのは、神様の与えてくださる命の水です。そして、生けるまことのパンです。

イエス様は、その水が、信じるその人の心の奥底から流れると言われました。
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4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
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イエス様は、この水を与えるために、そして、このパンを与えるためにこられました。

そのために、パンを、ご自身の体であるパンを裂かれた。それが十字架です。
イエス様は、私たちに命を与えるために、十字架で死んでくださったのです。

それは誰に与えられますか?
誰でもです。
信じるなら誰でも与えられるのです。

皆さん。
皆さんの心がどんなに渇いていても、イエス様はその心を満たすこと、潤すことがおできになります。
そして、あなたを満たすパンは、イエス様ご自身であり、
あなたを潤すその水は、イエス様を信じるならあなたの心の中から流れ出してくるのです。

お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。

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シティーチャーチメッセージ20100509 永遠のいのちへの水
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