礼拝でのお話
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ワーシップ
メッセージ




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シティーチャーチ
メッセージ20100404      
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あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主をたたえます。

主は、私たちの為に十字架で死んでくださった方。
よみがえられた方、生ける神の御子、救い主です。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

さて、皆さん、イエス様はよみがえられました。おめでとうございます。
これは、最高の喜びの日です。

イエス様が十字架でなしとげられた御業。
その結果を証明するのがこのイエス様の蘇りです。
まことに主はよみがえられました。そして、今も生きておられます。
みなさん。信じ。のべ伝えましょう。

さて、いつものように、聖書通読の箇所から見て参りたいと思います。

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4月4日(日)[ ]ヨシ18-19 /[ ]ルカ8:27-56
4月5日(月)[ ]ヨシ20-21 /[ ]ルカ9:1-17
4月6日(火)[ ]ヨシ22 /[ ]ルカ9:18-36
4月7日(水)[ ]ヨシ23-24 /[ ]ルカ9:37-62
4月8日(木)[ ]士師1-2 /[ ]ルカ10:1-24
4月9日(金)[ ]士師3-4 /[ ]ルカ10:25-42
4月10日(土)[ ]士師5-6 /[ ]ルカ11:1-28
4月11日(日)[ ]士師7-8 /[ ]ルカ11:29-54
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旧約聖書がヨシュア記から士師記
新約聖書がルカの福音書です。

ヨシュア記の最後の方で、なんといっても印象的なのは、わたしとわたしの家とは主に仕える。
という宣言ではないでしょうか?

ヨシュアは、このように宣言しつつ、まわりのものに悔い改めをせまりました。
どっちつかずであってはならないと、ヨシュアは言います。

そして、士師記。
士師記は、有名な、ギデオンなども出てくる箇所です。
皆さん是非お読みください。

新約聖書、ルカの福音書は、共に開いて参りましょう。
では、聖書を開きましょう。
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【 聖書箇所 】 ルカの福音書9章18-32節
・新改訳Up118(贈呈p106、英対p195)
・新改訳Vp129、英対p145(贈呈p122)
・口語訳p101
・新共同訳p122 (贈呈p122、英対p190)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
9:18 さて、イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちがいっしょにいた。イエスは彼らに尋ねて言われた。「群衆はわたしのことをだれだと言っていますか。」
9:19 彼らは、答えて言った。「バプテスマのヨハネだと言っています。ある者はエリヤだと言い、またほかの人々は、昔の預言者のひとりが生き返ったのだとも言っています。」
9:20 イエスは、彼らに言われた。「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えて言った。「神のキリストです。」
9:21 するとイエスは、このことをだれにも話さないようにと、彼らを戒めて命じられた。
9:22 そして言われた。「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです。」
9:23 イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
9:24 自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。
9:25 人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。
9:26 もしだれでも、わたしとわたしのことばとを恥と思うなら、人の子も、自分と父と聖なる御使いとの栄光を帯びて来るときには、そのような人のことを恥とします。
9:27 しかし、わたしは真実をあなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、神の国を見るまでは、決して死を味わわない者たちがいます。」
9:28 これらの教えがあってから八日ほどして、イエスは、ペテロとヨハネとヤコブとを連れて、祈るために、山に登られた。
9:29 祈っておられると、御顔の様子が変わり、御衣は白く光り輝いた。
9:30 しかも、ふたりの人がイエスと話し合っているではないか。それはモーセとエリヤであって、
9:31 栄光のうちに現われて、イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期についていっしょに話していたのである。
9:32 ペテロと仲間たちは、眠くてたまらなかったが、はっきり目がさめると、イエスの栄光と、イエスといっしょに立っているふたりの人を見た。
ルカの福音書9章18-32節
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです。
ルカの福音書9章22節
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では、この所から、
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あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。
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と題しまして、御言葉を見て行きましょう。

今回の箇所は、ペテロの偉大な宣言から始まります。
20節をまず見てみます。
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イエスは、彼らに言われた。「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えて言った。「神のキリストです。」
ルカの福音書9章20節
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ここような会話は、他の箇所にも書かれています。
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15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
16 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
マタイの福音書16章15-16節
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ペテロは、イエス様について、はっきりと宣言しました。
それは、イエス様が、神の御子であるという宣言、

イエス、キリスト、神の御子、救い主。この宣言は、キリスト教のシンボルともなりました。

イエス、キリスト、神の、 御子、救い主
これのギリシャ語の頭文字を並べると、イクスースということばが出来ます。
それが、ギリシャ語で魚と言う意味を持つので、魚が、キリスト教のシンボルともなりました。

お話を戻しますが、この宣言に対し、イエス様は、
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17 するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。
18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
19 わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
マタイの福音書16章17-19節
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シモンを改めて、岩を意味する、ペテロと呼ばれ、そして、その上に教会を立てると言われました。
そして、マタイの福音書はこう続きます。
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20 そのとき、イエスは、ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない、と弟子たちを戒められた。
21 その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。
マタイの福音書16章20-21節
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イエス様が、救い主であると言うことを、弟子たちが告白するようになり、イエス様は、ご自身がどのようになるかを語りはじめられました。
それは、すなわち、イエス様の使命とは何かと言うことでもあります。
救い主としてのイエス様は、何をしにこの世にこられましたか?

それは、十字架で死んで、三日目によみがえられるそのためです。
では、それは何のためですか?主は言われます。
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人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」
マタイの福音書20章28節
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イエス様は、多くの人の購いの代価として、自分のいのちを与えるためにこられました。
そしてまた、こう書いてあります。
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主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。
テサロニケ人への手紙第一 5章10節

キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。
ペテロの手紙第一 3章18節
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このイエス様がよみがえられるという事を、後の人が考え出したことがらだと言う人もいます。

しかし、このことは、神様のご計画であり、イエス様は最初からその道をあゆんでおられました。

イエス様は、神殿を見て言われました。
そのやりとりが、ヨハネの福音書に書かれています。
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イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」
そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」
ヨハネの福音書2章19-20節
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これは、イエス様の蘇りを意味してしました。

そして、このことを覚えていたユダヤ人たちは、十字架のイエス様をののしります。
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言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」
マタイの福音書27章40節
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このことから、イエス様証言は、架空の話でないことがわかります。
確かにイエス様は、ご自分が神殿を建て直すと言われたことを、十字架の前の者たちは覚えていました。
しかし、それが、三日目によみがえる事であるという真意を知るものはいませんでした。

イエス様は、その十字架の上で、完全に死んでしまわれました。
それこそが、救いの完成でした。

イエス様は、十字架の上で、この完成を表し、言われました。
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イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。
ヨハネの福音書19章30節
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聖書に書かれた全ての律法、全ての神の計画の完成がこの一点にありました。
このキリストの死にはどのような意味があったでしょう。

それは、救いのための代価としての意味がありました。
罪のないものが、罪の為に死ぬ。
それが、キリストの購いでした。

ピリピ人への手紙にはこうかいてあります。
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キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
ピリピ人への手紙2章8節
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キリストは、十字架の死にまで従われました。

それは、神のご計画への完全な従順でした。

神に完全に従うものは、死ぬことがありません。
罪のないものは死ぬことがありません。
なぜなら、死は、罪結果だからです。

ところが、イエス様は、罪の無い方なのに、死なれました。
そして、それは、また、人々の身代わりの死でもありました。

その死によって、悪魔に勝利されました。
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そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、
ヘブル人への手紙2章14節

今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためで
した。
コロサイ人への手紙1章22節
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また、その死によって、神と和解させてくださったのです。
きよく、傷なく、非難されるところの無いものとして、御前にたたせるためと書いてあります。

そして、キリストはよみがえられました。
三日目によみがえると預言されたとおり、イエス様はよみがえられたのです。

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あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。
コロサイ人への手紙2章12節

私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望み
を持つようにしてくださいました。
ペテロの手紙第一 1章3節

また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
コリント人への手紙第二 5章15節
++++++++++
このことによって、私たちは、キリストと共によみがえらされ、生ける望みをもつものとされ、また、自分のためでなく、キリストの為に生きるものとされたのです。

さて、お話をもどします。

こんかいの箇所で、この後、ペテロは、モーセやエリヤと語りあうイエス様を見ます。
そのお姿は、白く光っていました。
そして、そこから、イエス様の十字架への道がはじまります。

モーセは、律法、エリヤは預言です。
旧約聖書の、律法と預言の成就。それが、イエス様の使命であったのです。

そして、イエス様は、その預言の成就として死んでよみがえられました。
きょうは、復活祭。
イエス様がよみがえられたことを記念する日です。

そして、聖餐式でもあります。
この聖餐式もまた、イエス様の死と復活を記念するものです。

皆さん。最初の質問にもどります。
人々はイエス様についていろんなことをいいました。

では、あなたはイエス様をなんだといいますか?

あなたにとって、イエス様はどんなかたですか?

兄のような、やさしくしてくださるかた。
まもってくださるかた。
父のようなかた。
癒し主。
困ったとき助けてくださる方。

でも、なによりも大事なのは
イエス様が、救い主だということです。

イエス様は救い主です。

あなたを罪から救うために十字架で死んでくださったのです。

そして、このことを信じるあなたについて、聖書はいいます。
++++++++++
キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。
エペソ人への手紙2章6節

また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
コリント人への手紙第二 5章15節
++++++++++
それは、わたしたちが、キリストの為に生きるためです。

お祈りしましょう。

<祈り>いつもの課題。ハイチの地震。

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。


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シティーチャーチメッセージ20100404 あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。
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