礼拝でのお話
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ワーシップ
メッセージ



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シティーチャーチ
メッセージ20100321    
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さらに力のある方
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>


ハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、力ある方、王の王主の主なる方。
神の御子、救い主です。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

さて、いつものように、聖書の通読箇所から、御言葉を見て参りましょう。
今回の聖書箇所は、旧約聖書が申命記、新約聖書がルカの福音書です。
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3月21日(日)[ ]申22-24 /[ ]ルカ2:1-21
3月22日(月)[ ]申25-27 /[ ]ルカ2:22-52
3月23日(火)[ ]申28 /[ ]ルカ3:1-20
3月24日(水)[ ]申29-30 /[ ]ルカ3:21-38
3月25日(木)[ ]申31 /[ ]ルカ4:1-30
3月26日(金)[ ]申32 /[ ]ルカ4:31-44
3月27日(土)[ ]申33-34 /[ ]ルカ5:1-16
3月28日(日)[ ]ヨシ1-2 /[ ]ルカ5:17-39
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申命記の最後は、各部族についてのモーセの預言で終わります。
創世記から、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記をモーセ五書と言います。
また、これらが、律法の中核であり、トーラーとは狭くは、この五書を指します。
モーセは、イスラエルの民を、エジプトから導き出しましたが、
自分自身は、約束の地カナンに入ることができず、荒野で死にました。
そして、彼の働きは、ヨシュアへと引き継がれます。

新約聖書、ルカの福音書。このルカの福音書は、使徒の働きへと続く書です。
細かな描写のされた福音書です。

皆さん、ともに聖書を読みましょう。

さて、では、今日はこのルカの福音書から3章を開きたいと思います。
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【 聖書箇所 】 ルカの福音書3章7-20節
・新改訳Up102(贈呈p91、英対p168)
・新改訳Vp112、英対p126(贈呈p105)
・口語訳p87
・新共同訳p105 (贈呈p105、英対p163)
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では、司会者お読みください。
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【 聖書箇所のテキスト 】
3:7 それで、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。
3:8 それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの先祖はアブラハムだ。』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起
こすことがおできになるのです。
3:9 斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」
3:10 群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」
3:11 彼は答えて言った。「下着を二枚持っている者は、一つも持たない者に分けなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい。」
3:12 取税人たちも、バプテスマを受けに出て来て、言った。「先生。私たちはどうすればよいのでしょう。」
3:13 ヨハネは彼らに言った。「決められたもの以上には、何も取り立ててはいけません。」
3:14 兵士たちも、彼に尋ねて言った。「私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは言った。「だれからも、力ずくで金をゆすったり、無実の者を責めたりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。」
3:15 民衆は救い主を待ち望んでおり、みな心の中で、ヨハネについて、もしかするとこの方がキリストではあるまいか、と考えていたので、
3:16 ヨハネはみなに答えて言った。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを解く値うちもありません。その方は、
あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。
3:17 また手に箕を持って脱穀場をことごとくきよめ、麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」
3:18 ヨハネは、そのほかにも多くのことを教えて、民衆に福音を知らせた。
3:19 さて国主ヘロデは、その兄弟の妻ヘロデヤのことについて、また、自分の行なった悪事のすべてを、ヨハネに責められたので、
3:20 ヨハネを牢に閉じ込め、すべての悪事にもう一つこの悪事を加えた。
ルカの福音書3章7-20節
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。
ルカの福音書3章16節
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では、この所から、
「さらに力のある方」
と題しまして、御言葉を見て参りたいと思います。

ルカの福音書、3章は、いよいよ、イエス様の宣教が始まるところです。
しかし、その前に、まず、エリヤの霊を持って、洗礼者ヨハネが、メシヤ、キリストの来臨の道を備えるものとして登場します。

人々は、このヨハネが救い主ではないかと考えましたが、そうではありませんでした。
このヨハネの働きについては、マルコの福音書にこう書いてあります。
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2 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。
3 荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」そのとおりに、
4 バプテスマのヨハネが荒野に現われて、罪が赦されるための悔い改めのバプテスマを説いた。
5 そこでユダヤ全国の人々とエルサレムの全住民が彼のところへ行き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。
マルコの福音書1章2-5節
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この中で、罪が赦されるための悔い改めのバプテスマと書いてあります。
また、この箇所から、ヨハネの働きは、主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにすることであったとわかります。

主の道をまっすぐにするという使命の為に、ヨハネがしたことは、罪が赦されるための悔い改めのバプテスマを説き、それを授けることでした。

人々は、そのヨハネのところに行き、洗礼を受けました。
人々が悔い改める。それが、ヨハネの働きでした。
では、悔い改めとは何でしょう。
悔いるということから、自分のした失敗について後悔することと考えられますが、
悔い改めは、そのように後ろを向くことではありません。

それは、自分の人生の生き方を変えるということです。
その具体的な事をヨハネはいいました。
それが、今回の箇所に書かれています。
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10 群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」
11 彼は答えて言った。「下着を二枚持っている者は、一つも持たない者に分けなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい。」
12 取税人たちも、バプテスマを受けに出て来て、言った。「先生。私たちはどうすればよいのでしょう。」
13 ヨハネは彼らに言った。「決められたもの以上には、何も取り立ててはいけません。」
14 兵士たちも、彼に尋ねて言った。「私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは言った。「だれからも、力ずくで金をゆすったり、無実の者を責めたりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。」
ルカの福音書3章10-14節
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ここにあるのは、いま、私たちの考えでは当たり前に見えるかも知れません。

しかし、当時、彼らはそのような方法で、利益を得、自分の生活を支えていたのです。
人は、自分の為に蓄え、自分で自分を支えていこうとするものです。
ですから、それは、彼らにとって困難なことです。
ところが、そのような生き方に対し、ヨハネは、悔い改めを迫ります。

イエス様は一人の裕福な農夫の話をされ、その中で言われます。
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20 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
21 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」
ルカの福音書12章20-21節
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そして、さらにこう言われます。
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33 持ち物を売って、施しをしなさい。自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。
34 あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。
ルカの福音書12章33-34節
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自分のもっているもの全てを売って施しをする。
全部なくなってしまう。
これからどうすればいいのでしょうか。

また、ヤコブはこういいます。
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2 あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないから
です。
3 願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。
4 貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。
ヤコブの手紙4章2-4節
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自分の為に、手に入れようとする。
それが、人の生き方です。
ある人は、それが当然だといいます。
強いものが奪いとって生き残る。
力が正義だというものさえいます。
しかし、神の前ではそうではありません。

さて、ここまで見て来ましたが、これらのことを見ると、悔い改めとは、単に行いを変える事ではありません。
行いを変えただけではうまくいかないのです。
それは、生き方を変えることです。
そしてまた、人生の目的を変えることです。

それは、どういうことでしょうか?
簡単にいうなら、人生の中心を自分から、神にかえるということです。

あなたは何のために生きていますか?
実は、そのことを、ヨハネは問いかけているともいえます。
しかし、ヨハネが言ったこのことはさらに重要です。
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7 それで、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。
8 それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの先祖はアブラハムだ。』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こ
すことがおできになるのです。
ルカの福音書3章7-8節
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まむしのすえ。
どういう意味でしょうか?
まむしとはなにですか?

それは毒をもつ蛇です。
黙示録にこうかいてあります。
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こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。
黙示録12章9節
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聖書の中で、まむしとは、この悪魔を指します。
そして、全世界を惑わした、蛇、その蛇は、最初にエバに近づき、これを誘惑し、堕落させました。

そのとき、蛇にたいして、主なる神様はこういわれました。
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14 神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。
15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
創世記3章14-15節
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ここで、主は、蛇の子孫と、女の子孫と言われます。

アダムの子孫ではなく、蛇の子孫と女の子孫です。
蛇の子孫。ヨハネは、ヨハネの所に洗礼を受けに来た人たちに、まむしの末といいました。
蛇の子孫。それは、全人類です。

それにたいし、人類の歴史の中で、ただ、女から生まれた方がおられます。

このことは、イザヤ書に預言されました。
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それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
イザヤ書7章14節
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そして、そのとおりに乙女マリヤからお生まれになったのがイエス様です。

この方は、蛇の子孫である全人類を救い出すために来られました。

悔い改めとは、ですから、行いや、考え方が変わることに留まりません。
まむしのすえと言われる、蛇の子孫から、キリストの子孫に変わることを意味しています。

ですから、イエス様はこう言われます。
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イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
ヨハネの福音書3章3節
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聖書に書かれているのは、単なる道徳ではありません。
心を癒す言葉でもありません。
生き方を変える方法でもありません。

わたしたちが 生まれ変わることを書いているのです。
そして、そのことは、聖霊様によります。
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6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」
ヨハネの福音書3章6-8節
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このことについて、聖書はさらにこういいます。
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だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
コリント人への手紙第二5章17節
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私たちが、キリストのうちにあるなら、私たちは、新しく造られたものです。

そのことは、キリストの死と復活に基づいています。
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私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望み
を持つようにしてくださいました。
ペテロの手紙第一 1章3節
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そして、それはまた、神の言葉によるのです。
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あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。
ペテロの手紙第一 1章23節
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この神の言葉を信じる信仰によって私たちは新しくされました。

ところで、イエス様がうけられたバプテスマが、ヨハネのマタイの福音書に書かれています。
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13 さて、イエスは、ヨハネからバプテスマを受けるために、ガリラヤからヨルダンにお着きになり、ヨハネのところに来られた。
14 しかし、ヨハネはイエスにそうさせまいとして、言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでになるのですか。」
15 ところが、イエスは答えて言われた。「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」そこで、ヨハネは承知した。
16 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。
17 また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」
マタイの福音書3章13-17節
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イエス様は、罪のない方です。
なのになぜ、バプテスマをお受けになったのでしょう。

それは、私たち罪びとの一人のなって、あがないの業をなすためであったと言われます。
イエス様は、私たちと同じになり、十字架で死んでくださり、よみがえられました。
このことを記念する、受難日、そして、復活祭が近づいてきました。
いよいよ来週は、棕櫚の日です。
それは、イエス様が十字架に架かるために、エルサレムに入って行かれた記念の日です。
イエス様は、この十字架という苦しみのバプテスマを受け、そして、私たちのあがないをなしてくださいました。

ところで、バプテスマとはなんでしょうか?
日本語では、洗礼といわれます。
この元になるギリシャ語バプティゾーは、浸す、沈める、洗うという意味です。

この中で、洗礼と訳されたことで、洗うという意味が強くなっていますが、
原語からは、水の中に沈めて、浸すという意味を持ちます。

私たち、クリスチャンにとって、このバプテスマには、二つあります。
一つは、水のバプテスマ。
そして、もう一つは、聖霊のバプテスマです。

この聖霊のバプテスマにおいて、浸すという意味は、さらに濃くなります。

聖霊に浸す。
よく、聖霊に満たされるといいますが、聖霊に、私たちの器の中を、いっぱいにしていただくという意味以上に、
わたしたちは、私たちという器を、水のいっぱい入った入れ物にドボンと入れてしまうようにして、
聖霊様に沈めてしまう。

そのままにしておいたら、それは、ちょうど、漬物のようになっていきます。
わたしたちは、聖霊様に、浸される、漬けられる。このことで、キリストのかおりを放つものとなるのです。
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私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。
コリント人への手紙第二 2章15節
++++++++++

洗礼も、同じです。
キリストの中にひたされる。
それは、単に洗うということ、それ以上のことをあらわしています。

たとえば、大根を考えます。
それを洗う。きれいな水であらって、そこに塩か何かをこすり付けても、中は、そのままの味です。
しかし、それを、漬けるとどうなるでしょう。

浅漬け、塩漬け、ぬか漬け、いろいろありますが、漬け込むと、その味がしみこんでいきます。

私たちは、このキリストに浸されなければなりません。
外側を簡単にあらったのでは不十分です。
そういう意味で、私たちは十分に御言葉に、そして、祈りに、賛美に、聖霊に、自分を浸す必要があるのです。
そのために、毎日聖書を読むこと、祈ることが必要です。

それは、キリストにしっかりと留まるためです。

最初のところで、ヨハネは、人々の行いを責め、悔い改めを促しました。
しかし、人の心には、そうはいってもそんな事をしたら、うまくいかない。時には、生きていけない。
という思いがわいてきます。

では、悔い改めとは何か。それは、単に行いを変えることではなく、人生の目的を変えることです。
私たちの人生が変えられ新しくされる。
それは、死んで、新しく生まれることです。

洗礼は水につかって、出てくるわけですが、そのことには、この死んでよみがえるということも意味しています。

私たちは、今、キリストともに死に、キリストと共によみがえりました。
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私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の
御子を信じる信仰によっているのです。
ガラテヤ人への手紙2章20節
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今、聖霊によって、私たちは、この方と共に生かされているのです。
この方は、私たちを死んで生き返らせてくださるかた。
新しい人生を歩ませて下さる方、力ある方です。
この方と共に、歩ませて頂きましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。


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シティーチャーチメッセージ20100321 さらに力のある方
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