礼拝でのお話
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ワーシップ
メッセージ



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シティーチャーチ
メッセージ20100314  
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この方はまことに神の子であった
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主をたたえます。

主は、私たちをあがなうため、
苦しみを受けてくださったかた、
十字架で死んでくださった方です。

この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

では、今週も、いつものように、聖書の通読箇所からみてまいりましょう。

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3月14日(日)[ ]申5-6 /[ ]マコ14:43-72
3月15日(月)[ ]申7-8 /[ ]マコ15:1-24
3月16日(火)[ ]申9-10 /[ ]マコ15:25-47
3月17日(水)[ ]申11-12 /[ ]マコ16
3月18日(木)[ ]申13-15 /[ ]ルカ1:1-23
3月19日(金)[ ]申16-18 /[ ]ルカ1:24-45
3月20日(土)[ ]申19-21 /[ ]ルカ1:46-80
3月21日(日)[ ]申22-24 /[ ]ルカ2:1-21
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旧約聖書が申命記、
新約聖書が、マルコの福音書から、ルカの福音書に入ります。

申命記は、モーセの遺言のような書です。
そこには、律法が、そして、荒野で何があったかが、書かれています。
是非、皆さんお読みください。

そして、新約聖書はマルコから、ルカに入ります。
ルカは、その職業が医者であったと言われますが、マルコとは対照的に、きめ細かな文章で、イエス様の歩みを記しています。
皆さん。共に聖書を読みましょう。

では、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。
マルコの福音書15章です。
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【 聖書箇所 】マルコの福音書15章37-47節
・新改訳Up93(贈呈p84、英対p153)
・新改訳Vp102、英対p115(贈呈p96)
・口語訳p80
・新共同訳p96 (贈呈p96、英対p149)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
15:37 それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた。
15:38 神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。
15:39 イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「この方はまことに神の子であった。」と言った。
15:40 また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。その中にマグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、またサロメもいた。
15:41 イエスがガリラヤにおられたとき、いつもつき従って仕えていた女たちである。このほかにも、イエスといっしょにエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた。
15:42 すっかり夕方になった。その日は備えの日、すなわち安息日の前日であったので、
15:43 アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。
15:44 ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いて、百人隊長を呼び出し、イエスがすでに死んでしまったかどうかを問いただした。
15:45 そして、百人隊長からそうと確かめてから、イエスのからだをヨセフに与えた。
15:46 そこで、ヨセフは亜麻布を買い、イエスを取り降ろしてその亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納めた。墓の入口には石をころがしかけておいた。
15:47 マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスの納められる所をよく見ていた。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。
マルコの福音書15章38節
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では、この所から、
この方はまことに神の子であった
と題しまして、御言葉を共に見て参りましょう。

今回の箇所は、まさにイエス様の十字架での出来事です。
イエス様を見ていた百人隊長はいいました。
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イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「この方はまことに神の子であった。」と言った。
マルコの福音書15章39節
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この場面を、別な福音書で見てみましょう。
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百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、「この方はまことに神の子であった。」と言った。
マタイの福音書27章54節
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この箇所で、イエス様を見張っていた兵士たちは、イエス様のことを、「この方はまことに神の子であった」と
言いました。

いったい何が起こったのか。
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すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。
マタイの福音書27章51節
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ルカの福音書にはこう書いてあります。
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44 そのときすでに十二時ごろになっていたが、全地が暗くなって、三時まで続いた。
45 太陽は光を失っていた。また、神殿の幕は真二つに裂けた。
46 イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。
ルカの福音書23章44-46節
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これらの箇所からイエス様が、十字架で死んでくださったとき、
太陽が光を失い、全地が暗くなったこと、そして、地震があったこと、その地震の為に、神殿の幕が裂けた事がわかります。
これらを見て、ローマの兵士はイエス様が神の子であったと言ったのです。

それは、ローマの兵士たちにとっても恐ろしく、不思議な光景でした。

さて、このとき、ここに非常に重要なことが 書かれています。
それは、今回の主題聖句にもありますが、神殿の幕が裂けたということです。
神殿の幕は地震で裂けたということの様ですが、なぜ裂けたのでしょうか。

それを知るために、このイスラエルの神殿について見てみます。
イスラエルの神殿。その元になるのは、モーセの幕屋です。
ヘブル人への手紙にはその説明がされています。
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1 初めの契約にも礼拝の規定と地上の聖所とがありました。
2 幕屋が設けられ、その前部の所には、燭台と机と供えのパンがありました。聖所と呼ばれる所です。
3 また、第二の垂れ幕のうしろには、至聖所と呼ばれる幕屋が設けられ、
4 そこには金の香壇と、全面を金でおおわれた契約の箱があり、箱の中には、マナのはいった金のつぼ、芽を出したアロンの杖、契約の二つの板がありました。
5 また、箱の上には、贖罪蓋を翼でおおっている栄光のケルビムがありました。しかしこれらについては、今いちいち述べることができません。
ヘブル人への手紙9章1-5節
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ここで、幕屋の中は、二つの部屋がありました。
手前の部屋と、奥の部屋。
この手前の部屋を、聖所といい、その奥を至聖所といいます。
この聖所には、七つの枝の燭台と机に乗せられたパンがありました。
この聖所の燭台はパンを照らしています。
パンは何ですか?聖書の中で命のパンそれは、御言葉です。
神の御言葉が、七つの光、聖霊の光によって照らされるのです。

皆さんが読む聖書の言葉、それは、聖霊様によって照らされます。
ですから、私たちは、御言葉を読み、いのらなければなりません。

その奥に垂れ幕があり、部屋がしきられ、幕の向こうには、金の香壇と、契約の箱がありました。
この幕で、私たちと神様との間は、完全にしきられていたのです。

これが、モーセの幕屋であり、神の定めとおり、それらはつくられていました。
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6 さて、これらの物が以上のように整えられた上で、前の幕屋には、祭司たちがいつもはいって礼拝を行なうのですが、
7 第二の幕屋には、大祭司だけが年に一度だけはいります。そのとき、血を携えずにはいるようなことはありません。その血は、自分のために、また、民が知らずに犯した罪のためにささげるものです。
8 これによって聖霊は次のことを示しておられます。すなわち、前の幕屋が存続しているかぎり、まことの聖所への道は、まだ明らかにされていないということです。
ヘブル人への手紙9章6-8節
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ここで、モーセの幕屋において、二つの部屋を仕切っていた幕は、イスラエルの神殿にもありました。
それは、非常に立派な、また、厚みのあるものでした。

この幕が、上から下に真っ二つに裂けたことが、かかれています。
それは、神様と私たちを隔てるものでした。

なぜ、このような隔てがあるのでしょう。

それを考えるために、歴代誌を見ます。
このように書いてあります。
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「レビ人でなければ、神の箱をかついではならない。主は、主の箱をかつがせ、とこしえまでも、ご自身に仕えさせるために、彼らを選ばれたからである。」
歴代誌第一15章2節
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神の箱は、肩にかつぐようにと定められていました。
ところが、このことを破った事件がありました。
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7 そこで彼らはアビナダブの家から神の箱を新しい車に載せた。ウザとアフヨがその車を御していた。
8 ダビデと全イスラエルは、歌を歌い、立琴、十弦の琴、タンバリン、シンバル、ラッパを鳴らして、神の前で力の限り喜び踊った。
9 こうして彼らがキドンの打ち場まで来たとき、ウザは手を伸ばして、箱を押えた。牛がそれをひっくり返しそうになったからである。
10 すると、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、彼を打った。彼が手を箱に伸べたからである。彼はその場で神の前に死んだ。
11 ダビデの心は激した。ウザによる割りこみに主が怒りを発せられたからである。それでその場所はペレツ・ウザと呼ばれた。今日もそうである。
歴代誌第一13章7-11節
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神の箱にさわったウザはなんと死んでしまったのです。

ウザの割り込みによる。なんとウザはウザいやつだと冗談を言えません。
ある人は、これを読んでなんとひどいことだといいます。

しかし、一つの理由として、ウザの立場があります。
この契約の箱は、アビナダブの家に置かれており、ウザはその家のものです。
彼は、この箱について当然知っていなければならなかったのです。
彼にとって、契約の箱は身近な存在でした。
それで、彼は、契約の箱をいいかげんに扱ったのです。

しかし、私たちは、軽々しく、神の前に出ることの出来ない存在なのです。
神の臨在と栄光をみた預言者イザヤはいいます。
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そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」
イザヤ書6章5節
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神の栄光をみる、臨在を見るそれは恐ろしいことでした。
もし、軽々しく、神殿にはいり、この箱に触れるなら、死ぬかもしれないのです。

神の栄光にふれる。それは、太陽の前に立つことに例えることができるかも知れません。
あなたは、太陽の前に立つことが出来るでしょうか?
行くことすら出来ない。そうです。でも、もし、宇宙船に乗って、そこに行ったとします。
すぐそばにあなたが立つなら、焼ける間もなく、あなたは消えてしまうでしょう。

神様は、その太陽さえ作られた方、神様はエネルギーに満ちた方です。

それは、また、高圧線のようなものです。
私たちは、高圧線に直接触れることが出来ません。
もし、誰かが、触れてしまったとします。
たちまち命を失います。
そのとき、高圧線に対して、ちょっと触っただけなのにひどいと怒る人がいるでしょうか?

私たちは、そのままで神様の前にでることはできません。
私たちは、そのような、神様の臨在の前に出ようとしているのです。
それが、礼拝です。なんと恐れ多いことでしょう。
そのために、私たちは、イエス様の血潮の覆いが必要です。
イエス様の御名によらなければなりません。
イエス様を着なければならないのです。

さて、契約の箱は、聖所の奥の幕の向こうにある至聖所に、おかれていたのです。
その間は隔ての幕がありました。

それは、神と人の間を仕切るもの、霊と肉を隔てるものでした。
その幕が、真っ二つに裂けたのです。

それは、イエス様の十字架の御業が、神と人との間にあった隔たりを、完全に引き裂いたことを意味しています。
そして、私たちは、この御業を信じる信仰によって、大胆に神の前にでることが出来るのです。
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こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。
ヘブル人への手紙10章19節
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先ほどのヘブル人への手紙9章にもどります。
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6 さて、これらの物が以上のように整えられた上で、前の幕屋には、祭司たちがいつもはいって礼拝を行なうのですが、
7 第二の幕屋には、大祭司だけが年に一度だけはいります。そのとき、血を携えずにはいるようなことはありません。その血は、自分のために、また、民が知らずに犯した罪のためにささげるものです。
8 これによって聖霊は次のことを示しておられます。すなわち、前の幕屋が存続しているかぎり、まことの聖所への道は、まだ明らかにされていないということです。
ヘブル人への手紙9章6-8節
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祭司は、垂れ幕の奥に年に一度入ります。

ところで、この祭司が、幕の奥に入るとき、足に紐をつけていくことが律法に書いてあります。
それは、何のためでしょう。
それは、彼が死んだとき、そうです。かれが、何か、神様の命令から外れていて、神殿ので死んだとき、誰も、彼を運び出せない。
だから、この紐は、命綱ではありません。
彼が死んだとき、引きずり出すための紐なのです。

これは、命がけの儀式です。

そこには、血を持たずに入ることは出来ません。
それが、神殿の最も重要な儀式です。

ところが、聖書はいいます。
++++++++++
11 しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、
12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
13 もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、
14 まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。
ヘブル人への手紙9章11-14節
++++++++++
ここで、キリストは、ご自身の血によって、完全な幕屋をとおり、神様の前であがないをなしとげられたのです。
これによって、聖書にある神の計画が完成しました。

その結果、神と私たちの間の隔たりは、なくなったのです。

イエス様は、そのことの為に、ご自身の肉という垂れ幕を、引き裂かれました。
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イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。
ヘブル人への手紙10章20節
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このとき、キリストの肉体という幕が引き裂かれ、
その影である神殿の幕は、引き裂かれたのです。

そして、新しい道が開かれました。
今の箇所の前に書かれていることをお読みします。
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14 キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。
15 聖霊も私たちに次のように言って、あかしされます。
16 「それらの日の後、わたしが、彼らと結ぼうとしている契約は、これであると、主は言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いに書きつける。」またこう言われます。
17 「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」
18 これらのことが赦されるところでは、罪のためのささげ物はもはや無用です。
19 こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。
ヘブル人への手紙10章14-19節
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皆さん。私たちが、今、神を礼拝するために集う、このことが、どれほどの恵みの中にあるかわかりますか?
神の前に出る、それは、イエス様のあがないなしには不可能なことでうす。
しかし、主はわたしたちをそのような恵みの中に入れて下さったのでs。
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そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。
ヘブル人への手紙10章22節
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わたしたちは、この神様のまえに、形ではなく、まごころから近づきましょう。

お祈りしましょう。

<祈り>いつもの課題。ハイチの地震。

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。


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