礼拝でのお話
テキスト版
画像がある場合は
クリックすると
表示されます
※携帯で表示できない
物もありますので
ご了承下さい
トップページへ


音声ファイル
(PC用:MP3形式)
ワーシップ
メッセージ




−−−−−−−−−−
シティーチャーチ
メッセージ20100307 
−−−−−−−−−−
神のものは神に返しなさい
−−−−−−−−−−

++++++++++
28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
++++++++++

<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主をたたえます。
主は、ご自身の血潮によって私たちを買い取り、救って下さった方。
愛と恵みに満ちた方です。
この方を覚えて、主の御言葉を、聞いて参りましょう。

さて、今週の聖書の通読箇所から見て参りましょう。
−−−−−−−−−−
3月7日(日)[ ]民28-29 /[ ]マコ10:32-52
3月8日(月)[ ]民30-31 /[ ]マコ11
3月9日(火)[ ]民32-33 /[ ]マコ12:1-17
3月10日(水)[ ]民34-36 /[ ]マコ12:18-44
3月11日(木)[ ]申1 /[ ]マコ13
3月12日(金)[ ]申2-3 /[ ]マコ14:1-26
3月13日(土)[ ]申4 /[ ]マコ14:27-42
3月14日(日)[ ]申5-6 /[ ]マコ14:43-72
−−−−−−−−−−
今週は、旧約聖書が民数記から申命記
新約聖書がマルコの福音書です。
申命記は、モーセの遺言ともいえる書です。

律法が、最初から整理されて、書き直されてもいます。
そして、6章4から5節には、神を愛することについて書かれています。
皆さん是非お読みください。

また、新約聖書は、マルコの福音書です。
マルコの福音書は、11章に、エルサレム入城があり、そこからイエス様の十字架への歩みが始まります。
イースターも近づいて来ました。
主の十字架の御業を覚えて、御言葉を見て参りましょう。

では、今日はこのマルコの福音書から、12章を開きましょう。
−−−−−−−−−−
【 聖書箇所 】マルコの福音書12章12-17節
・新改訳Up84(贈呈p75、英対p137)
・新改訳Vp91、英対p103(贈呈p86)
・口語訳p72
・新共同訳p86 (贈呈p86、英対p133)
−−−−−−−−−−

では、司会者お読みください。
++++++++++
【 聖書箇所のテキスト 】
12:12 彼らは、このたとえ話が、自分たちをさして語られたことに気づいたので、イエスを捕えようとしたが、やはり群衆を恐れた。それで、イエスを残して、立ち去った。
12:13 さて、彼らは、イエスに何か言わせて、わなに陥れようとして、パリサイ人とヘロデ党の者数人をイエスのところへ送った。
12:14 彼らはイエスのところに来て、言った。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは人の顔色を見ず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。とこ
ろで、カイザルに税金を納めることは律法にかなっていることでしょうか、かなっていないことでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないのでしょうか。」
12:15 イエスは彼らの擬装を見抜いて言われた。「なぜ、わたしをためすのか。デナリ銀貨を持って来て見せなさい。」
12:16 彼らは持って来た。そこでイエスは彼らに言われた。「これはだれの肖像ですか。だれの銘ですか。」彼らは、「カイザルのです。」と言った。
12:17 するとイエスは言われた。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスに驚嘆した。
マルコの福音書12章12-17節
++++++++++

では、主題聖句をいいましょう。
++++++++++
【 主題聖句 】
カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。
マルコの福音書12章17節
++++++++++

では、この所から、神のものは神にかえしなさいと題しまして、御言葉を聞いて参りましょう。

この箇所は、イエス様に対して、パリサイ人たちが怒ったと言うことからはじまっています。
そのたとえは、ぶどう園の主人が、農夫にぶどう園を貸して旅に出ると言うお話です。
収穫の時期になって、主人は農夫たちに、収穫のわけまえを求めます。
ところが、農夫たちは、これをいやがり、使いをひどい目にあわせ、最後に使いにだした主人の息子まで殺してしまうと言う話です。

そのはなしで、この悪い農夫が自分たちだと知ったパリサイ人たちは怒ります。
そして、イエス様を捕らえようと考えました。
しかし、イエス様は、群集に囲まれておられ、もし、イエス様を捕らえようとするなら、逆に、群集に、自分たちが襲われるかもしれない。
そう考えたパリサイ人たちは、イエス様をわなにかけようとします。

ここで、イエス様のところにやってきたのは、パリサイ人たちとヘロデ党のものたちでした。

パリサイ人とは、分割するという意味をもつ言葉からくる名称で、この世と分割されて、神様の御言葉を守るという生活をしている人たちです。
非常に聞こえはいいですが、当時、パリサイ人たちは、律法を形の上で守り、自分の義を立てることに終始していました。

マタイの福音書とルカの福音書にこうあります。
両方見てみましょう。
++++++++++
忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしてい
るのです。これこそしなければならないことです。ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません。
マタイの福音書22章23節
++++++++++
パリサイ人たちは、正義もあわれみもおろそかにしている。
おはなしがそれますが、ここで、主が、十分の一をなおざりにしてはならないと言っておられることには注目しておいてください。
わたしたちは、主がこういってくださらないと、心さえあれば、十一もどうでもいいのだと間違いをおかしそうですが、主は、このように捧げ物について、きちんと話してくださっておられます。
それは、十一の捧げ物が、祝福の鍵だからです。

さて、ルカの福音書は、こうです。
++++++++++
だが、忌まわしいものだ。パリサイ人。あなたがたは、はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を納めているが、公義と神への愛とはなおざりにしています。これこそ、実行しなければならない事がらです。ただ
し他のほうも、なおざりにしてはいけません。
ルカの福音書11章42節
++++++++++
イエス様は、このパリサイ人たちに対し、非常に厳しく言っておられます。
それは、彼らが、聖書に精通していたからです。
しかし、彼らは、形の上で律法を守っていましたが、その中に、神への愛は失われていたのです。

イエス様は、その偽善を責めておられます。

ところで、このパリサイ人たちと共に来たのは、ヘロデ党のものたちです。
彼らは、ローマの支配下にあって、ヘロデの側につく、ユダヤ人にとっては、国を捨てたようなものたちです。
そして、そのローマにつくことによって利益を得ようとする者たち。
ユダヤ人の中にあっては、律法からとおい存在、神を頼りとするのでなく、ローマの権力とそのもとにあるヘロデにつくものたちです。

ヘロデはどんな人物でしょう。
新約聖書には、ヘロデという人物が二人出てきます。
それは親子ですが、一人はヘロデ大王と言われます。
++++++++++
1 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。

19 ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが、夢でエジプトにいるヨセフに現われて、言った。
マタイの福音書2章1、19節
++++++++++
このヘロデ。彼は、ローマから、王としての権威をうけ、ユダヤを治めた人物です。
ローマから大きな権力を預かるほどですから、非常に高い能力を持っていたようです。
しかし、非常に狡猾で、貪欲で、猜疑心が強く、自分の子どもさえ殺してしまう。
ですから、ユダヤには、
「ヘロデの子に生まれるより、豚の子に生まれるほうが幸せだ」
という言葉があるほどです。
これは、ユダヤの律法では、豚を食べないとうことで、豚は殺されない。
でも、ヘロデの子は殺される。
そういうことから来ています。

そして、イエス様のお生まれになったときには、その周辺の赤ん坊を全部殺したほどのおそろしい人物です。

彼は、イエス様がお生まれになってすぐに死んでしまいます。

そして、もう一人は、このヘロデの息子で、ガリラヤ地方を治めた人物です。
ですから、王とは書かれず、このように書いてあります。
++++++++++
皇帝テベリオの治世の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの国主、その兄弟ピリポがイツリヤとテラコニテ地方の国主、ルサニヤがアビレネの国主であり、
ルカの福音書3章1節
++++++++++

父、ヘロデ大王ほどの能力がなく、王として国を治めることの出来なかったヘロデですが、父と同じに狡猾で、貪欲な人物だったようです。
++++++++++
19 さて国主ヘロデは、その兄弟の妻ヘロデヤのことについて、また、自分の行なった悪事のすべてを、ヨハネに責められたので、
20 ヨハネを牢に閉じ込め、すべての悪事にもう一つこの悪事を加えた。
ルカの福音書3章19-20節
++++++++++
そして、ついに、彼は、自分のために洗礼者ヨハネを捕らえ、首をはねました。


ルカの福音書で、こういうところがあります。
++++++++++
31 ちょうどそのとき、何人かのパリサイ人が近寄って来て、イエスに言った。「ここから出てほかの所へ行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうと思っています。」
32 イエスは言われた。「行って、あの狐にこう言いなさい。『よく見なさい。わたしは、きょうと、あすとは、悪霊どもを追い出し、病人を直し、三日目に全うされます。
ルカの福音書13章31-32節
++++++++++
ここで、自分を殺そうとしているヘロデをイエス様は、きつねと言っておられます。
ただ、パリサイ人は、イエス様のことを思ってこういったのではありません。
イエス様を追い出したかったのです。

イエス様が捕らえられたあと、ピラトがイエス様をヘロデに送ったことが書いてあります。
++++++++++
ヘロデは、自分の兵士たちといっしょにイエスを侮辱したり嘲弄したりしたあげく、はでな衣を着せて、ピラトに送り返した。
ルカの福音書23章11節
++++++++++
ローマの権力にぶらさがり、民を食い物にして、自分を太らせる。
それが、ヘロデです。

そして、そのようなヘロデの考えにつくものたちがいたわけです。

ヘロデ党はこの箇所にも出てきます。
++++++++++
4 それから彼らに、「安息日にしてよいのは、善を行なうことなのか、それとも悪を行なうことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか。」と言われた。彼らは黙っていた。
5 イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に、「手を伸ばしなさい。」と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元どおりになった。
6 そこでパリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちといっしょになって、イエスをどうして葬り去ろうかと相談を始めた。
マルコの福音書3章4-6節
++++++++++
ここは、イエス様が、安息日に癒しをされた箇所です。
手の悪い人が、安息日にイエス様の前につれてこられた。

それを見た、パリサイ人たちは、ヘロデ党のものに声をかけて、イエス様を滅ぼそうと考えたのです。

イエス様がなさること、それによって人々が、イエス様についていくこと、それが、パリサイ人には恐ろしく、また、そのような社会を混乱させる動きが、ローマの支配下で、利益を得ているヘロデ党のものにとっても都
合が悪かったのです。
そこで、彼らはイエス様の命を狙うようになりました。

前回のお話の中で、こういうところがありました。
++++++++++
そのとき、イエスは彼らに命じて言われた。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい。」
マルコの福音書8章15節
++++++++++
これらは、結局、イエス様のお命を狙っているものたちです。

そして、彼らがイエス様の命をねらうようになる、その根底にある考え方、思想。
それらに気をつけるようにとイエス様は言われたのです。

簡単にいうなら、パリサイ人のパン種とは、律法主義です。
そして、ヘロデのパン種は、ローマにつらなる権力主義であり、物質主義です。

そのどちらも、神の国の福音には合いません。

ところで、この二つの主義は、まったく考えが違います。

それなのに、パリサイ人とヘロデ党は手を組んだのです。
なぜですか? 結局のところ、彼らの背後に働いている霊はおなじだからです。

皆さん。
この世を見てください。
世は快楽主義、物質主義、権威主義、その象徴がヘロデだといってもいいかもしれません。

しかし、その一方で、禁欲主義的な宗教に人々は吸い寄せられます。
それによって、異端や新興宗教が伸びています。
異端や新興宗教で、よく言われるのはマインドコントロールです。
それは、本当の意味で、考えることを停止させてしまうことです。

ただ、決められたことを行えば救われるというような、間違った教えの中に、人々は入り込んでいきます。
パリサイ人たちへのイエス様の言葉は、彼らの中身を明らかにします。
++++++++++
25 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。
26 目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。
27 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、
28 あなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。
マタイの福音書23章25-28節
++++++++++
人の心の中は、罪が満ちています。
そして、それを聖めるものは、イエス様の十字架で流された血潮以外にありません。
今日も、聖餐式がありますが、これは、そのことを覚えるためのもの、そして、このことを述べ伝えるためのものです。

さて、そのような偽善は、結局、人間の本質から目をそらさせてしまいます。
それは、同じように、人間の本質から目をそらされる、物質主義や、権力主義、快楽主義とかわならいものです。

皆さん。わたしたちは、そのようなことに警戒しなければならないのです。
私たちの目はどこに向けるのですか?
++++++++++
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
++++++++++
イエス様を見つめるのです。
そして、それは、イエス様の十字架を見上げることです。

この世は、何をしようとしますか?
結局、この世は、イエス様からあなたを引き離そうとするのです。

方法なんてなんでもいいのです。
あなたが、イエス様から離れさえすれば、あなたには、何も出来ないからです。
主が言われました。
私たちは、イエス様から離れては何も出来ません。
しかし、私たちは、主につながって 豊かな実を結ぶのです。

さて、お話を戻しましょう。
この世は一緒になって、イエス様に質問します。

++++++++++
彼らはイエスのところに来て、言った。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは人の顔色を見ず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、
カイザルに税金を納めることは律法にかなっていることでしょうか、かなっていないことでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないのでしょうか。」
マルコの福音書12章14節
++++++++++
これは、イエス様を、コントロールしてだまし、言葉尻を捕らえようとしているのです。

顔色を見ない。人を見ない人だといって、イエス様に何をいわせたいか。

今回のタイトルはこうです。
「神のものは神に返しなさい。」
皆さん、この世界にあるものは、誰のものですか?
それは、神様のものです。
しかし、だから、税金をローマに納めるのはおかしいと言えばどうなるでしょうか?

パリサイ人とだけなら、このことは律法をもって議論できるかも知れません。
しかし、そこには権力主義のヘロデ党がいます。

二種類の証人を立てて、彼らは聞きます。
律法主義と、権力主義の二つの証人です。

税金を納めることは、正しいのか間違っているのか。

彼らは、イエス様がどちらに答えても、それに対抗し、イエス様を貶める言葉をもってまっていました。
ところがイエス様はこういわれるのです。
++++++++++
15 イエスは彼らの擬装を見抜いて言われた。「なぜ、わたしをためすのか。デナリ銀貨を持って来て見せなさい。」
16 彼らは持って来た。そこでイエスは彼らに言われた。「これはだれの肖像ですか。だれの銘ですか。」彼らは、「カイザルのです。」と言った。
17 するとイエスは言われた。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスに驚嘆した。
マルコの福音書12章12-17節
++++++++++
これによって、彼らは、イエス様を罪に定めることが出来ずに、帰って行きました。

ところで、パウロはこういいます。
++++++++++
1 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。
2 したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。
3 支配者を恐ろしいと思うのは、良い行ないをするときではなく、悪を行なうときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行ないなさい。そうすれば、支配者からほめられます。
4 それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行なうなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行な
う人には怒りをもって報います。
5 ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。
ローマ人への手紙13章1-5節
++++++++++
そして、こう続きます。
++++++++++
6 同じ理由で、あなたがたは、みつぎを納めるのです。彼らは、いつもその務めに励んでいる神のしもべなのです。
7 あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を
敬いなさい。
ローマ人への手紙13章6-7節
++++++++++
神の支配が、その上にあるのです。

ですから、私たちは、そのよう権威、国のリーダーたちの為にもいのらなければなりません。
++++++++++
1 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。
2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。
3 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。
テモテへの手紙第一2章1-3節
++++++++++

さて、先ほどのところで、イエス様は、言われました。
神のものは神にかえしなさい。

これは、非常に意味の深い言葉です。

皆さん。神のもの。それは、何ですか?
この世界の全てのものが、神の創造であり、神のものです。

それは、カイザルのもの、神のものと切り分けられない。
カイザルものも神のもの、そして、その権威は、神から来ています。

この世の全てが神の支配の元にあると本当に認めること、そうするとき、この世を見る見方が変わります。

そして、また、キリストにあって私たちは、神のものです。
++++++++++
そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものです。
コリント人への手紙第一3章23節
++++++++++

神のものは 神にかえす。

わたしたちは、自分の存在の全てを、神様にお返しする。
神様の為に用いていくのです。

パウロはいいます。
++++++++++
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼
拝です。
ローマ人への手紙12章1節
++++++++++

皆さんは、今日も礼拝に来ておられます。
しかし、最も大切な、霊的な礼拝は、自分自身を神にささげることです。
そして、そのことを主は望んでおられます。

++++++++++
するとイエスは言われた。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスに驚嘆した。
マルコの福音書12章17節
++++++++++

お祈りしましょう。


<祈り>いつもの課題。ハイチの地震。

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。


−−−−−−−−−−
シティーチャーチメッセージ20100307 神のものは神に返しなさい
−−−−−−−−−−







INDEX
TOP