礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20100214 
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わが神、わが神。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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1 わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。
2 わが神。昼、私は呼びます。しかし、あなたはお答えになりません。夜も、私は黙っていられません。
3 けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。
4 私たちの先祖は、あなたに信頼しました。彼らは信頼し、あなたは彼らを助け出されました。
5 彼らはあなたに叫び、彼らは助け出されました。彼らはあなたに信頼し、彼らは恥を見ませんでした。
詩篇22篇1-5節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主をたたえます。
主は、私たちの賛美を住まいとされる方。
いつも私たちと共にいてくださる方です。
この方を覚えて、共に御言葉を見てまいりましょう。

では、いつものように聖書の通読箇所から、見てまいりたいと思います。
今週は、
旧約聖書がレビ記
新約聖書がマタイの福音書からマルコの福音書に入ります。
レビ記は、
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2月14日(日)[ ]レビ12-13 /[ ]マタ27:1-26
2月15日(月)[ ]レビ14 /[ ]マタ27:27-44
2月16日(火)[ ]レビ15-16 /[ ]マタ27:45-66
2月17日(水)[ ]レビ17-19 /[ ]マタ28
2月18日(木)[ ]レビ20-21 /[ ]マコ1:1-22
2月19日(金)[ ]レビ22-23 /[ ]マコ1:23-45
2月20日(土)[ ]レビ24-25 /[ ]マコ2
2月21日(日)[ ]レビ26-27 /[ ]マコ3
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レビ記は、病に関する規定。捧げ物に関する規定などが続きます。
そこには、聖めについて、また、礼拝について書かれています。
マタイの福音書27章は、イエス様の十字架。そして、28章が復活です。
そして、マルコの福音書に入ります。
マルコの福音書は、4つの福音書の中で一番短く、一番読みやすいところです。
是非皆さんお読みください。

では、今日は、マタイの福音書の十字架の場面。27章から見てまいりましょう。

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【 聖書箇所 】 マタイの福音書27章45-52節
・新改訳Up55(贈呈p50、英対p92)
・新改訳Vp61、英対p69(贈呈p58)
・口語訳p48
・新共同訳p58 (贈呈p58、英対p89)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
27:45 さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。
27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
27:47 すると、それを聞いて、そこに立っていた人々のうち、ある人たちは、「この人はエリヤを呼んでいる。」と言った。
27:48 また、彼らのひとりがすぐ走って行って、海綿を取り、それに酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。
27:49 ほかの者たちは、「私たちはエリヤが助けに来るかどうか見ることとしよう。」と言った。
27:50 そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。
27:51 すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。
27:52 また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
私は、御名を私の兄弟たちに語り告げ、会衆の中で、あなたを賛美しましょう。
詩篇22篇22節
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では、今日はこの所から、わが神、わが神。と題しまして、御言葉を見てまいりましょう。

今回の箇所は、キリストの十字架です。

イエス様が、十字架に架かられたそのとき、全地が暗くなったと書いてあります。
そして、主が、大声で叫ばれました。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」
その意味は、
「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」
という意味であったとそこに書いてあります。
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三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
マタイの福音書27章46節
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そして、この同じ箇所は、マルコの福音書にも書かれています。
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34 そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
35 そばに立っていた幾人かが、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる。」と言った。
マルコの福音書15章34-35節
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マタイがエリと書き、マルコが、エロイと書きましたが、
これは、マタイの書いた
エリ、エリ、レマ、サバクタニが、ヘブル語
エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニが、アラム語の表記だと言われます。

そして、マルコの福音書を見ると、このイエス様の声を聞いて、人々が、エリヤを呼んでいると勘違いした事もわかります。
エリヤは、旧約聖書に出てくる偉大な預言者です。
彼は、偶像を拝むものと対決し、主の火を天から呼び寄せ、また、彼が宣言すると、雨が降らなくなったという人物です。
彼は、再び来ると預言されていましたが、彼が来ることを、イエス様は、求めたのだと、人々は誤解しました。
エリヤと間違ったことから、イエス様が十字架の上で叫ばれたのは、普段使っておられたアラム語のエロイではなく、
ヘブル語のエリであったろうと推測できます。

この言葉だけ見ると、イエス様は、十字架の上で、神様からも見捨てられ文句をいっておられるようにみえる。
ある人は、イエス様はその肉の弱さのゆえに、このように叫ばれたと言いいます。
果たして本当にそうなのか、この詩篇の箇所を見てみましょう。

詩篇22篇は、同じように、わが神わが神からはじまる所です。
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1 わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。
2 わが神。昼、私は呼びます。しかし、あなたはお答えになりません。夜も、私は黙っていられません。
3 けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。
4 私たちの先祖は、あなたに信頼しました。彼らは信頼し、あなたは彼らを助け出されました。
5 彼らはあなたに叫び、彼らは助け出されました。彼らはあなたに信頼し、彼らは恥を見ませんでした。
6 しかし、私は虫けらです。人間ではありません。人のそしり、民のさげすみです。
7 私を見る者はみな、私をあざけります。彼らは口をとがらせ、頭を振ります。
8 「主に身を任せよ。彼が助け出したらよい。彼に救い出させよ。彼のお気に入りなのだから。」
詩篇22篇1-8節
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これは、ダビデの賛美です。
ダビデは、その苦しみの中で叫びます。
しかし、それは、主への賛美と続きます。

この箇所には、イエス様の十字架からの賛美があります。
主は、十字架の上で、主へ、詩篇の言葉を持って、賛美を捧げられたのです。

マーリン・キャロザースという先生がおられます。
この方は獄中からの賛美という本を書かれ、続いて、たくさんの賛美に関する本を出されました。

教会で賛美というと、歌のことを意味すると考えてしまいます。
しかし、賛美は、音楽ではありません。

賛美は、神様への賞賛です。
神様を、礼拝し、たたえる。それが賛美です。
賛美は、聖書には感謝と賛美を捧げよとありますので、本来はそれも区別されるべきものだということでしょう。

昔、神様に賛美を捧げるということと、感謝を捧げることは違うのだということで、
青年で集まったとき、それでは、賛美の言葉だけを順番に言いましょうというと、
すぐにつまってしまったり、間違えて感謝の言葉になったことを思い出します。

皆さんはいかがでしょうか?
主に、助けてくださってありがとうございます。というのは感謝です。
お祈りに答えてくださったことをありがとうございます。も感謝です。

では、賛美は何か。
主の創造の御業をたたえることがあります。
あなたは、創造主です。
主の全能をたたえる。
あなたは全能者です。
あなたは、全てをご存知の方です。
あなたは、知恵に満ちた方です。
あなたは、癒し主です。
あなたは、備えぬしです。
あなたは、救い主です。
あなたは、恵み深い方です。

これが、賛美です。
そして、これが、御名を宣言すること、御名をたたえることです。

主の存在そのものの偉大さを、素晴らしさをたたえる。
それが、賛美です。

今回濱本先生と一緒に静岡に行きました。
その行き帰りいろいろお話しする中で、先生が
「教会の勤めは、臨在が教会にあるようにすることだ」
と言われました。

臨在は、どこに現れますか?
賛美を主は住まいとされます。

私たちが、主の存在を宣言するとき、御名を宣言するとき、
臨在は現れるのです。
それが、賛美です。

この主は賛美を住まいとされるという言葉、
その言葉は、この同じ箇所に書かれています。

この箇所でのダビデの歌は、まさに賛美です。
自分との関係において、主が遠く感じても、それでも主をほめたたえる。
それが、ダビデの賛美です。

そして、その賛美を主は喜ばれます。

また、マーリンキャロザース先生の本の中では、賛美と感謝の大切さが書かれています。

賛美と感謝というと、この御言葉を思い出します。
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16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。
18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
テサロニケ人への手紙第一 5章16-18節
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ここで、全てのことについて、感謝しなさいと書かれています。
状況によらない、全てのことを主からうけとめて、感謝する。

それは、また、ヨブにも見られる信仰です。
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そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」
ヨブ記1章21節
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全てを失ったときに、ヨブの言った言葉、これは、主への賛美です。
自分の状況は最悪です。しかし、主の御名はほむべきかな。
これが、賛美です。
そして、このヨブを主は祝福され、失われたものの二倍をおあたえになりました。

ところで、イエス様は、なぜ、この箇所から、歌われたのでしょうか?
同じ22篇にこう書かれています。
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「主に身を任せよ。彼が助け出したらよい。彼に救い出させよ。彼のお気に入りなのだから。」
詩篇22篇8節

42 「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王さまなら、今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。
43 彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『わたしは神の子だ。』と言っているのだから。」
マタイの福音書27章42-43節
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また、こうも書いてあります。
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16 犬どもが私を取り巻き、悪者どもの群れが、私を取り巻き、私の手足を引き裂きました。
17 私は、私の骨を、みな数えることができます。彼らは私をながめ、私を見ています。
18 彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。
詩篇22篇16-18節

23 さて、兵士たちは、イエスを十字架につけると、イエスの着物を取り、ひとりの兵士に一つずつあたるよう四分した。また下着をも取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目なしのものであった。
24 そこで彼らは互いに言った。「それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」それは、「彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた。」という聖書が成就するためであった。
ヨハネの福音書19章23-24節
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イエス様は、ご自身について架かれたこの詩篇をもって、十字架で主をほめたたえたのです。

その賛美の中に、大いなる救いがありました。
この詩篇の箇所は、こう続きます。
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27 地の果て果てもみな、思い起こし、主に帰って来るでしょう。また、国々の民もみな、あなたの御前で伏し拝みましょう。
28 まことに、王権は主のもの。主は、国々を統べ治めておられる。
29 地の裕福な者もみな、食べて、伏し拝み、ちりに下る者もみな、主の御前に、ひれ伏す。おのれのいのちを保つことのできない人も。
30 子孫たちも主に仕え、主のことが、次の世代に語り告げられよう。
31 彼らは来て、主のなされた義を、生まれてくる民に告げ知らせよう。
詩篇22篇27-31節
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主への賛美とそして、宣教へと続くのです。

イエス様は、十字架でこの御業をなされました。
そして、その困難な状況の中で、主を賛美されたのです。
皆さん。
私たちも、私たちの前にある困難の中で、主を賛美しましょう。
その賛美の中に主はすまわれます。
主は、素晴らしいことをなしてくださいます。
お祈りしましょう。

<祈り>いつもの課題。ハイチの地震。

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。


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シティーチャーチメッセージ20100214 わが神、わが神。
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