礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20100131 
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私たちの目には、不思議なこと。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

ハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主をたたえます。
主はすべてを治めておられる方。
全能なる方。私たちの思いをはるかに超えた方。
私たちと共におられる方です。
この方を褒め称えます。ハレルヤ。

皆さんおはようございます。
では、共に御言葉を聞いてまいりましょう。

まず、いつものように、聖書の通読箇所ですが、
旧約聖書が出エジプト記、新約聖書が、マタイの福音書です。
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1月31日(日)[ ]出エ20-21 /[ ]マタ20:17-34
2月1日(月)[ ]出エ22-24 /[ ]マタ21:1-22
2月2日(火)[ ]出エ25-27 /[ ]マタ21:23-46
2月3日(水)[ ]出エ28-29 /[ ]マタ22:1-22
2月4日(木)[ ]出エ30-32 /[ ]マタ22:23-46
2月5日(金)[ ]出エ33-34 /[ ]マタ23:1-22
2月6日(土)[ ]出エ35-36 /[ ]マタ23:23-39
2月7日(日)[ ]出エ37-38 /[ ]マタ24:1-22
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ちょうど、今日の出エジプト記は、モーセの十戒です。
その十戒が与えられたとき、イスラエルの民がどのような状況だったか、そのこともあわせてご覧下さい。
また、新約聖書は、マタイの福音書です。
21章では、エルサレム入城、そして、イエス様と律法学者やパリサイ人との対決となります。

では、このマタイの福音書から、本日は、21章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】 マタイの福音書21章28-44節
・新改訳Up39(贈呈p36)
・新改訳Vp43英対p49(贈呈p41)・口語訳p34
・新共同訳p41 (贈呈p41英対p62)
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司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
21:28 ところで、あなたがたは、どう思いますか。ある人にふたりの息子がいた。その人は兄のところに来て、『きょう、ぶどう園に行って働いてくれ。』と言った。
21:29 兄は答えて『行きます。おとうさん。』と言ったが、行かなかった。
21:30 それから、弟のところに来て、同じように言った。ところが、弟は答えて『行きたくありません。』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。
21:31 ふたりのうちどちらが、父の願ったとおりにしたのでしょう。」彼らは言った。「あとの者です。」イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。取税人や遊女たちのほうが、あなたがたより先に神
の国にはいっているのです。
21:32 というのは、あなたがたは、ヨハネが義の道を持って来たのに、彼を信じなかった。しかし、取税人や遊女たちは彼を信じたからです。しかもあなたがたは、それを見ながら、あとになって悔いることもせず、彼
を信じなかったのです。
21:33 もう一つのたとえを聞きなさい。ひとりの、家の主人がいた。彼はぶどう園を造って、垣を巡らし、その中に酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
21:34 さて、収穫の時が近づいたので、主人は自分の分を受け取ろうとして、農夫たちのところへしもべたちを遣わした。
21:35 すると、農夫たちは、そのしもべたちをつかまえて、ひとりは袋だたきにし、もうひとりは殺し、もうひとりは石で打った。
21:36 そこでもう一度、前よりももっと多くの別のしもべたちを遣わしたが、やはり同じような扱いをした。
21:37 しかし、そのあと、その主人は、『私の息子なら、敬ってくれるだろう。』と言って、息子を遣わした。
21:38 すると、農夫たちは、その子を見て、こう話し合った。『あれはあと取りだ。さあ、あれを殺して、あれのものになるはずの財産を手に入れようではないか。』
21:39 そして、彼をつかまえて、ぶどう園の外に追い出して殺してしまった。
21:40 このばあい、ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょう。」
21:41 彼らはイエスに言った。「その悪党どもを情け容赦なく殺して、そのぶどう園を、季節にはきちんと収穫を納める別の農夫たちに貸すに違いありません。」
21:42 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議
なことである。』
21:43 だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。
21:44 また、この石の上に落ちる者は、粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛ばしてしまいます。」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。
マタイ21章42節
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この所から、
「私たちの目には、不思議なこと。」
と、題しまして、御言葉を見てまいりましょう。

さて、今回の箇所は、ぶどう園のたとえから始まります。
ぶどう園に関連したたとえは、イエス様のお話に何度か出てきます。

まずは、この箇所です。
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天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。
彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。
マタイの福音書20章1-2節
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この箇所は、20章ですが、その前の19章を見ると、こう書いてあります。
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27 そのとき、ペテロはイエスに答えて言った。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」
28 そこで、イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくので
す。
29 また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。
30 ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。
マタイの福音書19章27-30節
1 天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。
2 彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。
マタイの福音書20章1-2節
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そして、それにつづいて、この20章です。

イエス様がここでお話になっているのは、後のものが先になるとはどんなことかと言うことです。
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1 天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。
2 彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。
マタイの福音書20章1-2節
8 こうして、夕方になったので、ぶどう園の主人は、監督に言った。『労務者たちを呼んで、最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちにまで、賃金を払ってやりなさい。』
9 そこで、五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつもらった。
10 最初の者たちがもらいに来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らもやはりひとり一デナリずつであった。
マタイの福音書20章8-10節
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ここで、最初からいた者たちと、9時ごろから来た人たちと、12時ごろ来た人たち、3時ごろ来た人たちと続きます。
それらの人たちは、それぞれ、労苦して働きました。
しかし、報酬をもらうときに彼らにとって、問題が生じました。
主人は、最後から来たものから賃金を払い、しかも、それはみな同じだったのです。

労働組合を結成してクレームをつけなければならないでしょうか?
しかし、主人はいいます。
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13 しかし、彼はそのひとりに答えて言った。『私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。
14 自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。
15 自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか。それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか。』
マタイの福音書20章13-15節
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ここで、主人が最後に来たものに持っているのは、それのようなものを同様に愛する愛です。

一日一デナリそれは、一日の労働の一般的な賃金です。
それを時間に関係なく、支払ったのです。
仕事の無いものも、仕事のあるものも、その存在そのものを神様が養ってくださる。
それは、この御言葉に通じます。
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空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
マタイの福音書6章26節
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また、働きがあることそのものが恵みであるとも言えます。
そのことは、今の時代、明らかなのではないでしょうか?
さまざまな会社が赤字を出し、業務を縮小し、リストラを行い、そして、倒産するそういう時代。
仕事の無い時代。しかし、どのような状況でも主は、あなたの存在を養ってくださるのです。
また、このぶどう園の主人のように、あなたに仕事を与えてくださる方です。

そして、聖書はいいます。
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喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
ローマ人への手紙12章15節
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受けたものの喜びを共に喜ぶのか、それとも、悔しく思うのか。
それは、結局のところ、主人と同じ立場に立つかどうかにかかっています。

だからこそ、ここでの支払いは、最初のものからでなく、最後のものからなされたのです。
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その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
マタイの福音書25章23節
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タラントのたとえとして有名なところです。
この箇所で、主人がいうこの言葉に注目してください。
主人の喜びを共に喜ぶ。

神の喜ばれることを、共に喜ぶのか、それともねたましく思うのか。
主は私たちの心が主と共にあることを望まれます。
それは、最初から主と共にあったものに対してなおさらです。
そして、どれだけもらったかで無く、本来、主と共にあるそのことそのものが、主と共にあるものにとっての喜びなのです。

さて、このお話のあと、エルサレム入城があります。
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7 そして、ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。
8 すると、群衆のうち大ぜいの者が、自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの人々は、木の枝を切って来て、道に敷いた。
9 そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」
10 こうして、イエスがエルサレムにはいられると、都中がこぞって騒ぎ立ち、「この方は、どういう方なのか。」と言った。
マタイの福音書21章7-10節
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こうして、エルサレムに入られてからのイエス様の語られる言葉の多くは、律法学者、パリサイ人との対決です。

イエス様は、エルサレムに入られて、まず、宮をきよめ、その後、イエス様は、実の無いいちじくを枯らされました。
そして、この御言葉に続きます。
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28 ところで、あなたがたは、どう思いますか。ある人にふたりの息子がいた。その人は兄のところに来て、『きょう、ぶどう園に行って働いてくれ。』と言った。
29 兄は答えて『行きます。おとうさん。』と言ったが、行かなかった。
30 それから、弟のところに来て、同じように言った。ところが、弟は答えて『行きたくありません。』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。
31 ふたりのうちどちらが、父の願ったとおりにしたのでしょう。」彼らは言った。「あとの者です。」イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。取税人や遊女たちのほうが、あなたがたより先に神の国
にはいっているのです。
32 というのは、あなたがたは、ヨハネが義の道を持って来たのに、彼を信じなかった。しかし、取税人や遊女たちは彼を信じたからです。しかもあなたがたは、それを見ながら、あとになって悔いることもせず、彼を
信じなかったのです。
マタイの福音書21章28-32節
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ここで、ぶどう園で働くことに相当するのは、信仰であるとわかります。それは、すなわち、神との関係です。
ヨハネを信じたかどうか。
しかし、結局のところ、信じなかった。
それは、彼らの心が、神様から遠く離れていたからです。

さらに、もう一つのたとえとして、続くこの箇所は、主人とぶどう園と悪い農夫の話です。
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33 もう一つのたとえを聞きなさい。ひとりの、家の主人がいた。彼はぶどう園を造って、垣を巡らし、その中に酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
34 さて、収穫の時が近づいたので、主人は自分の分を受け取ろうとして、農夫たちのところへしもべたちを遣わした。
マタイの福音書21章33-34節
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これら、ぶどう園について語られた三つのたとえのその本筋は一つです。

そこで、問われているのは、結局のところ、その主人との関係です。
最後の悪い農夫たちは、主人の持ち物を自分のものにしようとして、主人のしもべをひどい目にあわせ、殺し、最後は、主人の子どもも殺してしまいます。

ここで、悪い農夫と主人の関係は、イスラエルと神様との関係、そして、私たち罪びとと、神様との関係です。
預言者たちが遣わされても聞かず、最後は、救い主である神の御子を殺した人類の罪。

イエス様の質問と、それに対しての人々の答えが書かれています。
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40 このばあい、ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょう。」
41 彼らはイエスに言った。「その悪党どもを情け容赦なく殺して、そのぶどう園を、季節にはきちんと収穫を納める別の農夫たちに貸すに違いありません。」
マタイの福音書21章40-41節
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一般的に考えると、そのような悪いものは殺してしまうしかないのです。

ところが、イエス様はどうなさったでしょうか?
神様はどうなさったでしょうか?
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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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そのような罪深いこの世を、主は愛し、一人子を与えてくださったのです。
これが、神の愛です。

そして、このぶどう園の主人の子ども、ぶどう園の農夫たちが殺して捨てた子どもをさして、イエス様は言われます。
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イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことで
ある。』
マタイの福音書21章42節
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これは、詩篇からの引用です。
この前後の御言葉を見ると、こう書いてあります。
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21 私はあなたに感謝します。あなたが私に答えられ、私の救いとなられたからです。
22 家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。
23 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。
24 これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。
25 ああ、主よ。どうぞ救ってください。ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。
26 主の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは主の家から、あなたがたを祝福した。
詩篇118篇17-26節
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この箇所は、あきらかに、メシアに対する預言なのです。

人々はイエス様を、主のみなによってこられる方に祝福あれと迎えました。
しかし、民の上に立つものは、この方を捨ててしまったのです。

救い主が捨てられてしまった。
また、父なる神様は、ぶどう園のたとえで言えば、子どもを殺す農夫たちをも愛された。

それは、私たちの目には不思議なこと、理解を超えたこと。
それが、神様の愛です。

そして、イザヤ書にはこう書いてあります。
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だから、神である主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない。
イザヤ書28章16節
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この石とは、イエス様です。
そして、この石につながらないものは、神の国から取り去られてしまうのです。
それは、何によりますか?
福音を信じたかどうかです。

イエス様を信じたかどうかです。
わたしたちは、信仰による、神様との関係を問われています。

共にこころから主を信じましょう。
信仰によって歩ませて頂きましょう。

これを信じるものはあわてることがない。

お祈りします。
いつもの課題、そして、ハイチの地震の事もお祈りください。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。


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シティーチャーチメッセージ20100131 私たちの目には、不思議なこと。
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