礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20100124
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からし種ほどの信仰
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。
29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
31 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
イザヤ書40章28-31節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、力ある方恵み深い方、私たちを力づけ導いて下さる方です。
この方を覚えて、御言葉を共に聞いて参りましょう。

ハイチの地震から10日ほどが過ぎました。
首都ポルトープランスを直撃され、ハイチ政府がこれまで確認した地震の犠牲者は11万1481人。国民の3分の1に相当する約300万人が被災と言われます。
国全体の大きさが四国ほどのハイチですが、この国の復興の地震からの復興の為に祈りましょう。
被災者の救出を打ち切ったという話も聞いていますが、まだまだ瓦礫のしたに埋まった被災者もいると聞いています。
これらの方々の救出の為にも祈りましょう。

<祈り>

御言葉に戻ります。
今週の聖書の通読箇所は、
旧約聖書が出エジプト記
新約聖書がマタイの福音書です。
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1月24日(日)[ ]出エ4-5 /[ ]マタ15:21-39
1月25日(月)[ ]出エ6-8 /[ ]マタ16
1月26日(火)[ ]出エ9-10 /[ ]マタ17
1月27日(水)[ ]出エ11-12 /[ ]マタ18:1-20
1月28日(木)[ ]出エ13-14 /[ ]マタ18:21-35
1月29日(金)[ ]出エ15-16 /[ ]マタ19
1月30日(土)[ ]出エ17-19 /[ ]マタ20:1-16
1月31日(日)[ ]出エ20-21 /[ ]マタ20:17-34
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出エジプト記は、キリストによる購い、すなわち救いの型となる出来事が多く記録されています。
非常に重要な内容です。是非お読みください。
また、マタイの福音書は、イエス様の様々なみわざと教えが続きます。

では、このマタイの福音書の中から、今回は、17章です。
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【 聖書箇所 】マタイの福音書17章14-21節
・新改訳Up31(贈呈p29英対p51)
・新改訳Vp34英対p39(贈呈p33)・口語訳p27
・新共同訳p33 (贈呈p33英対p50)
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司会者お読みください。
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【 聖書箇所のテキスト 】
17:14 彼らが群衆のところに来たとき、ひとりの人がイエスのそば近くに来て、御前にひざまずいて言った。
17:15 「主よ。私の息子をあわれんでください。てんかんで、たいへん苦しんでおります。何度も何度も火の中に落ちたり、水の中に落ちたりいたします。
17:16 そこで、その子をお弟子たちのところに連れて来たのですが、直すことができませんでした。」
17:17 イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。その子をわ
たしのところに連れて来なさい。」
17:18 そして、イエスがその子をおしかりになると、悪霊は彼から出て行き、その子はその時から直った。
17:19 そのとき、弟子たちはそっとイエスのもとに来て、言った。「なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのですか。」
17:20 イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あ
なたがたにできないことはありません。
17:21 〔ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。〕」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。
マタイの福音書17章20節
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では、この所から、
「からし種ほどの信仰」
と題しまして、御言葉を共に聞いて参りましょう。

さて、今回の聖書箇所、からし種についてのお話からはじまります。
からし種それは、小さな種です。
以前にブリジスフォーピースがしおりにして配っておられました。
このゴマよりもずっと小さな種。
イエス様は、その小さな種と信仰をなぞらえてお話をされました。

主題聖句とした、17章20節ですが、その全体を見てみましょう。
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イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたが
たにできないことはありません。
マタイの福音書17章20節
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今回の主題聖句は、この最後のところです。
ところで、イエス様は、ここで、もし、からし種ほどの信仰があれば、何が出来るかという事を教えておられます。
からし種。それは、小さな種ですので、それほどに小さな信仰という事で考えますと、
小さな信仰で何が出来るのかということになります。

そこで、この箇所を良く見ます。
小さな信仰で、山に向かって、「ここからあそこに移れ。」と言えば移る。
ここで、あの淀川の向こうの天王山に向かって、動けと言って動く、皆さんそれを信じることが出来るでしょうか?
そして、「どんなことでも出来ないことはない」 と 続きます。

以前に、この御言葉から、チョウヨンギ先生がお話をしておられました。
一人のおばあさんだったと思います。
彼女は教会に行くのに、山を越えなければならない。
それが大変で、あるとき、教会で、この御言葉を聞いて、それを実行し、山が動くように命じたそうです。
そして、あるとき、なんと、その山に高速道路がとおり、山が削り取られてなくなってしまったというお話でした。

どんなことでも出来る、信んじて疑わないならそのとおりになる。
これが、信仰です。
別なところでイエス様はこう言われます。
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5 使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増してください。」
6 しかし主は言われた。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、『根こそぎ海の中に植われ。』と言えば、言いつけどおりになるのです。
ルカの福音書17章5-6節
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使徒たちは、私たちの信仰を増してくださいといったのです。
ところが、イエス様はこうお答えになったのです。
皆さん。わたしたちが、わたしの信仰を増してくださいと、主にお願いするなら、主はこうお答えになります。

つまり、私たちたちの信仰は、からしだねのような物であって良いということに取れないでしょうか?
大きな信仰がほしい。
しかし、小さな信仰であっても、それが信仰であるならば、大きな力をもつのです。
なぜなら、信仰は、生ける力ある神様につながっているからです。
小さな信仰でも、生きているならば。

皆さんこのからしだね。これを出して、土に植えるとちゃんと芽が出るんです。
これは、紙くずやごみではないのです。

どんなに小さくても、それが生きているなら。
それは、大きな力をもつのです。

マタイの福音書21章には、このような記事があります。
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18 翌朝、イエスは都に帰る途中、空腹を覚えられた。
19 道ばたにいちじくの木が見えたので、近づいて行かれたが、葉のほかは何もないのに気づかれた。それで、イエスはその木に「おまえの実は、もういつまでも、ならないように。」と言われた。すると、たちまちいち
じくの木は枯れた。
20 弟子たちは、これを見て、驚いて言った。「どうして、こうすぐにいちじくの木が枯れたのでしょうか。」
21 イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、
海にはいれ。』と言っても、そのとおりになります。
22 あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」
マタイの福音書21章18-22節
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ここで、イエス様は、信仰を持ち、疑わず、信じて祈り求めるなら、と言われました。
そうすれば、その通りになる。

マルコの福音書では、こう書いてあります。
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22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。
23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」
マルコの福音書11章22-25節
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皆さん。この御言葉を良く見てください。

まず、「神を信じなさい。」
そう書いてあります。
前回もお話しましたが、あなたは神をどのように信じておられるか、それが重要です。
イエス様と親しかった、ラザロと言う人が死んでしまいました。
そのとき、イエス様が来て下さって、生き返らせて下さった。
そのことが、聖書に書かれています。
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41 そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。
42 わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申
したのです。」
43 そして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。「ラザロよ。出て来なさい。」
44 すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」
ヨハネの福音書11章41-44節
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ここで、イエス様は父なる神様に言われます。
「あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。」
そして、イエス様がお命じになると、ラザロはよみがえったのです。

主は、あなたの願いを聞いて下さると信じますか?
あなたの願い祈りを聞いてくださると信じますか?
アーメンですね。
では、その根拠はどこにありますか?
聖書はそのことについて、いろいろな証言が書かれています。

マタイの福音書にこうあります。
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7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
8 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
9 あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。
10 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。
11 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらな
いことがありましょう。
12 それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。
マタイの福音書7章7-12節
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悪いものでも、自分の子に良いものを与える。それならば、天におられるあなたがたの父が、どうして、求めるものたちに良いものを下さらないことがありましょう。
そうイエス様は言われます。
あなたは、イエス様の購いによって神の子です。
良い神様は、神の子であるあなたの祈り願いに答えてくださいます。

ところで、ここで、12節を見てください。
してもらいたいことをそのとおりに他の人にする。
それは、大切な行動です。
しかし、その根拠もここにあります。
ここで、それで、とかいてある。
神様が私たちに良くして下さる。それでと続いています。
主があなたによくしてくださると知っているから、私たちは人によくするのだということです。

そして、もう一箇所見ておきましょう。
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だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
マタイの福音書6章33節
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さて、先ほどの箇所にもどります。
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22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。
23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」
マルコの福音書11章22-25節
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神を信じる。それは、神があなたによくしてくださること、あなたの祈りを聞いてくださることを信じるということです。
そして、そうであるなら、あなたの言ったとおり、祈ったとおりになります。
その続きに、罪を赦すということについて、書かれていることにも、注目しておきましょう。
なぜなら、私たちは、自分自身が神様の赦しと恵みの中に生かされているからです。
ですから、これが一まとめに書いてあるのです。

聖書箇所にもどります。
ここで、書かれているのは、一人の少年の癒し、いや、悪霊の追い出しです。
先日娘が友達と、テレビを見ていまして、カトリックのエクソシストについてのお話が出てきました。
エクソシスト。悪霊を追い出す働きをする者です。

その番組の内容は、疑問に思うところもあったのですが、悪霊の働きは、事実あることです。
主ご自身が、悪霊の追い出しをされました。
そして、また、こういわれました。
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15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。
16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。
17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、
18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
19 主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。
マルコの福音書16章15-19節
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イエス様は天にあげられる前に、このように私たちの受けている力について語られました。
番組の中では、ローマの法王庁から使わされた悪霊追い出しの専門家であるエクソシストたちが出てくるのですが、
そうでなくても、私たちは、みな、これらのことをなすことができます。
あなたが、イエスの御名によって命じるなら、悪霊は出て行きます。

さて、からしだねというと、このお話が出てきます。
天の御国のたとえです。
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31 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、
32 どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」
マタイの福音書13章31-32節
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これは、小さなからしだね。非常に小さなものです。
しかし、それは、大きなものになります。
それはまた、教会をさしています。
小さなものに見えるかもしれない。しかし、それは成長して大きくなります。

からしだねのような信仰、それは、成長して大きなものとなります。

しかし、それは、わたしたちの努力によるのではありません。
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6 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
7 それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。
コリント人への手紙第一3章6-7節
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成長させて下さるのは、神様です。

では、私たちは何もしなくていいのか、そのことについて、イザヤ書を開きます。
今日最初にお読みしたイザヤ書40章です。ここは、信仰と関係の深いところです。
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28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。
29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
31 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
イザヤ書40章28-31節
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ここで、鷲のように翼をかって上ることが出来るのは、主を待ち望むものです。
彼は、神様の力で走り、神様の力で歩むのです。

主を待ち望む。
主を信じ、待ち望む。
そのものは、ワシのように 舞いあがる事が出来る。

ワシはなかなか見れません。
実は、タカや、ハヤブサは、淀川河川敷で見ることが出来ます。

トビは良く見ることが出来るのではないでしょうか。
トビは、飛んでいるのをみると、ほとんど翼を動かしません。
風を受けて、舞い上がっているのです。

わたしたちは、信仰という翼で、聖霊の風を受けて、飛び上がるのです。
それは、自分の羽ばたきと言う努力ではありません。
成長させて下さるのは神様だと書いてありましたが、神様の力で舞い上がるのです。

でも、わたしたちは、翼を閉じてはなりません。
私たちは、信仰と言う翼をしっかりと広げていなければならないのです。

主を待ち望むものはしっかりとその翼を広げています。
そこに風が吹きます。
その風で飛び上がるのです。
けっして翼を閉じていてはならないのです。

神様が良くして下さるという翼、神様は私を祝福して下さると言う翼、祈りに答えてくださるという翼をしっかりと広げていなければならないのです。
そこに聖霊の風が吹いてきます。
信仰という翼を開いて、聖霊の風を受ける。

聖霊は、好むところに吹くとあります。
聖霊様は何をこのまれますか?
愛を、好まれます。そして、神への信仰を好まれます。

イエスキリストを信じる信仰、父なる神様を信じる信仰を聖霊様は好まれます。
そして、御言葉に働かれます。

「風があったら飛べるのに。聖霊の風が吹いてきたら飛べるのに。」そうではありません。
信仰は、聖霊の風を呼ぶのです。

主を待ち望むものが、しっかりと翼を広げるとき、聖霊の風は吹いてきます。
あなたの信仰は聖霊の風を呼ぶのです。

その風によって、私たちは飛ぶことが出来るのです。

私たちは、何もしないでいいのではありません。
成長させて下さるのは神様です。
私たちを舞い上がらせて下さるのは神様です。
しかし、私たちは、信仰の翼を広げて主を待ち望まなければならないのです。

わたしたちは、しっかりと翼を広げて、主を待ち望む。
そして、聖霊の力で舞い上がるのです。

小さな翼であってもかまいません。小さな信仰であっても、あなたが翼を広げるなら大きな風が吹いてきます。
その大きな風は、あなたを舞い上げていきます。
ですから、神様に期待して行きましょう。
あなたの翼が小さくても、神様には大きな力があるのです。

あなたを力強く導いて下さる力が神様にはあるのです。
計り知れない力があるのです。
それを引き出すのは、生きた、からし種の信仰です。

ですから疑わず信じましょう。
神は良い方です。
あなたの祈りに答えてくださる方です。

お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。


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シティーチャーチメッセージ20100124 からし種ほどの信仰
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