礼拝でのお話
テキスト版
画像がある場合は
クリックすると
表示されます
※携帯で表示できない
物もありますので
ご了承下さい
トップページへ





−−−−−−−−−−
シティーチャーチ
メッセージ20100110
−−−−−−−−−−
起きて歩け
−−−−−−−−−−

++++++++++
28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
++++++++++
<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、今も生きておられる方。
私たちを立たせ、歩ませてくださる方です。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

さて、二千十年になりまして、もう十日になりました。
この年、どんな目標を持つのか。
何に向かって歩むのか。
そのことを考える上で、まず、私たちが目を向けなければならないのはキリストの十字架です。
私たちの人生は、キリストから離れてはまったくむなしいものとなってしまいます。

皆さん。この一年の始まりに、今一度、主に目を向けましょう。

では、いつものように、聖書の通読箇所から見て参りましょう。
聖書の通読箇所は、
旧約聖書が、創世記。
新約聖書が、マタイの福音書です。
−−−−−−−−−−
1月10日(日)[ ]創25-26 /[ ]マタ8:1-17
1月11日(月)[ ]創27-28 /[ ]マタ8:18-34
1月12日(火)[ ]創29-30 /[ ]マタ9:1-18
1月13日(水)[ ]創31 /[ ]マタ9:19-38
1月14日(木)[ ]創32-34 /[ ]マタ10:1-20
1月15日(金)[ ]創35-36 /[ ]マタ10:21-42
1月16日(土)[ ]創37-38 /[ ]マタ11
1月17日(日)[ ]創39-40 /[ ]マタ12:1-28
−−−−−−−−−−
創世記は、イサク、ヤコブ、そして、ヨセフが登場します。
おもしろく、読みやすいところです。
新約聖書マタイの福音書は、共に開いて参りたいと思います。
皆さん。聖書を通読しましょう。

まだ、スタートしたばかりではありますが、遅れを取り戻そうとせず、
通読表のまま、読まれることをお勧めします。
なぜなら、今年一回読み終わって終わりではないからです。
聖書の通読は、来年も再来年も続きます。

では、本日の聖書箇所を開きましょう。
本日の聖書箇所は、マタイの福音書です。
−−−−−−−−−−
【 聖書箇所 】マタイの福音書9章1-13節 
・新改訳Up13(贈呈p12英対p22)
・新改訳Vp15英対p17(贈呈p15)・口語訳p12
・新共同訳p15 (贈呈p15英対p21)
−−−−−−−−−−
では、司会者お願いします。
++++++++++
【 聖書箇所のテキスト 】
マタイの福音書9章1-13節
9:1 イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰られた。
9:2 すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われた。
9:3 すると、律法学者たちは、心の中で、「この人は神をけがしている。」と言った。
9:4 イエスは彼らの心の思いを知って言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。
9:5 『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。
9:6 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言って、それから中風の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。
9:7 すると、彼は起きて家に帰った。
9:8 群衆はそれを見て恐ろしくなり、こんな権威を人にお与えになった神をあがめた。
9:9 イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。
9:10 イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。
9:11 すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」
9:12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
9:13 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
++++++++++
では、主題聖句をいいましょう。
++++++++++
【 主題聖句 】
子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。
マタイの福音書9章2節
++++++++++

では、この所から、
「起きて歩け」
と題しまして、御言葉を聞いて参りたいと思います。

今回の聖書箇所は、中風の人の癒しです。
まず、こう書いてあります。
++++++++++
すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われた。
マタイの福音書9章2節
++++++++++
一人の中風の人。彼は、自分で動くことが出来ません。
それで、彼の病は重く、人々が、彼を寝かせたままで運んで来ました。
何のためでしょうか?
それは、もちろん癒しを求めてです。

しかし、彼らの信仰を見てイエス様が言われたのは、
「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」
という言葉でした。

この同じ言葉は、マルコの福音書2章5節と、ルカの福音書5章20節、そして、ルカの福音書7章48節に出てきます。

ルカの福音書の記事はこうです。
++++++++++
17 ある日のこと、イエスが教えておられると、パリサイ人と律法の教師たちも、そこにすわっていた。彼らは、ガリラヤとユダヤとのすべての村々や、エルサレムから来ていた。イエスは、主の御力をもって、病気を直
しておられた。
18 するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。
19 しかし、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真中のイエスの前に、つり降ろした。
20 彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた。
ルカの福音書5章17-20節
++++++++++
ここで、人々は、病気を治してもらいに来ていたのです。
中風をわずらっている人がいて、その人を、屋根をはいで床のままイエス様の前につり降ろした。
それをみてイエス様は言われました。

「あなたの罪は赦されました。」

マルコとルカは、まったく同じこの出来事を記しています。
ただ、マタイだけはこの、上からつり下ろしたことを書いていません。

しかし、このような飛びぬけた信仰。
なんとかして、イエス様の所にもって行こうとする信仰。
イエス様は、彼らの信仰を見てと書いてあります。

なんとかしてイエス様に近づこうという信仰。
聖書の中には、長血の女の癒しが出てきます。
彼女は、御衣のすそに触れるなら必ず癒されると言っていたと書いてあります。

必ず癒されるという信仰。

ここで、この中風の人をつり降ろした人たちは、どんな信仰をもっていたでしょう。
屋根をはいでつり降ろすと言うとんでもない行動に彼らが出たのは、必ず癒されるという信仰によります。
そうでなければ、これほどの方法でイエス様の前に出ることは出来ません。
そのような行動を伴う彼らの信仰。

そのような、中風の人を連れて来た人たちの信仰を見て、まずイエス様が彼に言われたのは、
病の癒しではなく、
「あなたの罪は赦されました。」
という言葉でした。

あなたが病気をしていて、イエス様の前にいったとき、イエス様が、あなたに言われます。
あなたの罪は赦された。

彼らは信仰の告白をしたのではありません。
また、彼らは、罪の告白をしたのでもありません。
救いを求めたのでもありません。
彼らは明らかに、癒しをもとめてそこに来たのです。

しかし、彼らが、信仰をもって主の前に出たとき、主が与えてくださったのは、罪の赦しだったのです。
行動を伴う信仰。
その信仰にふれたとき、主は、単に癒しをなそうとされず、罪の赦しをおあたえになったのです。

それは、全ての祝福の元となるものでした。
なぜなら、私たちと神様との関係を阻んでいるもの、神様からの祝福を妨げているものは、罪にほかならないからです。

罪が赦された。それは、大きな祝福です。
そのことが、彼にわかったかどうかはわかりません。

しかし、このイエス様の言葉は、彼の中に働いたのです。
イエス様が起きて歩けと言われると、彼は歩き出したのです。
++++++++++
6 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言って、それから中風の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。
7 すると、彼は起きて家に帰った。
マタイの福音書9章6-7節
++++++++++
これが、主のなさった御業です。

イエス様に信仰をもって近づくなら、イエス様は罪を赦してくださいます。
そして、罪の結果としてそこに起こる問題を主は取り除く事がおできになるのです。

この病人は、起きて歩き出しました。
イエス様の言葉に応答したのです。
ルカの福音書ではこう書いてあります。
++++++++++
24 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために。」と言って、中風の人に、「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。
25 すると彼は、たちどころに人々の前で立ち上がり、寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰った。
ルカの福音書5章24-25節
++++++++++
彼は、癒され、神をあがめたのです。

この中風の人を運んだ人々の信仰、そして、イエス様の言葉に応答した彼の信仰。
そこに、癒しが起こりました。
彼は、神をあがめながら帰ったのです。

ヨハネの福音書にこういう記事があります。
++++++++++
1 またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
2 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。
ヨハネの福音書9章1-3節
++++++++++
一人の盲人について、イエス様は、神のわざがこの人に現れるためだと言われました。

私たちの周りにある様々な問題、それは、神の業が表れるためにあります。
それは、つまり、私たちと神様との信仰の接点となるためにあるということです。
そして、その接点において、わたしたちは、主を信じ、主の栄光があらわされ、主を褒め称えるのです。

中風の人は、罪赦され、そして、主をあがめながら帰りました。

このことは、律法の学者たちの中で問題になります。
それは、罪を赦すことなど、人間には出来ないからです。
++++++++++
21 ところが、律法学者、パリサイ人たちは、理屈を言い始めた。「神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。」
22 その理屈を見抜いておられたイエスは、彼らに言われた。「なぜ、心の中でそんな理屈を言っているのか。
23 『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。
24 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために。」と言って、中風の人に、「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。
ルカの福音書5章21-24節
++++++++++
この議論は半分正解です。
なぜなら、神のほかには罪を赦すことのできるものはないのです。
しかし、イエス様は、ご自身がこの権威をもっておられる事を、ここで示されたのです。

それは、神から使わされたもの、神の御子としての権威でした。

逆から見てみましょう。
もし、イエス様が、最初に起きてあるけと言われて、癒しをなされたら、このような問題は起こりません。
しかし、イエス様は、あえて、そのことをされたのです。

もし、彼らが、イエス様の前になんとかして中風の人を連れてくるというようなことをしなかったら、また、イエス様は、このことをされなかったでしょう。
なぜなら、イエス様が、罪の赦しを宣言されたのは、彼らの信仰を見てだったからです。

イエス様は、イエス様を信じる信仰に、最高のものをもって答えられたのです。
++++++++++
御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。
ヨハネの福音書3章18節
++++++++++
また、ここで、この癒しは、癒され彼が、神をたたえるという事につながりました。

全ての良い業は神からであり、神の栄光があがめられるためです。

そのために、私たちは生かされているのです。
皆さん。
神である主をあがめましょう。
++++++++++
16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。
18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
テサロニケ人への手紙第一5章16-18節
++++++++++
主をあがめ、全てのことについて主に感謝する。
その歩みを主は喜ばれます。

さて、もう一人立ち上がった人がいます。
++++++++++
イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。
マタイの福音書9章9節
++++++++++
このマタイですが、マタイだけがマタイと書いていて、他のルカ、マルコの福音書ではレビとなっています。
このマタイとレビは一般的には、同一人物だと考えられています。
さて、ここで、マタイは、イエス様に言われ、立ち上がってイエス様に従ったのです。

そして、こう続きます。
++++++++++
10 イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。
11 すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」
12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
13 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
マタイの福音書9章10-12節
++++++++++
マタイにとって、みれば、中風の人が癒されたと言う事件。
そして、その後のイエス様との出会い。
この方が、罪びとを招くために来たといわれたこと。

中風の人を癒されたイエス様は、罪びとであるマタイを招いてくださったイエス様です。

マタイは、この方の呼びかけにこたえました。

主は、あなたにも言われます。
わたしについてきなさい。
立ち上がって歩きなさい。

さて、ここで、確認します。
信仰とはなんでしょう。
私たちは何を信じているでしょう。
神の存在ですか?
それもあります。
しかし、悪霊たちもそれを恐れていると書いてあります。
私たちは、神様の愛を信じています。
私たちの信じる神様は、良い方であり、めぐみ深い方です。

この年も、この方にあって歩ませて頂きましょう。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。


−−−−−−−−−−
シティーチャーチメッセージ20100110 起きて歩け
−−−−−−−−−−






INDEX
TOP