礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20091220  
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国々の民を牧する方
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>



ハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、神の御子である方、人となって、私たちの所に来て下さった方、
王の王、救い主です。
そして、今もこの方は、生きてここにおられます。
ハレルヤ。さらに主を共にあがめ礼拝して参りましょう。

さて、皆さん。メリークリスマス。
救い主イエス様の御降誕をお祝いいたします。

まさにクリスマスを前にして、今日は、クリスマス記念礼拝と、
それにつづいて、クリスマス祝会があります。

先週の婦人クリスマス、昨日のユースのクリスマス。
それぞれに、すばらしい恵みに満ちたひと時を過ごす事ができました。
ご準備に関わって下さった方、お祈り下った方、ご参加くださった方、
心より感謝申し上げます。
主の祝福が豊かにありますように。

そして、今日のクリスマス祝会と、子どもクリスマス会、キャロリング、イブ礼拝、クリスマス礼拝と続きます。
それぞれの集会が、主の恵みに満ちた時となるように、どうぞお祈り下さい。
そして、このことを通して、世の人々にキリストの御降誕の意味をお伝えする事が出来る様にもお祈り下さい。

さて、御言葉に戻ります。
今週の聖書の通読箇所を見ていきましょう。
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12月20日(日)[ ]ミカ3-5 /[ ]黙8-9
12月21日(月)[ ]ミカ6-7 /[ ]黙10-11
12月22日(火)[ ]ナホム1-3 /[ ]黙12
12月23日(水)[ ]ハバ1-3 /[ ]黙13
12月24日(木)[ ]ゼパ1-3 /[ ]黙14
12月25日(金)[ ]ハガイ1-2 /[ ]黙15-16
12月26日(土)[ ]ゼカ1-5 /[ ]黙17
12月27日(日)[ ]ゼカ6-8 /[ ]黙18
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本日の聖書箇所は、
旧約聖書がミカ、ナホム、ハバクク、ゼパニヤ、ハガイ、ゼカリヤと続きます。
そして、新約聖書は黙示録です。

これら、小預言書は、それぞれが、短く読みやすい所です。
聖書を共に通読しましょう。

皆さん。来年になったら聖書通読を始めようと思わないで下さい。
もし、読んでおられない方は、中途半端だとおもっても、今日の通読箇所から読み始める事を、お勧めします。
そして、来年のスタートに向けて、聖書通読のウオーミングアップをしましょう。
通読表の量が大変だと思われる方は、新約聖書だけでも結構です。
また、それも大変だと思われる方、毎日一節でもかまいません。

聖書を読みましょう。
そして、この神の言葉によって成長させていただきましょう。

では、今週の通読箇所の中から、本日は黙示録12章を開きます。

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【 聖書箇所 】 ヨハネの黙示録12章1-5節
・新改訳Up449(贈呈p391英対p745)
・新改訳Vp489英対p541(贈呈p445)・口語訳p397
・新共同訳p465 (贈呈p465英対p686)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
12:1 また、巨大なしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。
12:2 この女は、みごもっていたが、産みの苦しみと痛みのために、叫び声をあげた。
12:3 また、別のしるしが天に現われた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。
12:4 その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。
12:5 女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。
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では、主題聖句をいいましょう。
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【 主題聖句 】
女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。
ヨハネの黙示録12章5節
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ではこの所から、
「国々の民を牧する方」
と、題しまして、御言葉を共に見て参りましょう。

まず、今回の箇所は、非常に不思議な言葉から始まります。
これは、ヨハネの見せられた幻ですが、それは、巨大なしるしでした。
このしるしが巨大なのは、それが、重要であるからという事なのですが、その巨大なしるし
それは、一人の女が太陽を着て、月を足の下に踏んで、頭に、12の冠をかぶっている。

旧約聖書の中で、ヨセフが見た夢で、ヨセフを太陽や月や星星が拝むというものがありました。
周りの人はこの夢が、父や母兄弟も、ヨセフを拝むということだと解釈しました。
ここで、太陽は父を現していますが、それは、族長でもあったヤコブの持つ権威、主権を意味しました。
ですから、この女は、主権を身にまとっているといえます。
しかし、この女は、みごもっていて、出産のために苦しんでいました。

そこに、赤い竜がやってくる。
これは、サタンすなわち悪魔ですね。

そして、この女は、男の子を生みます。
そのあと、この女は守られ、悪魔との最後の戦いがはじまる。

というものです。

ここで、この女は、直接的にマリヤをさすのではありません。
では、何かというと、議論のあるところです。
キリスト教会だという人もあれば、イスラエルだという人もいます。

まあ、そのことは、おいて置きまして、ここで生まれた子がどんな子か見てみましょう。
それが、本日の主題聖句です。
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【 主題聖句 】
女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。
ヨハネの黙示録12章5節
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ここで、この子どもは、神のみもとに引き上げられました。

この方は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するかたです。

これに対して、ここに出てくる悪魔のことを少しだけ、見ておきます。
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こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。
黙示録12章9節
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この悪魔は、全世界を惑わす存在でした。
それは、霊の世界において、支配権をもっていました。
しかし、その悪魔が空中から投げ落とされた、それは、そのような支配権を失ってしまうということです。

そして、本来の主である方が、国々を牧するようになるのです。

この方について、すべての国々の民を牧するはずであると書いてあります。

さて、ここで、マタイの福音書を開きます。
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31 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。
32 そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、
マタイの福音書25章31-32節
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ここに、主が再び来られた時、国々の民を治める事が、主ご自身の口から語られています。

しかし、この全世界を治める方が、全世界のなだめの供え物となって下さったのです。

ヨハネの手紙第一にはこう書いてあります。
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この方こそ、私たちの罪のための、――私たちの罪だけでなく全世界のための、――なだめの供え物なのです。
ヨハネの手紙第一2章2節
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このことについて、マタイの福音書で、ヨセフのところに現れた御使いはこういいます。
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1:20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
マタイの福音書1章20-21節
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ここで、御使いは、この方が、ご自分の民を罪から救ってくださる方だといっています。
しかし、ヨハネの手紙の先ほどのところで、私たちだけでなくとあるように、この方は、全世界の民を罪から救うために来てくださいました。
そして、全世界の民のなだめのそなえものとなられたのです。

この方は、全世界を治める方、そして、私たちの罪のために、身代わりになられた方です。
この方以外には、救いはないと、使徒の働きの中でペテロはいいます。
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この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」
使徒の働き4章12節
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さて、クリスマスは、この方を覚えて礼拝する日です。

本来、クリスマスという言葉は、キリストを礼拝するという意味を持ちます。
キリストの誕生日という意味ではありません。
主の御降誕を覚えて、主を礼拝する。
それが、クリスマスの本来の意味です。

ですから、その日が、主イエス様の誕生日であるかどうかではなく、私たちが、主を礼拝することが大切なのです。

今年も、24日のイブの夜と25日のクリスマスの11時から、礼拝を行います。
ぜひ皆さん共に礼拝しましょう。

さて黙示録を見ると、イエス様は、力強い方、鉄の杖を持った方として登場します。
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13 その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。
14 天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。
15 この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。
16 その着物にも、ももにも、「王の王、主の主。」という名が書かれていた。
黙示録19章13-16節
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神の言葉である方、王の王である方。

そして、この方は、イザヤ書において、こう書いてあります。
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見よ。わたしは彼を諸国の民への証人とし、諸国の民の君主とし、司令官とした。
イザヤ書55章4節
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イザヤ書のなかでこの周辺は、キリストについて多く書かれた所です。
主は、すべての民の君主です。

私たちの礼拝する方は、このような方です。
そして、この方は、神の言葉であり、御心を成し遂げる方です。

さかのぼっていくと、イザヤ書の55章には、
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そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。
イザヤ書55章11節
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と、書かれています。
この箇所は、神の言葉は実現するという事だともとれます。

それと同時に、神の言葉であるイエス様が、主の御心を成し遂げられることを知ることが出来ます。

さらに少しさかのぼると、イザヤ書の53章が出て来ます。
この方がどのように御心を成し遂げられるのかが、そこに書いてあります。
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10 しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。
11 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。
12 それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむ
いた人たちのためにとりなしをする。
イザヤ書53章10-12節
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彼は、罪のためのいけにえとなることで、御心を成し遂げられるのです。

先ほどの箇所では、神の言葉はむなしく帰って来ないと書いてあります。
事実、イエス様は、父なる神様の御心をなしとげて、天の父なる神様のもとへ帰られました。
イエス様は、私たちのために、死んで下さるという、御父のみこころをなしとげて、御父の元へもどられたのです。

私たちは、クリスマスを祝います。
クリスマスは、イエス様がお生まれになった事を覚える、喜びの日でもあります。
それはまた、主が、神の言葉を使わされた、神の言葉である神の御子をおあたえになった日です。
それは、私たちのために、死んでくださる為でした。
しかし、それは、父なる神様からの最大のプレゼントでした。

神様が、最高のプレゼントをしてくださった、だから私たちはプレゼントを贈りあうのです。

この救い主、預言され、待ち望まれた救い主が、お生まれになったとき、御使いは、そのことを羊飼いたちに知らせました。
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10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
ルカの福音書2章10-12節
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なぜ、彼らが、先に救い主の誕生を知らされたのでしょうか?
詳しいことは書かれていません。

しかし、実際的な意味を考えると、彼らが野宿をしていたということがあります。
彼らは、外にいて、天使たちの現れるのを見ることが出来ました。
それだけでなく、すぐに、たって、イエス様のところに行くことが出来たのです。
彼らの生活スタイルが、そのまま、神様に用いられたのです。

家の中に寝ていた人は、選ばれませんでした、野原で、野宿をしながら、羊を飼っていた羊飼いたちを、主は選ばれたのです。
彼らは、すぐさま、イエス様のところに行きました。
そして、この羊飼いたちは、救い主を見たのです。

彼らは家の中にいませんでした。
外にいたら、神様に出会えるというわけでありません。
しかし、自分の生活のルールに縛られていると神様の機会を逃すかも知れません。

羊飼いも、わたしたちは、この羊たちの世話があるからということも出来ました。
しかし、彼らは柔軟に対応しました。
柔らかな心で、御告げにすぐに応答したのです。

もし、朝になっていたら、彼らは、イエス様にお会い出来なかったでしょう。
なぜなら、マリヤとヨセフは、ヘロデの手を逃れてすぐに旅立たなければならなかったからです。

ある人は、仕事で忙しいから教会にいけませんといいます。
羊飼いたちは、まさに仕事中でした。

しかし、彼らは、救い主、王の王である方を見にいったのです。
そして、それだけではありません。
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17 それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。
18 それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。
ルカの福音書2章17-18節
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彼らはその出来事を見て述べ伝えました。
人々は、羊飼いからこのことを聞きました。

救い主がお生まれになった
このことは大きなニュースです。
そして、今も世界中でお祝いされています。

実際世界中が、この救い主、王の王であるかたをお祝いしているのです。
先日の新聞の漫画に、外国の神様なのにと書いてありました。
しかし、この方は、王の王、全世界の王なる方です。

でも、このイエス様が、お生まれになったのが、2000年前のユダヤのベツレヘムであるそれだけなら、それは、あなたと関係がありません。
どんなにお祝いしても、あなたの人生に何の関係もありません。
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しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
ヨハネの福音書1章12節
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私たちは、この方を信じ、受け入れなければならないのです。

キリストはお生まれになりました。
しかし、二千年前のユダヤのベツレヘムにキリストがお生まれになった以上に、あなたの中にキリストがお生まれになったことが重要なのです。
そして、信じた皆さんは、救われ、神の子とされたのです。

いま、信じた皆さんは神の子としての特権をもってここにおられます。
しかし、私たちは、あの羊飼いたちのように、このことを伝えなければなりません。
そしてそれは、二千年前のキリストではなく、今、あなたの中に生まれ生きておられるキリストです。

いま、このクリスマスのとき、私たちが、私たちの周りのものに、
この喜びのおとずれを、救い主の誕生を、王の王なる方の誕生を、今も生きておられる方の誕生を伝える事が、
出来るようにお祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。


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シティーチャーチメッセージ20091220 国々の民を牧する方
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