礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20091122
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主は私の助け手です
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は、力ある方、全能なる方。
私達と共にいて、助け、守り、導いてくださる方です。
この方を覚えて、御言葉を共に見て参りましょう。

さて、いつものように、聖書の通読箇所から見て参りましょう。
今週は、旧約聖書がエゼキエル書、新約聖書が、ヘブル人への手紙からヤコブの手紙へと入ります。
エゼキエル書に書かれた預言は、わかりにくい記述があります。
中でも、26章から始まるツロに関する預言は不思議な箇所です。
特に、28章ではツロになぞらえて、サタンの姿が書かれています。
このところも是非お読み下さい。
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聖書通読箇所
11月22日(日)[ ]エゼ24-26 /[ ]ヘブ11:17-40
11月23日(月)[ ]エゼ27-28 /[ ]ヘブ12
11月24日(火)[ ]エゼ29-31 /[ ]ヘブ13
11月25日(水)[ ]エゼ32-33 /[ ]ヤコブ1
11月26日(木)[ ]エゼ34-36 /[ ]ヤコブ2
11月27日(金)[ ]エゼ37-38 /[ ]ヤコブ3
11月28日(土)[ ]エゼ39-40 /[ ]ヤコブ4
11月29日(日)[ ]エゼ41-43 /[ ]ヤコブ5
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ヤコブの手紙は、信仰と行動について教えてくれる書です。
ヘブル人への手紙はお話の中で見て参りましょう。

では、聖書箇所を開きましょう。
本日の聖書箇所は、ヘブル人への手紙13章です。
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【 聖書箇所 】 ヘブル人への手紙13章1-9節
・新改訳Up406(贈呈p353英対p671)
・新改訳Vp442英対p491(贈呈p402)・口語訳p358
・新共同訳p418 (贈呈p418英対p619)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
ヘブル人への手紙13章1-9節
13:1 兄弟愛をいつも持っていなさい。
13:2 旅人をもてなすことを忘れてはいけません。こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました。
13:3 牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやり、また、自分も肉体を持っているのですから、苦しめられている人々を思いやりなさい。
13:4 結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれるからです。
13:5 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
13:6 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」
13:7 神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。
13:8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
13:9 さまざまの異なった教えによって迷わされてはなりません。食物によってではなく、恵みによって心を強めるのは良いことです。食物に気を取られた者は益を得ませんでした。
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ありがとうございます。
では、主題聖句をいいましょう。
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【 主題聖句 】
わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。
ヘブル人への手紙13章5節
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では、この所から、
「主は私の助け手です」
と題しまして、御言葉を見て参りましょう。

今回の箇所は、ヘブル人への手紙の最後の章です。
お読みいただいたように、この御言葉からはじまります。
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兄弟愛をいつも持っていなさい。
ヘブル人への手紙13章1節
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この兄弟愛と訳された言葉は、言語ではフィラデルフィアと書かれています。
そのまま、兄弟愛という意味をもつ言葉ですが、
フィラデルフィアという言葉は、黙示録に出てくる七つの教会の一つの名前でもあります。

その教会に主はこう語られます。
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8 「わたしは、あなたの行ないを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否ま
なかったからである。
9 見よ。サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しながら実はそうでなくて、うそを言っている者たちに、わたしはこうする。見よ。彼らをあなたの足もとに来てひれ伏させ、わたしがあなたを愛している
ことを知らせる。
10 あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。
11 わたしは、すぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。
黙示録3章8-11節
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ここを見ると、その教会は何をしたのかがわかります。
その教会には、少しばかりの力があって、主の言葉をまもり、主の名を否まなかった
大きな事をしたとは書いてありません。
しかし、黙示録の七つの教会の他6つが主から叱責を受けているのに対し、この教会だけは、主からほめられているのです。

名前だけから見るとき、フィラデルフィアは、兄弟愛の教会です。

この教会は主の戒めをまもったとあります。
では、主の戒めとはなんでしょう。

イエス様が天にあげられる前に、唯一つ、新しい命令をお与えになりました。
イエス様は、律法の全てを成就された方です。

そのイエス様が、私たちに唯一つの戒めをお与えになりました。
それが、皆さんご存知のように、この御言葉です。
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あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
ヨハネの福音書13章34節
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私たちが、キリストのゆえに、この命令を守るなら、それは、神を愛し、隣人を愛するといういましめを、完成する事になるのです。

この兄弟愛について、ヨハネの手紙第一には、こうかいてあります。
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14 私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。
15 兄弟を憎む者はみな、人殺しです。いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。
16 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。
17 世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。
18 子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。
19 それによって、私たちは、自分が真理に属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです。
20 たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。
ヨハネの手紙第一3章14-20節
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私たちの愛は何処から出てくるのでしょうか?
あなたの良い人間性から出てくるのではありません。

ここに書かれている愛は、人の中からは出てきません。
あなたが人間として、この愛を搾り出そうとしても、出てこないのです。
この愛はただ、キリストから出てきます。

そして、この方は、あなたの中に生きておられます。
あなたの中におられるキリストから、この愛は出てくるのです。
そのキリストの愛はどのような愛ですか?
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16 キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。
ヨハネの手紙第一3章16節
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これは、一般的には不可能な愛かも知れません。

しかし、だからこそ、私たちは、キリストを見ていなければならないのです。
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信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
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前にも言ったかもしれませんが、以前、マザーテレサの特集をしている番組を見ました。
そのなかで、彼女は、こういいました。
「愛するのです。痛みを感じるほどに。」
自分が愛する事で痛みを感じるほどに。

与えるとき、助けるとき、お金を沢山持っている人なら、沢山与えても、自分にはそう痛くないかも知れません。
しかし、少ししかもっていないのに、与えるなら、それは大きな痛みを伴います。

献金の事についても、それはいえます。
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41 それから、イエスは献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。
42 そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。
43 すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。
44 みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」
マルコの福音書12章41-44節
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生活費の全部を投げ入れる。
それは、大変な痛みを伴います。

真実の愛、真実の信仰は、時に痛みを伴います。

さきほどのヘブル人への手紙12章で、イエス様から目を離さないでいなさいとその事に続いて、罪と戦い血を流すまで抵抗すると書いてあります。
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2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
3 あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。
4 あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。
ヘブル人への手紙12章2-4節
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私たちの戦いは、血肉によるのではないとありますが、それは、ふわふわした見えないものでなく、霊の世界の現実の戦いです。
そして、それは、時に痛みを伴うのです。
ですから、私たちは、神様が私たちの前に置かれた戦いから逃げないようにしなければなりません。

ある方は、困難な状況に直面すると、これは、平安がないから、御心でないと言われます。
しかし、そうではありません。私たちは、信仰によって困難を乗り越え、また、困難の只中でも、神様からの平安によって歩む事が出来るのです。

さて、13章にもどりますが、続く箇所にはこうかいてあります。
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13:2 旅人をもてなすことを忘れてはいけません。こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました。
13:3 牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやり、また、自分も肉体を持っているのですから、苦しめられている人々を思いやりなさい。
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兄弟愛のゆえに、旅人をもてなす。
それは、小さな力に見えるかも知れません。
しかし、それこそが、教会の力なのです。

ときおり、シティーチャーチに来られる方が、
あたたかい教会だ
といって下さいます。
それは、私たちの中に主がおられる事をあらわしています。

そして、私たちは、兄弟を愛すると言う、小さな働きに召されていることがわかります。

私たちは、この冠を奪われないようにしなければなりません。
そのために、ますます主を見つめて主にあって互いに愛し合う教会として立てあげていただきましょう。

そして、御言葉は、結婚のこと、金銭の事に続きます。
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4 結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれるからです。
5 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
6 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」
ヘブル人への手紙13章4-5節
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ここで、今もっているもので満足するようにと書いてあります。

金銭のことについても、わたしたちは、時に多くを求めます。
また、それが、無い事を恐れるあまり、多く集めようとします。

しかし、主は言われます。
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
あなたを守られる方は、あなたを離れず、あなたを捨てられません。

人は、あなたに、何をすることも出来ないのです。
主は、あなたの助け手なのです。
そして、この方は、変わりません。

今の世の中、本当に揺れ動いています。
人を首にしないと決めていた会社が、どうにもならなくて、リストラに手を出す事もあります。
しかし、イエス様は変わりません。
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イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
ヘブル人への手紙13章8節
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ですから、この不安な時代だからこそ、このイエス様にゆだねましょう。
一切をイエス様に信頼して頼りましょう。

イエス様は言われました。
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30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
34 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
マタイの福音書6章30-34節
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神の国と義を求める事。
それは、イエス様を求める事です。
そこに全ての平安があり、祝福があります。

お祈りしましょう。


<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。


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シティーチャーチメッセージ20091122 主は私の助け手です
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