礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20091115
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新しい契約
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、ご自身の御体を裂き、血潮を流して新しい契約をなしてくださった方。
愛に満ちた贖い主です。
この方を覚えて、主の御言葉を共に聞いて参りましょう。

では、いつものように、聖書の通読箇所から見て参りましょう。
今週の聖書の通読箇所は、旧約聖書がエゼキエル書、新約聖書がヘブル人への手紙です。
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聖書通読箇所
11月15日(日)[ ]エゼ4-7 /[ ]ヘブ5-6
11月16日(月)[ ]エゼ8-11 /[ ]ヘブ7
11月17日(火)[ ]エゼ12-14 /[ ]ヘブ8
11月18日(水)[ ]エゼ15-16 /[ ]ヘブ9
11月19日(木)[ ]エゼ17-19 /[ ]ヘブ10:1-18
11月20日(金)[ ]エゼ20-21 /[ ]ヘブ10:19-39
11月21日(土)[ ]エゼ22-23 /[ ]ヘブ11:1-16
11月22日(日)[ ]エゼ24-26 /[ ]ヘブ11:17-40
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エゼキエル書は、祭司であるエゼキエルの見た様々な幻が書かれています。
ケルビムの姿や、神様の臨在の現れ、その偉大さ、そして、その神様を離れる民の罪、エルサレムを臨在の去っていく様、
しかし、それらは失望で終わりません。
神殿から流れる祈りの流れ、そして、希望に満ちたこの言葉で閉じられます。
「その日からこの町の名は、『主はここにおられる。』と呼ばれる。」
皆さん。是非お読み下さい。

新約聖書のヘブル人への手紙は、お話の中で見て参りましょう。
では、聖書箇所を開きましょう。ヘブル人への手紙8章です。
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【 聖書箇所 】 ヘブル人への手紙8章8-13節
・新改訳Up397(贈呈p346英対p657)
・新改訳Vp433英対p481(贈呈p394)・口語訳p350
・新共同訳p410 (贈呈p410英対p606)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
ヘブル人への手紙8章8-13節
8:8 しかし、神は、それに欠けがあるとして、こう言われたのです。「主が、言われる。見よ。日が来る。わたしが、イスラエルの家やユダの家と新しい契約を結ぶ日が。
8:9 それは、わたしが彼らの先祖たちの手を引いて、彼らをエジプトの地から導き出した日に彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らがわたしの契約を守り通さないので、わたしも、彼らを顧みなかったと、主
は言われる。
8:10 それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民
となる。
8:11 また彼らが、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟に教えて、『主を知れ。』と言うことは決してない。小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるからである。
8:12 なぜなら、わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さないからである。」
8:13 神が新しい契約と言われたときには、初めのものを古いとされたのです。年を経て古びたものは、すぐに消えて行きます。
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ありがとうございます。
では、皆さんで、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
ヘブル人への手紙8章10節
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では、今日はこの所から、
「新しい契約」
と題しまして、御言葉を見て参りましょう。

ヘブル人という言葉には、渡ってきたもの、遊牧民というような意味を持つといわれます。
アブラハムは、カナンの土地で、ヘブル人と呼ばれ、また、ヨセフやその兄弟たち、そして、イスラエルの民は、エジプトでヘブル人と呼ばれました。

ですから、聖書においては、この言葉は、イスラエル人と共通の意味を持ちます。
そして、現在、イスラエル人という事と、ユダヤ人という事には大きな差はありません。
ただ、本来、イスラエル人とは、イスラエルと呼ばれたヤコブの12人の子からなる12の部族、レビも入れると13の部族をさします。
しかし、この全ての部族からなる王国はイスラエルとユダに分裂し、イスラエルが崩壊したのち、ユダ王国のみがのこり、それゆえ、このユダを語源とするユダヤが、
イスラエル全てと同じ意味を持つようになったのです。

さて、このヘブル人への手紙は、この言葉から始まります。
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1 神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、
2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
ヘブル人への手紙1章1-2節
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また、3章にはこう書いてあります。
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1 そういうわけですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちの告白する信仰の使徒であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。
2 モーセが神の家全体のために忠実であったのと同様に、イエスはご自分を立てた方に対して忠実なのです。
3 家よりも、家を建てる者が大きな栄誉を持つのと同様に、イエスはモーセよりも大きな栄光を受けるのにふさわしいとされました。
ヘブル人への手紙3章1-3節
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これらから見ると、この手紙の読者は、預言者たちを先祖とするもの、そして、モーセの律法を知る者。つまり、ヘブル人、現在でいえば、ユダヤ人であることがわかります。
いや、ユダヤ人の中でもイエス様を信じている人ということでメシアニックジューというべきでしょうか。

この手紙は、イエス様を信じるユダヤ人から、イエス様を信じるユダヤ人に書かれた手紙です。
誰が書いたかは、はっきりしていません。
パウロだという説もありますし、ヨハネだという説もあります。
しかし、どちらにしても、言えるのは、これを書いた人が、相当な旧約聖書の知識を持っているということです。

このヘブル人への手紙の大きな特徴は、旧約聖書の理解を前提に書かれているということです。
律法に関する知識なしに、ヘブル人への手紙を読むなら何の意味か全くわからないかもしれません。

キリスト教会において、律法は福音の影であるとか、また、律法は福音によって成就された。
旧約聖書は新約聖書によって実現した。とも言われます。
これらは、事実です。
間違っていません。

しかし、私たちは、この旧約聖書をおろそかにしては、新約聖書を正しく理解することは出来ないのです。

聖書は、聖書全体から読まなければならない。
一つの御言葉は、聖書全体から理解されるのだと思って聖書を読むことが大切です。

ですから、聖書は通読する必要があるのです。
聖書全体を何度も何度も読む、そのことによって聖書は理解されます。

また、そのような頭の理解以上に大切なことは、聖書の御言葉があなたの霊を成長させるということです。
聖書の御言葉は、命の言葉、命のパン。天からのパンであるイエス様ご自身です。
そして、真の食物、霊の食物です。
これはみな、私が勝手に言っているのではありません。
聖書に書かれていることです。
全ては開きませんが、一箇所だけ開いておきましょう。
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47 まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。
48 わたしはいのちのパンです。
49 あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死にました。
50 しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。
51 わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」
ヨハネの福音書6章47-51節
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このことを、そのまま受け取りましょう。
イエス様は、永遠の命を与えて下さる命のパンです。
そして、神の言葉が人となられた方です。

さて、お話をもどしますが、このヘブル人への手紙の中では、旧約の律法における捧げ物のきまりや、また、神殿のありさまが、キリストによる贖いの型として書かれています。
ここに書かれていることを一つ一つとりあげるなら、とても、一日で話せないほどです。
ヘブル人への手紙を書いた人物もまた、礼拝の規定について話すなら、書ききれないと言っています。

ですから、今回、聖書箇所を非常に短くとりました。
では、この箇所を見て行きましょう。
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8 しかし、神は、それに欠けがあるとして、こう言われたのです。「主が、言われる。見よ。日が来る。わたしが、イスラエルの家やユダの家と新しい契約を結ぶ日が。
9 それは、わたしが彼らの先祖たちの手を引いて、彼らをエジプトの地から導き出した日に彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らがわたしの契約を守り通さないので、わたしも、彼らを顧みなかったと、主は
言われる。
ヘブル人への手紙8章8-9節
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まずは、ここです。
ここを見てくだされば、主が、新しい契約を結ぶと言われたことがわかります。
そして、それは、エジプトの地から先祖が導き出されたときに与えられた契約、すなわち、モーセの契約とは違うということです。
モーセの契約、それは、律法に書かれています。

モーセの律法、その中心である十戒はどこにかかれましたか?
こう書いてあります。
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こうして主は、シナイ山でモーセと語り終えられたとき、あかしの板二枚、すなわち、神の指で書かれた石の板をモーセに授けられた。
出エジプト記31章18節
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そして、この契約の石板を入れる為に造られた、金で装飾した入れ物が、契約の箱です。

そして、律法の儀式は、全てこの契約の箱が中心になります。
また、出エジプトの後、荒野をさまよい、そして、カナンの地にいたるまで、つねに民は契約の箱と共に歩んだのです。
それは、御言葉と共に歩むということを、象徴しています。

この敬訳の箱は大変な力があったとされ、触れたものは死んでしまう。
あるときは、ふたを開けたら、たくさんの者が疫病で死んでしまったと書いてあります。
そのような箱は、アークとも言われますが、度々映画の題材にもなり、有名なところでは、インディージョーンズの映画にも出てきます。
失われたアークとして登場する箱は、なんとナチスがこれを兵器に使おうとしたというお話でした。

ところで、この契約の箱は一度だけ、敵の手におちます。
それは、ペリシテ人との戦いのときです。
イスラエルの民は、ペリシテ人との戦いで劣勢になります。
それで、契約の箱を持ち出すのです。
ところが、これを見たペリシテ人は、驚きますが、逆に、必死で戦います。
その結果、イスラエルは破れ、契約の箱も奪われてしまうのです。

契約の箱は、偶像の神殿におかれますが、その結果、偶像は破壊され、また、多くのものに、出来物が出来ます。
災いが及んだ為、ペリシテ人たちは、人の引かない牛に運ばせて、契約の箱をイスラエルに戻すという出来事が書かれています。
ここで、牛はイスラエルへの道を戻っていきました。
主ご自身がイスラエルへ戻られたのです。

ところで、私たちはここで、心に留めなければならない事があります。
彼らは、契約の箱を先頭にして出て行きました。
しかし、敗れたのです。
彼らは、御言葉を、自分の考えで用いようとしました。
しかし、御言葉は、私たちが従う為にあります。
私たちが、御言葉に従い、御言葉と共に歩むのであって、
自分のために御言葉を使うのではないのです。
私たちは、このことを間違わないようにしなければなりません。

さて、この契約の箱に入れられた石の板に書かれた言葉、それは、力がありました。
しかし、その石の板に書かれた契約は、欠けがあると書いてあるのです。

そのため、新しい契約を結ぶと主は言われます。
ふるい契約は石の板にかかれました。
しかし、新しい契約について、こう書いてあります。
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10 それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民と
なる。
11 また彼らが、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟に教えて、『主を知れ。』と言うことは決してない。小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるからである。
12 なぜなら、わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さないからである。」
ヘブル人への手紙8章10-12節
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皆さん当たり前の事だと思われるかも知れませんが細かく見てみましょう。

モーセの律法が、石の板や、紙に書かれていたのと違い、それは、心に書かれます。
そして、モーセの律法は、書かれたものを読んで教える必要があったのに対し、一人一人の心そのものに書きつけられます。
さらに、モーセの律法は、罪を規定するものでしたが、新しい契約は、罪を思い出さないと書いてあります。

その新しい契約は、愛と赦しの契約です。
この新しい契約によって、古いものは、すぎさりました。
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神が新しい契約と言われたときには、初めのものを古いとされたのです。年を経て古びたものは、すぐに消えて行きます。
ヘブル人への手紙8章13節
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それは、ただ、イエス様の贖いによって成し遂げられました。
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しかし今、キリストはさらにすぐれた務めを得られました。それは彼が、さらにすぐれた約束に基づいて制定された、さらにすぐれた契約の仲介者であるからです。
ヘブル人への手紙8章6節
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ところで、聖書の言葉は、あなたの心に書き付けられている。
と、いうと、では聖書を読まなくていいと考える方がおられるかもしれません。

しかし、そうではありません。
モーセの律法において、その板に書かれたものは10の戒めでした。
その中心は、神を愛し、隣人を愛するという戒めでした。
そのために、聖書の全てがあると言っても言いすぎではありません。

イエス様は言われました。
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37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
38 これがたいせつな第一の戒めです。
39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
40 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
マタイの福音書22章37-40節
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このことの実現の為に、聖書全体が書かれています。
石に書かれた二つの戒めを実現する為に聖書全体が必要なのです。

同じように、キリストの贖いによって、
互いに愛し合うという新しい戒めを刻まれたあなたの心は、聖書全体を栄養にして成長するのです。

ですから、あなたの心に書かれた戒めを、実現する為には、聖書を読むことは不可欠なのです。

ただ、大切なのは、あなたは、石の板に書かれた言葉をおこなう為に生きているのではないということです。
そうではなく、あなた自身の心にすでに神の命令は刻まれており、それにしたがって生きるのだということなのです。

その神の言葉、それはまた、イエス様ご自身です。
そして、この方について、ペテロはこういいます。
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あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。
ペテロの手紙第一1章23節
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あなたは、いける神の言葉、イエス様によって生まれ、そして、生かされており、そして、この方につながっているのです。

いま、私たちは、新しい契約の中にいます。
それは、石に書いた古い契約とは違います。

それは、愛の契約であり、赦しの契約であり、行いによらない恵みの契約です。
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10 それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民と
なる。
11 また彼らが、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟に教えて、『主を知れ。』と言うことは決してない。小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるからである。
12 なぜなら、わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さないからである。」
ヘブル人への手紙8章10-12節
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お祈りしましょう。


<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。 
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・フランクリングラハム大会の為に。

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シティーチャーチメッセージ20091115新しい契約
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