礼拝でのお話
テキスト版
画像がある場合は
クリックすると
表示されます
※携帯で表示できない
物もありますので
ご了承下さい
トップページへ





−−−−−−−−−−
シティーチャーチ
メッセージ20091108  
−−−−−−−−−−
永久に取り戻すため
−−−−−−−−−−

++++++++++
28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
++++++++++
++++++++++
12 主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに、戒められ、あなたのみおしえを教えられる、その人は。
13 わざわいの日に、あなたがその人に平安を賜わるからです。その間に、悪者のためには穴が掘られます。
14 まことに、主は、ご自分の民を見放さず、ご自分のものである民を、お見捨てになりません。
15 さばきは再び義に戻り、心の直ぐな人はみな、これに従うでしょう。
16 だれが、私のために、悪を行なう者に向かって立ち上がるのでしょうか。だれが、私のために、不法を行なう者に向かって堅く立つのでしょうか。
17 もしも主が私の助けでなかったなら、私のたましいはただちに沈黙のうちに住んだことでしょう。
18 もしも私が、「私の足はよろけています。」と言ったとすれば、主よ、あなたの恵みが私をささえてくださいますように。
19 私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。
詩篇94篇12-19節
++++++++++

<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、ご自身の血をもって私たちを買い取られた方。
私たちを贖い守り、導いて下さる方です。
この方を覚えて、御言葉を共に聞いて参りましょう。

まず、今週の聖書の通読箇所から見て行きましょう。
−−−−−−−−−−
聖書通読箇所
11月8日(日)[ ]エレ48-49 /[ ]テトス2
11月9日(月)[ ]エレ50 /[ ]テトス3
11月10日(火)[ ]エレ51 /[ ]ピレモン
11月11日(水)[ ]エレ52 /[ ]ヘブ1
11月12日(木)[ ]哀歌1-2 /[ ]ヘブ2
11月13日(金)[ ]哀歌3-5 /[ ]ヘブ3
11月14日(土)[ ]エゼ1-3 /[ ]ヘブ4
11月15日(日)[ ]エゼ4-7 /[ ]ヘブ5-6
−−−−−−−−−−
旧約聖書がエレミヤ書、エレミヤ哀歌、エゼキエルと続きます。
哀歌は、エルサレムが失われた悲しみを歌う歌です。
そして、ユダヤ人は今も、あの嘆きの壁の所で、この哀歌を唱えるといいます。
また、エゼキエル書。
このエゼキエル書で、エゼキエルは、霊の世界、神の栄光、天使たちの姿を見、そして書き留めています。
また、神の臨在が過ぎ去っていく様も、この中には書かれています。
是非皆さん。この箇所を読んでください。
新約聖書は、テトス、ピレモン、ヘブル書と続きます。
中でもヘブル書は、キリストの贖いと律法の捧げ物の関係などを解説してくれる非常に大切なところです。
是非お読み下さい。
ピレモンについては、お話の中で見て参りましょう。
では、本日は、ピレモンへの手紙を開きます。
ピレモンへの手紙
−−−−−−−−−−
【 聖書箇所 】 ピレモンへの手紙 7-21節
・新改訳Up387(贈呈p337英対p640)
・新改訳Vp422英対p469(贈呈p384)・口語訳p341
・新共同訳p399 (贈呈p399英対p592)
−−−−−−−−−−
では、司会者お読み下さい。
++++++++++
ピレモンへの手紙 7-21節
1:7 私はあなたの愛から多くの喜びと慰めとを受けました。それは、聖徒たちの心が、兄弟よ、あなたによって力づけられたからです。
1:8 私は、あなたのなすべきことを、キリストにあって少しもはばからず命じることができるのですが、こういうわけですから、
1:9 むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。年老いて、今はまたキリスト・イエスの囚人となっている私パウロが、
1:10 獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。
1:11 彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。
1:12 そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。
1:13 私は、彼を私のところにとどめておき、福音のために獄中にいる間、あなたに代わって私のために仕えてもらいたいとも考えましたが、
1:14 あなたの同意なしには何一つすまいと思いました。それは、あなたがしてくれる親切は強制されてではなく、自発的でなければいけないからです。
1:15 彼がしばらくの間あなたから離されたのは、たぶん、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう。
1:16 もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、愛する兄弟としてです。特に私にとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、肉においても主にあっても、そうではありませんか。
1:17 ですから、もしあなたが私を親しい友と思うなら、私を迎えるように彼を迎えてやってください。
1:18 もし彼があなたに対して損害をかけたか、負債を負っているのでしたら、その請求は私にしてください。
1:19 この手紙は私の自筆です。私がそれを支払います。――あなたが今のようになれたのもまた、私によるのですが、そのことについては何も言いません。――
1:20 そうです。兄弟よ。私は、主にあって、あなたから益を受けたいのです。私の心をキリストにあって、元気づけてください。
1:21 私はあなたの従順を確信して、あなたにこの手紙を書きました。私の言う以上のことをしてくださるあなたであると、知っているからです。
++++++++++
では、主題聖句をいいましょう。
++++++++++
【 主題聖句 】
彼がしばらくの間あなたから離されたのは、たぶん、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう。
ピレモンへの手紙 15節
++++++++++
では、この所から。
「永久に取り戻すため」
と題しまして、御言葉を見てまいりましょう。

さて、実は今週、母教会の兄弟が天に召されました。
何人かの方は、ご存知の兄弟です。
私にとっては、私が教会に行き始めた頃から居られた方で、非常に落ち着いた信仰を持ち、
影に日向にと教会を支えてこられた方です。

50代の後半で、まだまだこれからと言う時でしたし、私も、兄弟の所に行き、病の癒しの為にお祈りしました。
母教会の浜本先生も、何度も足を運んでお祈りしておられたようです。
それだけに、なんともいえない悲しみがありました。

しかし、それでも、私たちには、天国で再会できるという希望があります。
この希望がいかに大きな物であるかということも、今回また、教えられました。
私たちの国籍は天にあります。
そして、この天で私たちの愛する主とお会いするのです。
この大きな希望を覚えて私たちは歩ませて頂きましょう。

希望といえば、そろそろ、クリスマスのシーズンが近づきました。
今年は、ディズニーが、ディケンズの「クリスマスキャロル」を映画化するということで、話題になっています。
私など、広告を見て早とちりして、DVDが出たものと思い、書店に注文の電話をしてしまいました。

今年のクリスマス。一つ楽しみが増えました。
このクリスマスキャロルは、イエス様の登場しないクリスマスのお話です。
しかし、その中には、クリスマスの心、つまり、主イエス・キリスト様をお与えになった神の愛が語られています。
小説ですので、聖書の内容からは外れるところがありますが、美しいお話です。
もし、出来ればごらんになればと思います。

このクリスマスキャロルにもある神様の愛、神様はその愛のゆえにイエス様をお与えになりました。
++++++++++
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
++++++++++
そして、それは、御子を信じるものが、永遠の命を持つ為だと書いてあります。
これが、クリスマスの意味です。

では、それは、どのように実現するのですか?
イエス様は何をして下さるのですか?
++++++++++
人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」
マルコの福音書10章45節
++++++++++
イエス様は、私たちの為に、贖いの代価として、ご自分の命を与えて下さいました。
イエス様は、私たちの罪の贖い、私たちの罪の身代わりとなって、十字架で死んで下さったのです。

そして、それを信じるものは、さばかれません。
++++++++++
御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。
ヨハネの福音書3章18節
++++++++++
信じるものは永遠の命を持つのです。
++++++++++
御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
ヨハネの福音書3章36節
++++++++++
皆さん、こんなことは、教会に来ておられる皆さんにとって当たり前の事です。

そして、ガラテヤ人への手紙にはこう書いてあります。
++++++++++
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の
御子を信じる信仰によっているのです。
ガラテヤ人への手紙2章20節
++++++++++
皆さん。
私たちは、十字架に付けられました。
そして、キリストが内に生きておられ、信仰によって生かされているのです。
ですから、実は、イエス様を信じたものの人生は、その人の人生ではありません。
イエス様の人生なのです。

あなたは、キリストにあって生かされ歩まされているのです。

さて、今回の聖書箇所は、ピレモンへの手紙です。
先ほど見て頂きましたが、ピレモンへの手紙は章の分かれていない手紙です。
聖書の意地悪クイズで、ユダの手紙の2章1節には何がかかれているかというものがありました。
ユダの手紙も、一章しかありません。
新約聖書の中で、このピレモンへの手紙と、ヨハネの手紙の第二第三、そして、ユダの手紙は、章が分かれていない手紙です。
しかし、そのような短い手紙がわざわざ聖書の中に残されている。
そこに、神様のご計画があります。
とくに、今回のピレモンへの手紙は、非常に個人的な手紙です。

パウロが、友人であるピレモンへ送ったのが、この手紙です。
これは、中を読むと、オネシモという、もともと、ピレモンの奴隷であった人物の事が書かれているとわかります。
オネシモは逃亡した奴隷でした。

当時、逃亡した奴隷は、死罪になることもありました。
そのようなオネシモと、パウロは獄中で出会うのです。
そして、このオネシモの負債をパウロが負うということで、ピレモンに対しオネシモをとりなしているのです。
それだけでなく、悔い改めたオネシモが、ピレモンの所に戻り、和解することが出来るようにとしているのです。

これは、何でしょうか?
それは、キリストの贖いの型です。

そして、重要な事としては、この赦しの先に和解があるということです。

聖書はいいます。
++++++++++
お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
エペソ人への手紙4章32節

互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
コロサイ人への手紙3章13節
++++++++++
主は私たちに赦しあうようにといわれます。
教会の中でも、裁きあうということがおこります。

教会の中で、律法や、聖書にある高い道徳的基準で人を裁く事が起こってしまいます。
しかし、聖書は、裁くなら裁かれると言います。

私たちは、聖書の教えによって、人を教え勧め導く事が大切です。
しかし、互いを裁く事は出来ないのです。

パウロは、コリント人への手紙第二の中で罪を犯した人について、こうも書いています。
++++++++++
6 その人にとっては、すでに多数の人から受けたあの処罰で十分ですから、
7 あなたがたは、むしろ、その人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。
8 そこで私は、その人に対する愛を確認することを、あなたがたに勧めます。
9 私が手紙を書いたのは、あなたがたがすべてのことにおいて従順であるかどうかをためすためであったのです。
10 もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。
11 これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。
コリント人への手紙第二2章6-11節
++++++++++
赦すということが具体的に、ここに書いてあります。
この中で、11節に注目します。

このことは、敵に欺かれない為でもあります。
わたしたちが、互いにいがみ合っているなら、それは、サタンの思惑通りです。

しかし、私たちが赦しあい、そして、ささえあって行く時、聖霊様が注がれます。
そして、神の恵みが注がれます。

わたしたちは、互いに納得のいかないことがあります。
どうしてあの人はこのことが出来ないのだとか、あの人はこのことでもっと砕かれなければならないとか。
しかし、そのように裁く心。
人が砕かれなければならないと考える心、そのように人を裁く自分を裁かれるのです。
わたしも、先日、祈りの中で、そのような思いを示されました。

あの人が悔いらためなければならない。
あのひとが悔い改めなければならないと考えるなら、そこで、私たちは砕かれるのです。

なんとかしてあの人を助けようとされる、悔い改めへと導こうとされる神様の愛。
その愛によって互いを見て赦す。
それが、神様のみこころです。

さて、ピレモンへの手紙に戻りますが、
++++++++++
15 彼がしばらくの間あなたから離されたのは、たぶん、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう。
16 もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、愛する兄弟としてです。特に私にとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、肉においても主にあっても、そうではありませんか。
17 ですから、もしあなたが私を親しい友と思うなら、私を迎えるように彼を迎えてやってください。
ピレモンへの手紙1章15-17節
++++++++++
この和解は、ピレモンが、オネシモを本当に取り戻す為であったとパウロはいいます。

この和解は、私達と、神様の和解の型でもあります。
私たちが、キリストのあがないによって神様のもとへ戻るとき、本当の意味で、神様の愛を知るのです。

ピレモンにとって、オネシモは、自分の所を逃亡した奴隷です。
とんでもない者、赦せないもの。しかし、そこにパウロは、和解をすすめるのです。

とんでもない、赦せない私たちを、神様は赦してくださいました。
その愛によって、律法で自分を示すのでなく、
真実の愛によって、私たちは、神様と結ばれるものとなるのです。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

−−−−−−−−−−
シティーチャーチメッセージ20091108 永久に取り戻すため
−−−−−−−−−−






INDEX
TOP