礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20091011
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へりくだって
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、神であられたのに、私たちとの和解のために、
へりくだってくださった方。
罪あるもののために、十字架で死んで下さった方。
愛と恵みに満ちた方です。
この方を覚えて、御言葉を共に聞いて参りましょう。

さて、いつものように、聖書の通読箇所を見てまいりましょう。
今週の通読箇所は、
旧約聖書がイザヤ書
新約聖書がエペソ、ピリピ、コロサイと続きます。

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聖書通読箇所
10月11日(日)[ ]イザ43-44 /[ ]エペ6
10月12日(月)[ ]イザ45-47 /[ ]ピリ1
10月13日(火)[ ]イザ48-49 /[ ]ピリ2
10月14日(水)[ ]イザ50-52 /[ ]ピリ3
10月15日(木)[ ]イザ53-55 /[ ]ピリ4
10月16日(金)[ ]イザ56-58 /[ ]コロ1
10月17日(土)[ ]イザ59-61 /[ ]コロ2
10月18日(日)[ ]イザ62-64 /[ ]コロ3
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イザヤ書も、今週と来週で終わりです。
66章もある預言書ですが、非常に大切なところです。

新約聖書はお話の中で見てまいりましょう。

では、聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、ピリピ人への手紙です。
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【 聖書箇所 】ピリピ人への手紙2章1-14節
・新改訳Up351(贈呈p306英対p585)
・新改訳Vp374英対p427(贈呈p349)・口語訳p309
・新共同訳p362 (贈呈p362英対p543)
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では司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
ピリピ人への手紙2章1-14節
2:1 こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
2:2 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。
2:3 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
2:4 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。
2:5 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。
2:6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
2:9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
2:10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
2:11 すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
2:12 そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いを達成してください。
2:13 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。
2:14 すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
ピリピ人への手紙2章3節
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では、この所から、
「へりくだって」
と題して、御言葉を共に見て参りましょう。

さて、先日、大阪城にいって参りました。
家内の父、母、そして、叔母を案内して行ったのですが、大変立派な天守閣でした。
とはいえ、これは、豊臣秀吉が築いたものからすると、三代目ということでした。
当時の資料など見ますと、天守閣だけでなく、周囲に多くの建物を持った壮大な城であった事が伺えます。

この大阪城、わたしたちの住む牧野にある 片埜神社は、千年以上の歴史があると言われますが、この大阪城の鬼門よけの為に再興されたそうです。
大阪城のある場所も主のものであるとお祈りをしてまいりました。

ちょうど、こんどのフランクリングラハム大会のある大阪城ホールも下に見えました。

ところで、この城を作った豊臣秀吉は、皆さんご存知のとおり、足軽から出世した人です。

織田信長の下、知恵と才覚にすぐれていながら、腰の低く、頭も低いこの人物は、さまざまな力を吸収して上り詰めて行きました。

信長亡き後、最大の実力者、実際に秀吉が戦をしても勝てなかった家康でさえ、
自分の妹を差し出し、母も人質に与えるほどの、自分を低くした彼の策に呑まれ、家臣となったのです。

もちろん、これが、聖書の教えるへりくだりではありません。
しかし、上に立とうとするものは、皆に仕えるものとなれと言われたイエス様の教えを思い出さされます。
そして、へりくだって行動した神を知らない人物でさえこのようになったとすれば、
神をしり、神の御言葉を実践するとき、神様はどれだけ素晴らしい事をあなたにして下さるでしょうか?

今回のテーマはこのへりくだるということです。
私たちにとって、へりくだると言うことは、難しいものです。

多くの人間関係で悩まれる方、精神的な問題を抱えた方の心の中には、強い自我、高慢があります。

ですから、イエス様は言われます。
これは、良くおよみするところですが、こう書いてあります。

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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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私のところに来なさい。
やすませてあげます。
ここまでは、多くの人が、アーメン。といいます。
しかし、この続きの、わたしは、心優しくへりくだっているから、
というところを、無視してしまいます。

しかし、このことが、本当は大切なのです。

もし、へりくだることが出来るなら、人は自分の心の問題から開放される事が出来ます。

ところが、私たちは、へりくだることが出来ません。

あるかたは、いわれます。
へりくだったら、自分がなくなってしまう。
へりくだったら、自分がつぶされてしまう。
へりくだると、自分が死んでしまう。

このように言われる事は一面正しいかもしれません。
へりくだるということは、自分を無にすることです。

ここで、今回の聖書箇所にもどります。
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6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
ピリピ人への手紙2章6節
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これが、イエス様の姿です。
イエス様は、わたしたちのためにご自分を無にされました。

その結果どうなりましたか?
神は、この方を高く上げて、全てに勝る名をおあたえになったのです。

結局のところ、へりくだることが出来ないのは何か、
その一つの原因には、神が守って下さると信じることの出来ない不信仰があります。

人は、その不信仰のため、神に信頼することの出来ないために、
自分でなんとかしようとし、そして意地をはり、虚栄をはり、そして心の中で苦しむのです。

へりくだることの祝福については、ペテロの手紙第一にこうかいてあります。
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5 同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。
6 ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。
7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
ペテロの手紙第一5章5-7節
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へりくだるとき、主は、わたしたちを丁度良いときに高くして下さいます。

いま、自分が低くされているとおもうなら、それは、まだ、丁度良いときではないからです。
しかし、神の時が来ます。

この箇所をもう少し広く見るとこう書いてあります。
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3 あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。
4 そうすれば、大牧者が現われるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。
5 同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。
6 ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。
7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
ペテロの手紙第一5章3-7節
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ここで、群れの模範すなわち、上に立つものに必要なことはなにですか?
それは、へりくだり、皆に仕えるものとなることです。

ところが、そのものに、主は栄光の冠をあたえて下さるのです。

皆さん。これが、神様のなさりかたです。
ですから、あなたが、自分で自分を守ろうと一生懸命頑張っておられるなら、
確かに地上では何かを得るかも知れないけれど、人間関係にギクシャクし、最後、永遠の実を得ることが出来ません。

永遠の実をえるのは、ただ、へりくだり、神に従うことです。

自分の考えがあるとき、さまざまな状況の中で、それが曲がってしまうように感じる事があります。

どれだけ耐えれるだろうか?
しかし、神様の御心は、あなたの思いが折れてしまうことです。

あなたが、しなやかにまがって、従っているふりをし、事が過ぎ去ったら、またまっすぐに立ってしまうのではなく、
完全に折れてへりくだることです。

そして、そのように神の前にへりくだったものを、神は高くしてくださるのです。
ところで、このことが、次の御言葉に続くことを注意して下さい。

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8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。
ペテロの手紙第一5章8-9節
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ここで、ペテロは、悪魔との戦いについて語るのです。

このことに関連して、ヤコブの手紙を見てみましょう。
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5 それとも、「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる。」という聖書のことばが、無意味だと思うのですか。
6 しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」
7 ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
ヤコブの手紙4章5-7節
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ここで、主は、へりくだるものを高くされると書いてあります。

ところが、そのつづきに、悪魔に立ち向かいなさいとあるのです。

皆さん。へりくだることは、悪魔との戦い、霊のたたかいなのです。
なぜですか?
悪魔は、自らの高慢のため、天から追い出されたのです。
そして、人間をおなじところに引き込もうとしているのです。
ですから、わたしたちは、このことを知っておきましょう。

私たちの、戦いはどのような戦いですか?
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私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
エペソ人への手紙6章12節
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こうかいてあります。

しかし、この悪魔とのたたかいとはなにか。
それは、私たちが、へりくだり、神に従うと言う戦いなのです。

また、なにもかも人間がやっていこうとする。
そして、神から離れてしまったわたしたちが、
イエス様の十字架のゆえに、神の愛をしり、神に立ち返り、神の元にへりくだる。
これが、霊の戦いなのです。

ですから、悪魔は、さまざまに、あなたに対して攻撃します。

へりくだるなんて めめしい。
へりくだるなんて、よわよわしい。
へりくだるなんて、結局、自分がだめなだけだ、、。

あなたを落ち込ませ、神様から引き離し、自分でなんとかしようとさせ、そして、挙句には行き詰らせて、つぶそうとしているのです。

しかし、こうかいてあります。
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7 ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
8 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。
9 あなたがたは、苦しみなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。
10 主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。
ヤコブの手紙4章7-10節
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悪魔に立ち向かう。それは、神に近づくことと 一つです。
そして、主の前でへりくだる。

しかし、もう一度考えます。
なぜ、へりくだることが出来ないのですか?

それは、安心して神様におまかせ出来ていないからです。

これは、子どもを台の上にのせて、飛んでおいでと手招きする父親に似ています。
子どもは、お父さんに向かって飛びますが、それは、お父さんを信頼しているからです。
ところが、私たちは、神様を信頼できず、神様の言葉に従えないのです。

では、どうすればそれが出来ますか?

よくここで、十字架を見ることだといわれたりします。
では、十字架は何をしめしていますか?

それは、神の愛と恵み赦しが無限であることを教えています。
十字架は、父なる神の愛が完全であることを教えています。
神の恵みの大きさを教えています。
その赦しが無限であることを教えています。

あなたは、完全な神の愛の中にいるのです。
ですからへりくだりましょう。
そして、主の前にひざをかがめて礼拝し、主にあってことをなせて頂くのです。
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10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
11 すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
12 そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いを達成してください。
13 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。
14 すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。
ピリピ人への手紙2章10-14節
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主は、あなたを通して働かれます。
主につながって、わたしたちは、豊かな実を結ぶのです。

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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20091011へりくだって
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