礼拝でのお話
テキスト版
画像がある場合は
クリックすると
表示されます
※携帯で表示できない
物もありますので
ご了承下さい
トップページへ





−−−−−−−−−−
シティーチャーチ
メッセージ20090920
−−−−−−−−−−
今は救いの日
−−−−−−−−−−

++++++++++
28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
++++++++++

<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、全知全能なる方。創造主。
そして、私たちと共におられる方、私たちの内に住まれる方です。
この方を覚えて、御言葉を共に聞いて参りましょう。

さて、昨日は、VIP京阪がありました。
西という植物学の学者さんが来て下さり、植物について話して下さいました。
それを食べると、すっぱいものが甘くなる実や、水が甘くなる実、甘さを感じなくなる実。
砂漠にある植物の話など、興味の尽きないお話でした。
しかし、その植物の多様性、それは、神様の創造によるのだとお話して下さいました。

私たちの信じる主は、深く広い知恵をお持ちの方です。
そして、さまざまな植物を作って下さいました。
私たちは、神様から用意された世界の中に生かされているのです。
本当に感謝な事です。

今回は、シティーチャーチ牧野から、田崎姉、井辻姉も参加して下さいました。
この恵みに共に与れたことを感謝します。

さて、では、いつものように、聖書の通読箇所から見てまいりましょう。

今週の聖書の通読箇所は、
−−−−−−−−−−
聖書通読箇所
9月20日(日)[ ]箴言29-31 /[ ]Uコリ4
9月21日(月)[ ]伝1-3 /[ ]Uコリ5
9月22日(火)[ ]伝4-7 /[ ]Uコリ6
9月23日(水)[ ]伝8-12 /[ ]Uコリ7
9月24日(木)[ ]雅歌1-4 /[ ]Uコリ8
9月25日(金)[ ]雅歌5-8 /[ ]Uコリ9
9月26日(土)[ ]イザ1-2 /[ ]Uコリ10
9月27日(日)[ ]イザ3-5 /[ ]Uコリ11
−−−−−−−−−−
旧約聖書が箴言から、伝道者の書、雅歌、イザヤ書と続きます。

この箴言、伝道者の書、そして、雅歌は、ダビデの子ソロモンの作だと言われます。
そのことには、学問上、異論を唱える人もいますが、どちらにしても、これらの文章は大変素晴らしいものです。
また、イザヤ書は、聖書の中の聖書と言われるところです。
これらのところを是非お読み下さい。

そして、新約聖書は、コリント人への手紙第二です。
こちらは、お話の中で見てまいりましょう。

さて、では、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、コリント人への手紙第二6章です。
−−−−−−−−−−
【 聖書箇所 】コリント人への手紙第二6章1-18節
・新改訳Up321(贈呈p281英対p537)
・新改訳Vp351英対p391(贈呈p321)・口語訳p283
・新共同訳p331 (贈呈p331英対p499)
−−−−−−−−−−
では、司会者お願いします。

++++++++++
【 聖書箇所のテキスト 】
コリント人への手紙第二6章1-18節
6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
6:3 私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、
6:4 あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、
6:5 また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、
6:6 また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、
6:7 真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、
6:8 また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、
6:9 人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、
6:10 悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。
6:11 コリントの人たち。私たちはあなたがたに包み隠すことなく話しました。私たちの心は広く開かれています。
6:12 あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです。
6:13 私は自分の子どもに対するように言います。それに報いて、あなたがたのほうでも心を広くしてください。
6:14 不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。
6:15 キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。
6:16 神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
6:17 それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、
6:18 わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」
++++++++++
では、主題聖句を言いましょう。
++++++++++
【 主題聖句 】
わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
コリント人への手紙第二6章16節
++++++++++
では、この所から、
「今は救いの日」
と題しまして、御言葉を聞いて参りましょう。

さて、コリント人への手紙。
コリントは、いまのギリシャにある、当時、非常に栄えた町でした。

この町でのパウロの伝道は、使徒の働きの中にも書いてあります。
++++++++++
その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。
使徒の働き18章1節
++++++++++
そして、彼は、ユダヤ人とギリシャ人を承服させようと、御言葉を語ります。
その結果、
++++++++++
会堂管理者クリスポは、一家をあげて主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。
使徒の働き18章8節
++++++++++
と、書いてあります。
この箇所は、口語訳ですと、
「パウロの話を聞いて信じ、ぞくぞくとバプテスマを受けた。」
となっています。
ぞくぞくと多くの人が信じた。
今の日本においても、このことが起こると皆さん信じますか?

主が日本を哀れんで、素晴らしいことをして下さると信じましょう。
また、その為に祈りましょう。

さて、このコリントへの手紙第二ですが、今回の聖書の箇所に入る前に、二章を少し見たいと思います。
++++++++++
1 そこで私は、あなたがたを悲しませることになるような訪問は二度とくり返すまいと決心したのです。
2 もし私があなたがたを悲しませているのなら、私が悲しませているその人以外に、だれが私を喜ばせてくれるでしょうか。
3 あのような手紙を書いたのは、私が行くときには、私に喜びを与えてくれるはずの人たちから悲しみを与えられたくないからでした。それは、私の喜びがあなたがたすべての喜びであることを、あなたがたすべて
について確信しているからです。
コリント人への手紙第二 2章1-3節
++++++++++
パウロは、コリント人への手紙の第一を書きました。そして、訪問もしています。
しかし、コリントの教会の問題はなかなか解決しなかったようでうす。

しかしここに、取り戻された、パウロと、コリントの教会との関係が伺えます。
パウロの喜びが、彼らの喜びであると信じることの出来るパウロとコリントの教会との関係があったということです。
そして、彼らの悲しみは、パウロの悲しみ、彼らの喜びはパウロの喜びであったのです。
このように親しみを込めて書くことが出来るのは、コリントの教会の中に、悔い改めが見られたからです。

そのような中で、今回の聖書箇所へと入ります。
最初にこう書いてあります。
++++++++++
私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
コリント人への手紙6章1節
++++++++++
パウロは、神の恵みをむだに受けないようにと 懇願しています。

懇願とは、誠意を込めて頼むことだ辞書にのっていますが、この懇願という言葉が、5章にも出てきます。
++++++++++
19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。
20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。
21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。
コリント人への手紙第二5章19-21節
++++++++++
この箇所をよく見てください。

誰が懇願しているようだと書いてありますか?
神様です。
そして、キリストに代わって願います。
と、書いてあります。

神様が懇願しておられ、イエス様が願っておられる。

何を願っておられるのですか?何を懇願しておられるのですか?
和解です。
神の和解を受け入れなさいと書いてあります。

その前に、19節で、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解の言葉をゆだねられたと書いてあります。
そのことをなされたのは誰ですか?
神様が、キリストにあってなされたのです。
神様は、この世とご自分を、イエス様によって和解させられました。

一つ覚えて置いて下さい。
私たちのための救いのご計画をなされたのは、父なる神様です。
イエス様が、父なる神様にたのんで私たちを助けて下さったのではありません。
また、旧約の神様は、裁きの神様で、新約聖書の神様が、厳しい神様なのでもありません。
神様は、初めから愛の神様です。

そして、その神様は深い愛のゆえに、私たちとの和解を望んでおられます。
それは、21節にあるように、私たちの変わりに罪の無い方を罪とし、義とするということです。

このイエス様の御業によって私たちは、義とされ、神様の前に出ることが出来る。
これは、和解の言葉です。そして、その和解は、信じたければ信じろと置いてあるのではありません。

神様は、この和解、すなわち、救いを、懇願しながら差し出しておられる。イエス様も、それを受け入れるように願っておられるのです。
イエス様をおあたえになるほどの和解。それが、神の和解です。

皆さん。これが、神様の立場です。
なんとへりくだった、なんという深い愛でしょう。
この愛によって、私たちは救われたのです。

ですから、この道にあっては、イエス様は言われるのです。
++++++++++
しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
マルコの福音書10章43節
++++++++++
イエス様は、上に立つものは、みなに仕えるのだといわれます。
しかし、その前に、私たちの前に、へりくだり、頭をさげておられるイエス様が、そして、父なる神様がおられるのです。

主は、私たちが救われるようにと懇願しておられます。
お前たちなどいらないと言われても仕方のない罪人を、敵対していたときに頭をさげるように懇願し、救って下さったのです。
これが、神の愛です。
そして、この愛によって、私たちは、救われ生かされているのです。
そのような恵みによって救われているからこそ、パウロはいうのです。
++++++++++
1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
コリント人への手紙第二6章1-2節
++++++++++
神の恵みをむだに受けないようにしてください。
神様は、多くの恵みを与えて下さっておられます。
ここで、一番大切なのは、救いという恵みです。
しかし、それ以外にも、信じたものに主は多くの恵みを注いでおられます。

今年の聖句として、
「あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。」
と、カレンダーに書きました。
しかし、私たちは、本当に口を開いて神様に求めているでしょうか?
神様が与えて下さるのに、口を閉じて、横にこぼしていないでしょうか?
神様からの恵みをしっかりと受け止めましょう。

パウロ自身も、恵みによって自分があるのだと言います。
++++++++++
ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みで
す。
コリント人への手紙第一15章10節
++++++++++
彼の働きは、神様の恵みをしっかりと受け止めた結果だったのです。

そしてまた、この恵みは、パウロの立派さではなく、弱さの中に働いたのです。
++++++++++
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜
んで私の弱さを誇りましょう。
コリント人への手紙第二 12章9節
++++++++++
エペソ人への手紙のこの箇所はよく見るところです。
++++++++++
8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
10 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。
エペソ人への手紙2章8-10節
++++++++++
この中で、これは救いについてですが、行いによるのではない、誇らないためだとあります。
この続きを見ると、良い行いをも主が備えておられると書いてあります。
これらを読むと、わたしたちは、ますます、自分の行いについて、誇ることが出来ないのではないでしょうか。

さて、そのような、恵みによって導かれたパウロは、その恵みの中で何をしたのでしょう。
++++++++++
3 私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、
4 あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、
5 また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、
6 また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、
7 真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、
8 また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、
9 人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、
10 悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。
コリント人への手紙第二6章3-10節
++++++++++
これが、パウロが恵みによってなした事柄です。
なんという力強さ、なんと能動的な生き方でしょう。

皆さん。恵みによるときくと、何もしないことだと勘違いする方がおられます。
自然に何かおこるのだと感じる方もおられます。

恵みの中、導きの中、すいすいと進んでいくのだと思う人もあるかもしれません。
しかし、パウロのこの歩みは、間違いなく恵みによります。
そして、その恵みが困難に打ち勝たせ、そして、神の目的が成し遂げられていったのです。

このパウロの困難な歩み。このことは何によって成し遂げられたのですか?
それは、恵みによりました。
そして、それはすなわち、キリストと一つであることによります。

ですから、ここで、パウロは、このことを問題にします。
++++++++++
14 不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。
15 キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。
コリント人への手紙第二6章14-15節
++++++++++
不信者とのつりあわぬくびき、そう聞いて、私たちは、結婚の問題や、罪の問題を考えます。

それもまた、大切な事柄です。
しかし、私たちは、何と一つになって行動しているかが重要なのです。

キリストと一つであるのかどうか。

そして、私たちがキリストと一つであること、神と和解していること、
それを、キリストと父なる神様が願っておられるのです。

主は、今が救いの時だと言われます。
私たちが、本当に主と一つとなり、この救いを広げることが出来るように、多くの人が救われるように。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

−−−−−−−−−−
シティーチャーチメッセージ20090920 今は救いの日
−−−−−−−−−−







INDEX
TOP