礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20090913   
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死への勝利
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちの身代わりに十字架で死に、蘇られ、勝利を取られ、
信じる私たちに、勝利を与えて下さいました。
この主を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

さて、いつものように、聖書の通読箇所から見てまいりましょう。
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9月13日(日)[ ]箴言7-9 /[ ]Tコリ15:1-19
9月14日(月)[ ]箴言10-12 /[ ]Tコリ15:20-34
9月15日(火)[ ]箴言13-15 /[ ]Tコリ15:35-58
9月16日(水)[ ]箴言16-18 /[ ]Tコリ16
9月17日(木)[ ]箴言19-21 /[ ]Uコリ1
9月18日(金)[ ]箴言22-24 /[ ]Uコリ2
9月19日(土)[ ]箴言25-28 /[ ]Uコリ3
9月20日(日)[ ]箴言29-31 /[ ]Uコリ4
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旧約聖書は、箴言
新約聖書がコリント人への手紙第一が終わり、第二に入ります。
さて、この箴言は、31章あり、そのため、一日に一生読むと、一ヶ月で読めることから、毎日箴言を読まれる方もあるようです。
その最後の31章には、良い妻について、書かれていますが、これはまた、成長した教会の姿でもあります。
そのような教会として、成長して参りたいと思います。
新約聖書は、コリント人への手紙第一から第二ですが、こちらは、お話の中で見て参りましょう。

では、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、コリント人への手紙第一15章です。
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【 聖書箇所 】コリント人への手紙第一15章45-58節
・新改訳Up313(贈呈p274英対p523)
・新改訳Vp342英対p381(贈呈p312)・口語訳p276
・新共同訳p322 (贈呈p322英対p487)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
15:45 聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。
15:46 最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。
15:47 第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。
15:48 土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。
15:49 私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。
15:50 兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。
15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
15:53 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
15:57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
15:58 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。
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では、続いて、主題聖句をいいましょう。
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【 主題聖句 】
堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。
コリント人への手紙第一15章58節
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では、これらの所から、
「死への勝利」と題しまして、御言葉をみて参りたいと思います。

ずっと見て来たコリント人への手紙ですが、この第一の手紙は、エペソで書かれた事が、16章をみると書いてあります。
パウロが、エペソに滞在中に、かって伝道をした、コリントの教会へその問題の解決のために送った手紙です。
また、第二の手紙は、マケドニアに滞在中のパウロが、コリントへ送った手紙であると言われます。

このコリント人への手紙の中には、異邦人のクリスチャンにおこる問題への対処が書かれています。
コリントという町は、非常に貿易で栄えた町でしたが、同時に、非常に風紀の乱れた土地でもありました。
その地にパウロは福音を伝えました。

いまの日本、さまざまな罪がいっぱいで、乱れていると感じられる方も多いでしょう。
しかし、その日本のような地にパウロは伝道し、そして、教会が出来たのです。

この牧野も、隣のビルは、居酒屋とカラオケとインターネットカフェと言う、レジャービルになってしまいましたし、
決して風紀は良いといえないかも知れませんが、主は、この地を愛するがゆえに、この駅のすぐそばに、三つもの教会をおいておられます。
主に感謝します。この地のためにいのり、福音を伝えさせていただきましょう。

さて、そのコリントに書かれた手紙の第一、今回の聖書箇所を見てみましょう。

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45 聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。
46 最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。
47 第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。
48 土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。
49 私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。
コリント人への手紙第一15章45-49節
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この中で、アダムについて、まず書かれています。

最初の人アダム。
彼は、神様が創ってくださって、生きる者となりました。
しかし、それは、血肉によって出来たもの、地のちりから造られて土にかえるものでした。

ところが、第二の者は、血肉のものではないと聖書はいいます。

第二のものすなわち、イエス様は、血肉のものではありません。
それは、御霊のものなのです。

パウロは、地から出て、土でつくられた第一の人アダムと、天から出たイエス様を比較します。

そして、人には二種類あることが書かれています。
土で作られた者と天からの者です。

ここでいう、天からの者とは、土で作られたのとは違うものです。
それは、御霊によって作られた者です。

イエス様は言われました。
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イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
ヨハネの福音書3章5-6節
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御霊によるものでなければ、神の国に入る事は出来ないのです。
では、それはどんなものですか?
テトスへの手紙にこう書いてあります。
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3 私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。
4 しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、
5 神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。
6 神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。
テトスへの手紙3章3-6節
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神は、私たちに、イエス様によって聖霊様を注いで下さったのです。


そして、ヨハネの手紙第一にはこう書いてあります。
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イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します。
ヨハネの手紙第一5章1節
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イエス様を信じるものは、神様によって生まれたのです。


その信じたものに対して、主は言われます。
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15:50 兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
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最初のところで、天からのものとか御霊のものとかいいますと、わたしはそんなと思う方がおられるかもしれません。
しかし、いままで見たことからわかるように、天からの者、御霊のものとは、イエス様を信じたものです。
そして、今、イエス様を信じ、聖霊様を受けた私たちは、すでに、朽ちないものとなっているのです。

ところで、その朽ちないものはどこから来たでしょうか?
ペテロの手紙第一にはこう書いてあります。
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23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。
24 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
25 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。
ペテロの手紙第一1章23-25節
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それは、神の言葉、福音の言葉です。
その朽ちない種から、私たちは生まれたのです。

ですから、この神の言葉、福音は、永遠の命を得させる種なのです。
私たちの主の言葉は、変わることのない命の種です。

皆さん。この福音を、しっかりと受け止めましょう。
また、この福音を宣べ伝えましょう。

そのように、朽ちないものとなった私たちに対し、聖書はいいます。
主の来臨の時に、一体何がおこるのかです。
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15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。
15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
15:53 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
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私たちは、新しい朽ちないものを着せられ、命へと変えられるのです。

私たちは、この永遠の命を与えられたものとして、教会へ集っています。
皆さん。私たちは、この永遠の命を受けているのです。
そして、やがて、イエス様のこられるラッパの音が聞こえてきます。
そのラッパの音は、イスラエルの召集ラッパのような、銀のラッパや、金のラッパでしょうか?
それとも、ショーファール(角笛)でしょうか?

どちらにしても、やがて、そのときは来るのです。

さて、ここで、死は勝利にのまれたと書いてあります。
ヘブル人への手紙にはこう書いてあります。
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14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、
15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。
ヘブル人への手紙2章14-15節
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悪魔という死の力を持つものを滅ぼし、私たち、死の恐怖の奴隷であったものを開放して下さったのです。

最近、悪魔について美化したようなドラマや映画を見ます。
しかし、どんなに良い事をしているようでも、悪魔は、死の力を持つもの、また、人類を滅ぼそうとするものです。

ところで、死とはなんでしょう。
私たちは、この肉体が滅び、この肉の人生が終わることを死だと考えます。
もちろんそれは間違っていません。

しかし、その意味をもう少し詳しく知るために、ヘブル人への手紙を見ましょう。
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まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。
ヘブル人への手紙9章14節
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ここで、死んだ行いと書いてあります。
死んだものが行うんですか?
そうです。
イエス様を信じていないものは、死んでいると聖書はいうのです。

イエス様を信じないものは、生きているように見えても、その存在は、神の前で死んでいるのです。
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まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
ヨハネの手紙5章24節
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これは、単に、やがて来る永遠の命と、死をいってるだけではありません。

死から、命に移っている。
つまり、命に移っていない人は、死んでいるのです。
神様はアダムに言われました。
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16 神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
創世記2章16-17節
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とって食べるその時、あなたは必ず死ぬ。
しかし、この罪を犯した瞬間に、アダムの肉が滅んだのではありませんでした。
アダムは、なんと930年生きたのです。
しかし、本当はアダムは死なない存在でした。

では、この死とはなんでしょう。
あまりいい譬えではありませんが、このことを、バッテリーのついたノート・パソコンにたとえる事が出来ると思います。
コンセントがつながっているなら、いつまでも、それは動きます。しかし、もし、コンセントを抜いても、すぐには止まりません。
バッテリーがあるからです。しかし、長い時間コンセントから話したままでつかうと、ついにはバッテリーが切れて、止まってしまいます。

ノートパソコンは、コンセントから抜いてもバッテリーで動くように出来ています。
しかし、人間は、神様から離れて生きるようには出来ていないのです。

本来、人間は、いつも神様に結びついて生きているはずのものでした。
しかし、神様から離れて生きるようになり、ついに、元のコンセントにつながる事も出来なくなって、滅んでしまうものとなったのです。

それは、木から切り取られた枝のようなものです。
枝は、その後も生きているように見えるかも知れません。
しかし、そのままではいられないのです。

そういう点から見ると、イエス様の言われたこの御言葉は、人類の本来ある姿をもあらわしているようです。
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わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことは
できません。
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの手紙15章4-5節
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これは、主につながってよい行いをするとか、良い実を結ぶとかそれだけの意味ではなく、私たちの命は、イエス様から来るということなのです。

そして、この尽きる事の無い命の根源であるかたは、わたしも、あなたがたの中にとどまります。と言ってくださる。
これは、なんと素晴らしい事でしょう。

いつ、どこに行くときも、コンセントがつながっているように、命がいつも、私たちに流れるのです。
これが、救いなのです。

命を延ばすにはどうするか、命を得るにはどうするか。
しかし、命は行いにはなく、イエス様にあるのです。
ですから、こう書いてあるのです。
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56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
コリント人への手紙第一15章56-57節
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そして、命につながる事を邪魔していた、罪をイエス様は取り除いて下さったのです。

これは、どれほど、確かな土台でしょうか?
だから、こう書いてあります。
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ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。
コリント人への手紙15章58節
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とこで、主の業とはなんでしょう。
福音を伝える事、そのとおりです。
しかし、ヨハネの手紙にこう書いてあります。
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私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。
ヨハネの手紙第一3章14節
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イエス様は、互いに愛し合いなさいといわれました。
ですから、私たちが、兄弟を愛する事、また、愛のゆえに福音を伝える事、それが、主の業なのです。

私たちは、この主につながり、そして、主の業をなさせていただきましょう。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。


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シティーチャーチメッセージ20090913死への勝利
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