礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20090823  
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誇る者は主にあって誇れ
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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1 苦難の日に主があなたにお答えになりますように。ヤコブの神の名が、あなたを高く上げますように。
2 主が聖所から、あなたに助けを送り、シオンから、あなたをささえられますように。
3 あなたの穀物のささげ物をすべて心に留め、あなたの全焼のいけにえを受け入れてくださいますように。セラ
4 主があなたの願いどおりにしてくださいますように。あなたのすべてのはかりごとを遂げさせてくださいますように。
5 私たちは、あなたの勝利を喜び歌いましょう。私たちの神の御名により旗を高く掲げましょう。主があなたの願いのすべてを遂げさせてくださいますように。
6 今こそ、私は知る。主は、油をそそがれた者を、お救いになる。主は、右の手の救いの力をもって聖なる天から、お答えになる。
7 ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。
8 彼らは、ひざをつき、そして倒れた。しかし、私たちは、立ち上がり、まっすぐに立った。
9 主よ。王をお救いください。私たちが呼ぶときに私たちに答えてください。
詩篇20篇1-9節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちの力、私たちの砦、私たちの救いの岩です。
この方を覚えて御言葉を聞いて参りましょう。

さて、先週は、私事ですが、日曜日の夜に、枚方を出まして、家内の実家鹿児島に行って参りました。
このため、夕礼拝の時間変更や、祈祷会が休みになったりとご迷惑をおかけしました。
行き帰り、主が守ってくださり、良いときを過ごすことが出来ました。
お祈りありがとうございました。

さて、いつものように、聖書の通読箇所を見てまいりましょう。

今回は、旧約聖書が詩篇
新約聖書が、ローマ人への手紙からコリント人への手紙の第一と続きます。
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8月23日(日)[ ]詩79-82 /[ ]ロマ16
8月24日(月)[ ]詩83-87 /[ ]Tコリ1:1-17
8月25日(火)[ ]詩88-89 /[ ]Tコリ1:18-31
8月26日(水)[ ]詩90-93 /[ ]Tコリ2
8月27日(木)[ ]詩94-97 /[ ]Tコリ3
8月28日(金)[ ]詩98-102 /[ ]Tコリ4
8月29日(土)[ ]詩103-104 /[ ]Tコリ5
8月30日(日)[ ]詩105-106 /[ ]Tコリ6
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詩篇はここ何週か読んできていますが、読みやすいところでもあります。
また、コリント人への手紙第一も大切な箇所です。
皆さん。共に聖書を読みましょう。

では、このコリント人への手紙第一の中から、今回は、1章です。
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【 聖書箇所 】コリント人への手紙第一1章18-31節
・新改訳Up291(贈呈p256英対p487)
・新改訳Vp318英対p355(贈呈p292)・口語訳p257
・新共同訳p300 (贈呈p300英対p455)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
1:18 十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
1:19 それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」
1:20 知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。
1:21 事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。
1:22 ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。
1:23 しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、
1:24 しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。
1:25 なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
1:26 兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
1:27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
1:28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。
1:29 これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。
1:30 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。
1:31 まさしく、「誇る者は主にあって誇れ。」と書かれているとおりになるためです。
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では、続いて、主題聖句をいいましょう。
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【 主題聖句 】
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
コリント人への手紙第一1章18節
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では、これらの箇所から、
「誇るものは主にあって誇れ」
と題しまして、み言葉を見て参りましょう。

さて、この箇所は、キリスト信仰の一つの基本を教えてくれるところです。

結論から先にいいますと、私たちの信仰は、自分を高めようとするのでなく、どこまでも主の前にへりくだり、主をあがめていく道だということです。

この世は、その力をほこりとします。

今回お読みした詩篇にもこう書いてあります。
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ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。
詩篇20篇7節
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この世は、その自分自身を誇ろうとするまた、自分を高めていこうとする世界です。
そのスタートはどこにあるでしょう。

わたしたち人間は、いつからそういうものになったのでしょう。
それは、人類の最初、アダムとエバからです。
神様が最初に人間を創造されたときの事が、創世記にこうかいてあります。
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15 神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。
16 神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
創世記2章15-17節
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ところが、人間は、この神様の命令に従うことが出来ませんでした。
そして、こう書いてあります。

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1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。
3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」
4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。
創世記3章1-7節
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ここで、アダムとエバは、蛇としてあらわれた、悪魔にだまされ、その結果、神様の戒めをやぶりました。
ところで、なぜ、そうしたか、その理由がここにあります。

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5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
創世記3章5-6節
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いいですか?
彼らは、神のようになりたかったのです。
自分たちの生活はすべて、神様に守られていました。
何もかも主は備えて下さっておられました。
それなのに、神のようになろうとしたのです。

ところで、それは、アダムとエバの中にもともとあった考えでしょうか?
そうではありません。
それは、悪魔の考え、サタンとも蛇とも言われる人類の敵の考えだったのです。
エゼキエル書に、ツロへの言葉としてかかれたものはサタンの姿を現した言葉です。
そこにはこう書いてあります。
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2 「人の子よ。ツロの君主に言え。神である主はこう仰せられる。あなたは心高ぶり、『私は神だ。海の真中で神の座に着いている。』と言った。あなたは自分の心を神のようにみなしたが、あなたは人であって、神で
はない。
3 あなたはダニエルよりも知恵があり、どんな秘密もあなたに隠されていない。
4 あなたは自分の知恵と英知によって財宝を積み、金や銀を宝物倉にたくわえた。
5 商いに多くの知恵を使って財宝をふやし、あなたの心は、財宝で高ぶった。
6 それゆえ、神である主はこう仰せられる。あなたは自分の心を神の心のようにみなした。
7 それゆえ、他国人、最も横暴な異邦の民を連れて来て、あなたを攻めさせる。彼らはあなたの美しい知恵に向かって剣を抜き、あなたの輝きを汚し、
8 あなたを穴に投げ入れる。あなたは海の真中で、刺し殺される者の死を遂げる。

13 あなたは神の園、エデンにいて、あらゆる宝石があなたをおおっていた。赤めのう、トパーズ、ダイヤモンド、緑柱石、しまめのう、碧玉、サファイヤ、トルコ玉、エメラルド。あなたのタンバリンと笛とは金で作られ、
これらはあなたが造られた日に整えられていた。
14 わたしはあなたを油そそがれた守護者ケルブとともに、神の聖なる山に置いた。あなたは火の石の間を歩いていた。
15 あなたの行ないは、あなたが造られた日からあなたに不正が見いだされるまでは、完全だった。
エゼキエル書28章2-8、13-15節
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これは、悪魔が堕落したその経緯をもあらわしているのですが、この中に、悪魔が神のようになろうとした事が書いてあります。

彼は、神のようになろうとしました。
しかし、そのことで、神の園をおわれたのです。
そして、同じ思いを、人間に植え付けることに成功しました。
その結果、本来神様の子であった人間は悪魔から出たものとなってしまったのです。
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あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないから
です。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。
ヨハネの福音書8章44節
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人間は、自らを高め、誇るために生きる存在となりました。

しかし、イエス様は言われます。
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いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。
人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。
マタイの福音書16章25-26節
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人は自分のために生きようとするなら、結局はむなしく死んでいく存在なのです。

トルストイというロシアの作家がいます。
かれの書いた短編の中に、靴屋のマルチンというお話があります。
かれは、何の楽しみも無いという人生を過ごしていましたが、あるときたずねてきた人が、
自分のために生きようとするからいけないのだ、聖書を読みなさいと教えます。
マルチンが聖書を読み祈り始めると、神様の声がします。
「明日、おまえのところに行くよ。」
マルチンは、食事を用意し、部屋をあたためて、神様を待ちます。
しかし、来たのは、寒い外で仕事をしていた老人や、どろぼうをしてつかまった少年と、つかまえたおばあさん。
そして、貧しい女の人でした。
マルチンは彼らの世話をし、送り出します。
夜になって、神様は、マルチンに、今日あった一人一人がわたしだったのだと語られます。

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すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
マタイの福音書25章40節
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この聖書の箇所を説明する、非常にわかりやすい例話です。

人のために生きる。
それは、非常に素晴らしいことです。

自分と言う存在のために生きるのでなく、他のために生きる。

ところで今の世の中、ボランティア精神ということが言われます。

また、一般でも、
「情けは人のためならず。」
といわれますし、聖書の中にある、
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自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。
ルカの福音書6章31節

与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからで
す。」
ルカの福音書6章38節
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と、いったみ言葉は、一般でも引用されます。
ところが、このことが、その行いによって自分を誇ることにつながる場合があります。
いや、立派な慈善家と言われる人々の中にもそのようなことがあるのではないでしょうか?

行いにおいて、立派な者に対し、イエス様は言われます。
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忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、
あなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。
マタイの福音書23章27-28節
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当時の宗教家の陥ったそのような罪。
私たち教会の中でも、そのような事がおこります。
教会の中での奉仕の一つ一つは、非常に尊いものです。
お掃除をしてくださる方、お食事の用意をしてくださる方、礼拝のための奉仕をしてくださる方、
さまざまな奉仕によって、私たちの教会は、整えられています。

しかし、そのような奉仕によって、もし、自分を誇ろうとするなら、

これは、私にとっても言えることです。
礼拝でのメッセージ、また、日々のとりなしの祈り、これらによって、自分を誇ろうとするなら、それが、間違いであると御言葉は警告します。
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行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
エペソ人への手紙2章9節
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私たちの行いによるのではありません。
私たちは、行いによっては、神様の前に出る事は出来ないのです。

わたしたちは、だれも、自分を誇ることは出来ません。
こうかいてあります。
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いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。
コリント人への手紙第一4章7節
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いや、私は、これを自分で買いました。
と、言われる方もおられるでしょう。
しかし、皆さんあなたの体はどうでしょう。
その体を買うのにお金を払いましたか?
どんな代価を払ってあなたは自分の命を手に入れましたか?
誰も、自分の体を自分で組み立てた人はいません。

あなたの体の細胞の一つ一つ、そのつくりかたを、あなたは知りません。
知っていても、自分の体を組み立てたのではありません。

私たちは、与えられたもの与えられた命を生きているのです。

では、私たちの誇りはどこにあるのか、それは、ただ、信仰の原理によってです。
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それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行ないの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです。
ローマ人への手紙3章27節
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私たちは、行いによらず、信仰によって、義とされ、生かされているのです。

そして、パウロは言います。
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もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。
コリント人への手紙第二11章30節
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パウロは、自分の立派さよりも、弱さを誇るといいました。
それは、その弱さに働かれる主を誇るという事です。

今回の主題聖句はこう書いてあります。
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【 主題聖句 】
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
コリント人への手紙第一1章18節
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十字架の言葉とは、イエス様がなしてくださった十字架の贖いによって私たちが救われたと言うことです。
しかし、このことを、受け取るには、私たちは、主の前にへりくだらなければならないのです。
自分を誇るなら、私たちはこのことを自分の事にできません。

ところが、このことを受け取れず、自分の誇りに生きようとするなら、それは、滅びへの道なのです。
わたしたちは、へりくだり、この恵みを受け取りましょう。

私たちにとって、それは、神の力です。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20090823 誇る者は主にあって誇れ
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