礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20090816 
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神の賜物と召命
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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12 幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は。
13 主は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる。
14 御住まいの所から地に住むすべての者に目を注がれる。
15 主は、彼らの心をそれぞれみな造り、彼らのわざのすべてを読み取る方。
16 王は軍勢の多いことによっては救われない。勇者は力の強いことによっては救い出されない。
17 軍馬も勝利の頼みにはならない。その大きな力も救いにならない。
18 見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。
19 彼らのたましいを死から救い出し、ききんのときにも彼らを生きながらえさせるために。
詩篇33篇12-19節
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<祈り>

皆さん、おはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちを召し、恵みを与え、賜物を与えて導いて下さる方です。
この方を覚えて御言葉をともに聞いて参りましょう。

さて、まずは、聖書の通読箇所から見てまいりましょう。
旧約聖書は詩篇。
新約聖書はローマ人への手紙です。


詩篇はダビデの賛歌。アサフの賛歌が続きます。
主への心を注ぎだした叫びを歌の中に見る事が出来ます。
また、ローマ人への手紙は、信仰について教えてくれる大切な手紙です。
どちらも聖書の中で、大切なところです。
是非皆さんお読み下さい。
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8月16日(日)[ ]詩54-58 /[ ]ロマ11:1-24
8月17日(月)[ ]詩59-63 /[ ]ロマ11:25-36
8月18日(火)[ ]詩64-67 /[ ]ロマ12
8月19日(水)[ ]詩68-69 /[ ]ロマ13
8月20日(木)[ ]詩70-72 /[ ]ロマ14
8月21日(金)[ ]詩73-76 /[ ]ロマ15:1-13
8月22日(土)[ ]詩77-78 /[ ]ロマ15:14-33
8月23日(日)[ ]詩79-82 /[ ]ロマ16
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では、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、ローマ人への手紙12章です。

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【 聖書箇所 】 ローマ人への手紙11章25-36節
・新改訳Up282(贈呈p247英対p473)
・新改訳Vp308英対p344(贈呈p282)・口語訳p248
・新共同訳p (贈呈p291英対p442)
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司会者お願いします。

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【 聖書箇所のテキスト 】
11:25 兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになっ
たのは異邦人の完成のなる時までであり、
11:26 こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。
11:27 これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」
11:28 彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、先祖たちのゆえに、愛されている者なのです。
11:29 神の賜物と召命とは変わることがありません。
11:30 ちょうどあなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は、彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けているのと同様に、
11:31 彼らも、今は不従順になっていますが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。
11:32 なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。
11:33 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。
11:34 なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。
11:35 また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。
11:36 というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
神の賜物と召命とは変わることがありません。
ローマ人への手紙11章29節
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では、この所から、
「神の賜物と召命 」
と題しまして、御言葉を見てまいりましょう。

この聖書箇所は、イスラエル人とクリスチャンの関係を教えてくれる箇所です。
また、神の恵みの約束がどのようなものかも、教えてくれます。

最初の所を見てみましょう。

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25 兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったの
は異邦人の完成のなる時までであり、
26 こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。
27 これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」
28 彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、先祖たちのゆえに、愛されている者なのです。
ローマ人への手紙11章25-28節
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ここにイスラエル人と出てきます。
ご存知の方が多いと思いますが、イスラエル人は、神様が、救いの計画のために選ばれた民族です。
その中に、ユダヤ人がおり、また、イエス様がお生まれになりました。

このユダヤ人たちは、いま、神様の奇跡と守りの中、イスラエルと言う国を建国しました。
その国はまた、今、さまざまな問題を抱えた状況の中にあるということは、ニュースでも知られています。

キリスト教会では、イエス様を十字架につけ、自分たちを呪ったので、呪われていると言われる方もおられます。
一つの根拠として、この御言葉があります。
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22 ピラトは彼らに言った。「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはいっせいに言った。「十字架につけろ。」
23 だが、ピラトは言った。「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ。」と叫び続けた。
24 そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよ
い。」
25 すると、民衆はみな答えて言った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」
26 そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。
マタイの福音書27章22-26節
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ここで、この群集がユダヤ人たちですが、彼らは、イエス様を、ローマの総督ピラトに引渡し、十字架にかけさせたのです。
それが、大変な罪であり、ユダヤ人たちは、赦されず、救いの計画は、イエス様を信じるクリスチャンのものとなったと考えるのです。
しかし、このことは、大変な誤りです。

まず、ここで、民衆は、知らずにいいます。
「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」
これは、自分たちが血ののろいを受けても良いという意味なのですが、彼らは知らずに非常に大切な事を言っています。

このイエス様の血が、民衆に、ユダヤ人たちにかかる事、これこそ、イエス様が来られた目的です。

出エジプトの時、モーセは、イスラエルの民に、血を振りかけました。
それは、契約の血でした。
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5 それから、彼はイスラエル人の若者たちを遣わしたので、彼らは全焼のいけにえをささげ、また、和解のいけにえとして雄牛を主にささげた。
6 モーセはその血の半分を取って、鉢に入れ、残りの半分を祭壇に注ぎかけた。
7 そして、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。すると、彼らは言った。「主の仰せられたことはみな行ない、聞き従います。」
8 そこで、モーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った。「見よ。これは、これらすべてのことばに関して、主があなたがたと結ばれる契約の血である。」
出エジプト記24章5-8節
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マタイの福音書で、聖餐式の時に、イエス様は言われました。
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これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。
マタイの福音書26章28節
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イエス様は、ご自身の血が、契約の血であるといわれました。

そして、さらにこう書いてあります。
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それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。
ヘブル人への手紙9章22節
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イエス様は、人々の罪をきよめるため、ご自身の血を流すために来て下さいました。
それは、敵となったものさえも赦すためでした。

ですから、イエス様は十字架でこういわれたのです。
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そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。
ルカの福音書23章34節
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イエス様は、何をしているかわからない自分たちの救い主を殺そうとしている人々を十字架の上の苦しみ中でも哀れみ、このように言われたのです。

イエス様は、このように、ユダヤ人を、イスラエル人を愛しておられました。
そして、その祝福は、信仰の祖と言われるアブラハムから始まります。
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彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
創世記15章6節
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彼、すなわちアブラハムが、主なる神様を信じた、ここに信仰による義がはじまります。

アブラハムは、神様の声によって、知らないところに向かって主の約束だけを頼りに出発しました。
そして、また、アブラハムは、年老いて、子どもが一人もいないままで、子孫が、星の数のようになると言われて、それを信じたのです。
そのことが、彼の義と認められました。
アブラハムが何かしたからではなく、彼の信仰が、彼の義となったのです。

信じるとは、神様の言われる事そのままをすっぽりと受け止める事です。
それは、行動になります。

簡単にたとえますと、神様が雨は降らないとおっしゃったとします。
もし、そのことをすっぽりと受け取るなら、どんなに空が曇っていても、傘をもってはいかないでしょう。

逆に、どんなに晴れていても、主が雨だとおっしゃるなら、傘が必要でしょう。

祈りについても、このことはいえます。

雨が降るために祈りに行く農夫に、別な人が、傘がいらないかと聴くと、農夫が、こんなに晴れているのに必要ないじゃないかと答えたと言うお話があります。
実話かどうかは知りませんが、私たちの祈りや信仰もしばしばこのようであるかもしれません。

しかし、私たちは、神様の言葉を信仰によって受け止めるものでありたいと思います。
そして、信仰によって動かされるのです。

しかし、先ほどの傘の話で、自分は信じてるから傘を持つのだと、無理に行動するなら、それは、信仰でなく信仰主義になってしまいます。
私たちは、信仰によって動かされるのです。

さて、お話がだいぶそれました。

神様の約束はアブラハムに与えられ、長い歴史の後、メシヤとしてイエス様がこられました。
それが、二千年前です。
しかし、そこで、アブラハムの子孫への約束が終わったのではありません。
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22 見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうで
なければ、あなたも切り落とされるのです。
23 彼らであっても、もし不信仰を続けなければ、つぎ合わされるのです。神は、彼らを再びつぎ合わすことができるのです。
24 もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、これらの栽培種のものは、もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。
ローマ人への手紙11章22-24節
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ここで、野生種のオリーブといわれているのは、私たち、そして、栽培種と言われているのはイスラエル人です。
その栽培種は、もっとたやすく台木に継がれる事が出来る。
イスラエルの民は、かたくなになり、しりぞけられました。
いや、彼ら自身が神様の恵みを退けたのです。
そのことにより、いったんは神様から離れた彼らでも、神様は招いておられ、不信仰を悔い改めるなら、もとどおりに継ぎ合わされるのです。
それは、簡単なことだと書いてあります。

そして、今回の御言葉に続くのです。

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11:25 兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになっ
たのは異邦人の完成のなる時までであり、
11:26 こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。
11:27 これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」
11:28 彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、先祖たちのゆえに、愛されている者なのです。
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ここに異邦人の完成の時と書いてあります。
異邦人の完成とはなんでしょう。

イエス様は、全世界に福音が宣べ伝えられるようにと命じられました。
そのときがやがてきます。
もちろん人は、その福音を退けることも出来ます。
しかし、全ての人が、福音を聞くときがきます。

この福音がすみずみまで届けられたとき、世の終わりが来ます。
いま、その時が近づいています。
そして、イスラエルが皆救われる時が来る。それを、パウロは奥義だといいます。

それは、神様の賜物、召命は、変わらないからです。
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11:29 神の賜物と召命とは変わることがありません。
11:30 ちょうどあなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は、彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けているのと同様に、
11:31 彼らも、今は不従順になっていますが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。
11:32 なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。
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主は、決して約束を捨てられません。

しかし、このことから、神様の選びと約束がどれほど確かかを知ることが出来ます。
主は決して、約束をたがえる方ではありません。

それは、あなたにとってもそうなのです。
主はイエス様の血によるあなたとの契約を変える方ではありません。

もちろん、私たち人間の側で、どこまでも、神様を退ける事は出来ます。
しかし、私たちが、不信仰を続けるのでないなら、大きな失敗も赦されるのです。
私たちは、全ての罪を赦してくださった方のみての中、恵みの中に生きています。
いまも、私たちは、その恵みの中に生かされています。

そして、この恵みの中で、信仰によって、私たちも、アブラハムの子孫なのです。

ガラテヤ人への手紙にはこうかいてあります。
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ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。
ガラテヤ人への手紙3章7節

もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。
ガラテヤ人への手紙3章29節
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そして、私たちは、この約束に、信仰によって接木され、アブラハムの子孫とされたのです。

エペソの人への手紙を見ると、こうも書いてあります。
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11 ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、
12 そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。
13 しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。
14 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、
15 ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現する
ためであり、
16 また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。
エペソ人への手紙2章11-16節
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この二つとは何ですか?
どれは、異邦人と異邦人でないものすなわちイスラエルです。
イスラエルと、異邦人は主にあって一つとされると書いてあるのです。

そして、一人の人として、神様に仕えるようになるのです。

皆さん。神様はあなたを愛しておられます。
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神は、このあわれみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。
ローマ人への手紙9章24節
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そして、私たちを、神様が召しだされたのです。

わたしたちは、時として揺らぎ、罪を犯すかも知れません。
イスラエルも、メシヤを拒んだのです。

しかし、主は私たちをいつも愛しておられます。
そして、その主の召命は、変わることがないのです。
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11:35 また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。
11:36 というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。
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お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20090816 神の賜物と召命
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