礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20090809
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いのちの御霊の原理
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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7 私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。
8 たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。
9 私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、
10 そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕えます。
11 たとい私が「おお、やみよ。私をおおえ。私の回りの光よ。夜となれ。」と言っても、
12 あなたにとっては、やみも暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗やみも光も同じことです。
13 それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。
14 私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。
詩篇139篇7-14節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は御霊によって私たちを生かし導いてくださる方です。
この方を覚えて御言葉を聞いて参りましょう。

さて、CSKキャンプが無事に終わりました。
後で写真を見ていただきたいと思います。
皆さんお祈りありがとうございました。

では、いつものように、聖書の通読箇所から見てまいりましょう。
今週の聖書の通読箇所は、旧約聖書が詩篇。新約聖書がローマ人への手紙です。
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8月9日(日)[ ]詩28-31 /[ ]ロマ6
8月10日(月)[ ]詩32-35 /[ ]ロマ7
8月11日(火)[ ]詩36-38 /[ ]ロマ8:1-17
8月12日(水)[ ]詩39-41 /[ ]ロマ8:18-39
8月13日(木)[ ]詩42-45 /[ ]ロマ9:1-18
8月14日(金)[ ]詩46-49 /[ ]ロマ9:19-33
8月15日(土)[ ]詩50-53 /[ ]ロマ10
8月16日(日)[ ]詩54-58 /[ ]ロマ11:1-24
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詩篇は、慰めと励ましに満ちています。
また、ローマ人への手紙は前回から見ておりますように、信仰による義を理解する大変大切な箇所です。
是非皆さんお読み下さい。
では、そのローマ人への手紙の中から、今回は8章です。
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【 聖書箇所 】 ローマ人への手紙8章1-17節
・新改訳Up275(贈呈p242英対p461)
・新改訳Vp300英対p335(贈呈p276)・口語訳p242
・新共同訳p283 (贈呈p283英対p432)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
8:1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
8:2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
8:3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。
8:4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。
8:5 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。
8:6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
8:7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。
8:8 肉にある者は神を喜ばせることができません。
8:9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。
8:10 もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。
8:11 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなた
がたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。
8:12 ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。
8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。
8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
8:15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。
8:16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
8:17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
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では、主題聖句を言いましょう。
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 【 しゅだいせいく 】
こういうわけで、いまは、キリスト・イエスにあるものがつみにさだめられることはけっしてありません。
ローマじんへのてがみ8しょう1せつ
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では、このところから、
「いのちの御霊の原理」
と題しまして御言葉を共に見てまいりましょう。

ローマ人への手紙8章2節を見るとこう書いてあります。
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なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
ローマ人への手紙8章2節
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ここで、パウロは、私たちの命に関する二つの原理を示しています。
それは、いのちの御霊の原理と、罪と死の原理です。

罪と死の原理について知るために、罪と死の関係を見てみましょう。
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欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
ヤコブの手紙1章15節

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
ローマ人への手紙6章23節
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罪が熟して死を生むとも、罪の報酬は死であるとも書いてあります。

罪が死に至らせる。
しかし、この罪は、個人の罪だけをさしているのではありません。
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そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。
ローマ人への手紙5章12節
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それは、アダムの罪以来全人類に入り込んだ罪です。
この罪によって、死に至るという原理の中に、人間は閉じ込められています。
それは、引力の法則によって、全てのものが地面に向かって落ちていくように確かなものです。

ところが、この原理に対していのちの御霊の原理が、私たちを解放したのです。
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なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
ローマ人への手紙8章2節
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この命の御霊の原理、それは、ちょうど、翼を持った飛行機が、引力の法則とは別に、空に飛び上がっていくようなものです。
そこでは、翼の揚力であるとか、エンジンによる推進力が働くわけですが、引力の法則とは別に、空に飛び上がっていきます。
イザヤ書にはこう書いてあります。
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しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
イザヤ書40章31節
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わたしたちは、聖霊様によって、命の中を飛ぶ事が出来るのです。
ところで、鷲はどうやって飛ぶでしょう。
鷲はほとんどはばたきません。かぜをうけて舞い上がるのです。

私たちは、聖霊の風を受けて、舞い上がるのです。
では、この聖霊様について、もっと見てみたいと思います。

聖霊様は、創世記の最初に出てきます。
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1 初めに、神が天と地を創造した。
2 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。
創世記1章1-2節
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ここで、神の霊が水の上を動いていたと書いてあります。
そして、ここから、具体的な創造の御業がはじまります。

形が無く何も無い混沌な状況に聖霊様は触れておられます。
そして、そこに秩序があたえられました。

皆さん。聖霊様は秩序をお与えになる方です。

また、聖霊様は、いのちの息としてもかかれています。
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その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。
創世記2章7節
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ここで吹き込まれた神の息。それが、命の息であり、また、聖霊様なのです。
神の霊が注がれて、アダムは生きるものとなりました。
ところで、主は、ここで、アダムを土のちりから創られました。
他のもののように言葉だけでなく、人を、土のちりから創り、命の息を吹き入れられたのです。

また、マタイの福音書を見ると、イエス様の働きが聖霊様によるものであったとわかります。
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こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。
マタイの福音書3章16節

さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
マタイの福音書4章1節


しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。
マタイの福音書12章28節
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聖霊様は、イエス様の働きのはじめにこられ、イエス様を導き、イエス様は聖霊様によって悪霊を追い出されたのです。

また、私たちに対してイエス様は言われます。
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というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。
マタイの福音書10章20節
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私たちは、聖霊様によって語ることが出来るのです。

では、命の御霊の原理とはなんでしょう。

それは、罪と死の原理に打ち勝つものです。
簡単にいうと、罪によって死に至るものを、御霊が命を与えて下さるということです。

そして、それは、恵みによります。

私たちは、この命の御霊の原理により生かされており、また、命の御霊の原理によって歩むのです。
そして、そのように御霊によって歩むとき律法の要求は全うされると書いてあります。
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4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。
5 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。
6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
ローマ人への手紙8章4-6節
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ローマ人への手紙のテーマの一つは、信仰による義です。
義とは、律法を完全に守り行う事であると一般に考えられます。
しかし、それは出来ないと聖書は言うのです。

御霊は、そのような私たちに、律法の要求をおこなわせるのです。
栄光から栄光へと主と同じ姿に変えてくださるとも書いてあります。
それも、御霊によります。
そして、御霊によって命と平安を与えて下さるのです。

ところで、この聖霊様の声は細い声、そのサインは注意していないと見えない。
夏のキャンプに行くと、食事や、集会と色んなときに集まりなさいと声をかけます。
しかし、川遊びなどに夢中になっていると、軽く声をかけたのでは聞こえません。
大声を出さないと聞こえないのです。

しかし、聖霊様の声は、小さな声です。
私たちが、何かに夢中になっていると、聞く事は出来ません。そのサインを見ることも出来ません。
私たちの心の目、心の耳を、聖霊様に向けていなければなりません。

わたしたちは、その為に、祈らなければなりません。
また、聖書を読み、そこから聖霊様の導きを受けなければならないのです。
そこに命と平安があります。

そして、こう続きます。
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8:7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。
8:8 肉にある者は神を喜ばせることができません。
8:9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。
8:10 もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。
ローマ人への手紙8章
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肉は神に逆らうと書いてあります。
肉は、神に服従出来ません。

ここまでを少しまとめます。
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命の御霊の原理・命、平安、律法への服従
罪と死の原理・罪、死、肉の行い、律法に逆らう
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霊、すなわち御霊にあるなら、私たちは律法に服従し、命と平安を得ます。
しかし、肉は、律法にさからうのです。

私たちは、肉において、律法を行う事が出来ません。
ですから、教会というところは、自分を律法で正しくしよう。
神様に祝福してもらえるようになろうと努力するところではありません。
神様の恵みの中に、御霊の導きの中に生き、互いに愛し合い、恵みを分かち合い。
感謝して、神様を礼拝する。
そのために集まっているのです。

私たちは、神の恵みの中に生きています。

では、ここで、御霊によるとはどういうことか考えましょう。
肉と霊という二つの対比に、なりました。
霊とは聖霊です。

そして、霊によって歩むとは、結局のところ、律法の目的である愛を目指す事です。

もし、私たちが、霊的であるといいながら、自分自身が周りと敵対しているなら、少し考えなければなりません。
預言、いやし、奇跡。それらの働きは、これこそ、霊的な働きだと言われます。
しかし、その力を用いながら、人と人が争っているなら、本当に聖霊様かどうか吟味する必要があります。

なぜなら、御霊の思いは命と平安であり、御霊の実は愛だからです。
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肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
ローマ人への手紙8章6節

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
ガラテヤ人への手紙5章22節
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御霊の実は愛です。
神様は、愛という実を得るために、聖霊様という種を人に植えられました。
わたしたちは、御霊によって愛によって導かれていくのです。
そのことをキリスト信仰の中で、聖霊信仰の中で見失わないようにしなければならない。

イエス様の戒めは、互いに愛する事です。そこに聖霊様は導かれます。

続いてみていきます。
そして、御霊によってからだの行いを殺す。
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12 ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。
13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。
ローマ人への手紙8章12-13節
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皆さん。食欲、睡眠、私たちの体はさまざまなものを必要としています。
それらを取り去るなら、ひどい場合死んでしまいます。
しかし、私たちは、自分を生かそうとしてそれを追い求めるのではありません。

神の国と義を求めるなら、必要は与えられると書いてあります。
着る物、食べるものが、神の国と義を求めるなら与えられるのです。

私たちが神様に目を向けるなら、全て与えられます。
しかし、このことは、肉に置いてばかばかしいことです。
肉は、これを受け入れられません。
結局、肉の思いとは、神の言葉を信じ受け止める事の出来ない心です。
私たちは、神の言葉をアーメンと受け止めなければなりません。

そして、そのことが、御霊によって生きることであり、また、信仰によって生きることなのです。
ですから、肉を殺すとは、御言葉を受け止める事だといえます。

御言葉は、多くの人がいい話だといいます。
しかし、それを自分のこととして受け止めるかどうかは違います。

この御言葉を自分のものとして受け取る。
それが、肉を殺し、霊に生きること、信仰による歩みなのです。
そして、そのように生きるなら、御霊に導かれるなら、神の子どもです。
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14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。
16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
ローマ人への手紙8章14-17節
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そして、神の相続人なのです。
そして、このことは、恵みによってあたえられています。

なぜなら、こう書いてあるからです。
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罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
ローマ人への手紙6章23節
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これは、報酬ではなく賜物です。
神の下さるものは、賜物なのです。

そして、こう書いてあります。
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もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。
ローマ人への手紙8章10節
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私たちの体が罪のため死んでいても、霊は義のゆえに、神の義のゆえに生きています。
それは、御霊なる主の働きです。
私たちを生かしてくださる方に、自分自身をゆだねましょう。
そして、私たちのうちに、御霊によって、イエス様が生きておられます。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20090809 いのちの御霊の原理
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