礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20090802
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神の報酬
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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25:1 主よ。私のたましいは、あなたを仰いでいます。
25:2 わが神。私は、あなたに信頼いたします。どうか私が恥を見ないようにしてください。私の敵が私に勝ち誇らないようにしてください。
25:3 まことに、あなたを待ち望む者はだれも恥を見ません。ゆえもなく裏切る者は恥を見ます。
25:4 主よ。あなたの道を私に知らせ、あなたの小道を私に教えてください。
25:5 あなたの真理のうちに私を導き、私を教えてください。あなたこそ、私の救いの神、私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです。
25:6 主よ。あなたのあわれみと恵みを覚えていてください。それらはとこしえからあったのですから。
25:7 私の若い時の罪やそむきを覚えていないでください。あなたの恵みによって、私を覚えていてください。主よ。あなたのいつくしみのゆえに。
25:8 主は、いつくしみ深く、正しくあられる。それゆえ、罪人に道を教えられる。
詩篇25篇1-8節
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<祈り>

聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は恵みに満ち、哀れみをもって、罪人を導かれる方です。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

さて、皆さんお祈りありがとうございました。
サマーキャンプが無事に終わりました。
本当に、天候が守られました。
主に心から感謝します。
来てくれた子どもたちが、イエス様につながるよう続けて祈りたいと思います。

さて、いつものように、聖書の通読箇所から見てまいりましょう。

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8月2日(日)[ ]ヨブ40-42 /[ ]ロマ1:1-15
8月3日(月)[ ]詩1-5 /[ ]ロマ1:16-32
8月4日(火)[ ]詩6-9 /[ ]ロマ2
8月5日(水)[ ]詩10-15 /[ ]ロマ3:1-18
8月6日(木)[ ]詩16-18 /[ ]ロマ3:19-31
8月7日(金)[ ]詩19-22 /[ ]ロマ4
8月8日(土)[ ]詩23-27 /[ ]ロマ5
8月9日(日)[ ]詩28-31 /[ ]ロマ6
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今週の通読箇所は、旧約聖書がヨブ記がおわり、詩篇に入ります。
詩篇は、何度読んでも、心の慰められる所です。
しかし、綺麗な言葉ばかりではありません。
詩篇を読むと、心から祈るとはどんな事なのか教えられます。
主を信頼し、心の思いを主に伝えるそのような主とのしっかりした関係を持ち続けたいと思います。
新約聖書は、ローマ人への手紙。
こちらは、キリスト教信仰において、非常に重要なところです。
私たちは何を信じているのか、そのことを、この箇所から確認してまいりましょう。

では、今日は、このローマ人への手紙の中から、2章です。

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【 聖書箇所 】ローマ人への手紙2章1-13節
・新改訳Up266(贈呈p234英対p446)
・新改訳Vp291英対p325(贈呈p267)・口語訳p234
・新共同訳p274 (贈呈p274英対p419)
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では、司会者お読み下さい。
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【 聖書箇所のテキスト 】
2:1 ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行なっているからです。
2:2 私たちは、そのようなことを行なっている人々に下る神のさばきが正しいことを知っています。
2:3 そのようなことをしている人々をさばきながら、自分で同じことをしている人よ。あなたは、自分は神のさばきを免れるのだとでも思っているのですか。
2:4 それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。
2:5 ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現われる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。
2:6 神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります。
2:7 忍耐をもって善を行ない、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、
2:8 党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。
2:9 患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行なうすべての者の上に下り、
2:10 栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を行なうすべての者の上にあります。
2:11 神にはえこひいきなどはないからです。
2:12 律法なしに罪を犯した者はすべて、律法なしに滅び、律法の下にあって罪を犯した者はすべて、律法によってさばかれます。
2:13 それは、律法を聞く者が神の前に正しいのではなく、律法を行なう者が正しいと認められるからです。
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主題聖句を一緒にいいましょう。
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【 主題聖句 】
神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります。
ローマ人への手紙2章6節
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では、このところから、

「神の報酬」
と題しまして、御言葉を共に見てまいりましょう。

さて、ローマ人への手紙。
これは、さきほどもいいましたように、キリスト教信仰の上で、非常に大切なところです。
とくに、私たちプロテスタントのクリスチャンにとって、このローマ人への手紙は、信仰の原点を教えてくれるところです。

マルチン・ルターは、このローマ人への手紙から、信仰による義、「信仰義認」という教理を見出したのです。

ただ、間違ってはならないのは、カトリックの教理が間違っているので、ルターが、この教理を引っさげて、カトリックに対抗して、宗教改革を始めたとのではないということです。
当時、権力欲を持った司祭が、サン・ピエトロ大聖堂建設献金のためという名目での贖宥状販売を行いました。
この贖罪状、免罪符とも言われますが、それは、それを買うと罪が赦されるというもので、聖書の教えに反したものでした。
そのような中、ルターは、ただ、自身の感じた問題点を指摘し、教鞭を取ったドイツのヴィッテンベルク大学の聖堂の入り口の扉に「95か条の論題」と言われる議題を提示したのです。
このことは、カトリック内の権力者たちから、反逆とみなされ、彼は、カトリックを追われます。
それが、宗教改革につながり、私たちの属するプロテスタントと言うグループが形成されるにいたったのです。
プロテスタントという言葉は、抗議するという意味を持っています。
ルターが残した、「キリスト者の自由」は、小さな薄い本ですが、信仰義認について、非常に大切なことが書かれています。

さて、ローマ人への手紙にもどりますが、このローマ人への手紙は、パウロが書いたものです。
このパウロは、ローマ人への手紙の中でこう書いています。
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人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。
ローマ人への手紙3章28節
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このことを語ったパウロにとっても、それは、大改革だったのです。
なぜなら、パウロは、律法の行いによる義を必死に求めた人だったからです。
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彼らは以前から私を知っていますので、証言するつもりならできることですが、私は、私たちの宗教の最も厳格な派に従って、パリサイ人として生活してまいりました。
使徒の働き26章5節
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厳格な派にしたがってとありますが、彼は、パリサイ人として生活していました。
パリサイとは、分けるという意味を持つ言葉で、この世から分離して生きるというような意味を持っています。
この世の欲や快楽から離れ、神様の律法に従って厳格に生きていこうとするグループです。

新約聖書を見ると、イエス様が、パリサイ人に対して厳しく語っておられるので、どれほど悪いかと考えられますが誤解しないようにしなければなりません。
彼らは、確かに厳格に律法を守っていました。
聖書をよく読むと、むしろ、彼らが聖書に通じていたからこそ、イエス様は、厳しく指摘をされたと言えるのです。
ところが、その心は、律法の本来の意味から離れてしまっていたのです。
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忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしてい
るのです。これこそしなければならないことです。ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません。
マタイの福音書23章23節

『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
マタイの福音書9章13節
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正義やあわれみ。

主は、あわれみや、正義を大切にされるのです。
しかし、この箇所で、
「ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません。」
と、書いてある事に注目して下さい。

わたしたちは、「信仰は心だから」といって、行いについて、いい加減であってはなりません。
また、ここで、小さなものの十分の一のささげものについて言われていますが、それらもおろそかにしてはならないのです。
それは、あなたの信仰がどこにあるか、あなたの心がどこにあるかをあらわしているからです。

十分の一を捧げないものの心は、結局のところ、この世に、お金に頼っています。
もし、わたしたちの心が本当に神様に頼っているならば、わたしたちは、喜びと感謝を持って、十分の一を捧げるのです。
わたしは、あまり献金のアピールをしません。
しかし、十分の一の献金については言わなければなりません。
なぜなら、それはその人と、神様との関係を表すからです。
もし、この教会で献金するのがいやなら、他の宣教団体や、他の教会でもかまいません。
とにかく、十分の一を神様にささげましょう。
これをおろそかにしないように気をつけましょう。

お話がそれましたが、パリサイ人たちは、律法の本来の意味から離れ、偽善に陥っていました。
その中から、パウロはイエス様を信じる信仰による義に目を留めたのです。

それは、パウロが考え出したことではありません。ヨハネの福音書を見てみます。
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13 だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。
14 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。
15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。
ヨハネの福音書3章13-18節
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これは、イエス様が言われた事です。
ここでは、ご自身が来られた理由と、それによって何が起こるのかが書いてあります。
信じるものが皆永遠の命を持つ。
と言う事と、
御子を信じるものは裁かれない。
と言う所を見ると、信仰によって義とされると言うことがわかります。

では、なぜ、信仰によって義とされるように、主はなされたのでしょうか?
ガラテヤ人への手紙の中でパウロは言います。
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しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによって
ではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。
ガラテヤ人への手紙2章16節
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律法の行いによって義と認められるものはいない。

パウロは、このことを、良く知っていました。
厳格に律法に生きたからこそ、彼はそのことを言うことが出来たのです。
そして、このことは宗教改革者ルターにも通じます。
なぜなら、彼もまた、厳格に修道者として生き、時には難行苦行をし、それでも平安が得られない体験をしていたからです。
そして、真に平安を与えるものは何か、それは、信仰によって義とされることだと気づいたのです。

では、律法では義とされない。
なぜですか?
それは、人間の義は不完全だからです。

神の義は完全です。
人は、生まれながらに罪人であり、義を行うことが出来ません。

なぜなら、私たちは、神様の前に罪を犯したアダムの子孫だからです。
そして、その思いの奥底に罪を秘めているからです。

しかし、主は、そのような私たちを救う方法を考えてくださいました。
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人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」
マタイの福音書20章28節

キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。
テモテの手紙第一2章6節
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イエス様が罪のための代価をはらって下さった。そのことによって、私たちは、義とされたのです。

少し幼稚なたとえ話をしたいと思います。
わたしたちは、神様の前では、子どものような存在です。
こどもが、自動車屋さんの前で、何千万円もする高級車を前にして言います。
一人のこどもが、自分のポケットをさぐりながら、他の子にいくらもっているか聞きます。
一人は一円、一人は5円、一人は10円
なんだそれだけしかないのかと、一人が50円を出します。
しかし、それをかき集めても、とうてい自動車は買えません。
それが、私たちの義です。
パウロは70円くらいだったでしょうか?
私は、10円?5円?
でも、とうてい買うことは出来ない。

しかも、わたしたちが、救われるため、永遠の命を得るための代価は、何億円もするのです。
それは、到底払えません。

わたしたちは、子どものように、自分のポケットのお金は、10円だとか50円あるとかいって、なんだお前は一円しかもっていないのかというかも知れません。
しかし、神様の前に代価を払うには、どれもゼロに等しいのです。

皆さん。それを認めることが出来ますか?
あなたの前にいる誰か。
または、新聞に出てくる犯罪者。
それらのものと、自分が同じように無価値な罪人だと言うことを認める事が出来ますか?
聖書は言います。
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しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
ローマ人への手紙5章8節
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あなたが罪人であったとき、キリストはあなたを愛して死んで下さったのです。
ですから、自分が罪人であると認めること、それが、謙りです。
聖書が言う謙りとはそのことです。
自分はあの人よりましと、考えるようではいけません。

そうではなく、自分こそ罪人であると自覚する。そこに救いがあるのです。
だからパウロは言います。
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「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
テモテへの手紙第一1章15節
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パウロが、自分を罪人だと言っているのです。

そのことを自覚したものに、主はこういわれます。
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何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
ピリピ人への手紙2章3節
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互いを自分より優れたものとする。
それは、愛という立派さを示すためではなく、自分が罪人であると自覚しているかどうかにかかっています。

そして、自分が罪人であると自覚するのは、神の偉大さ聖さをどれほどわかっているかによります。
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17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。
エペソ人への手紙1章17-19節
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神を知れば知るほど、私たちは、自分の小ささを知ります。
主の前で、私たちは、虫けらのようなものです。
しかし、そのようなものを主は愛して下さったのです。
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恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。――主の御告げ。――あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。
イザヤ書41章14節
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信仰による義とはそういうことです。
ローマ人への手紙のテーマは、律法によるのではない、信仰による義、そして、主の前にへりくだる事を教えています。

ところが、そのことの書かれたこのローマ人への手紙に、あえて、こう書いてあるのです。
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2:6 神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります。
2:7 忍耐をもって善を行ない、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、
2:8 党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。
ローマ人への手紙2章
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この御言葉の前にはこう書いてあります。
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2:4 それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。
2:5 ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現われる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。
ローマ人への手紙2章
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神の慈愛と忍耐と寛容を軽んじる。

皆さん。それは恐ろしいことです。
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11 神にはえこひいきなどはないからです。
12 律法なしに罪を犯した者はすべて、律法なしに滅び、律法の下にあって罪を犯した者はすべて、律法によってさばかれます。
13 それは、律法を聞く者が神の前に正しいのではなく、律法を行なう者が正しいと認められるからです。
ローマ人への手紙2章11-13節
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私たちが律法に生きるなら、裁かれるのです。
律法を知っているかどうかではなく、行ったかどうかが問題であると書いてあります。

ところが、律法によっては義はないのです。
そこで、この御言葉にいたるのです。
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2:4 それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。
2:5 ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現われる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。
ローマ人への手紙2章
++++++++++
私たちは、決して、神の愛を軽んじてはなりません。
わたしたちが、恵みによって受けているものを、当然の報酬と考えてはならないのです。

主は私たちを愛して、恵みによって救い、義とし、神の子とし、永遠の命を与えてくださいました。
それはみな、恵みです。
ですから、互いに裁き合ってはならないのです。

そして、自分が恵みの中に生かされている事を、軽んじることのないように。
さらに熱心に主を求めましょう。

主の愛と恵みをさらに知るために、聖書を読み祈りましょう。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20090802 神の報酬
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