礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20090628
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福音を宣べ伝える
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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1 主がシオンの捕われ人を帰されたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。
2 そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなされた。」
3 主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。
4 主よ。ネゲブの流れのように、私たちの捕われ人を帰らせてください。
5 涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
6 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。
詩篇126篇
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は、私たちの為に十字架で死に、蘇られ。
私たちの救いを成し遂げられました。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

さて、いつものように聖書の通読箇所から見て行きましょう。
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6月28日(日)[ ]U歴代13-15 /[ ]使徒7:45-60
6月29日(月)[ ]U歴代16-18 /[ ]使徒8:1-24
6月30日(火)[ ]U歴代19-20 /[ ]使徒8:25-40
7月1日(水)[ ]U歴代21-23 /[ ]使徒9:1-22
7月2日(木)[ ]U歴代24-25 /[ ]使徒9:23-43
7月3日(金)[ ]U歴代26-28 /[ ]使徒10:1-23
7月4日(土)[ ]U歴代29-30 /[ ]使徒10:24-48
7月5日(日)[ ]U歴代31-32 /[ ]使徒11
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旧約聖書は、歴代誌第二ここでは良い王様も登場します。
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△ソロモン・
×レハブアム・○アビヤ・△アサ・○ヨシャパテ・×ヨラム・
×アハズヤ・×アタルヤ・△ヨアシュ・△アマツヤ・△ウジヤ・
△ヨタム・×アハズ・○ヒゼキヤ・×△マナセ・×アモン・
○ヨシヤ・エホアハズ・×エホヤキム・×エホヤキン・ゼデキヤ
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かなり主観的に簡単に並べて見ました。
記号の意味は、推し量っていただければと思います。
読んでいただけるとお分かり下さるでしょう。
しかし、歴代誌の特徴として、この王様の犯したつみよりも、その信仰や献身に多くの内容が書かれているところです。
是非お読み下さい。
神様は、あなたの罪ではなく、あなたが主を愛してなされる事柄をみておられます。

使徒の働きは、7章でステパノが殉教し、迫害が本格化していく中で、ペテロによって、異邦人へ福音が広がります。
また、ステパノの殉教の場面では、サウロとしてパウロが登場します。

では、この中から、使徒の働き8章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】使徒の働き8章25-40節
・新改訳Up223(贈呈p197英対p367)
・新改訳Vp243英対p272(贈呈p225)・口語訳p194
・新共同訳p228 (贈呈p228英対p349)
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司会者お読み下さい。
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8:25 このようにして、使徒たちはおごそかにあかしをし、また主のことばを語って後、エルサレムへの帰途につき、サマリヤ人の多くの村でも福音を宣べ伝えた。
8:26 ところが、主の使いがピリポに向かってこう言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」(このガザは今、荒れ果てている。)
8:27 そこで、彼は立って出かけた。すると、そこに、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピヤ人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、
8:28 いま帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
8:29 御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい。」と言われた。
8:30 そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか。」と言った。
8:31 すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう。」と言った。そして馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。
8:32 彼が読んでいた聖書の個所には、こう書いてあった。「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。
8:33 彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」
8:34 宦官はピリポに向かって言った。「預言者はだれについて、こう言っているのですか。どうか教えてください。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」
8:35 ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。
8:36 道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」
8:37 [本節欠如]
8:38 そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。
8:39 水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。
8:40 それからピリポはアゾトに現われ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った。
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では、主題聖句をいいましょう。
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【 主題聖句 】
ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。
使徒の働き8章35節
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このところから、
福音を宣べ伝える
と題しまして、御言葉を見てまいりましょう。

さて、今回のタイトルは、福音を宣べ伝えるということですが、聖書の中で、福音と聞くと、どんな御言葉をまず思い浮かべますか?

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神の子イエス・キリストの福音のはじめ。
マルコの福音書1章1節
「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」
マルコの福音書1章15節
それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。
マルコの福音書16章15節
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これなど見ると、マルコの福音書は、まさに福音書ですね。
福音に始まり、福音に終わると言う感じです。
福音を信じなさい。福音を宣べ伝えなさい。

ローマ人への手紙を見ると、パウロは言います。
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私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
ローマ人への手紙1章16節
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福音は救いを得させる神の力です。

では、ここで、福音福音といっている福音とはなんでしょう。
英語では、Good Newsとも、gospelとも言われますが、吉報。良い知らせというのがわかりやすい日本語の意味でしょう。
ちなみに、先ほどのマルコの16章15節に出てくる福音は、そのままギリシャ語ですとエウアンゲリオン
でこれが、あのアニメのエバンゲリオンの元の言葉です。福音っていう意味だったんですね。
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福音:Good News《吉報》 gospel エウアンゲリオン
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で、この福音は、結局、良い知らせ。吉報。
まあ、最近、良い薬ができた事が、病気の人への福音。とか、そういう使われ方をするわけですね。

良い知らせって言うとどうですか?
あそこのたこやきやが美味しいとか、そういう良い知らせ。
あそこの店は安いとかいう、良い知らせ。
グッドニュース。

もっと大きな。ワールドカップなんかで、日本が試合に勝ったという吉報。良い知らせ。グッドニュース。
合格した。そういう吉報。知らない人には早く伝えたい。びっくりした顔が見たい。喜ばせたい。
それが、グッドニュース。福音です。

でも、何でもいいのかというとそうではありません。
ガラテヤ人への手紙では、この福音について、パウロはいいます。
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兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。
ガラテヤ人への手紙1章11節
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この福音は人間によるのではない。神からである。

そのような福音。
聖書の福音。その中身について、パウロはいいます。
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3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
4 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、
5 また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。
コリント人への手紙第一15章3-5節
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これが、福音です。
皆さん仏滅と言うと縁起の悪い日です。
しかし、イエス様が死んで下さったという知らせは、福音なのです。
良い知らせなのです。

もっと、喜びにあふれた言葉を見ましょう。
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しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
コリント人への手紙第一15章57節
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私たちは、イエス様の十字架によって勝利が与えられた。
これが、福音です。
わかりますか?
あなたは何もしないのに、勝ってしまったのです。
イエス様の勝利によって、勝利してしまったのです。

何への勝利ですか?
死に対する勝利。罪に対する勝利。病に対する勝利。貧困に対する勝利。悪魔に対する勝利。悪魔のもたらすさまざまな問題に対する勝利です。
その勝利は、全ての祝福へとつながります。

さて、この福音ということについて、このように踏まえたうえで聖書箇所にもどります。

今回の箇所の登場人物は、ピリポです。
彼はどういう人物でしょう。
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5 この提案は全員の承認するところとなり、彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、
6 この人たちを使徒たちの前に立たせた。そこで使徒たちは祈って、手を彼らの上に置いた。
使徒の働き6章5-6節
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彼は、信仰と聖霊に満ちた人たちでした。
彼らは、問題の起こった食事の配給の働きをするために選ばれたのですが、そのとき、人々が選んだのは、信仰と聖霊に満ちた人だったのです。
教会の中で、誰かに何かをゆだねるとき、リーダーを立てるとき、このことはしっかりと踏まえておかなければならない事です。
この世的にどれだけ能力があっても、そのことで人選をすることは出来ません。信仰と聖霊に満ちた人でなければならないのです。

さて、このリストの中に、第一に上がっているのがステパノです。
彼は最初の殉教者です。

そして、共に選ばれたのがピリポです。
7章にステパノの殉教が書かれていますが、それに続く8章にこうかいてあります。
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1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。
2 敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ。
3 サウロは教会を荒らし、家々にはいって、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。
4 他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。
5 ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。
6 群衆はピリポの話を聞き、その行なっていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。
7 汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、大ぜいの中風の者や足のきかない者は直ったからである。
8 それでその町に大きな喜びが起こった。
使徒の働き8章
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この最初に出てくるサウロはパウロです。
そして、彼は、ステパノが殉教したとき、彼を殺すものの服の番をしていたと書いてあります。
このステパノの殉教から激しい迫害がはじまります。
その先頭に後のパウロであるサウロはいたのです。
そして、弟子たちは散らされ、ピリポは、サマリヤへ行きました。
サマリヤはエルサレムのはるか北です。

ピリポはそこで、キリストを宣べ伝えたそして、大きな喜びが町に起こりました。
この後、ピリポはここにペテロを呼ぶのです。

そして、ピリポは、主の命令により、エルサレムからガザへの道に向かいます。
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26 ところが、主の使いがピリポに向かってこう言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」(このガザは今、荒れ果てている。)
27 そこで、彼は立って出かけた。すると、そこに、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピヤ人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、
28 いま帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
29 御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい。」と言われた。
30 そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか。」と言った。
31 すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう。」と言った。そして馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。
使徒の働き8章26-31節
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このガザは、いま、また荒れ果てています。
祈りが必要です。

ここで、ピリポは、主の使いの言葉と、聖霊の導きで、一人の人物に語りかけます。

そして、ピリポは、彼にイエス様について、説明をします。
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32 彼が読んでいた聖書の個所には、こう書いてあった。「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。
33 彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」
34 宦官はピリポに向かって言った。「預言者はだれについて、こう言っているのですか。どうか教えてください。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」
35 ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。
使徒の働き8章32-35節
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この小羊のようなかたそれは、まさしく私たちの為に死んで下さったイエス様です。

そして、彼は、イエス様を信じ、洗礼を受けたのです。
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36 道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」
38 そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。
39 水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。
40 それからピリポはアゾトに現われ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った。
使徒の働き8章32-39節
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ピリポは、このあとも、アゾト、カイザリヤと福音を伝えて回ったのです。
聖書箇所をざっと見てみましたが、その働きに、聖霊様が共におられた事がわかります。
この彼の歩みから、福音宣教について、いくつかのポイントを見てみましょう。
まず、彼は信仰と聖霊に満ちていました。
彼は、主の命令と聖霊様の導きに敏感であり、従順でした。
彼は、御言葉の備えが出来ていました。
それで、このエチオピアの女王の宦官に説明をすることが出来たのです。
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32 彼が読んでいた聖書の個所には、こう書いてあった。「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。
33 彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」
34 宦官はピリポに向かって言った。「預言者はだれについて、こう言っているのですか。どうか教えてください。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」
35 ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。
使徒の働き8章32-35節
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そして、時を移さず、大胆に洗礼を授けました。
このようなことを見ると、ああ、ピリポは立派だから出来たのだとそのように思うかも知れません。
しかし、ピリポが立派だったからとは書いてありません。

ピリポは信仰と聖霊に満ちた人でした。
そして、それは行いでないのです。

私たちは、ピリポと同じように聖霊に満たされる事が出来ます。
また、ピリポと同じように信じる事が出来るのです。
それは、御霊なる主の働きによります。
この信仰と聖霊の満たしはセットです。
まとめてみましょう。

1.信仰と聖霊に満ちたている。(日々聖書を読み祈る。異言の祈りによって主と交わる。)
2.主の命令と聖霊様の導きに敏感であり従順に聞き従う。
3.福音のため備える。

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15 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。
16 ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。
ペテロの手紙第一3章15-16節
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4.大胆に福音を語る。
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みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
テモテへの手紙第二4章2節
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時が良くても悪くても、と書いてあります。
時はどうやってわかりますか?
ピリポの伝道していたサマリヤは、エルサレムからずっと北です。
一方使わされた場所は、エルサレムの南西。
ピリポにすれば、あんな遠いところへ。
今は時ではありませんということも出来たのです。
しかし、その離れたところに、主は、ピリポを使わされたのです。

エチオピア人も女王に使える高官です。
護衛もいたでしょう。
近づきにくかったかもしれません。
しかし、聖霊様の声を聞いたとき、ピリポは、今は時が悪いまた後でとはいいませんでした。
従ったのです。

主は、このピリポを、たった一人の人を救うため、はるばる使わされたのです。
主はそのような事をなさる方です。

主は、たった一人の人を救うために、あなたを使わされるかもしれません。

伝道と言うと、オイコス伝道という事が一時よく言われました。
オイコスとはギリシャ語で家族という意味です。
家族や周りの人に福音を伝えることは、非常に大切な事です。
そのとき、時には迫害も起こるかもしれません。
しかし、先ほどのペテロの手紙はこう書いてあります。
++++++++++
13 もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。
14 いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。
15 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。
16 ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。
17 もし、神のみこころなら、善を行なって苦しみを受けるのが、悪を行なって苦しみを受けるよりよいのです。
ペテロの手紙第一3章13-17節
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いつでも用意し、また、やさしく、つつしみ恐れて、弁明するのです。

福音。それは、喜びの知らせ。良い知らせです。
信じるもの全てが救われる素晴らしい知らせです。
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13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。
14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。
15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」
16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。」とイザヤは言っています。
17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
ローマ人への手紙10章13-17節
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この福音を宣べ伝えましょう。
良い事の知らせを伝える人々の足はりっぱだと書かれています。
主が、あなたを用いてくださいます。
お祈りしましょう。


<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20090628 福音を宣べ伝える
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