礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20090621
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一つ心になって
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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1 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。
2 それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。
3 それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。
詩篇133篇1-3節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちを一つにし導いて下さる方。
その交わりの中に住まれる方です。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

さて、いつものように、今週も聖書の通読箇所から見てまいりましょう。

今週の聖書の通読箇所は、旧約聖書が歴代誌第一から第二へ入ります。
また、新約聖書は、使徒の働きです。

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6月21日(日)[ ]T歴代23-25 /[ ]使徒4:1-22
6月22日(月)[ ]T歴代26-27 /[ ]使徒4:23-37
6月23日(火)[ ]T歴代28-29 /[ ]使徒5:1-16
6月24日(水)[ ]U歴代1-4 /[ ]使徒5:17-42
6月25日(木)[ ]U歴代5-6 /[ ]使徒6
6月26日(金)[ ]U歴代7-9 /[ ]使徒7:1-18
6月27日(土)[ ]U歴代10-12 /[ ]使徒7:19-44
6月28日(日)[ ]U歴代13-15 /[ ]使徒7:45-60
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歴代誌第一の最後は、ダビデが後継者をソロモンとするところで終わります。
そして、第二はソロモンの治世の始まり、そして、その王宮や神殿の建設と続きます。

ちなみに、サムエル記は、サウルの治世からダビデの治世への移り代わり、また、列王記は、エリヤからエリシャの働きへの移り変わりが切れ目になっています。

使徒の働きは、ペンテコステの日、男だけで五千人と言う教会がいきなり誕生した場面、そして、その教会での圧倒的な聖霊様の働きの様子。
また、その中であらわになる人の罪深さを見る事が出来ます。

これらのところ、是非お読み下さい。

さて、では、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、使徒の働き5章
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【 聖書箇所 】使徒の働き5章1-16節
・新改訳Up215(贈呈p191英対p353)
・新改訳Vp235英対p263(贈呈p218)・口語訳p187
・新共同訳p221 (贈呈p221英対p337)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
5:1 ところが、アナニヤという人は、妻のサッピラとともにその持ち物を売り、
5:2 妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。
5:3 そこで、ペテロがこう言った。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。
5:4 それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
5:5 アナニヤはこのことばを聞くと、倒れて息が絶えた。そして、これを聞いたすべての人に、非常な恐れが生じた。
5:6 青年たちは立って、彼を包み、運び出して葬った。
5:7 三時間ほどたって、彼の妻はこの出来事を知らずにはいって来た。
5:8 ペテロは彼女にこう言った。「あなたがたは地所をこの値段で売ったのですか。私に言いなさい。」彼女は「はい。その値段です。」と言った。
5:9 そこで、ペテロは彼女に言った。「どうしてあなたがたは心を合わせて、主の御霊を試みたのですか。見なさい、あなたの夫を葬った者たちが、戸口に来ていて、あなたをも運び出します。」
5:10 すると彼女は、たちまちペテロの足もとに倒れ、息が絶えた。はいって来た青年たちは、彼女が死んだのを見て、運び出し、夫のそばに葬った。
5:11 そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた。
5:12 また、使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議なわざが人々の間で行なわれた。みなは一つ心になってソロモンの廊にいた。
5:13 ほかの人々は、ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったが、その人々は彼らを尊敬していた。
5:14 そればかりか、主を信じる者は男も女もますますふえていった。
5:15 ついに、人々は病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせ、ペテロが通りかかるときには、せめてその影でも、だれかにかかるようにするほどになった。
5:16 また、エルサレムの付近の町から、大ぜいの人が、病人や、汚れた霊に苦しめられている人などを連れて集まって来たが、その全部がいやされた。
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ありがとうございます。
では、主題聖句をいいましょう。
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【 主題聖句 】
主を信じる者は男も女もますますふえていった。
使徒の働き5章14節
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では、この所から、
一つ心になって
と題しまして、御言葉を共に見てまいりたいと思います。

さて、今週は、この場所で京阪牧師会がありました。
毎回8名程度の牧師会なのですが、今回は、いつも来られる先生方が、それぞれに教団の牧師会などがあり、私を入れて4名で、まあその分ゆっくりとお話をする事ができました。

開催場所の教会の牧師が御言葉の勧めをする事になっていますので、私が、お話をさせていただいたのですが、岩清水八幡宮に行った話などから、偶像礼拝のことなどに触れ、お話をしました。
あの場所が、国宝でもあるということで、四人の内、3人が行った事があるということでした。

この八幡市、枚方市、そして、交野は、旧跡の多く残るところであります。
それらの中には、八幡の岩清水八幡宮のように、日本の偶像礼拝の根底なっているものがあります。

これらの事の為に、さらに祈る必要があることを覚えさせられます。

先週も言いましたが、偶像礼拝に縛られているのは、日本だけではありません。
ヨーロッパの文化も、ケルトや、オリンポスの神々に縛られています。
また、アジアも、仏教やヒンズー教から来る偶像礼拝に縛られています。

そして、一神教だといわれるイスラム教も、その成り立ちは、さまざまな神々の中から、この神を選んでこの神だけを拝む事にしようとしたもので、
本来の創造主をあがめるものとは根底的に違います。

この世界は、偶像礼拝の罪を悔い改めなければならないのです。

しかし、そのことは、人間の力によってでは出来ません。

聖霊様の働きによらなければならないのです。

さて、聖書の箇所は使徒の働きを見ておりますが、使徒の働き、使徒行伝とも言われますが、ある方はこれは聖霊行伝だと言われました。

なぜなら、使徒たちを通してなされたその数々の働きは、聖霊様なしには起こりえない事であるからです。

人によるのではない、ただ聖霊様が働かれ、大いなる御業をなされた、それが、使徒の働きです。

その中で、今回の箇所は、非常に痛ましい事件が書かれているところです。

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1 ところが、アナニヤという人は、妻のサッピラとともにその持ち物を売り、
2 妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。
3 そこで、ペテロがこう言った。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。
4 それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
5 アナニヤはこのことばを聞くと、倒れて息が絶えた。そして、これを聞いたすべての人に、非常な恐れが生じた。
6 青年たちは立って、彼を包み、運び出して葬った。
使徒の働き5章1-6節
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この後、妻もやってきて、同じように死んでしまうのですが、新約聖書の中で、これほどあからさまに神様の裁きが書かれているところを他に見る事が出来ません。
しかし、ここで、主ご自身の御力によって、アナニヤと妻のサッピラが死んだのです。

この二人の名前は、大きな悲しみです。
なぜ、このようなことは起こったのでしょうか?

少し前から見てみましょう。
4章にこうかいてあります。
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32 信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。
33 使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。
34 彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、
35 使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである。
36 キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、
37 畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。
使徒の働き4章32-37節
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ペンテコステの日、圧倒的な聖霊様の注ぎによって誕生した教会は、愛と恵みが満ちていました。
そして、彼らは、彼らは、
「心と思いを一つにして」
歩んでいたのです。

バルナバと呼ばれたヨセフと言う人が出てきます。
このバルナバは、後に、パウロを探し、共に宣教旅行をする人です。
人々が、パウロを迫害者として、恐れていたときも、バルナバはそのパウロを引き受けたと書いてあります。
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26 サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間にはいろうと試みたが、みなは彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。
27 ところが、バルナバは彼を引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼がダマスコに行く途中で主を見た様子や、主が彼に向かって語られたこと、また彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた様子など
を彼らに説明した。
28 それからサウロは、エルサレムで弟子たちとともにいて自由に出はいりし、主の御名によって大胆に語った。
使徒の働き9章26-28節
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彼は、本名はヨセフでしたが、バルナバすなわち慰めの子と呼ばれるほどで、人々に慰めを与える人だったのでしょう。
彼は非常に立派な人でした。

このバルナバは、レビ人であったと言われますが、わりと裕福な家庭に育ったのではないかと言われています。
そのバルナバは、持っている畑を売り、その代金を使徒たちの足元に置いた、つまり、教会に捧げたのです。

人々はそのようなバルナバを尊敬もしていたことでしょう。
しかし、バルナバだけでない、多くの人々が、愛と信仰を持って、教会に捧げ物をしていました。
しかし、そのような中、今回の聖書箇所に続きます。
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1 ところが、アナニヤという人は、妻のサッピラとともにその持ち物を売り、
2 妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。
3 そこで、ペテロがこう言った。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。
4 それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
5 アナニヤはこのことばを聞くと、倒れて息が絶えた。そして、これを聞いたすべての人に、非常な恐れが生じた。
6 青年たちは立って、彼を包み、運び出して葬った。
使徒の働き5章1-6節
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アナニヤという名前は、非常に悪い名前として、出てきています。
しかし、後に、パウロを助けた人物は、彼とおなじアナニヤという名前でした。
聖書は、何かの名前が、のろいの名前とされる事を嫌っているのかもしれないと感じる時があります。
イスカリオテのユダもそうです。ユダというのは、裏切り者の名前のようです。しかし旧約聖書を読んだ事のある人は、ユダがどれだけ大切な名前かをしっています。
ユダの子孫にダビデ王が生まれ、その子孫にイエス様がこられたのです。
のろいの話なら、13日の金曜日もそうです。悪い日だと思う方もおられます。しかし、その日こそ、イエス様が私たちの罪の為に十字架で死んで下さった勝利の日、祝福の日です。

お話をもどしますが、ここで、使徒ペテロはいいます。
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3 そこで、ペテロがこう言った。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。
4 それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
使徒の働き5章3-4節
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アナニヤのした罪は、聖霊を欺き、神を欺くという罪でした。

使徒の働き以降にも、罪をおかしたものたちのことが書かれています。
しかし、この夫婦のような死に方をしたものは他にかかれていません。
彼らは、この行いによって裁かれてしまったのでしょうか?

パウロは言います。
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8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
使徒の働き2章8-9節
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私たちの救いは、行いではありません。
これは、キリスト信仰の根底にある大切な事です。
ところが、彼らは、まるで、この行いによって裁かれたかのようです。

しかし、彼らのした事を良く見ると、彼らの信仰がどのようであったかがわかります。
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1 ところが、アナニヤという人は、妻のサッピラとともにその持ち物を売り、
2 妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。
使徒の働き5章1-2節
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ここで、彼ら夫婦は、良く考えて、このことを行った事がわかります。
おもいつきや、誘惑にまけてでなく、彼らは、良く考えてこのことをおこなったのです。

旧約聖書にアカンという人が出てきます。
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20 アカンはヨシュアに答えて言った。「ほんとうに、私はイスラエルの神、主に対して罪を犯しました。私は次のようなことをいたしました。
21 私は、分捕り物の中に、シヌアルの美しい外套一枚と、銀二百シェケルと、目方五十シェケルの金の延べ棒一本があるのを見て、欲しくなり、それらを取りました。それらは今、私の天幕の中の地に隠してあり、
銀はその下にあります。」
ヨシュア記7章20-21節
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このアカンは、神様が聖絶、つまり、全て捨ててしまえと言われた敵の持ち物が欲しくなり、かくしておいたのです。
そのために、神様は、イスラエルを怒り、彼らは戦いに負けてしまうのです。
そのとき、アカンは、それが、欲しくなったといっています。

人は目に見えるものに弱いものです。このアカンのした事に対する裁きは、ヨシュアが下しました。

しかし、この夫婦の罪はそういうものではなかったのです。
彼らは相談してこのことを行ったのです。

ペテロはいいます。
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3 そこで、ペテロがこう言った。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。
4 それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
使徒の働き5章3-4節
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代金は自分たちのものだから、残しておいても良かったのです。
もし、アナニヤが、代金はこれこれでしたが、捧げるのはこれだけですとはっきり言えば何も問題はなかったのです。

しかし、全部だと言って、この捧げ物を捧げた。それは、結局のところ、本当の神様を信じていないということをあらわしています。
なぜなら、本当の神様はすべてのことをご存知の方だからです。
その方の前で、何かを隠せると考えそのように行動した、それは、不信仰であるばかりでなく、神様が立てられた使徒たちをも侮ることです。

それゆえに、彼らは命を奪われたのです。

もう一人、旧約聖書から、コラという人を見てみましょう。
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1 レビの子ケハテの子であるイツハルの子コラは、ルベンの子孫であるエリアブの子ダタンとアビラム、およびペレテの子オンと共謀して、
2 会衆の上に立つ人たちで、会合で選び出された名のある者たち二百五十人のイスラエル人とともに、モーセに立ち向かった。
3 彼らは集まって、モーセとアロンとに逆らい、彼らに言った。「あなたがたは分を越えている。全会衆残らず聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、なぜ、あなたがたは、主の集会の上に立つのか。」
民数記16章1-3節
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このコラは、モーセに対抗してたちました。
そして、自分たちも祭司の務めを出来ると言ったのです。

この人たちの名前が、言語でどんな意味を持つかは調べていませんが、先ほどの、あかん とか こら とかまるで日本語のような。
まあ、まったく余談ですが、名前をそのように覚えていただければと思います。

お話をもどします。
そのときモーセはいいます。
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28 モーセは言った。「私を遣わして、これらのしわざをさせたのは主であって、私自身の考えからではないことが、次のことによってあなたがたにわかるであろう。
29 もしこの者たちが、すべての人が死ぬように死に、すべての人の会う運命に彼らも会えば、私を遣わされたのは主ではない。
30 しかし、もし主がこれまでにないことを行なわれて、地がその口を開き、彼らと彼らに属する者たちとを、ことごとくのみこみ、彼らが生きながらよみに下るなら、あなたがたは、これらの者たちが主を侮ったことを知
らなければならない。」
31 モーセがこれらのことばをみな言い終わるや、彼らの下の地面が割れた。
32 地はその口をあけて、彼らとその家族、またコラに属するすべての者と、すべての持ち物とをのみこんだ。
33 彼らとすべて彼らに属する者は、生きながら、よみに下り、地は彼らを包んでしまい、彼らは集会の中から滅び去った。
民数記16章28-33節
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これらのものが主を侮った事を知らなければならない。
コラのした罪は、主を侮った、それで、地面が割れて、コラについた人たちは、飲み込まれたのです。
しかし、ここで、コラについて少しお話があります。

詩篇を見ますと、コラの子たちの賛歌と書かれているところがあります。
このコラの子たちとは、ここで死んだコラの子どもたちです。
罪深いコラでしたが、その子どもたちは残されたのです。
そして、主を称えるものとなりました。

モーセをあなどり、主をあなどったコラは死にました。

この使徒の働きも、人を欺いたのではなく、神を欺いたのだと書かれています。

アナニヤたちは、使徒たちを欺き、馬鹿にしていたかも知れません。
しかし、彼らのしたことは、使徒をあざむくのでなく、神をあざむくこととなったのです。

このことは、私たちは気をつけなければなりません。

また、特に、神様の前に捧げ物をするという、神様と彼らとの関係の中で、このことは厳しく取り扱われたのです。

ここに、一つの捧げ物の原則を見る事が出来ます。

それは、捧げ物が、心からで無ければならないと言う事、正直でなければならないということです。

ホセア書を見ると、捧げ物についてこう書かれています。
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5 それゆえ、わたしは預言者たちによって、彼らを切り倒し、わたしの口のことばで彼らを殺す。わたしのさばきは光のように現われる。
6 わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。
7 ところが、彼らはアダムのように契約を破り、その時わたしを裏切った。

6わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。(口語訳)
6わたしが喜ぶのは/愛であっていけにえではなく/神を知ることであって/焼き尽くす献げ物ではない。(新共同訳)
ホセア書6章5-7節
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主が、喜ばれるのは、誠実、愛、いつくしみ、神を知る事。
また、こうも書いてあります。
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神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。
詩篇51篇17節
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しかし、彼らの捧げ物は、これらとまったく異なったものでした。
その結果厳しい捌きが下ったのです。

ですから、行いではなく、信仰であるということがいえます。

主はあなたの心をご存知だからです。

しかし、このことにより、教会はどうなりましたか?
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5:11 そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた。
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そして、主は、さまざまな業を使徒たちを通してなされました。
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5:12 また、使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議なわざが人々の間で行なわれた。みなは一つ心になってソロモンの廊にいた。
5:13 ほかの人々は、ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったが、その人々は彼らを尊敬していた。
5:14 そればかりか、主を信じる者は男も女もますますふえていった。
5:15 ついに、人々は病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせ、ペテロが通りかかるときには、せめてその影でも、だれかにかかるようにするほどになった。
5:16 また、エルサレムの付近の町から、大ぜいの人が、病人や、汚れた霊に苦しめられている人などを連れて集まって来たが、その全部がいやされた。
++++++++++
そこに大きな働きが起こったのです。

さて、先ほどのアナニヤとサッピラは、心を一つにして、主を欺きました。

しかし、信徒たちの心が一つに神様に向いたとき、素晴らしい御業がおこりました。

主は、私たちの心が一つである事ときそこに臨在されます。
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1 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。
2 それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。
3 それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。
詩篇133篇1-3節
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私たちが一つであるなら、すそにまでいたる豊かな主の油注ぎがあり、そして、豊かな水のような、命の恵みがそそがれるのです。
その命から愛はあふれます。

主は言われます。
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まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
マタイの福音書18章19節
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私たちの心が一つであるなら、主は、どんな事でも聞いて下さるのです。

主に期待しましょう。そして、一つになって祈りましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20090621 一つ心になって
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