礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20090614
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わたしの小羊を飼いなさい
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は私たちの羊飼い。私たちを守り導いて下さる方。
そして、私たちを、主の羊を養うものとされる方です。
この主を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

さて、いつもの用に、聖書の通読箇所から見てまいりましょう。
今週の聖書の通読箇所は、
旧約聖書が歴代誌第一
新約聖書がヨハネの福音書から使徒の働きへ入って参ります。
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6月14日(日)[ ]T歴代6-7 /[ ]ヨハ20:1-18
6月15日(月)[ ]T歴代8-10 /[ ]ヨハ20:19-31
6月16日(火)[ ]T歴代11-12 /[ ]ヨハ21
6月17日(水)[ ]T歴代13-15 /[ ]使徒1
6月18日(木)[ ]T歴代16-17 /[ ]使徒2:1-28
6月19日(金)[ ]T歴代18-20 /[ ]使徒2:29-47
6月20日(土)[ ]T歴代21-22 /[ ]使徒3
6月21日(日)[ ]T歴代23-25 /[ ]使徒4:1-22
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歴代誌の今回の所は、ダビデの活躍も見ることができます。

では、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所はヨハネの福音書21章です。

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【 聖書箇所 】 ヨハネの福音書21章15-22節
・新改訳Up206(贈呈p183英対p337)
・新改訳Vp225英対p(贈呈p209)・口語訳p178
・新共同訳p211 (贈呈p211英対p323)
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では、司会者お読み下さい。
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【 聖書箇所のテキスト 】
21:15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、
あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」
21:16 イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたし
の羊を牧しなさい。」
21:17 イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか。」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたは
いっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
21:18 まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなた
の行きたくない所に連れて行きます。」
21:19 これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現わすかを示して、言われたことであった。こうお話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」
21:20 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか。」と言った者である。
21:21 ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」
21:22 イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
こうお話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」
ヨハネの福音書21章19節
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では、この所から、
わたしの小羊を飼いなさい
と題しまして御言葉を聞いて参りましょう。

さて、御言葉の箇所に入ります前に、WHOがフェーズ6を宣言したということで、落ち着いてきたかと思っていましたら、逆に世界的に大変な状況になってまいりました。
フェーズ6 第六段階ということですが、 この報道で、何度もWHOのマークを見ていまして、杖にまきついた蛇はいったいなんだろうと考えました。
すぐに思い浮かんだのは、出エジプトの際のモーセの作った青銅の蛇です。
これは、それを仰ぐと癒されるという事で、もしかしたら、神の癒しをあらわしているのかと期待しました。
息子に、これについて、ネットで調べてもらいましたら、なんとぜんぜん違い、ギリシャ神話の中で、アポロンの子であり、大変優秀な医者であり神となったとされる、
アスクレピオスという医者の持っていた杖をあらわしているということで、世界的に医学の象徴だそうですが、なんのことはないWHOも偶像崇拝なのだと思いました。

日本は、八百万の神々を拝む間違った偶像礼拝の国だと、わたしたちは、聖書に照らすときに知ります。
そのことで、特に、日本が間違っているようにとらえ、ヨーロッパがキリスト教の影響を受けていて良いかのように思われる方もあるかも知れません。
しかし、実際のところ、ヨーロッパの文化は、ギリシャの神話にずいぶん犯されています。
それは、完全な偶像礼拝です。
そして、その文化の中に、オリンピックがあり、また、WHOなどの国連の機関もあるのだということです。

このフェーズ6だと騒いでいるその画面に掲げられたWHOのマークにあるシンボルにある偶像礼拝。
そこに生じるこのような世界的な問題。
まさに主は、世の終わりに向けて、全ての偶像礼拝を打っておられる。

私たちが、本当に、真の神様に立ち返らなければならないことを教えられます。

ところで、モーセの作った蛇の話を始めにだしましたが、この青銅の蛇も、また、人々の偶像崇拝の対象になったことが書かれており、人は目に見えるものに弱い事を教えられます。

このモーセの作った蛇。何の事かわからない方がおられると困りますので、少し説明します。
モーセに率いられたユダヤ人が、肉が欲しいとつぶやき、主の前に不平を叫んだとき、主は、うずらを降らせ、肉を食べさせてくださいます。
しかし、疫病が流行り、どんどん民が死んでいきます。
その時、主は、モーセに青銅の蛇をつくるように言われ、そのとおりにして、それを掲げたとき、見たものは癒されたのです。

主が、癒しをもたらすものを木にかけられた、そしてそれを見たものは癒されたのです。
これは、私たちイエス様を信じるものにとっても大きな意味を持ちます。
しかし、同時に、このことは、イスラエルの民にとって、後に偶像となり、躓きとなりました。
彼らは、その青銅の蛇そのものを拝むようになってしまったのです。

わたしたちは、ただ主だけに目を向ける。そのことを大切にしなければなりません。
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信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
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そして、この方は、神の御言葉が、人となってこられた方でした。
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ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
ヨハネの福音書1章14節
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わたしたちが信仰をもって御言葉を読むとき、わたしたちは、このイエス様に触れているのです。

この聖書の言葉は、わたしたちの霊を成長させます。

いまWHOのマークでさえ、偶像をあらわしているといいましたが、私たちの周りにあるのはそれだけではありません。
偶像礼拝、真の神様以外の何かを神として拝むことは、私たちの知らない間にわたしたちの文化の中に、生活の中に、そして、わたしたちの心の中に入り込んできます。

皆さん最近は食育という言葉をよく耳にします。
私たちが食べるものによってわたしたちの体は大きな影響を受けます。
悪いものばかり食べていると、体質や体調がおかしくなったり、病気になったり、ひどいときには死んでしまうかも知れません。
わたしも、悪いものを食べたせいでしょうか?
それ以外にもさまざまな原因があるでしょうが、アレルギー体質で、最近は、スイカや、トマト、メロンと言った、神様の創造された良いものが食べれなくなってしまいました。
悪いものを食べ、悪い環境の中にあることで、体は影響をうけて悪くなる。

わたしたちの魂そして霊は、言葉を食べます。
もし、変なものばかり食べていたら、霊は病気になったり、おかしくなったり、ひどいときには死んでしまいます。
もしかしたら、正しい神様の言葉に対する拒絶反応。アレルギーを起こしてしまい、御言葉を受け入れられなくなるかもしれません。

変なものとは何ですか?
それは、主なる神様の言われたことに逆らう言葉です。

主は、エデンの園で、善悪の知識の木の実について、とって食べてはならないといわれました。
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しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
創世記2章17節
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これが、神の言葉でした。

しかし、蛇の姿であらわれた悪魔は真っ向からこれに対抗しこういいました。
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そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
創世記3章4節
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アダムとエバは、この間違った言葉を食べたのです。
この間違った言葉を聞き、受け入れたのです。
その結果、二人はどうなりましたか?
結局、善悪の知識の木の実を食べるという、神様に対する最大の罪を犯し、そして、死んだのです。

わたしたちの霊が何を食べるかが、わたしたちの霊の成長、そして、そこにつながる神様の祝福の全てに影響します。
ですから、わたしたちは、何を聞くかに注意しなければならないのです。
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そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
ローマ人への手紙10章17節
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キリストについての御言葉は、人に信仰を与えます。
そしてこの信仰について、イエス様はいわれます。
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まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。
はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。(新共同訳)
ヨハネの福音書6章47節
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この新共同訳を見ると、はっきりとイエス様が言われます。
信じるものは永遠の命を得るのです。

逆に、信じないものは、永遠の命を持っていない。
それは、神の言葉を聴かないことから始まります。

わたしたちは、神の言葉を聴かなければなりません。
そして神様に頂いた永遠の命、霊が成長するためには、わたしたちは、神の言葉である聖書を読まなければならないのです。

聖書を読むのは、一回読んで、内容がわかったからそれで終わり、一通り一回読んだからそれで終わりではありません。
毎日毎日、明日も来週も、来年も、私たちが、天で主とお会いするその日まで、読まなければならないのです。

そういうと、そんな律法的なと言われる方がおられます。
しかし、これは、義務ではありません。律法でもありません。

皆さん。
毎日ちゃんと食事をとらないといけませんよ。
死んでしまいますよ。
といわれ、そんな義務はいやだと食べなかったら、どうなりますか?
本当に死んでしまいます。
それは義務ではありません。律法でもありません。

食事ならまだいいです。
皆さん、ちゃんと息をしないと死んでしまいますよといわれ、そんな義務はいやだと息をしないでいたらどうですか?
すぐに死んでしまいます。

だれも、それは義務だとか律法だとかいいません。
私たちの体はそのように出来ているのです。

しかし聖書を読みましょう。そうしないとあなたの霊が死んでしまいますよ。
というと、そんな義務はいやだという人がおられるのです。
そんなことは律法だ、信仰は自由のはずだと言い出される方がおられるのです。

しかし、私たちは、体が息をし、食物を得るように、当たり前に、祈り、御言葉を読むように出来ているのです。
それが出来ないのは、体が弱っているときに食事がとれないように、霊が弱っているか、
最初のほうでお話したように、悪いものばかり食べていて、良いものにアレルギーになっているからかもしれません。
もしそうなら、それこそ大変です。体質を整えなければなりません。
そのためには、なおさら良いもの、すなわち聖書を読む必要があります。

霊の世界において見るとき聖書を読み祈る。
これは、当たり前のことなのです。

聖書は霊の食物です。

御言葉は命のパンなのです。
これによって、人は生きるのです。
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イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
マタイの福音書4章4節
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さて、御言葉の箇所とぜんぜん関係ない話をしていると思われるといけないのでそろそろそちらに戻ります。
しかし、今までお話した事は、この聖書箇所と関連のあるお話です。

今回の聖書箇所は、ペテロと蘇られたイエス様の会話です。
この中で、まず、イエス様はペテロに聞かれます。
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彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなた
がご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」
ヨハネの福音書21章15節
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わたしを愛しますか?

ペテロは、答えます。
わたしがあなたを愛する事はあなたがご存知です。

ペテロは、イエス様の事を知らないといって逃げ出した人です。
三度イエス様を知らないと言いました。
そのことで、ペテロは涙しました。

イエス様が十字架につけられる前、イエス様は、ペテロを良くご存知で、イエス様を置いて逃げてしまう。
そして、イエス様を知らないと言うと、告げておられました。

そして、そのとおりの事がおこりました。
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69 すると女中は、ペテロを見て、そばに立っていた人たちに、また、「この人はあの仲間です。」と言いだした。
70 しかし、ペテロは再び打ち消した。しばらくすると、そばに立っていたその人たちが、またペテロに言った。「確かに、あなたはあの仲間だ。ガリラヤ人なのだから。」
71 しかし、彼はのろいをかけて誓い始め、「私は、あなたがたの話しているその人を知りません。」と言った。
72 するとすぐに、鶏が、二度目に鳴いた。そこでペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは、わたしを知らないと三度言います。」というイエスのおことばを思い出した。それに思い当たったとき、彼は泣き出した。
ヨハネの福音書14章69-72節
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イエス様は、ペテロの事を、ペテロ以上によくご存知でした。

皆さん。皆さんのこともそうです。
イエス様は、皆さんがどういうものか、皆さん以上に良くご存知です。
何をなやんでいるのか、何に苦しんでいるのか、どんな罪と戦っているのか、どんな問題を抱えているのか。
全て主はご存知です。

ですから、あなたは主の前で強がる必要はありません。
立派に見せようとする必要もありません。

主は、あなたが、そのままで、主の前に出てくることを待っておられます。
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すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
マタイの福音書11章28節
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さて、ペテロは、自分を、自分以上にご存知のイエス様に言います。
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彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなた
がご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」
ヨハネの福音書21章15節
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あなたがご存知です。

ペテロは、イエス様を愛していないとは言いません。
それもまた、間違いだからです。

ペテロはイエス様を裏切りました。
しかし、ペテロの心にはイエス様に対する愛がありました。
それは、ペテロの正直な心でした。
しかし、その心以上に、ペテロの弱さの方が大きかったのです。

わたしたちは、自分の心にどこまでも正直でなければなりません。

例えば、私たちが、神様に従おうとして従えないとき、
その自分の弱さがはらただしかったとしても、自分は神様に従う気が無いのだと言い切ってしまってはなりません。

自分の弱さのままで主の前に出て行かなければならないのです。
そのとき、主は力を与えてくださいます。
このことについて、パウロもこういっています。
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しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜
んで私の弱さを誇りましょう。
コリント人への手紙第二12章9節
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しかし、このことは、自分のためだけであってはなりません。
こう書いてあります。
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あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。
信仰の弱い者を受けいれなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。(口語訳)
ローマ人への手紙14章1節
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わたしたちは、互いの弱さを受け入れなければならないのです。

新改訳で、意見をさばいてはいけません。となっている箇所は、口語訳では意見を批評するためであってはならないと書いてあります。

教会でわたしたちは、このことを気をつけなければならないと思います。
弱いものの意見。その言い方さえ失礼かもしれませんが、誰かの弱い信仰による意見を批評し、はねつけてしまう。
それは、聖書の命じる所ではありません。
弱いものを受け入れなければならないのです。

さて、もう一度、ペテロの話にもどります。

ペテロは、自分では精一杯イエス様を愛していると思っていました。
しかし、ペテロは逃げ出し、イエス様を否定し、自分の弱さを思い知らされたのです。
その結果、ペテロは答えるのです。
++++++++++
彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなた
がご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」
ヨハネの福音書21章15節
++++++++++
主がご存知です。

この言葉、どちらも愛と訳されていますが、イエス様の方は、アガペー、そして、ペテロの方はフィレオーが使われています。
良く、アガペーは無償の愛。フィレオーは、友愛などとも言われますが、ここで、アガペーは完全に与える愛、そして、フィレオーは、受けたもののお返しする愛と見ることが出来るでしょう。

イエス様に完全な愛であいするかと聞かれたペテロは、自分の愛はイエス様の愛の応答なのだとこたえます。
しかもそのことすら、愛します。と答えず、あなたがご存知ですと、答えるのです。

ペテロは、自分という存在を完全にイエス様に明け渡しているのです。

これは、本当に主の前にへりくだった姿です。
しかし、それは、ペテロの立派さではなく、本当に、主にすがるペテロの姿です。

わたしたちは、このように自分の弱さを教えられるところを通るときがあります。
そのとき、私たちは、ただ、主にすがりつかなければなりません。
それは、主の愛を知る大きな恵みの時です。

主はペテロに言われます。
「わたしの小羊を飼いなさい。」
このやりとりは三度繰り返されますが、そのたびに、この言葉は少しづつ変わります。
「わたしの羊を牧しなさい。」
「わたしの羊を飼いなさい。」
小羊を飼う。羊を牧する。羊を飼う。

主は、いくつかの表現で、ご自分を信じるものの群れを、牧することについて、ペテロに命じられます。
最初に、小羊を飼うことからはじまります。
小さなものを、守り養う。
そして、大きなものを牧する。
さらに、それを飼う。

牧する。という言葉は、新共同訳では、「わたしの羊の世話をしなさい」
と、書かれています。

飼う、大きなものの、世話をする。そして、大きなものを飼う。

飼うというのは、その存在の全てに責任を持つ事です。

それに対して、世話をするのは、その時々の事だといえるでしょう。

それは、段階的なことであるのを見ることが出来ます。
一つ一つ、小さなことから積み上げていかなければならないのです。

また、英語ですと、飼うという言葉は、フィードとなっていますが、これはえさをやる。
ということで、食物を与えるという事が、その大きな仕事であることがわかります。

では、私たちは、何をもって主の群れを養うのでしょう。

それは、御言葉しかありません。

これが、前半にお話した事柄です。

私たちは、御言葉によってしか主にある成長を遂げることが出来ません。
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いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。
使徒の働き20章32節
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わたしもそうです。
私は、私の羊を飼いなさいと主から御言葉をいただいたとき、どのようにするのかお聞きしました。
すると主は、御言葉で養うようにといわれたのです。

ですから、私はほとんど聖書以外のお話を講壇でいたしません。

主が、皆さんを御言葉によって成長させてくださる。
このことを信じています。
そして、自分自身も、御言葉によって成長させていただきたいと願っています。

皆さん。主が私たちを共に成長させてくださるようにお祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20090614 わたしの小羊を飼いなさい
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