礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20090607
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永遠のいのちとは
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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1 神よ。私をお守りください。私は、あなたに身を避けます。
2 私は、主に申し上げました。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」
3 地にある聖徒たちには威厳があり、私の喜びはすべて、彼らの中にあります。
4 ほかの神へ走った者の痛みは増し加わりましょう。私は、彼らの注ぐ血の酒を注がず、その名を口に唱えません。
5 主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。
6 測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。
7 私は助言を下さった主をほめたたえる。まことに、夜になると、私の心が私に教える。
8 私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
9 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。
10 まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。
詩篇16章1-11節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、死んで蘇られた方。命なる方。永遠の命を与えてくださる方です。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

ではまず、聖書の通読箇所を見てまいりましょう。
今週の聖書の通読箇所は、
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6月7日(日)[ ]U列王14-15 /[ ]ヨハ16:1-16
6月8日(月)[ ]U列王16-17 /[ ]ヨハ16:17-33
6月9日(火)[ ]U列王18-19 /[ ]ヨハ17
6月10日(水)[ ]U列王20-22 /[ ]ヨハ18:1-18
6月11日(木)[ ]U列王23-25 /[ ]ヨハ18:19-40
6月12日(金)[ ]T歴代1-2 /[ ]ヨハ19:1-22
6月13日(土)[ ]T歴代3-5 /[ ]ヨハ19:23-42
6月14日(日)[ ]T歴代6-7 /[ ]ヨハ20:1-18
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旧約聖書が列王記第二から歴代誌第一
新約聖書がヨハネの福音書16から20章です。

列王記の第二は、バビロン捕囚で終わります。
どこまでも、神様に逆らい、偶像を拝む事をやめない彼ら。そのために、神殿は破壊され、そして、彼らはバビロンへ捕囚となります。
しかし、神様の恵みの御手はさらに続きます。
歴代誌は、歴史を改めてアダムから系図をたどるようにして見ていくものです。

また、新約聖書はヨハネの福音書が続きます。
19章でイエス様の十字架について書かれています。

これらの所を是非お読み下さい。
聖書は生きていて力のある神の言葉です。
イエス様は、聖書はご自身について書いてあるといわれました。
このイエス様は、永遠の命を与えて下さる方です。

では、本日の聖書箇所をお読みしましょう。
本日の聖書箇所は、ヨハネの福音書17章です。
では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
17:1 イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。
17:2 それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。
17:3 その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。
17:4 あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。
17:5 今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。
17:6 わたしは、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々に、あなたの御名を明らかにしました。彼らはあなたのものであって、あなたは彼らをわたしに下さいました。彼らはあなたのみことばを守りました。
17:7 いま彼らは、あなたがわたしに下さったものはみな、あなたから出ていることを知っています。
17:8 それは、あなたがわたしに下さったみことばを、わたしが彼らに与えたからです。彼らはそれを受け入れ、わたしがあなたから出て来たことを確かに知り、また、あなたがわたしを遣わされたことを信じました。
17:9 わたしは彼らのためにお願いします。世のためにではなく、あなたがわたしに下さった者たちのためにです。なぜなら彼らはあなたのものだからです。
17:10 わたしのものはみなあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。
17:11 わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同
様に、彼らが一つとなるためです。
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ありがとうございます。
では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。
ヨハネの福音書17章3節
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では、今日はこの所から、
永遠のいのちとは
と題しまして、御言葉を見てまいりましょう。

さて、今回の聖書箇所には、大切なことが沢山書かれています。

なかで、まず、この御言葉を見てみましょう。
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今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。
ヨハネの福音書17章5節
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ここにイエス様がどういう方かという、イエス様ご自身の証言があります。
この御言葉は、イエス様が、単なる立派な人間ではない事を教えてくれます。
そして、イエス様が、世の初めからおられた方であると言う事もこのみ言葉からあきらかなのです。

キリスト教を信じる人の中には、これが、一つの道徳であると考える方もおられます。
また、イエス様のなさった、愛の業や、その立派さに目を留めることもあるでしょう。
しかし、本当は、イエス様が、この地上で何もなさらなくても、イエス様は神の子どもなのです。
そして、世の初めから、おられたかたなのです。

ですから、イエス様はこういわれます。
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イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」
ヨハネの福音書8章58節
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イエス様は、アブラハムの前からおられた方です。
もし、このことをただのたわごとや、象徴的な言葉として捉えるなら、キリスト教の全てが無意味です。

イエス様が、どういう方であるか、このことこそが、私たちの信じる大切な事柄なのです。
それは、ヨハネが冒頭から再々、語っている事です。
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1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
ヨハネの福音書1章1-4節
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はじめからおられた方。
そのことを、ヨハネは、教えようとします。
イエス様のそばでいつもイエス様から愛され、そして、イエス様を見ていたヨハネは、この方が、ただの人間でない事をよく知っていたのです。

パウロも、ピリピ人への手紙で、こういいます。
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6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
ピリピ人への手紙2章6-7節
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本来、神であり、そして、そのかたが、人間と同じようになられた、それが、イエス様です。

先日、岩清水八幡宮に、祈りの歩行に行きました。
やはり、そこは、大変な霊的な拠点なのだと言う事を、本当に教えられました。

岩清水八幡宮は宇佐八幡宮を京都の裏鬼門よけの為に移したものとも言われます。
京都は、長岡京が厄災にあった後に出来た都ですが、その災いを遠ざけるために京都はその時の仏教、中でも密教や、風水、神道、などのさまざまな呪術を用いて結界を設けようとした町でした。
その霊的な砦の一つが、岩清水八幡宮です。

しかし、そのなかで、そのご神体とされているのが、応仁天皇であり、また、その母である神功皇后であるのを見て、ある方がポツリと言われました。
死んだ人間を神として拝むなんて空しい、、。

日本では、立派な人や、位の高い人を神としてあがめる習慣があります。
日光の徳川家康などもそうでしょう。
また、逆に、ひどい死に方をした人も、そのたたりを恐れてか、神としてあがめる事があります。
大宰府天満宮とされる菅原道真や、足利尊氏、そして、明智光秀も、神として祭られています。

しかし、人は、神になる事は出来ません。
どんなに立派であったとしても、人は人。
聖書の神さまは、この世界を創られた方、この世界の前からおられた方です。
人が何をしても、この神様になることは出来ないのです。

人が簡単に神になる文化は、そのことを理解しない、いや、本当の創造主を認めないいい加減な宗教観の果てだと言うと、言いすぎでしょうか?
どちらにしても、人は神になることは出来ません。

しかし、イエス様は、ご自分が立派だから神になったとは言われない。
むしろこういわれるのです。
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イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」
ヨハネの福音書8章58節
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また、こう祈られるのです。
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今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。
ヨハネの福音書17章5節
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そして、ヨハネの福音書の初め。
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1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
ヨハネの福音書1章1-4節
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この方は、世の初めからおられたのです。

ヨハネは、イエス様から愛された人でした。
ヨハネは、イエス様の教えを聞き、またなさったことを見ていた人でした。
そのヨハネは、イエス様のなさったあの事でもこの事でもなく、その教えでもなく、まず、このことを福音書の初めに書いたのです。
ヨハネは、福音書の初めで、イエス様が神様だと言う事を言いたくてしかたがなかったのです。

皆さん。私たちは、人が修行によって立派になろうとする宗教をしているのではありません。
ただ、この本当の神様をあがめているのです。
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だれも神を見た者はありません。ただ神から出た者、すなわち、この者だけが、父を見たのです。
ヨハネの福音書6章46節
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そして、イエス様は、ただ一人、神様のとこから来られた方なのです。

私たちが、イエス様を信じる。
それはどういう意味でしょうか?

良く、魚のマークを見ます。
ギリシャ語で、魚を、イクツゥースこれをイクソスとも言います。
イエス・キリスト・神の子・救い主という言葉の頭文字を並べると、この言葉になり、そのことから、信徒の間の目印に使われたと言うものです。
イエス・キリスト・神の子・救い主。
この言葉をならべると、ああ、そうだ、イエス様は神の子で救い主なんだで終わってしまうのですが、
イエス様が、神の子であるというそのことは、先ほどのような、なんでも死んだら神様になってしまうような、いい加減な宗教観の中で考えてはならないのです。

ユダヤ教は、唯一の神様を信じる信仰です。
その中で、人を神とするなら、それは、偶像崇拝であり、死刑に値する罪なのです。
しかし、その中で、あえて彼らは、イエス様が神の子である、ヨハネにいたっては、この方は神であったと宣言しているのです。
それは、大問題です。
しかし、この事実を彼らは曲げるわけにはいかなかたのです。

皆さん。私たちの信じることは、ここからはじまります。
私たちは、神が人となってこられたと言う事を信じているのです。
そして、この方が救い主なのです。

天地創造のはじめからおられたかた、全てを組み立てられた方、その方が、そして、人間を創られた方が、また、人間の姿をとって世にこられた、それがイエス様です。
箴言の中には、こう書かれたところがあります。
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26 神がまだ地も野原も、この世の最初のちりも造られなかったときに。
27 神が天を堅く立て、深淵の面に円を描かれたとき、わたしはそこにいた。
28 神が上のほうに大空を固め、深淵の源を堅く定め、
29 海にその境界を置き、水がその境を越えないようにし、地の基を定められたとき、
30 わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しみ、
31 神の地、この世界で楽しみ、人の子らを喜んだ。
32 子どもらよ。今、わたしに聞き従え。幸いなことよ。わたしの道を守る者は。
箴言8章26-32節
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ここで、神の言葉であるイエス様は知恵として現れておられるのですが、世界を組み立てておられるかたが、人の子らを喜んだ。
私たち人間を喜びとされたと書いてあるのです。
この愛のゆえに、イエス様は、私たちのところに来てくださったのです。
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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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ここで、父なる神様が、その愛のゆえに、一人子イエス様を使わされた事が書かれています。
別な箇所でまた、こうも書かれています。
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神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
ヨハネの手紙第一4章9節
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父なる神様が私たちを愛し、イエス様を使わされた。
しかし、このイエス様は、ただ、父なる神様の命令だから、この世にこられたのではないのです。

先ほどの箴言のように、イエス様も、私たちを愛して下さっておられたのです。
私たちを創り、私たちを喜ばれた方が、その愛のゆえに、人となってきてくださったのです。

この方は、私たちのところに来て、神の愛を教えてくださいました。
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いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
ヨハネの福音書1章18節
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このひとり子の神。イエス様が神であるということ。
わたしたちは、聖書を読む上で、このことを忘れてはなりません。

そして、私たちがイエス様を知る。
このことは、大変な意味があるのです。
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2 それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。
3 その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。
ヨハネの福音書17章2-3節
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イエス様を知ること。それは、永遠の命なのです。

そして、イエス様は信じるものは永遠の命を持つとも言われるのです。
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47 まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。
48 わたしはいのちのパンです。
49 あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死にました。
50 しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。
ヨハネの福音書6章47-50節
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また、イエス様は、これを食べろと言われるのです。

私たちが、いただく、聖餐式のパンは、このことをあらわしています。

主をいただく。それは、イエス様を受け入れてイエス様と共に生きる事を意味します。

イエス様はいわれます。
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また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
マタイの福音書26章26節
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イエス様を信じる、そこに永遠の命があります。
すなわち永遠の命とは、命の根源である方との関係であるのです。
ですから、このこと以外に救いはありません。

命からはずれたものは、やがて滅んでしまうからです。

この命の根源である方にしっかりと結びつきましょう。
イエス様はこうもいわれます。
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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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イエス様にとどまり、豊かな実を結ばせていただきましょう。

お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20090607 永遠のいのちとは
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