礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20090531
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わたしがあなたがたにしたとおり
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちに聖霊を送り、主とおなじ姿へと導いてくださる方。
王の王主の主なる方です。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

さて、本日は、ペンテコステです。
これは、五旬節とも七週の祭りともいわれるユダヤの祭りに由来するものですが、イエス様が、十字架で死に、そして、蘇られたそのときのペンテコステは特別でした。
その日、聖霊様が下られたのです。
それは、預言の成就であると、ペテロは人々の前に証言しました。
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16 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。
17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
使徒の働き2章16-18節
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後ほど、また、このことについてもお話をしたいと思いますが、
今日は、このことを記念するペンテコステです。
そして、それは、クリスマス、復活祭につぐ、キリスト教のお祭りです。
ですから、ペンテコステおめでとうございます。

さて、では、いつものように、聖書の通読箇所から見て参りましょう。
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5月31日(日)[ ]T列王22 /[ ]ヨハ12:20-36
6月1日(月)[ ]U列王1-2 /[ ]ヨハ12:37-50
6月2日(火)[ ]U列王3-4 /[ ]ヨハ13:1-20
6月3日(水)[ ]U列王5-6 /[ ]ヨハ13:21-38
6月4日(木)[ ]U列王7-8 /[ ]ヨハ14:1-21
6月5日(金)[ ]U列王9-10 /[ ]ヨハ14:22-31
6月6日(土)[ ]U列王11-13 /[ ]ヨハ15
6月7日(日)[ ]U列王14-15 /[ ]ヨハ16:1-16
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本日の聖書の通読箇所は、
旧約聖書が列王記第一から第二
新約聖書が、ヨハネの福音書です。

列王記第一の最後の方には、エリヤが登場します。
そのエリヤが、この列王記第二の初めで、天へ上げられます。
そして、それを継ぐのが、エリシャです。
エリシャは、エリヤの二倍の霊を求めた預言者です。
このエリシャの働きも、非常にダイナミックです。

新約聖書は、ヨハネの福音書
とくに、今回の12節以降は、十字架の為にエルサレムに入られたイエス様の歩みです。
そして、ヨハネの福音書は、このときのイエス様の歩みに、多くのページを割いています。
是非、そのところもお読み下さい。

聖書は、生きていて力のある神の言葉、命のパン、霊の糧です。
この神の言葉を共に頂かせていただきましょう。

さて、では、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、ヨハネの福音書13章です。

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【 聖書箇所 】ヨハネの福音書13章3-17節
・新改訳Up189(贈呈p168英対p310)
・新改訳Vp207英対p231(贈呈p192)・口語訳p162
・新共同訳p194 (贈呈p194英対p298)
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では、司会者お願いします。

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【 聖書箇所のテキスト 】
ヨハネの福音書13章3-17節
13:3 イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が父から来て父に行くことを知られ、
13:4 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
13:5 それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。
13:6 こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。ペテロはイエスに言った。「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。」
13:7 イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」
13:8 ペテロはイエスに言った。「決して私の足をお洗いにならないでください。」イエスは答えられた。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」
13:9 シモン・ペテロは言った。「主よ。わたしの足だけでなく、手も頭も洗ってください。」
13:10 イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。」
13:11 イエスはご自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みながきよいのではない。」と言われたのである。
13:12 イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。
13:13 あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。わたしはそのような者だからです。
13:14 それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。
13:15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。
13:16 まことに、まことに、あなたがたに告げます。しもべはその主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさるものではありません。
13:17 あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行なうときに、あなたがたは祝福されるのです。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。
ヨハネの福音書13章15節
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では、今日はこのところから、

わたしがあなたがたにしたとおり

と題しまして、御言葉を見てまいりましょう。

まず、今回の聖書箇所、これは、イエス様が十字架に架かられる直前の出来事です。
このことを、覚えて、洗足式という足を洗いあう儀式を行う場合があります。

このイエス様がなされたことには、いったいどういう意味があるのでしょう。

まず、イエス様は、皆の足を洗い、そして、手ぬぐいで拭かれました。

足を洗うということが、出てくるところが他にもあります。

一つはこれです。
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37 すると、その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油のはいった石膏のつぼを持って来て、
38 泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。
ルカの福音書7章37-38節
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そして、もう一つは、今回の聖書箇所のすぐ前のこれです。
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マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。
ヨハネの福音書12章3節
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女たちがイエス様の足を洗っています。
この髪の毛でイエス様の足をぬぐうそれは、普通のことではありません。
それほどに、彼女たちはイエス様に感謝し、イエス様を愛したのです。

しかし、足を洗うことは、一つの習慣でもありました。
今のような舗装した道路を歩くのではありませんし、靴を履いているのでもありません。
足はほこりだらけになります。

しかし、それを洗うのは、奴隷や僕たちの仕事でした。
ところが、今回の箇所ではイエス様は、ご自身が、足を洗われたのです。

ここで、ペテロはイエス様に言います。
「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。」
そして、主は言われます。
「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」

あとで、わかるようになるような、深い意味がこのことにはあるということです。
そして、その一端が次に出てきます。

ペテロが言います。
「決して私の足をお洗いにならないでください。」
すると、イエス様はいわれます。
「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」
もし、イエス様が足を洗わないなら、ペテロとイエス様には何の関係もないというのです。
どういうことでしょうか?

足を洗う。
先ほどいいましたように、足は汚れています。
道を歩いて汚れている足。それは、この世に歩む中で汚れてしまう私たちの心のようです。
私たちの心は、道で泥に汚れる足のように、世の中でぶつかる問題や、困難、苦しみの為に、悲しみや怒りや苦い思いで汚れます。
しかし、それをイエス様は綺麗にして下さるのです。

キリスト教は、一つの宗教であると、考えます。
宗教というもののに人々が期待する事柄として、自分の心を綺麗にする方法があります。
しかし、キリスト教は、何か修行によって自分の力で自分の心を綺麗にするのではありません。

私たちの信じるイエス様は、汚れた私たちの心を綺麗にしてくださるのです。
そして、本当はこのことは、イエス様にしか、そして、イエス様にあるものにしか出来ないのです。

次の御言葉に続きます。
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13:14 それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。
13:15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。
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師である方が僕となって、足を洗ってくださった。
それは、イエス様がなされた模範です。

そのことの意味がこう書いてあります。
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13:13 あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。わたしはそのような者だからです。
13:14 それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。
13:15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。
ヨハネの福音書13章13節
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マタイの福音書の20章の中ではイエス様はこうも言われます。
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25 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。
26 あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
27 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。
28 人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」
マタイの福音書20章25-28節
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あなたがたは、しもべとなりなさいとイエス様はいわれるのです。

しかし、このことは、簡単なことではありません。
私たちの心には、自分を高くしたいと言う思いがあります。
そして、また、神の言葉に従えない罪があるのです。

しかし、イエス様は僕となってくださいました。
そして、ここに決定的な、イエス様がこられた目的が書かれています。

自分の命を与え、父なる神様の元へ行く事、これが、イエス様の使命でした。
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5 しかし今わたしは、わたしを遣わした方のもとに行こうとしています。しかし、あなたがたのうちには、ひとりとして、どこに行くのですかと尋ねる者がありません。
6 かえって、わたしがこれらのことをあなたがたに話したために、あなたがたの心は悲しみでいっぱいになっています。
7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わ
たしは助け主をあなたがたのところに遣わします。
ヨハネの福音書16章5-7節
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ここで、イエス様は、何のためにこられたのかがその使命の一番大切なことが書かれています。
イエス様は、十字架で死に、そして、父なる神様のもとへいき、助け主を送るためにこられたのです。

この助け主について、イエス様はいわれました。
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23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
24 わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。
25 このことをわたしは、あなたがたといっしょにいる間に、あなたがたに話しました。
26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
ヨハネの福音書14章23-26節
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ペンテコステはユダヤ教においては、モーセが律法を受け取った事を記念する日だともいいます。
その日、神が、石の板に、御言葉を刻まれました。

先ほど、ペテロの言葉の中で、ペンテコステについての預言がありました。
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28 その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。
29 その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。
ヨエル書2章28-29節
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このとき、主の霊が注がれました。
おなじ出来事を、エゼキエルはこう預言します。
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19 わたしは彼らに一つの心を与える。すなわち、わたしはあなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。
20 それは、彼らがわたしのおきてに従って歩み、わたしの定めを守り行なうためである。こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。
エゼキエル書11章19-20節
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おなじ事が、もう一箇所預言されています。
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26 あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。
27わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行なわせる。
エゼキエル書36章26-27節
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主は、霊をそそがれ、そのことにより、肉の心を与え、また、定めを守り行わせてくださると言う事です。

私たちは、主に従うことの困難なものです。
しかし、主は霊を注がれます。
それは、なんのためですか?
私達が、神様の教えに従い、定めを守るためです。
そして、そこに本当の祝福があるのです。

このことを、主は約束しておられた、その成就が、このペンテコステです。

そして、主が、送られた助け主は、主の教えを私たちに思い起こさせ、そして、私たちが、主にしたがって歩む事が出来るよう導いてくださるのです。

主は、力や、賜物でなく へりくだる僕になるようにと聖霊様を注いで下さるのです。

今月は、この聖霊様の助け、働きにちなんだところを何度か見てまいりました。
しかし、今回、この聖書箇所から、主は、私たちが本当にへりくだるようにと、教えておられるのです。

聖霊の恵みを受ける上でもっとも大切な事、それは、へりくだり主に従うことです。

ヨハネの福音書14章を見ます。
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16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなた
がたのうちにおられるからです。
18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。
19 いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。
20 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。
21 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。」
ヨハネの福音書14章16-21節
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ここで、主の戒めを保つものは、主を愛するもので主に愛されるとあります。
しかし、戒めを守るなど無理だと言う言葉を聞きます。
神様に従って歩むことなど出来ないというのです。

しかし、助け主を、主は与えてくださいます。
そして、この方は、私たちが、戒めに従うことを助けて下さるのです。
私たちは、聖霊様の助けで、戒めに従います。
そして、そのものを主は愛してくださるのです。

ですから、聖霊様を求めましょう。

そして、聖霊様は力を与えてくださいます。
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しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
使徒の働き1章8節
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私たちは、力を受けます。
そして、証人となります。

しかし、私たちがまず忘れてならないのは、主の前にへりくだり、主に従うことです。
そこに本当の祝福と油注ぎがあります。
お祈りしましょう。


<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20090531 わたしがあなたがたにしたとおり
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