礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20090510 
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目を上げて畑を見なさい
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
天地の全てを治めておられる方。
主は収穫の主です。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

本日は、母の日です。
おかあさんがたの祝福をお祈りする時を持ちたいと思います。
<祈り>
では、いつものように、聖書の通読箇所から見てまいりましょう。
今週の通読箇所は、旧約聖書がサムエル記第二
新約聖書がヨハネの福音書です。
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5月10日(日)[ ]Uサム14 /[ ]ヨハ3:22-36
5月11日(月)[ ]Uサム15 /[ ]ヨハ4:1-30
5月12日(火)[ ]Uサム16-17 /[ ]ヨハ4:31-54
5月13日(水)[ ]Uサム18 /[ ]ヨハ5:1-29
5月14日(木)[ ]Uサム19 /[ ]ヨハ5:30-47
5月15日(金)[ ]Uサム20-21 /[ ]ヨハ6:1-21
5月16日(土)[ ]Uサム22 /[ ]ヨハ6:22-51
5月17日(日)[ ]Uサム23-24 /[ ]ヨハ6:52-71
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サムエル記第二は、サウル亡き後の、ダビデによるイスラエルの統治です。
ところが、そこにも、罪が入り込み、さまざまな影を落とします。

そのため、時にはダビデは、自身の息子アブシャロムがクーデターを起こし、逃亡生活に追い込まれることさえおこるのです。

ただ、サウルの場合とは違い、ダビデは主の哀れみにすがります。
ダビデの心は、主を求め、そして、主の前にへりくだっていました。

また、ヨハネの福音書。
ヨハネの福音書は、新生ということの意味や、聖霊様について、また、命のパンであるイエス様という、非常に霊的な現実を示しています。
そのためわかりにくいところが多くあります。
しかし、これらのところも、聖霊様の助けの中、聖書全体から見ていくとき、その本来の意味を受け取る事が出来ます。
皆さん。御霊によって祈り、そして、聖書を読みましょう。
聖書は必ずあなたの霊を成長させます。

では、本日は、このヨハネの福音書から4章を見てまいりましょう。
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【 聖書箇所 】ヨハネの福音書4章31-38節
・新改訳Up164(贈呈p148英対p272)
・新改訳Vp180英対p202(贈呈p169)・口語訳p141
・新共同訳p170 (贈呈p170英対p263)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
4:31 そのころ、弟子たちはイエスに、「先生。召し上がってください。」とお願いした。
4:32 しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしには、あなたがたの知らない食物があります。」
4:33 そこで、弟子たちは互いに言った。「だれか食べる物を持って来たのだろうか。」
4:34 イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。
4:35 あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。
4:36 すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに入れられる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。
4:37 こういうわけで、『ひとりが種を蒔き、ほかの者が刈り取る。』ということわざは、ほんとうなのです。
4:38 わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです。」
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ありがとうございます。では、主題聖句をいいましょう。
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【 主題聖句 】
さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。
ヨハネの福音書4章35節
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では、この所から、

「目を上げて畑を見なさい」
と、題しまして、御言葉を見てまいりたいと思います。

今回の聖書箇所は、イエス様に弟子たちが食べ物をお勧めする所からはじまります。
しかし、内容を理解するために、少し前から見てみましょう。
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4:3 主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。
4:4 しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。
4:5 それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。
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この当時のユダヤ それは、死海の西、エルサレムに近い地方ですね。
そして、ガリラヤそれは、ガリラヤ湖の周辺です。
このユダヤとガリラヤの間、ヨルダン川の西側にサマリヤがあります。

イエス様は、ユダヤからサマリヤを通ってガリラヤへ行こうとされました。
その頃、イエス様は、他の宗教的指導者のねたみを買い、 ユダヤでの活動がしにくくなっておられました。
そこでイエス様は、ユダヤから、宣教を開始されたガリラヤへ移られたのです。
しかし、そのとき、イエス様はサマリヤを通っていかれました。

ここにサマリヤという地名が出てきます。
サマリヤ人とユダヤ人は仲が悪かったとか言われますけれど、
このサマリヤとは、またサマリヤ人とはということについて、少し、旧約聖書を見てみたいと思います。

サムエル記や列王記の時代、ダビデの統治によって、素晴らしい繁栄をとげ、その子ソロモンの時代に絶頂期を迎えるイスラエルでしたが、その子ソロモンの罪のため、主は判決を下されます。
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27 彼が王に反逆するようになった事情はこうである。ソロモンはミロを建て、彼の父ダビデの町の破れ口をふさいでいた。
28 ヤロブアムは手腕家であった。ソロモンはこの若者の働きぶりを見て、ヨセフの家のすべての役務を管理させた。
29 そのころ、ヤロブアムがエルサレムから出て来ると、シロ人で預言者であるアヒヤが道で彼に会った。アヒヤは新しい外套を着ていた。そして彼らふたりだけが野原にいた。
30 アヒヤは着ていた新しい外套をつかみ、それを十二切れに引き裂き、
31 ヤロブアムに言った。「十切れを取りなさい。イスラエルの神、主は、こう仰せられます。『見よ。わたしはソロモンの手から王国を引き裂き、十部族をあなたに与える。
32 しかし、彼には一つの部族だけが残る。それは、わたしのしもべダビデと、わたしがイスラエルの全部族の中から選んだ町、エルサレムに免じてのことである。
33 というのは、彼がわたしを捨て、シドン人の神アシュタロテや、モアブの神ケモシュや、アモン人の神ミルコムを拝み、彼の父ダビデのようには、彼は、わたしの見る目にかなうことを行なわず、わたしのおきてと定
めを守らず、わたしの道を歩まなかったからである。
34 しかし、わたしは、彼の手から、王国全部は取り上げない。わたしが選び、わたしの命令とおきてとを守ったわたしのしもべダビデに免じて、ソロモンが生きている間は、彼を君主としておこう。
35 しかし、わたしは彼の子の手から王位を取り上げ、十部族をあなたに与える。
36 彼の子には一つの部族を与える。それはわたしの名を置くために選んだ町、エルサレムで、わたしのしもべダビデがわたしの前にいつも一つのともしびを保つためである。
列王記第一11章27-36節
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神様はここで、ソロモンの部下ヤロブアムに、10部族を与えると約束されます。
ソロモンはこのヤロブアムを殺そうとしますが、ヤロブアムは逃れます。
そして、ソロモンが死に、その子レハブアムの時代に、ヤロブアムは、民を率いてやってきます。
そして、税を軽くしてくれと言うのです。

三代目の王レハブアムは本当に世間知らずです。
もっと税をきつくしてやると、とんでもないことを言うのです。
その結果、民は、離れていきます。
神様は、ダビデを祝福されました。
しかし、その祝福を受け継ぐものが、本当に神様にしたがわないなら、その祝福は奪われてしまうのです。

その民の心をつかんだのがヤロブアムです。
ソロモンの子レハブアムの時代に、ソロモンの部下であったヤロブアムが敵対者としてたち、イスラエルが、イスラエルとユダと言う二つの国に分裂します。
そして、列王記第一にこう書いてあります。
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23 ユダの王アサの第三十一年に、オムリはイスラエルの王となり、十二年間、王であった。六年間はティルツァで王であった。
24 彼は銀二タラントでシェメルからサマリヤの山を買い、その山に町を建て、彼が建てたこの町の名を、その山の持ち主であったシェメルの名にちなんでサマリヤと名づけた。
列王記第一16章23-24節
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これが、イスラエルの都としてのサマリヤの始まりです。

しかし、ここに住んでいたイスラエル人がサマリヤ人かというとそうではない。
このイスラエルの人々について、こう書いてあります。
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22 イスラエルの人々は、ヤロブアムの犯したすべての罪に歩み、それをやめなかったので、
23 ついに、主は、そのしもべであるすべての預言者を通して告げられたとおり、イスラエルを御前から取り除かれた。こうして、イスラエルは自分の土地からアッシリヤへ引いて行かれた。今日もそのままである。
列王記第二17章22-23節
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つまり、このイスラエルの人々は、この国から、他へ移されてしまったのです。
ここで、実は、10部族は行方不明になります。
では、サマリヤの人々はどこから来たのでしょう。

このとき、アッシリヤの王は、民を、土地から引き離すという政策をとります。
それは、統治がしやすくするためです。
ですから、他のところから、ここへ人々がつれてこられました。
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24 アッシリヤの王は、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そして、セファルワイムから人々を連れて来て、イスラエルの人々の代わりにサマリヤの町々に住ませた。それで、彼らは、サマリヤを占領して、その町々に住ん
だ。
25 彼らがそこに住み始めたとき、彼らは主を恐れなかったので、主は彼らのうちに獅子を送られた。獅子は彼らの幾人かを殺した。
26 そこで、彼らはアッシリヤの王に報告して言った。「あなたがサマリヤの町々に移した諸国の民は、この国の神に関するならわしを知りません。それで、神が彼らのうちに獅子を送りました。今、獅子が彼らを殺し
ています。彼らがこの国の神に関するならわしを知らないからです。」
27 そこで、アッシリヤの王は命じて言った。「あなたがたがそこから捕え移した祭司のひとりを、そこに連れて行きなさい。行かせて、そこに住ませ、その国の神に関するならわしを教えさせなさい。」
28 こうして、サマリヤから捕え移された祭司のひとりが来て、ベテルに住み、どのようにして主を礼拝するかを教えた。
29 しかし、それぞれの民は、めいめい自分たちの神々を造り、サマリヤ人が造った高き所の宮にそれを安置した。それぞれの民は自分たちの住んでいる町々でそのようにした。
列王記第二17章24-29節
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しかし、彼らが、主を礼拝しないので、問題が起こります。
獅子が出てきて人々を殺したのです。
そこで、王はサマリヤの祭司を連れてきて、主を礼拝する事を教えさせたのです。
彼らは、勝手にそれぞれの偶像を拝み、また主を礼拝するものとなったのです。
ですから、このサマリヤ人はユダヤと血縁的には関係の無い町なのです。
同じ神様をむりやり信じさせられた民族なのです。
そのような複雑な関係にあるこのサマリヤの町をイエス様は通っていかれました。

そのとき、そこに一つの井戸がありました。
そこで、イエス様は、一人のサマリヤ人の女とお会いになります。
このサマリヤという地名、またサマリヤ人にはこういう背景があったのです。
サマリヤとは何なのか。その事を良く知った上で、このサマリヤの女との会話を聞いていただきたいと思い。
時間をかけてこのことを説明させていただきました。

さて、ここで、イエス様と出会った女性。
この女は、5人の夫がいたが、結局別れてしまった人でした。
イエス様は、彼女のその問題を言い当てられました。
そのことで、彼女はイエス様を信じたのです。

ここで、その女性は、イエス様に礼拝についての質問をします。
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19 女は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。
20 私たちの先祖は、この山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」
21 イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。
22 救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。
23 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。
24 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
ヨハネの福音書4章19節
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ここに、ユダヤ人とサマリヤ人の違いが出てきます。

このお話の為にサマリヤの説明に時間をかけました。
彼らは、サマリヤの山で礼拝すると教えられたのです。

しかし、主は、礼拝の場所として、エルサレムをダビデにおあたえになりました。
ユダヤ人にとって、礼拝の場所はいまでもエルサレムです。
しかし、本当の礼拝を捧げる場所は、エルサレムでも、サマリヤでもないのだとイエス様は言われるのです。
そして、その礼拝は、霊とまことによって、捧げられるのです。
ここに非常に重要な教えが出てきます。
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神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
ヨハネの福音書4章24節
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本当の礼拝を捧げるのは、エルサレムでも、サマリヤでもない、
霊とまことによる。
神は霊ですから、霊とまことによって、礼拝する。
この神殿でとか、この山でではない。

霊とまことによって礼拝は捧げられる。
場所ではない。
霊と真によって礼拝は捧げられなければならない。
私たちの礼拝もそうです。
霊と真によって、心から、霊から捧げられなければならない。
なぜなら、神は霊だからです。

このことは、本当に大切なことなのです。
しかし、この教えを受けたのは誰ですか?
彼女はどんな人でしたか?
彼女は、律法学者や祭司やパリサイ人ではありません。
しかも、私生活に問題を抱えている人です。

そのような女性とイエス様はこのことを語られたのです。
礼拝に関するこの大切な教えは、ユダヤ人でさえない異邦人とされたサマリヤ人の女性に語られたのです。
このことを見るときに私たちの礼拝と言うものは、
私たちの考えるような、行いとか、聖さとか、ルールとまったく違うのだと言う事を教えられる。

霊と真で礼拝する。

私たちは精一杯の礼拝を捧げようとする事は大切な事です。
形において、音楽において、いろんな面で精一杯の礼拝をささげようとするその事は大切です。

しかし、霊と真で礼拝する事はそれ以上のことです。

そして、それは、霊によってしか知る事が出来ません。
本当の礼拝は、私たちの頭の知識、考えでは知る事は出来ないのです。

霊をもって神様をしたい求めていく事でしか出来ないのです。
さて、イエス様がこれらの事を語られて、この女性は、イエス様を信じ人々にイエス様の事を知らせにいったのです。
ここにある会話は、礼拝と言う人が生きるうえで非常に大切な事柄についてのことです。
彼女は、水を汲みに来ていたのをやめて、人々に教えに行きました。

弟子たちは、そこに帰ってきました。
そのときの会話がこれです。
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31 そのころ、弟子たちはイエスに、「先生。召し上がってください。」とお願いした。
32 しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしには、あなたがたの知らない食物があります。」
33 そこで、弟子たちは互いに言った。「だれか食べる物を持って来たのだろうか。」
34 イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。
ヨハネの福音書4章31-34節
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イエス様は、彼女に御言葉を語ったそのことで満ち足りておられたのです。
イエス様が彼女に語られたのは本当に大切な御言葉です。
このことを語った事で、イエス様は満ち足りておられた。

私たちは、食物によって生きていると考えます。
しかし、イエス様は言われます。
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イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
マタイの福音書4章4節
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イエス様がぜんぜん食事をされなかったのではありません。
時には弟子たちの前で、魚を食べて見せられたこともありました。
しかし、イエス様はそのことによって生きておられたのではありませんでした。

そして、それは、イエス様だけのことではありません。
人は、と、書いてあります。
全ての人は、本来、神の口から出る言葉によって生きるのです。
また、御言葉により、神様につながって生きるのです。

主は、みこころを行うことをご自身の力とされました。
そして、みこころを行うために生きておられました。
私たちも、本来そうです。
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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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ここで、私たちは、ブドウの木にたとえられています。
ゼカリヤ書にはこういうところがあります。
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2 彼は私に言った。「あなたは何を見ているのか。」そこで私は答えた。「私が見ますと、全体が金でできている一つの燭台があります。その上部には、鉢があり、その鉢の上には七つのともしび皿があり、この上部
にあるともしび皿には、それぞれ七つの管がついています。
3 また、そのそばには二本のオリーブの木があり、一本はこの鉢の右に、他の一本はその左にあります。」
4 さらに私は、私と話していた御使いにこう言った。「主よ。これらは何ですか。」
5 私と話していた御使いが答えて言った。「あなたは、これらが何か知らないのか。」私は言った。「主よ。知りません。」
6 すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』と万軍の主は仰せられる。
ゼカリヤ書4章2-6節
++++++++++
ここで、枝は、養分を通すところ、管は、油を通すところです。
私たちは、枝です。管です。主の力を通すものなのです。

ここで、私の霊によって、と主は言われます。
私たちは、私たち自身でなにかするのでなく、主の霊によって行うのです。

そして、次の御言葉に続きます。
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35 あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。
36 すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに入れられる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。
ヨハネの福音書4章35-36節
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ここで、先ほどの女性は、イエス様の言葉を聞いて信じました。
彼女は、救い主を待っていたのです。

刈り入れ時がくるまでに四か月あると思っていませんか?
イエス様の前にいた彼女は、刈り入れるばかりになっていたのです。

彼女は、聖書をよく読んでいた人ではありません。
しかし、彼女は、刈り入れるばかりになっていたのです。

私たちは、リバイバルを待っています。
しかし、一方で、リバイバルは来ていると言われる方もおられます。
わたしは、どちらも正しいと思います。

この御言葉から一つ教えられるのは、リバイバルはもうすぐ来ると考えるものではないということです。

畑は色づいている。

イエス様は、そのように、この世をみられました。
イエス様は、つかれた群集を見たときも言われました。
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36 また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。
37 そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。
38 だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」
マタイの福音書9章36-38節
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収穫は多い。
収穫は多いが働き手は少ない。

イエス様は何を見たのですか?
イエス様は、弱り果てて倒れている群集を見たのです。
熱心に神様を求めて集まっている人々ではありません。
しかし、彼らは、救い主をもとめていたのです。
彼らを見て、イエス様は収穫は多いと言われたのです。

さて、私たちが種をまくとき、その撒いたものをそこで刈り取ることが出来るのではありません。
種をまき、その種は、時間をかけて成長します。

しかし、私たちは、時には他のものの撒いたものを刈り取るのです。
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37 こういうわけで、『ひとりが種を蒔き、ほかの者が刈り取る。』ということわざは、ほんとうなのです。
38 わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです。」
ヨハネの福音書4章37-38節
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自分たちは、自分たちの撒いたものだけを考えているかも知れません。
しかし、私たちは、神様が用意されたものを刈り取らなければならないのです。
そして、イエス様はどんなものを収穫が多いとみておられたか。
それは、困難な状況にある人たちです。
イエス様はそのようなものを見て、収穫は多いと言われたのです。

私たちは、収穫の為に出て行かなければなりません。
そして、種まきの為にも出て行かなければならないのです。

その両方が、福音宣教です。

ですから、福音宣教には二つの働きがあります。
それは、種を撒く働きと、刈り取る働きです。
そのどちらもが大切です。
なぜなら、撒いても刈り取らなければそのままになってしまいます。

イエス様は言われました。
++++++++++
4 話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。
5 するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
6 そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。
ルカの福音書5章4-6節
++++++++++
そして、弟子たちがしたがったとき、そこに見えなかった魚がとれたのです。
目に見える魚は釣れないというそうですが、主は、今、言われます。
深みに漕ぎ出して網を下ろして魚をとりなさい。

しかし、私たちが刈り取らなければならないのはなぜですか?
何とかして幾人かを救うためです。
私たちのしているのは人集めではありません。

私たちは聖書の言葉が真実だと信じています。
もしそうなら、この聖書に書かれているとおり、やがてこの世界の終わりが来ます。
永遠の命をもって入る永遠の天国と永遠の地獄があります。
そして、それは、イエス様を信じるかどうかにかかっているのです。

もし、人々を救いの中に導かなければ。
その人がイエス様を信じなければ永遠の滅びに行くのです。
ですから、私たちは、滅びという海の世界から人々を救い出さなければなりません。
このことを網を下ろして魚をとる、刈り取ると言う事にたとえます。
しかし、これは、神様がなんとかして幾人かを救いのなかに招き入れようとしておられる。
なんとかして幾人かを救い出そうとしておられる。
わたしたちは、この働きの中にいれられている。
この働きに召されています。

あなたの家族、周りの人はどうでしょう。友達はどうでしょう。
救いの中に入れられているでしょうか?
私たちはなんとかして、幾人かを救うために。
共に天の御国に凱旋するものとなるために、この働きをさせていただきたいと思います。
++++++++++
【 主題聖句 】
さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。
ヨハネの福音書4章35節
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今が収穫のとき、この御言葉をアーメンと受け止めましょう。
そして、この福音を携えて世に出て行きましょう。
これは、収穫の為の働きです。
種まきのため、収穫の為に働かせていただきましょう。
<祈り>
[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
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シティーチャーチメッセージ20090510 目を上げて畑を見なさい 
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