礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20090405
 
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わたしを受け入れる者    
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、愛に満ちた方。
私たちと共におられる方です。
この方を覚えて、御言葉をともに聞いてまいりましょう。

では、いつものように、通読箇所から見て行きましょう。

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4月5日(日)[ ]ヨシ20-21 /[ ]ルカ9:1-17
4月6日(月)[ ]ヨシ22 /[ ]ルカ9:18-36
4月7日(火)[ ]ヨシ23-24 /[ ]ルカ9:37-62
4月8日(水)[ ]士師1-2 /[ ]ルカ10:1-24
4月9日(木)[ ]士師3-4 /[ ]ルカ10:25-42
4月10日(金)[ ]士師5-6 /[ ]ルカ11:1-28
4月11日(土)[ ]士師7-8 /[ ]ルカ11:29-54
4月12日(日)[ ]士師9-10 /[ ]ルカ12:1-21
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今週は、旧約聖書がヨシュア記から士師記
新約聖書がルカの福音書です。

ヨシュア記は、約束の地カナンに入り、約束の地の分割、ヨシュアの死で終わります。
その最後、この言葉は有名です。
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もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、
きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」
ヨシュア記24章15節
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私と私の家族は主に仕えるという、ヨシュアの宣言です。

また、士師記は、展開の速い読みやすいところです。
是非、お読み下さい。

また、新約聖書はルカの福音書が続きます。
こちらは、お話の中で見てまいりましょう。

さて、では、ルカの福音書9章をお開きください。

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【 聖書箇所 】ルカの福音書9章46-56節
・新改訳Up120(贈呈p108英対p197)
・新改訳Vp131英対p147(贈呈p124)・口語訳p103
・新共同訳p124 (贈呈p124英対p192)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
9:46 さて、弟子たちの間に、自分たちの中で、だれが一番偉いかという議論が持ち上がった。
9:47 しかしイエスは、彼らの心の中の考えを知っておられて、ひとりの子どもの手を取り、自分のそばに立たせ、
9:48 彼らに言われた。「だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れる者です。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れる者です。あなたがた
すべての中で一番小さい者が一番偉いのです。」
9:49 ヨハネが答えて言った。「先生。私たちは、先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、やめさせました。私たちの仲間ではないので、やめさせたのです。」
9:50 しかしイエスは、彼に言われた。「やめさせることはありません。あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方です。」
9:51 さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、
9:52 ご自分の前に使いを出された。彼らは行って、サマリヤ人の町にはいり、イエスのために準備した。
9:53 しかし、イエスは御顔をエルサレムに向けて進んでおられたので、サマリヤ人はイエスを受け入れなかった。
9:54 弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」
9:55 しかし、イエスは振り向いて、彼らを戒められた。
9:56 そして一行は別の村に行った。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れる者です。
ルカの福音書9章48節
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では、今日はこの所から、
わたしを受け入れる者
というタイトルで、御言葉を見て参りましょう。

今回の箇所で、大切な御言葉は、この箇所です。
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彼らに言われた。「だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れる者です。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れる者です。あなたがたすべて
の中で一番小さい者が一番偉いのです。」
ルカの福音書9章48節
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この箇所を読むと思い出すのは、ロシアの文豪トルストイの書いた小説「靴屋のマルチン」です。

マルチンは最初、自分が幸せでないと、考えています。
そこにたずねてきた老人が、それは、自分の為に生きるからだと教えます。
そして、聖書を読むように進めるのです。

マルチンは、聖書を読みます。
そして、祈っていると、主が彼のところに行くといわれます。

マルチンは、主を待ちます。
しかし、そこにきたのは、泥棒をして捕まった子どもと、それをしかるおばあさん。
そとを掃除する掃除夫といった人々です。

あれはただの夢かと思い、夜になったとき、主が、語られます。

あの子どもや、おばあさんや、掃除夫たちが、主だったのだ。

そして、この御言葉に続きます。
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すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
マタイの福音書25章40節
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みなさん。主は言われます。
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43 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
45 それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
46 自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。
47 また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。
48 だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。
マタイの福音書5章43-48節
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これは、どういう意味でしょうか?

敵を愛する。
敵とは何ですか?誰ですか?
あなたにとって、迷惑な存在、困った存在、いて欲しくない人、でも、イエス様はその人の為に祈れと言われます。

私は、毎日、ここで、課題の祈りをします。
そして、その最後は、私にとって問題となる方々の為のとりなしの祈りです。
その方々を赦し、祝福する祈りをここで、主に捧げます。

敵を愛し、迫害するものの為に祈れと主は言われます。

そして、その事こそ、完全なのです。

この完全は、こうも、言い換えることが出来ます。
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イスラエル人の全会衆に告げて言え。あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない。
レビ記19章2節
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私たちは、完全である。
この完全な方は、何をされますか?

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それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
マタイの福音書5章45節
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主は全ての人を愛されます。

父が与えて下さったのはそれだけではありません。

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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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さて、この世を愛するという言葉を見ると、
聖書にこういう箇所があります。
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貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。
ヤコブの手紙4章4節
世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。
ヨハネの手紙第一2章15節
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世は、愛してはいけないもの、愛する価値の無いもの。滅んでしまうものです。
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世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。
ヨハネの手紙第一2章17節
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その無価値なもの、滅んでしまうものを、主は愛されて、そのために御子を与えてくださったのです。
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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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そして、イエス様は死んでくださいました。
ここに、本当の愛があります。
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私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
ヨハネの手紙第一4章10節
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そして、その愛を示しているのが、十字架です。
また、この十字架の勝利が、復活です。

ですから、私たちは、主の復活を覚えるのです。

今週は、棕櫚の日曜日、そして、次週はイースターです。

主は私たちを愛して下さいました。
では、私たちは、どのようにして、この愛にこたえるのですか?

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34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
マタイの福音書25章34-40節
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これは、あなたの前にいる、誰かのためではありません。

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すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
マタイの福音書25章40節
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あなたの敵である者ためだけではありません。

ただ、主のためです。
そして、主は、敵であったとき、あなたを愛してくださったのです。
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もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。
ローマ人への手紙5章10節
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お祈りしましょう。



<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20090405 わたしを受け入れる者  
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