礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20090301 
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わたしについて来なさい   
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちを愛し、私たちを招いて下さる方です。
この方を覚えて、御言葉を共に見てまいりましょう。

さて、いつものように、聖書の通読箇所を見てみましょう。
今週の通読箇所は、旧約聖書が民数記、新約聖書がマルコの福音書です。
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通読範囲
3月1日(日)[ ]民16-17 /[ ]マコ7:24-37
3月2日(月)[ ]民18-19 /[ ]マコ8:1-21
3月3日(火)[ ]民20-21 /[ ]マコ8:22-38
3月4日(水)[ ]民22-23 /[ ]マコ9:1-29
3月5日(木)[ ]民24-25 /[ ]マコ9:30-50
3月6日(金)[ ]民26-27 /[ ]マコ10:1-31
3月7日(土)[ ]民28-29 /[ ]マコ10:32-52
3月8日(日)[ ]民30-31 /[ ]マコ11
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民数記は、荒野での出来事です。
出エジプトを果たした彼らが、不信仰のために、カナンに入れず荒野のさすらう40年の記録が民数記です。
その中で、モーセの兄アロンや、姉ミリアムが世を去ります。
それは、非常に悲しい事でもあります。

是非、これらのところをお読み下さい。
また、新約聖書は、マルコの福音書です。

マルコの福音書は、イエス様のなさった奇跡や教えがテンポ良く続きます。
皆さん聖書を読みましょう。
聖書は、あなたの霊を成長させ、豊かな実を結ばせます。

さて、では、聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、マルコの福音書8章です。
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CCM予定2009/03/01 わたしについて来なさい 
【 聖書箇所 】マルコの福音書8章27-38節
・新改訳Up75(贈呈p67英対p122)
・新改訳Vp81(贈呈p77)・口語訳p64
・新共同訳p77 (贈呈p77英対p119)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
マルコの福音書8章27-38節
8:27 それから、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられた。その途中、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々はわたしをだれだと言っていますか。」
8:28 彼らは答えて言った。「バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます。」
8:29 するとイエスは、彼らに尋ねられた。「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えてイエスに言った。「あなたは、キリストです。」
8:30 するとイエスは、自分のことをだれにも言わないようにと、彼らを戒められた。
8:31 それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。
8:32 しかも、はっきりとこの事がらを話された。するとペテロは、イエスをわきにお連れして、いさめ始めた。
8:33 しかし、イエスは振り向いて、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた。「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」
8:34 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
8:35 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。
8:36 人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。
8:37 自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。
8:38 このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、そのような人のことを恥じます。」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
マルコの福音書8章34節
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では、今日はこの所から、
「わたしについて来なさい」
と、題しまして、御言葉を共に開いて参りましょう。

さて、まずは聖書箇所を見てみましょう。

聖書箇所の冒頭、こうなっています。
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それから、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられた。その途中、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々はわたしをだれだと言っていますか。」
彼らは答えて言った。「バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます。」
マルコの福音書8章27節
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人々は、いろんなことをイエス様について言っていました。
バプテスマのヨハネだと言う人。
バプテスマのヨハネは、イエス様の準備の為に来たといわれる預言者です。
彼は、ヘロデに首をはねられて死にました。

また、エリヤだと言う人。
エリヤは、竜巻の中を天に登って行ったと言う預言者です。

また、預言者の一人。

イエス様について、色んな証言がなされました。
わたしの小学校の頃に見た年表には、さとりを開いた人として書いてありました。

2000年前、イエスキリストが、悟りを開いた。
その数百年前に、仏陀が悟りを開いたと書いてあります。
悟りを開き、人々に教えた人。

そのように、書かれています。

しかし、イエス様は聞かれました。

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するとイエスは、彼らに尋ねられた。「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えてイエスに言った。「あなたは、キリストです。」
マルコの福音書8章29節
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では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか?

あなたがたは、誰だといいますか?

これに対してペテロが答えました。

あなたは、キリストです。

これは、偉大な告白です。

ギリシャ語でスー・エイ・ホ・クリストス
何か、中学校の時間割のようだと最初に見たときに思ったのですが、
数学、英語、保健、
まあどうでもいいですが、
あなたはキリスト。

イエス様に対して、あなたはキリスト。
当たり前じゃないですか?と思いますか?
でも、これは大変に重要な告白です。

この箇所をマタイの福音書で見ると、ここでイエス様は大変に喜んでおられる事がわかります。

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16 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
17 するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。
18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
19 わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
マタイの福音書16章16-19節
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ここで、イエス様は、ペテロの告白を大変に喜んでおられます。

バルヨナ・シモン
これは、ヨナの子シモンという意味です。
このように、シモンに呼びかけて、このことは、人の力によって知られたのではなく、神様によるのだと言っておられます。

そして、このときに、イエス様は、言われます。
あなたはペテロです。
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ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
マタイの福音書16章18節
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あなたはペテロだとイエス様は言われました。

もともと、シモンであったペテロは、アラム語でケパ、ギリシャ語でペテロという名前を頂ました。
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彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」
ヨハネの福音書1章42節
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このペテロ、ケパそれは岩という意味です。

とこで、イエス様の譬えで岩とはどんなものですか?
それは、嵐でも動かされないものです。

また、砂の上の家は流れますが、岩の上に家を建てると、それは流されません。

ペテロに対してイエス様はそういうものだと言われたのです。

でも、ここで、シモンペテロがなぜ、ペテロと言われたか見直してください。

ペテロは、いいました。
あなたはキリストです。

イエス様はこの告白によって、この岩の上に、教会を立てると言われました。

ローマには、サン・ピエトロ大聖堂といわれる建物があります。
それは、カトリックの総本山で、大変な建物です。
教会を象徴するものと言えるかも知れません。
その地下には、ペテロの墓があります。

もちろん、イエスさまが立てるといわれたのは、そのような、目に見える教会ではありません。
しかし、イエス様は、目に見える形でさえ、そのように残しておられます。

そして、それ以上の実態、霊的な存在として、真実の教会を立てておられます。

しかし、ペテロは、どれだけ立派な人だったでしょう。

ペテロは、イエス様が言われるような、揺らがない岩だったでしょうか?

そうではありません。

イエス様が、水の上を歩かれたとき、ペテロも一緒に歩きたいと思い、イエス様に言葉を頂きました。
しかし、こわくなり、沈みました。

また、イエス様が捕らえられたとき、その前に、イエス様は弟子たちに、みんなわたしを捨てて逃げるといわれると、
ペテロは、わたしは死んでも逃げないといいながら、結局にげてしまいました。
しかし、連れて行かれるイエス様の後をこっそりとつけていきました。

焚き火のそばに行くと、その火が彼の顔を照らします。

人々が彼を見ます。
彼はイエス様といつも一緒にいた人です。
みんながペテロを知っています。
あいつも仲間だといわれると、ペテロは、知らないと否定し、その時、鶏が鳴きました。

彼は、外に出て、涙を流しました。

自分の弱さたらなさを知ったのです。

しかし、彼はなぜペテロなのですか?
それは、彼がイエス様をキリストと告白したからです。

あなたは、なんと答えますか?

道徳的な方、素晴らしい方、沢山の人を癒した方、いろいろな答えがあるでしょう。

しかし、それらは、歴史の出来事であなたと関係がありません。

あなたにとってなんですか?

わたしにとっての救い主・キリスト。
キリストは、油注がれたものという言葉から来ますが、救い主という意味の言葉です。
キリスト、メシヤこれは、救い主。

イエス様がエルサレムに入られるとき、群集はホサナホサナと迎えました。
これは、助けて下さいと言う掛け声です。

キリストは、救いのためにこられたのです。

あなたが、ペテロのように、
あなたはキリストです。
と宣言するなら、この方はあなたの救い主です。

この宣言に、イエス様は言われます。
あなたはペテロです。

イエス様を信じたペテロに対して、イエス様は、御国の鍵をあげますといわれます。
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18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
19 わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
マタイの福音書16章18-19節
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この鍵を、ペテロは、ちゃんと使ってさまざまなところで開きました。
聖霊様が注がれたとき、ペテロはその事を説明し、ユダヤ人に向かって開きました。
また、それを異邦人に向かっても開きました。

その鍵は、
いける神の御子キリストです。
という告白に基づきます。

これは地上でしかつかえない鍵です。
あなたの家族友人知人はどうですか?
あなたの周りのひとは天国にいけますか。
その鍵は、イエス様を信じ受け入れる事。

ところで、ここに、それから、と書いてあります。

このペテロの信仰告白の後、イエス様はご自身の十字架の死とよみがえりを教えはじめられたのです。

なぜですか?
イエス様が十字架で死んでも、あなたが、イエス様をキリストですと告白していないなら、何の関係もないからです。

わたしたちがイエス様をキリストと告白してはじめて、そのイエス様のなさった御業があなたにとって意味を持ちます。

あなたはキリストです。

ところが、ペテロは、それからイエスをわきにおつれしていさめ始めた。と書いてあります。

かれは、何を求めていたでしょう。

多くのものは、ローマからの開放を求めていました。
ホサナと叫びながら、今より自分が幸せになる事、良い暮らしが出来る事、ローマの圧制が終わる事を考えていたのです。

だから、イエス様が死んだら大変です。

何を言い出すんですか?
ペテロは、そのようにイエス様に注意を始めた、ところが、
ペテロをしかって
「下がれサタン
です。
彼はさっきほめてもらったばっかりなのに、あがったり下がったりです。

そして、イエス様は言われました。
あなたは神のことを思わないで人のことを思っている。

イエス様は、何のためにこられましたか?十字架にかかられるために。

イエス様は彼らを罪から解放するためにこられました。

ですから、イエス様は言われます。
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34 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
35 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。
36 人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。
37 自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。
38 このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、そのような人のことを恥じます。」
マルコの福音書8章34-38節
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十字架を負うそれは、主と共に歩む事を意味します。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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わたしたちは、主と同じくびきを負い、へりくだって歩むのです。


こころやさしくへりくだっている。
とイエスさまが言われます。
そして、そのように歩む事は、自分の十字架を負うことです。

自分の立派さをあらわすのでなく、へりくだり主に従う。

イエス様は十字架に架かって死んで命を与えてくださいました。

この命は主からのものです。
主にゆだね、主のために生き、主のため用いるのです。

わたしのことばをはじるなら、そのようなものをはじる。
は、きびしいことばです。

しかし、このよのなにかをもとめるのでなく、
イエス様の与えてくださる、本当の命を求めましょう。

それはどうやってあたえられるのですか?

あなたはキリストです。
この告白です。

十字架にかかって死んで下さった方。

あなたにとって、まわりのひとにとっての救い主。

その十字架は全ての人の十字架です。
しかし、あなたはキリストですといわないなら、その人と関係がないのです。

わたしたちの周りの人が救いを得る事が出来るようにお祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20090301 わたしについて来なさい  
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