礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20090215 
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よみがえられたからです  
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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ダビデがその子アブシャロムからのがれたときの賛歌
1 主よ。なんと私の敵がふえてきたことでしょう。私に立ち向かう者が多くいます。
2 多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼に神の救いはない。」と。セラ
3 しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です。
4 私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。セラ
5 私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。
6 私を取り囲んでいる幾万の民をも私は恐れない。
7 主よ。立ち上がってください。私の神。私をお救いください。あなたは私のすべての敵の頬を打ち、悪者の歯を打ち砕いてくださいます。
8 救いは主にあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように。セラ
詩篇3篇1-8節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は私たちの罪の身代わりに十字架死んで下さった方。
三日目に死を打ち破りよみがえられた方です。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

さて、昨今新聞で一番大きな問題は不況のためのリストラ、失業、といった事柄ではないでしょうか?
いつも、この事の為にお祈りしていますが、主が助けを与えて下さると期待します。
ここ数日の冬とは思えない暖かさも、そのような困難な状況にある人々を主が助けておられるのでは無いかと思います。
主はこの天と地の全てを創られた方、またそこに住む全ての人の父である方です。
そして、全てのものに恵みを注いで下さる方です。こうかいてあります。
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それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
マタイの福音書5章45節
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ところで、聖書の中にも、困難な時代の記事があります。
エリシャという預言者が活躍していた時代、イスラエルは敵に攻められ食べ物も無い状況になりました。
そのとき主が預言者に言葉をおあたえになりました。
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1 エリシャは言った。「主のことばを聞きなさい。主はこう仰せられる。『あすの今ごろ、サマリヤの門で、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルで売られるようになる。』」
2 しかし、侍従で、王がその腕に寄りかかっていた者が、神の人に答えて言った。「たとい、主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか。」そこで、彼は言った。「確かに、あなたは自分の目でそれを見
るが、それを食べることはできない。」

18 神の人が王に、「あすの今ごろ、サマリヤの門で、大麦二セアが一シェケルで、上等の小麦粉一セアが一シェケルで売られるようになる。」と言ったとき、
19 侍従は神の人に答えて、「たとい、主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか。」と言った。そこで、彼は、「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない。」と言った。
20 そのとおりのことが彼に実現した。民が門で彼を踏みつけたので、彼は死んだ。
列王記第二7章1-2、18-20節
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この王の侍従は言いました。たとい、主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか。

しかし、主は言われます。
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十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。――万軍の主は仰せられる。――わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあな
たがたに注ぐかどうかをためしてみよ。
マラキ書3章10節
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私たちが、主に信頼するなら、主は天の窓を開いてあふれるばかりの恵みを与えて下さる方です。
ですから、この困難な時代にあっても、私たちは主に期待して参りましょう。

さて、前置きが長くなりましたが、いつものように、通読箇所を見て行きたいと思います。
今週の聖書の通読箇所は、
旧約聖書がレビ記そして、最後に民数記
新約聖書がマタイの福音書からマルコの福音書に入ります。
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2月15日(日)[ ]レビ14 /[ ]マタ27:27-44
2月16日(月)[ ]レビ15-16 /[ ]マタ27:45-66
2月17日(火)[ ]レビ17-19 /[ ]マタ28
2月18日(水)[ ]レビ20-21 /[ ]マコ1:1-22
2月19日(木)[ ]レビ22-23 /[ ]マコ1:23-45
2月20日(金)[ ]レビ24-25 /[ ]マコ2
2月21日(土)[ ]レビ26-27 /[ ]マコ3
2月22日(日)[ ]民1-2 /[ ]マコ4:1-20
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レビ記のタイトルにあるレビは、イスラエルの三番目の息子の名前であり、その子孫のレビ族の働きについて書かれたものです。
彼らは、主に選ばれ、神の宮に仕えるものとされました。
ですから、そこには、彼らが礼拝をどのように捧げるかと言った事柄も書かれています。
また、レビの中で特に祭司としての働きをする事になった、モーセの兄アロンの子孫たちが、どのように祭司の務めをなすのかも書かれています。
細かな戒めの中にも、具体的な神様の愛を見る事が出来ます。
是非、聖書をお読みください。

また、マタイの福音書は、いよいよイエス様の十字架と復活の箇所です。
このところも、是非お読みください。
続くマルコの福音書は、福音書の中ではもっとも短く読みやすい所です。
皆さん共に聖書を読みましょう。
聖書は皆さんのうちにある霊を成長させ、神様との正しい関係を作ります。

さて、このマタイの福音書の中で、今回は28章です。
それは、イエス様がよみがえられた場面です。
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【 聖書箇所 】マタイの福音書28章1-15節
・新改訳Up57(贈呈p51英対p94)
・新改訳Vp62(贈呈p59)・口語訳p49
・新共同訳p59 (贈呈p59英対p90)
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では、司会者お読みください。
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28:1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。
28:2 すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。
28:3 その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。
28:4 番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
28:5 すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。
28:6 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。
28:7 ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。で
は、これだけはお伝えしました。」
28:8 そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。
28:9 すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう。」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。
28:10 すると、イエスは言われた。「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」
28:11 女たちが行き着かないうちに、もう、数人の番兵が都に来て、起こった事を全部、祭司長たちに報告した。
28:12 そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、
28:13 こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った。』と言うのだ。
28:14 もし、このことが総督の耳にはいっても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」
28:15 そこで、彼らは金をもらって、指図されたとおりにした。それで、この話が広くユダヤ人の間に広まって今日に及んでいる。
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では、主題聖句を皆さんで言いましょう。

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【 主題聖句 】
前から言っておられたように、よみがえられたからです。
マタイの福音書28章6節
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では、皆さんこの所から、
「よみがえられたからです」
と題しまして、御言葉を共に見て参りましょう。

さて、28章の前の27章は、イエス様が十字架に架かられた場面です。

イエス様の十字架にはさまざまに意味があります。
神様が人間、アダムとエバを創られた後、堕落して神様から離れた人間と神様との、破壊された関係を取り戻すため、
神と人との間の壁となっている罪を取り除くため、イエス様はこられ、私たちの罪の身代わりに死んで下さいました。

そして、その事が、完全に神様のご計画の成就であったこと、
イエス様が全ての神様のご計画を完全に成し遂げられた事の証明として、イエス様は蘇られました。

もし、イエス様が死んだだけなら、イエス様が私たちの救い主であるとか
罪の身代わりに死んで下さったとかいっても、変わり者のたわごとかもしれません。
しかし、イエス様は確かに蘇られました。
この事実が、イエス様が十字架に架かられたとき恐れて逃げ出した弟子たちに力を与え、そして、このよい知らせ、良いニュース、それを日本語に訳して福音といいますが、この知らせを世界に向かって述べ伝えさ
せたのです。

しかし、イエス様の蘇りについて、私たちは聖書から見てみたいと思います。

イエス様が蘇られたという事実については、さまざまな人が研究をしています。
ローマの歴史家のヨセフスという人は、
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 『さてこの頃、イエスという賢人(実際に、彼を人と呼ぶことが許されるならば)が現われた。彼は奇跡を行う者であり、また、喜んで真理を受け入れる人たちの教師でもあった。そして、多くのユダヤ人と少なからざる
ギリシア人とを帰依させた。彼こそはクリストス(救世主)だったのである。ピラトは、彼が我々の指導者達によって告発されると、十字架刑の判決を下したが、最初に彼を愛するようになった者たちは、彼を見捨てよう
とはしなかった。すると彼は三日目に復活して、彼らの中にその姿を見せた。すでに神の預言者たちは、これらのことや、更に、彼に関するその他無数の驚嘆すべき事柄を語っていたが、それらが実現したのであ
る。』 (ヨセフス/ユダヤ古代誌AD93-94)
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という記事を残しています。

また、ルー・ウォーレスという人は、イエス様の蘇りがうそである事を証明しようとして、歴史を研究した結果、それが事実であると信じざるを得ない事を知り、イエス様を信じ、そして、
その膨大な歴史研究に基づいて、ベンハーという小説を書きました。
これは、何度も映画化されている物語で、キリストの十字架と復活を証したものです。

さて、そのようなキリストの復活ですが、この事には、私たちにとってどんな意味があるのでしょうか?

イエス様は私たちの罪の身代わりに十字架にかかり死んで下さいました。

この罪は、あなたが何か犯罪を犯したといっているのではありません。
聖書の言う罪はあなたの心の中にまでいたるからです。
有名なモーセの十戒の10番目はこうです。
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あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」
出エジプト記20章17節
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主は私たちの心を見られます。
また、罪については、ガラテヤ人への手紙にこのように書かれています。
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19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。
ガラテヤ人への手紙5章19-21節
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ここで、肉の行いとして、人の罪がリストアップされています。
これらは、人と神との関係そして、人と人との関係を破壊し、ついには人そのものを損なうものです。
しかし、これらは、法で裁かれる犯罪ではありません。

しかし、そうでなくても、これらは、聖書の上で罪としてあげられています。

わたしたちは、この罪が自分の心のなかにある事を自分でよくわかるのでは無いでしょうか?

ヨハネの手紙にはこう書いてあります。
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もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。
ヨハネの手紙第一1章10節
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そして、パウロは、その手紙の中で、こうはっきりといいます。
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すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
ローマ人への手紙3章23節
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全ての人は罪人です。そして、聖書は、罪の為に人は死ぬようになったと書いてあるのです。
創造の初め、アダムは神様から命を受けました。
しかし、アダムは、神様に逆らい、命を失ったのです。
そして、その子孫である私たちも、同じように命を失う者となりました。
ところが、神様は、そのような私たちを愛して、罪の無いご自身の一人子を与えてくださいました。

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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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そして、この方によって、命を得るようにされたのです。

だから、こう書いてあります。
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こういうわけで、ちょうど一つの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、一つの義の行為によってすべての人が義と認められて、いのちを与えられるのです。
ローマ人への手紙5章18節
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イエス様のなさった一つの義とは、神様の命令に従い通し、十字架に死なれたという事です。
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キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
ピリピ人への手紙2章8節
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そして、イエス様はその神様の計画の完成を十字架の上で宣言されました。

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イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。
ヨハネの福音書19章30節
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この救いの完成。それは、イエス様が死にまで従われたという所にあります。
そして、聖書は、正しいものについて、こう約束しています。
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まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
詩篇16篇10節
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先ほど、罪の無いものは無いといいました。
しかし、本当に罪の無い正しいものは、よみに置かれないのです。

そもそも、死は、罪から来ます。ところが、罪の無い方が死んだ。
そこに、矛盾が生じるのです。
そして、イエス様は、蘇られたのです。
こう書いてあります。
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しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。
使徒の働き2章24節
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これが、キリストの復活です。
そしてそれは、私たちの救いを証明するものでもあります。

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54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
コリント人への手紙第一15章54-57節
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少しわかりにくい所ですが、ポイントは簡単です。
キリストは、私たちの勝利を与えて下さったのです。
イエス・キリストは、私たちの身代わりとなり、死に勝利し、蘇られたのです。

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ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。
マタイの福音書28章6節
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これは非常に重要な事です。
聖書の中で一番大切な事はこの事です。
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3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
4 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、
5 また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。
コリント人への手紙第一15章3-5節
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イエス様が、あなたの為に死んで、そして、蘇られた。
さまざまな人が、それはうそだといいます。
しかし、もし、そうなら、聖書の全てがうそです。

そうすると、マザーテレサなどのキリストにあって大きな働きを成し遂げた人々も全てむなしい事になってしまいます。

しかし、確かにキリストはよみがえられました。

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しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
コリント人への手紙第一15章20節
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それは、私たちの救いの為。
全ての人の為です。
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贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。
テモテへの手紙第一2章6節
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この事を覚え感謝し、また、この知らせが、私たちの周りの人々に、この日本の全ての人々に伝わって行くように、お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20090215 よみがえられたからです  
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