礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20090208
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御国を継ぐ者 
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
4 悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。
6 まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。
詩篇1篇1-6節
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皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は大いなる方、全能なる方。
この方を覚えて、御言葉を聞いてまいりましょう。

さて、この金曜日まで、浜松の浜名湖ロイヤルホテルで行われた、
ペンテコステ親交会教役者大会に行ってまいりました。
毎年、この時期に3泊4日の日程で行われる集会です。

今回は、「次世代を獲得する教会」と題しまして、フランク・デマジオ師によるメッセージを中心に、内外の牧師先生たちの実践的なお話を聞くことが出来ました。

何枚か、写真を撮って来ましたし、本、CD、DVDなども、何冊か買って参りましたので、是非ご覧下さい。
聖会そのもののDVDやCDも申し込みました。届くのは少し先になりそうですが是非ご覧下さい。

さて、では、いつものように御言葉を見て参りましょう。
今週の通読箇所は、
旧約聖書が、出エジプト記が終わって、レビ記
新約聖書が、マタイの福音書です。
レビ記は、捧げ物の方法について書かれています。
それらは、私たちに、神様を礼拝することがいい加減であってはならないことを教えます。
私たちは、時間において、また、賛美の姿勢、献金の姿勢全ての面で、この礼拝を大切にしたいと思います。
ただ、このようにいいますと、逆に、時間厳守や、賛美の姿などで、他の方を裁く方が出てきます。
一ついいますと、私は、礼拝に遅れてこられた方を見ると、大変嬉しく感じます。
遅れてでも神様の前に出ようとされたと思うからです。
もちろんいい加減でいのではありません。
でも、その方も共に主の前に礼拝を捧げることができる、それは喜びです。

喜びと愛をもって、共に賛美を捧げるものでありたいと思います。

マタイの福音書は、エルサレムでのイエス様の歩み、そして、十字架です。
どうぞ、お読み下さい。
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2月8日(日)[ ]出エ39-40 /[ ]マタ24:23-51
2月9日(月)[ ]レビ1-3 /[ ]マタ25:1-30
2月10日(火)[ ]レビ4-5 /[ ]マタ25:31-46
2月11日(水)[ ]レビ6-7 /[ ]マタ26:1-25
2月12日(木)[ ]レビ8-9 /[ ]マタ26:26-46
2月13日(金)[ ]レビ10-11 /[ ]マタ26:47-75
2月14日(土)[ ]レビ12-13 /[ ]マタ27:1-26
2月15日(日)[ ]レビ14 /[ ]マタ27:27-44
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さて、では、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。
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【 聖書箇所 】マタイの福音書25章31-40節
・新改訳Up48(贈呈p44英対p80)
・新改訳Vp53(贈呈p50)・口語訳p42
・新共同訳p50 (贈呈p50英対p77)
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【 聖書箇所のテキスト 】
25:31 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。
25:32 そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、
25:33 羊を自分の右に、山羊を左に置きます。
25:34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
25:35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
25:36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
25:37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
25:38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
25:39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
25:40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
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主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。
マタイの福音書25章40節
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では、この所から、
「御国を継ぐ者」
と題しまして、御言葉を共に見て参りましょう。
さて、イエス様は、いよいよ、十字架の近い中、さまざまな、御言葉を弟子たちに語られます。
今回の箇所においては、イエス様は、羊と山羊に人々が分けられると書かれています。

ここで、まず見てください。
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人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。
そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、
マタイの福音書25章32節
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皆さん。やがて、主イエス様が、栄光を帯びて、全ての御使いたちを伴ってこられます。
そして、イエス様は、栄光の位におつきになります。

そのときです。人々がイエス様の前に集められます。
しかし、このところを良く見てください。
集められるのは誰ですか?

それは、すべての国々の民です。
イエス様の前に、全ての民が集められるのです。

私たちの信じる神様は、ユダヤ人の神や、アメリカ人の神ではなく、全ての人の神です。
日本人にとっても、この方は神なのです。

ここで、集められているのは全ての民です。
だれも、この裁きの時に、逃げれるものはいません。

生きているものも、死んでいるものも裁かれます。
こう書いてあるからです。
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神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。
テモテへの手紙第二4章1節
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イエス様は、生きているものと、死んだものの全てを裁かれる方です。
そして、全てのものが、この方の前に出るのです。

皆さん。これは、なんと恐ろしいことでしょう。
全てのものが、裁かれるのです。

あなたの家族も友人も、親戚も、全ての人が、この裁きの時、イエス様の前に出るのです。

人々は、イエス様の前に集められます。
そして、それらの人々は、二つのグループに分けられます。
そのことが、羊と山羊として、書かれています。

それは、羊に象徴される従順なグループと、山羊に象徴される不従順なグループです。

羊は弱い動物です。
彼らは、勝手に山に入るなら、すぐに狼に食べられてしまうでしょう。
これに対し、山羊は力の強い足を持っています。
どんな岩場でも駆け上がることが出来ます。

弱い羊は、羊飼いの声を聞きます。
そして、その声についていきます。

そのような、羊と山羊に彼らは分けられるのです。

そして、彼らそれぞれは、イエス様から言葉を頂きます。

まずは、羊たちはなんと言われているでしょう。
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25:34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
25:35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
25:36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
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ここでは、羊と呼ばれたグループの者の行いが書かれています。

それぞれのわざに従って捌きが行われます。
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また、人をそれぞれのわざに従って公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、あなたがたが地上にしばらくとどまっている間の時を、恐れかしこんで過ごしなさい。
ペテロの手紙第一1章17節
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ところで、キリストにある者については、こう書いてあります。
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16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
テサロニケ人への手紙第一4章16-17節
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キリストにあるものは、主と共にすむものとなります。

それを分けるのは何ですか?
それは、ただ一つです。
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信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。
マルコの福音書16章16節
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こうも書いてあります。
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御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。
ヨハネの福音書3章18節
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イエス様を信じる。
それによって、私たちは、救われ、神の子とされ、永遠の命を受けるものとされたのです。

それが、羊と山羊とをわけます。
あなたの家族は、親族は、友人は知人はどうですか?
私たちは、私たちの周りの人が、みんな一緒に羊の側にいて、主を礼拝出来るように祈り、福音を伝えましょう。

ところで、皆さん。先ほどの箇所にもどりますが。
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34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
マタイの福音書25章34-36節
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この行いはどこから出て来るでしょう。

ヨハネの手紙第一を見てみましょう。
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15 だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。
16 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。
17 このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。
18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。
19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
20 神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。
21 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。
ヨハネの手紙第一4章15-21節
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ここに、神の愛によって、動かされるものの姿が現れています。
私たちは、イエス様を信じたものは、神の愛におります。
また、神の愛を知るのです。

そして、その愛は、目に見える兄弟を愛します。
その愛は、隣人を愛するという形で、律法を成就するのです。
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律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。
ガラテヤ人への手紙5章14節
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この愛はどこから来ますか?

それは、人からではありません。
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22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
ガラテヤ人への手紙5章22-23節
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この愛は、御霊の実です。

さて、御霊の実は、どのようにして生まれるのですか?
イエス様はこういわれました。
よく引用するところですが、ここで、少し長くお読みします。
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15:4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶ
ことはできません。
15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないから
です。
15:6 だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。
15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。
ヨハネの福音書15章4-7節
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主にとどまり実を結ぶ。

この中で、いつもお読みするのはこのところです。
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15:4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶ
ことはできません。
ヨハネの福音書15章4節
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私たちは、ただ、主にあって実を結ぶのです。
逆に、主によらなければ何も出来ないことを知らなければなりません。

そのことから、聖書箇所に戻ります。
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37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
マタイの福音書25章37-40節
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彼らは、自分が何をしたか考えていません。
私たちがもし、自分はあれをした、これをしたと考えるなら、それは、あなたの誇りであって、主からのものでは無いかも知れません。

私たちは、主にあって働くのです。

ところで、最後にこう書いてあります。
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15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。
ヨハネの福音書15章7節
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私たちが主にとどまっているなら、何でも求めてよいのです。
主は、私たちを満たしてくださいます。
今年の聖句として与えられた御言葉もそのことを教えています。
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わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。
詩篇81篇10節
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主に期待して祈りましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20090208 御国を継ぐ者 
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