礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20081228
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新しいエルサレム 
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちの名を命の書に記して下さいました。
今、私たちの故郷は天の永遠の御国です。
このことを覚えて、主の御言葉を聞いて参りましょう。

では、いつものように、聖書の通読箇所を見て参りましょう。
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12月28日(日)[ ]ゼカ9-11 /[ ]黙19
12月29日(月)[ ]ゼカ12-14 /[ ]黙20
12月30日(火)[ ]マラキ1-2 /[ ]黙21
12月31日(水)[ ]マラキ3-4 /[ ]黙22
1月1日(木)[ ]創1-3 /[ ]マタ1
1月2日(金)[ ]創4-6 /[ ]マタ2
1月3日(土)[ ]創7-9 /[ ]マタ3
1月4日(日)[ ]創10-12 /[ ]マタ4
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旧約聖書はゼカリヤ、マラキと続き、そして、創世記にもどります。
また、新約聖書は、黙示録が終わり、マタイの福音書に戻ります。

このマラキ書は、イエス様のこられること、そして、その前に、その道を備えるものが来ることを預言しています。
これにつづいて、新約聖書は、マタイの福音書へと入ります。
旧約聖書と、新約聖書は、一つです。
そして、これらをつないでいるのも、イエス様です。

この一年、聖書の通読はいかがだったでしょうか?
読めた方も読み無かった方も、また、新たな気持ちで、聖書を読みましょう。

私たちは、この主にあって、日々新たにされているのです。

さて、では、聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、
黙示録21章です。

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【 聖書箇所 】黙示録21章16-27節
・新改訳Up460(贈呈p400英対p766)
・新改訳Vp501(贈呈p456)・口語訳p408
・新共同訳p478 (贈呈p478英対p705)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
21:16 都は四角で、その長さと幅は同じである。彼がそのさおで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。
21:17 また、彼がその城壁を測ると、人間の尺度で百四十四ペーキュスあった。これが御使いの尺度でもあった。
21:18 その城壁は碧玉で造られ、都は混じりけのないガラスに似た純金でできていた。
21:19 都の城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイヤ、第三は玉髄、第四は緑玉、
21:20 第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十は緑玉髄、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。
21:21 また、十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。
21:22 私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。
21:23 都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。
21:24 諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。
21:25 都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。
21:26 こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。
21:27 しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都にはいれない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。
黙示録21章11節
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では、この所から、
新しいエルサレム 
と題しまして、御言葉を共に見て参りましょう。

さて、今日で、今年の礼拝は終わりです。
皆さん。本当に一年間、ありがとうございました。

この一年の終わりに、黙示録、しかも、この箇所からお話できることを主に感謝します。
良くも悪くも、あと、少しで二千八年が終わります。

皆さんにとってどんな年だったでしょうか?
私たちには、やりのこしたと感じることもあるかもしれません。
しかし、時は過ぎていきます。

それと同じように、やがて世の終わりが来ます。
そのとき、今、世にある全てのものが過ぎ去ります。

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また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
黙示録21章1節
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この世界の全ては、過ぎ去ると聖書は教えています。
ところで、ここに、海もないと書いてあります。
聖書の世界で、海は、罪の世界を象徴しています。

聖書の中の例えなどをみるとき、この観点から見るとわかりやすくなることがあります。
イエス様が言われたこの言葉は、
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話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。
ルカの福音書5章4節
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罪に満ちたこの世に、福音を携えて出て行く事をも示しています。

さて、お話を戻します。

神様は、この世界の全てを、消し去ってしまわれます。
先日、一人の姉妹とお話をしていまして、その方の所にこられた、ものみの塔の信徒の方が、神様がこの世界の全てを消し去られるなら、神様の創造は失敗だったのですか?と、聞かれたそうです。
このことを少し考えて見ましょう。
ヘブル人への手紙を見ると、神殿について、こう書いてあるところがあります。
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キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所にはいられたのではなく、天そのものにはいられたのです。そして、今、私たちのために神の御前に現われてくださるのです。
ヘブル人への手紙9章24節
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完全なる天と模型である地(ヘブル人への手紙9章24 ヤコブの手紙1章17節)
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この世界の神殿は、天にある本物の模型でした。
そして、キリストは、天そのものに入られたのです。

わたしたちにとって、現実であるこの世界も、天の存在に比べると模型のようなものです。
そして、それは不完全な物なのです。

完全なものは天にあります。
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すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。
ヤコブの手紙1章17節
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すべての完全なものは天にあるのです。
そして、それは、天から来ます。

この世界は、型枠にたとえることも出来るかも知れません。
ケーキの型、石膏で何か作るための型、鋳物を作る型、コンクリートを流し込んでビルを造る型、いろんな型があります。

その型枠は、どんなにきちんとつくられていても、そこに何かを流し込んで固めたら、もういりません。
しかし、その型が失敗作だったからいらないのではありません。
その用途が終わったからいらないのです。

神様の創造の実体は天にあるのです。

そして、やがて、今の世が過ぎ去り、新しい天が地上に降りてくるのです。

そこに入るには、同じように、新しいもので無ければなりません。

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イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
ヨハネの福音書3章3節
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このことを、パウロは、ガラテヤ人への手紙の中でこう言います。
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14 しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたので
す。
15 割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。
ガラテヤ人への手紙6章14-15節
割礼のあるなしは問題ではなく、ただ、新しく造られることこそ、重要なのである。
(口語訳)
割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。
(新共同訳)
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同じ箇所を口語訳と、新共同訳でみると、その意味がより、わかると思います。

新しく作られる、これが、重要なのです。

そして、私たちは、キリストにあって新しいものとされているのです。
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だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
コリント人への手紙第二5章17節
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私たちがキリストのうちにある。それが、新しく作られた事なのです。
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私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするため
です。
ローマ人への手紙6章4節
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新しい創造(ヨハネの福音書3章3節 ガラテヤ人への手紙6章14-15節 コリント人への手紙第二5章17節)

さて、そのような私たちにとって、そこは、ふるさとです。
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けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
ピリピ人への手紙3章20節
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天の国籍(ピリピ人への手紙3章20節)
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では、その様子を見てみましょう。
しかし、その天国の様子の前に、次のことが書かれています。
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8 しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」
9 また、最後の七つの災害の満ちているあの七つの鉢を持っていた七人の御使いのひとりが来た。彼は私に話して、こう言った。「ここに来なさい。私はあなたに、小羊の妻である花嫁を見せましょう。」
10 そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って来るのを見せた。
黙示録21章9-10節

そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。
黙示録20章10節
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第二の死(黙示録21章9-10節 黙示録20章10節) 
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まず、ここに書かれているのは、罪人の最後です。
それは、第二の死とされています。
そして、そのあとで、小羊の花嫁が出てきます。

罪人の最後は火と硫黄の池と書かれていますが、これは、黙示録20章10節を見ると、悪魔の最後と同じ場所であることがわかります。

そして、小羊の花嫁が現れます。
それは、聖なるエルサレムとして出てきます。

しかし、小羊の花嫁について、以下の御言葉を見てください。
まず、私たちは、キリストの体、神の宮です。
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神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
コリント人への手紙第二6章16節

ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のこと
です。
コロサイ人への手紙1章24節

30 私たちはキリストのからだの部分だからです。
31 「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」
32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。

というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。
コリント人への手紙第二11章2節
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これらの御言葉から、私たち教会こそ、キリストの妻、花嫁であることがわかります。

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小羊の花嫁(コリント人への手紙第二6章16節・コロサイ人への手紙1章24節・エペソ人への手紙5章30-32節・コリント人への手紙第二11章2節) 
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すると、この天からのエルサレムもまた、教会、聖徒たちの集まりです。

それは整えられ、輝いています。

非常に広く、
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1スタディオン=約185m 12000スタディオン=1740km
1ペーキュス=ローマでは約44.5Cmパレスチナでは約52.5Cm 144ペーキュス=64m 
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そして、さまざまな宝石に輝いています。
また、その門は、一つの真珠から出来ています。

しかし、それら全てが、実は、聖徒たちの正しい行いなのです。
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花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」
黙示録19章8節
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私たちのこの地上での行いは、天の宝石となり、金となります。
このことをよく考えてください、あなたの地上でのよい行いは、この地上において、光として輝きます。
そして、天で宝石となって、天のエルサレムを築いているのです。

あなたの地上でのよい行いが、天国を作り、飾るのです。

天に宝を積みましょうといいます。
しかし、あなたのためだけの宝ではありません。

あなたの捧げ物、施し、人を助けること、神様に従うこと、それら良い行いは、天のエルサレムを造るのです。

そして、私たちの国籍は、その天にあるのです。
やがて、私たちは、そこに帰ります。

あなたの日々の歩み、それは、これほどに大切な意味を持っています。
このことを覚えて、新しい年を迎えましょう。
主は、あなたを祝福されます。

お祈りしましょう。


<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。





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シティーチャーチメッセージ20081228 新しいエルサレム
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