礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20081221
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約束された救い主
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

みなさんおはようございます。

聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちの為に世に来てくださった方、王の王主の主である方です。
私たちの希望は、このイエス様にあります。
私たちの信仰はこのイエス様によります。
そして、私たちの愛は、このイエス様から流れています。
このイエス様から目を離さず、イエス様ご自身である御言葉を見て参りましょう。

さて皆さん。少し早いですが、メリークリスマス。
クリスマスおめでとうございます。

今日は、クリスマス記念礼拝ということで、メッセージの中でも、主の御降誕を覚えて参りたいと思います。
また、その後、祝会が続きます。

皆さんで、クリスマスをお祝いしましょう。

では、いつものように、聖書の通読箇所を見てみましょう。

聖書の通読箇所は、
旧約聖書がミカ、ナホム、ハバクク、ゼパニヤ、ハガイ、ゼカリヤと続きます。
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12月21日(日)[ ]ミカ6-7 /[ ]黙10-11
12月22日(月)[ ]ナホム1-3 /[ ]黙12
12月23日(火)[ ]ハバ1-3 /[ ]黙13
12月24日(水)[ ]ゼパ1-3 /[ ]黙14
12月25日(木)[ ]ハガイ1-2 /[ ]黙15-16
12月26日(金)[ ]ゼカ1-5 /[ ]黙17
12月27日(土)[ ]ゼカ6-8 /[ ]黙18
12月28日(日)[ ]ゼカ9-11 /[ ]黙19
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聖書の通読も、もう少しで終わりです。
これら、小預言書は、神様が、悔い改めと救いの希望を民に語っておられるものですが、
その最大の希望は、救い主の到来にあります。
そして、その救い主がこられた事を感謝して祝い、神様を礼拝するのが、このクリスマスの本来の意味です。

そして、今の時期、本当にそのような悔い改めの中に自分を置くためにも、これらのところを読みましょう。
また、新約聖書は黙示録、こちらも、いよいよ、終わりに近づいています。
皆さん是非お読み下さい。

では、本日の聖書箇所をお読み頂きましょう。
本日の聖書箇所は、黙示録12章です。
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【 聖書箇所 】黙示録12章1-11節
・新改訳Up449(贈呈p391英対p745)
・新改訳Vp489(贈呈p445)・口語訳p397
・新共同訳p465 (贈呈p465英対p686)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
12:1 また、巨大なしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。
12:2 この女は、みごもっていたが、産みの苦しみと痛みのために、叫び声をあげた。
12:3 また、別のしるしが天に現われた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。
12:4 その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。
12:5 女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。
12:6 女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。
12:7 さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、
12:8 勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。
12:9 こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。
12:10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者
が投げ落とされたからである。
12:11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
イザヤ書9章6節
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では、このところから、
「約束された救い主」
と、題しまして、御言葉を見て参りましょう。

今回お読みいただいた箇所は、何の事か非常にわかりにくいところです。

この箇所の最初を見てみましょう。
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また、巨大なしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。
黙示録12章1節
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このしるしは、天に現れました。
それは、一人の女でした。
この女は、太陽の輝きと、月をも踏む権威と、12の星の冠をかぶる地位を持っていました。
この女は、鉄の杖をもって国々を僕する男の子、すなわち、キリストを生むのですが、この女はマリヤのことを直接さしているのではありません。

一般的には、この女は、教会であると解釈されます。
また、これは、イスラエル民族であるとの解釈もあります。

どちらであるにしても、この女は、主によって守られました。
そして、子どもが産まれ、女には逃げ場所が用意され、
そして、天使と、悪魔の戦いが起こり、悪魔は打ち砕かれたのです。
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10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が
投げ落とされたからである。
11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。
黙示録12章10-11節
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そして、キリストの権威が現れました。
ところで、ここで、一つ注目しておいて頂きたいことがあります。
それは、この、あかしのことばのゆえにというところです。
皆さん。勝利は、私たちのことばにかかっています。
ですから、私たちは、神の言葉を語らなければなりません。
また、神様が言われるように、正しい告白をしなければならないのです。
その告白はまた、聖書の言葉にそっていなければなりません。

さて、この箇所をもう一度見ますと、これは、イエス様の降誕、また、勝利を一気に見たものだと考えることが出来ます。

ところで、ここに、悪魔の姿が、現れます。
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3 また、別のしるしが天に現われた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。
4 その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。
黙示録12章3-4節
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この、赤い竜として登場した悪魔は、十の角を持っています。
また、この悪魔は、天の三分の一にたとえられる天使たちを、地に落としました。

また、竜は、救い主が生まれるとき、その子を食い尽くそうとしています。

一般に、角は、王を意味します。

ダニエル書にこういうところがあります。
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23 彼はこう言った。『第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。
24 十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。
ダニエル書7章23-24節
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いま、こまかな説明は出来ませんが、ダニエル書において、4番目に出てくる国は、ローマ帝国をあらわしています。
ですから、この10の角をもつのは、ローマ帝国です。

ローマ帝国は、イエス様の時代のユダヤを支配していました。
ただし、誤解のないように言いますと、この女は単に、ローマ支配下のユダヤ、イスラエルを意味するのではありません。

もっと広い意味での聖徒を意味します。
それはなにか、そのヒントが、このエペソ人への手紙に書いてあります。
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12 そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。
13 しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。
14 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、
15 ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現する
ためであり、
16 また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。と
エペソ人への手紙2章12-15節
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これは、イスラエルとクリスチャンが一つとなったものです。

神様から見たとき、イスラエルと異邦人で主を信じたクリスチャンが一つとなって新しいひとりの人となる。
ですから、それは、別々の物でなく、一つなのです。

ヨハネから見てもそうだったはずです。
なぜなら、ヨハネは、ユダヤ人です。

ユダヤ人として、彼はメシアを待ち望み、そして、ユダヤ人の中にイエス様がこられ、このイエス様を彼は信じたのです。
彼の中で、異邦人で、主を信じたものはいましたが、ユダヤ人と別に、クリスチャンというグループがあるのではないのです。

さて、とにかく、これらの箇所は、キリストの降誕をしめしています。
そして、それは、天においてもこのような戦いがなされ、そのような中での誕生であったわけです。

つまり、たまたま生まれた一人の子どもが、成長して、偉大な預言者となった、とか、神を知ったとかいうことではないのです。

キリストがこられることは預言されていました。
このダニエル書の中では、油注がれた方がこられることが預言されていますし、
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24 あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。
25 それゆえ、知れ。悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから、油そそがれた者、君主の来るまでが七週。また六十二週の間、その苦しみの時代に再び広場とほりが建て直される。
26 その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。
27 彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」
ダニエル書9章24-27節
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また、この方は、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」として、お生まれになると、イザヤが預言しています。
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6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。
イザヤ書9章6-7節
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この箇所は、今回の主題聖句ですね。

さて、そのような方、イエス様をおあたえになった神様の目的は何でしょうか?
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あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。
ダニエル書9章24節
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神様の目的は、罪を終わらせることです。

しかし、このことは、人には出来ません。

そこでパウロはいいます。
少し長いですが、ローマ人への手紙です。
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17 ですから、それを行なっているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。
18 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。
19 私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。
20 もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。
21 そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。
22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
25 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。
ローマ人への手紙7章17-25節
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ですから、私たちの罪のきよめは、聖書の教えを、行うことにあるのではありません。

24節を見てください。
どうしたら、救われるかとは言わず、誰が救って下さるのかといっているのです。

そして、その救いは、ただ、キリストを見つめていくことにあるのです。

地の果ての全てのものよ、私を仰ぎ見て救われよ。
と、主は言われます。
ただ、主を仰ぎ見ることに、救いはあるのです。

律法を行うことではありません。
なぜなら、キリストなしには、私いたちは何も出来ないからです。

キリストは、救い主として来てくださいました。
世の罪を取り除く、神の小羊、それがイエス様です。

イエス様は、罪を取り除けと命じる方ではなく、罪を取り除かれる方です。
そして、こういわれます。
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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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では、律法はなんですか?
パウロは、律法を、福音への養育係だといいました。
律法は、私たちが、キリストと結びついているかどうかのバロメーターともいえます。

だから、あなたが、罪を犯しているなら、それから離れる方法は一つです。
ただ、キリストを見ることです。

この方に結びつくことです。
聖書を読み祈ることです。

そこには、聖霊様の助けが必要です。
ですから私たちは、熱心に祈りましょう。
主の救いを求めて祈りましょう。

あなたによるのではありません。
救い主は、あなたを罪から救うためにこられました。
ですから、私たちの救いは、ただイエス様によります。

そして、その方は、一人あかんぼうとして、来てくださったのです。
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あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」
ルカの福音書2章12節
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そのことを記念し礼拝するクリスマス。
このことを、一人でも多くの人が知ることが出来るよう、お祈りしましょう。


<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。






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シティーチャーチメッセージ20081221約束された救い主
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