礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20081207
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神のうちにとどまる
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、いつも私たちと共にいて下さる方。
私たちを導いて下さる方です。
この方を覚えて、御言葉を聞いてまいりましょう。

まずは、いつものように聖書の通読箇所を見ていきましょう。

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12月7日(日)[ ]ダニ11-12 /[ ]Uペテ3
12月8日(月)[ ]ホセ1-4 /[ ]Tヨハ1
12月9日(火)[ ]ホセ5-8 /[ ]Tヨハ2
12月10日(水)[ ]ホセ9-11 /[ ]Tヨハ3
12月11日(木)[ ]ホセ12-14 /[ ]Tヨハ4
12月12日(金)[ ]ヨエ1-2:17 /[ ]Tヨハ5
12月13日(土)[ ]ヨエ2:18-3 /[ ]UヨハVヨハ
12月14日(日)[ ]アモ1-3 /[ ]ユダ
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旧約聖書がダニエル書、ホセア書、ヨエル書、アモス書と、続きます。
ホセア書は、罪人を愛し赦される神様の愛が表れているところです。
また、ヨエル書は、主の日が訪れることを、人々に語ります。
そして、今、その時は来ているのです。
また、アモス書は、悔い改め、神に従うことが強調されています。

どの書も、短い書ですが、非常に重要な内容の書かれたところです。

新約聖書は、ヨハネの手紙第一第二第三と続きます。
これらは、お話の中で見てまいりましょう。

皆さん。是非聖書をお読み下さい。

では、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、ヨハネの手紙です。
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【 聖書箇所 】ヨハネの手紙第一2章1-6節
・新改訳Up426(贈呈p371英対p704)
・新改訳Vp465(贈呈p422)・口語訳p376
・新共同訳p441 (贈呈p441英対p650)
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では、司会者お願いします。
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2:1 私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエ
ス・キリストです。
2:2 この方こそ、私たちの罪のための、――私たちの罪だけでなく全世界のための、――なだめの供え物なのです。
2:3 もし、私たちが神の命令を守るなら、それによって、私たちは神を知っていることがわかります。
2:4 神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。
2:5 しかし、みことばを守っている者なら、その人のうちには、確かに神の愛が全うされているのです。それによって、私たちが神のうちにいることがわかります。
2:6 神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。
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では、主題聖句を言いましょう。

<あんしょう>

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【 主題聖句 】
もし、私たちが神の命令を守るなら、それによって、私たちは神を知っていることがわかります。
ヨハネの手紙第一2章3節
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今日はこの所から、
「神のうちにとどまる。」

と、題しまして、御言葉を共に見てまいりたいと思います。

今回、この一週間に、ヨハネの手紙が最初から最後まで入っています。

このヨハネの手紙は、12弟子の一人であった、ヨハネが書いたものとされています。
福音書に出てくるバプテスマのヨハネではありませんので、間違えないようにして下さい。

12弟子の一人であったヨハネは、イエス様の愛された弟子として、福音書に登場します。
彼は、ヨハネの福音書を書き、ヨハネの手紙第一第二第三を残し、また、ヨハネの黙示録を残しました。

福音書を見ると、ヨハネは、イエス様からボアネルゲすなわち、雷の子と呼ばれたようです。
それは、気性が激しかったからではと言われます。
そのようなヨハネが、イエス様とすごす中で愛の人と変えられ、もっとも愛に満ちた書を残しています。
イエス様によって、愛の人へと変えられたヨハネそのイエス様から受けた愛が、ヨハネの手紙には現れています。
そのことを踏まえて、ヨハネの手紙第一、第二、第三を読みましょう。

さて、そのヨハネの福音書の中で、今回の箇所は、神の戒めを守るという事からお話しがはじまります。

今回の主題聖句ですが、ヨハネは、神を知るものを、神の命令を守るということで、定義しています。
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【 主題聖句 】
もし、私たちが神の命令を守るなら、それによって、私たちは神を知っていることがわかります。
ヨハネの手紙第一2章3節
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神を知っているなら、神の命令を守るのだと言い換えることも出来ると思います。

神を知るために神の命令を守るのでも、神に近づくために、神の命令をまもるのでもありません。
また、神のように自分を立てあげるために、修行として、神の命令を守るのでもありません。

私たちが、神の命令を守るかどうか、それは、神を知っているかどうかにかかっているのです。
私たちの神様はどんなかたですか?何をしてくださいましたか?
そのことを知る中で、私たちは、神を知り、また、神の戒めを行うものと変えられていくのです。
それは、ちょうどヨハネが愛の人と変えられて行った事と似ています。

では、神の命令とは何かを考えて見ましょう。
最近、モーセをテーマにしたDVDのセットが出ました。
ただ、そのビデオは、非常に律法主義的な内容もあり、少し残念なものもあったのですが、どのような切り口から見ても、確かにモーセは偉大な人物だと感じます。

モーセは、シナイの山で、神様から律法を受け取りました。
その一番大切な事柄は、10の言葉にして、神様ご自身が石版に刻まれました。
それが、モーセの十戒です。

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(1)3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
(2)4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
(3)7 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
(4)8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
(5)12 あなたの父と母を敬え。
(6)13 殺してはならない。
(7)14 姦淫してはならない。
(8)15 盗んではならない。
(9)16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
(10)17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」
出エジプト記20章3-17節より抜粋
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これが、神様の命じられた、大切な命令です。
行動だけでなく、欲しがってはならないという、心の問題にまで入り込んでいる事も覚えておいてください。

ところで、この前半(1-4)は人と神との関係を、その後は、人と人との関係を示しています。
その中で、一番大事なことは何か、これは、重要なものから並んでいると考えることが出来ると思うのですが、まず、父と母を敬えとの命令が来るのです。
殺してはならないよりも、父と母を敬えのほうが先なのです。
父母を敬うことがどれほど大切な事かがわかります。

父母との関係は、人と人の関係のはじまりです。
だれもが母を通して生まれ、父と母の間に生まれるのです。
たしかに、何かの事情で、父や母と一度も会ったこともない方がおられるかもしれません。
しかし、それであっても、その存在は、父と母なしにありえなかったのです。
神様は、そのように人間を作られました。

さて、この十戒の言葉、この命令の根幹にあることを、イエス様は別な言葉で表現されました。

あるとき、律法の専門家がイエス様に、 「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」と聞きました。
それで、お答えになった言葉がそれです。
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37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
38 これがたいせつな第一の戒めです。
39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
40 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
マタイの福音書22章36-40節
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神を愛し、隣人を愛することが、律法全体と預言者にかかっているとイエス様は言われましたが、この律法全体と預言者とは、
この旧約聖書の全てをさす言葉です。
旧約聖書の全ては、神を愛し、隣人を愛することに尽きるということです。
さらに言えば、この新約聖書、旧約聖書、聖書の全ては、神を愛し、隣人を愛することに尽きます。

ここで、イエス様は、律法の中で、もっとも大切なことは何か、それは、殺さないことだといわれません。
盗まないことだとも言われません。
愛することだといわれたのです。

神への愛と人への愛、それが、律法の全てです。
そして、それは、他の全ての律法を行わせるのです。

ローマ人への手紙の中で、パウロも言います。
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愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。
ローマ人への手紙13章10節
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ガラテヤ人への手紙の中でも、パウロは言います。
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律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。
ガラテヤ人への手紙5章14節
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ところで、この御言葉は、モーセの書いた申命記に出てくる言葉です。
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心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
申命記6章5節
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また、イエス様が、もう一つと言われた戒めは、ここに書かれています。

あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。
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復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。
レビ記19章18節
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イエス様が言われたのは、これらの御言葉をさしています。

ところで、ここで、聖書ははっきりと復讐ということを禁じているのがわかります。
主は復讐を禁じておられます。そして、愛するようにといわれるのです。
ところが、復讐を正当化するために、目には目をという言葉を出してくる方がおられます。
この言葉は、聖書に出てくる言葉です。
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19 もし人がその隣人に傷を負わせるなら、その人は自分がしたと同じようにされなければならない。
20 骨折には骨折。目には目。歯には歯。人に傷を負わせたように人は自分もそうされなければならない。
レビ記24章19-20節
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これは、単なる復讐を教えているのではありません。
よくみてください。
人に傷をおわせたように、自分もそうされなければならない
と、書いてあるのです。
人に傷をおわされたように、自分もそうしてやらなければならない
とは書いてありません。
自分の過失をどう償うか、それを示しています。

自分の権利として、相手に傷を負わせることを命じているのではないのです。
傷を負わされたものに主が語られるのは、復讐してはならない、隣人を愛しなさい。
であって、傷を負わせなさいという事ではないのです。

間違っても、気の済むまで仕返しをするという意味ではありません。

しかも、イエス様は主の祈りをお教えになったとき続いて言われました。
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14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。
15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。
マタイの福音書6章14節
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敵を赦す。敵でさえも赦すことを主はお教えになります。

しかし、イエス様は、こうも言っておられます。
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43 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
マタイの福音書5章43-44節
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私たちは、敵を愛するように命じられているのです。

これは、私たちの感覚からは程遠いことです。

しかし、私たちの主が何をされたかを思い起こしてみましょう。
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もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。
ローマ人への手紙5章10節
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このことを口語訳はこう書いています。
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もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。
ローマ人への手紙5章10節(口語訳)
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敵であったときでさえ、私たちは、主から愛されたのです。

ちょうど、クリスマスが近づきましたが、この御言葉にその事があらわされています。
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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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神様は、神様に敵対するこの世を愛して、御子を与えてくださったのです。

主はあなたのことを愛しておられます。
このことから、次の御言葉を見てみましょう。

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悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。
ローマ人への手紙12章21節
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悪に負けないとは、悪い者に負けないということではありません。
悪人をやっつけてしまおうと言っているのではないのです。

だから、悪いやつをやっつけるために体を鍛えろとか言うことではありません。

勧善懲悪という事を誰もが好みます。
水戸黄門や、銭形平次、また、スーパーマン。必殺仕事人。
みんな悪いものをやっつけてくれます。
しかし、ここで、言っているのはそういうことではありません。

次の御言葉がそのことを教えてくれます。
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だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。
テサロニケ人への手紙第一5章15節
悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。
ペテロの手紙第一3章9節
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聖書は、善で悪に打ち勝つことを教えています。

悪の用いたと同じ方法、同じ策略、暴力や悪行をもって打ち勝つのではないのです。

善で悪に打ち勝つとはどういうことでしょう。

この世界には本来争いはなかったのです。
アダムとエバを神様が作られました。
そして、エデンの園に置かれました。
そこは、素晴らしいところ、争いのない所、平和に満ちた所でした。

しかし、悪魔が人間を堕落させ、神様に逆らわせました。
神様の戒めを破らせたのです。
そして、人は争うようになりました。
アダムとエバの間に生まれた兄弟、カインとアベルは、カインがアベルを殺すという形で、最初の殺人事件を起こしたのです。
しかし、それが、最初の争いではありません。

アダムとエバが神様を裏切ったとき、神様はアダムに語りかけられました。
あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。
そのとき、アダムは答えます。
あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。
アダムにとってエバは、自分の骨から骨、肉からの肉、自分の骨肉、自分自身のような存在だと愛した妻でした。
しかし、ここで、アダムはエバを、この女が、と、自分を惑わした敵にしてしまっているのです。

ここに最初の争いがあるのです。
悪魔は、争いをもたらしました。

ですから、争わないことは、悪魔の策略に打ち勝つことです。
どちらが正しいか、なにが正しいかでなく、ただ、心から争わないでいるならば、それは、悪魔に対する勝利なのです。
ただ、それは、苦い思いを心の中に抑えることでもありません。
主にあって、平安に、そして、赦すことです。

そして、私たちの信じる主は平和の神であり、この方が、私たちの足で敵を踏み砕かれるのです。
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平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。
ローマ人への手紙16章20節
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そして、このことは、この御言葉に帰結します。
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あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
ヨハネの福音書13章34節
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主が愛されたように、互いに愛し合う。
これが、神を知るものの歩みです。
そして、こう書いてあります。
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何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。
ペテロの手紙第一4章8節
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裁きあうのでなく、主にあって互いに愛しあう事の出来るようお祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。





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シティーチャーチメッセージ20081207神のうちにとどまる
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