礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20081130
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正しい良心の神への誓い
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は、私たちをご自身の血によってきよめ、
神の子として下さいました。
この方を覚えて、御言葉を見て参りましょう。

では、今日もまず、聖書の通読箇所を見てまいりましょう。
聖書の通読箇所は、旧約聖書がエゼキエル書が終わり、ダニエル書。
新約聖書がペテロの手紙第一第二と続きます。

エゼキエル書は、回復に関する預言、そして、この御言葉で終わります。
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町の周囲は一万八千キュビトあり、その日からこの町の名は、『主はここにおられる。』と呼ばれる。」
エゼキエル書48章35節
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そして、ダニエル書。
ダニエル書は、以外に短く、12章しかありません。
ダニエルは、捕囚にあった者の中でもっとも偉大な預言者でした。
その預言と解き明かしは、世の終わりの出来事にまでいたります。
是非、お読みください。
また、ペテロの手紙は、お話の中で見てまいりましょう。
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11月30日(日)[ ]エゼ44-45 /[ ]Tペテ1
12月1日(月)[ ]エゼ46-48 /[ ]Tペテ2
12月2日(火)[ ]ダニ1-2 /[ ]Tペテ3
12月3日(水)[ ]ダニ3-4 /[ ]Tペテ4
12月4日(木)[ ]ダニ5-6 /[ ]Tペテ5
12月5日(金)[ ]ダニ7-8 /[ ]Uペテ1
12月6日(土)[ ]ダニ9-10 /[ ]Uペテ2
12月7日(日)[ ]ダニ11-12 /[ ]Uペテ3
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では、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、ペテロの手紙第一です。
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【 聖書箇所 】 ペテロの手紙第一3章13-22節 
・新改訳Up418(贈呈p364英対p691)
・新改訳Vp456(贈呈p414)・口語訳p369
・新共同訳p432 (贈呈p432英対p637)
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では、司会者お読み下さい。
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【 聖書箇所のテキスト 】
3:13 もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。
3:14 いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。
3:15 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。
3:16 ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。
3:17 もし、神のみこころなら、善を行なって苦しみを受けるのが、悪を行なって苦しみを受けるよりよいのです。
3:18 キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。
3:19 その霊において、キリストは捕われの霊たちのところに行ってみことばを宣べられたのです。
3:20 昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。
3:21 そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。
3:22 キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。
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ありがとうございます。
では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。
ペテロの手紙第一3章21節
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では、この所から、
正しい良心の神への誓い
と題しまして、御言葉を見てまいりましょう。

このペテロの手紙。
書いた人は、イエス様の一番弟子とも言われるペテロです。
ペテロは、このペテロという名前をイエス様からもらいました。
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40 ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。
41 彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った。」と言った。
42 彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」
ヨハネの福音書1章40-42節
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ペテロの兄弟アンデレが、イエス様をペテロに紹介し、ペテロはイエス様の弟子となりました。
そして、シモンであった彼は、岩という意味のケパ、ペテロとなったのです。

このペテロは、もともとガリラヤの漁師でした。
しかし、イエス様に呼び出され、神様の為に働くものとなったのです。

彼は、熱心であり、大胆でした。
また、自信家でもあったようです。
しかし、彼は、イエス様を裏切りました。
その彼をイエス様が赦して下さった。
そのことに、主の恵みの深さを教えられます。

さて、このペテロの書いた手紙。
今回の箇所は、3章の13節からですが、
その前と後ろを少し見てみましょう。

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8 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。
9 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。
ペテロの手紙第一3章8-9節
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この最後に申しますという言葉にも、単に、手紙の終わりだけでない危機感があります。
しかし、その中で、ペテロは愛し合うことを教えます。

そして、4章にはこう書いてあります。
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7 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。
8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。
ペテロの手紙第一4章7-8節
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万物の終わりが近づいたと書いてあります。

ペテロの中には、今、まさに世の終わりであるとの終末感がありました。
そのような、終わりの時に私たちは何をするのでしょう。
ペテロは、祈りのため、心を、そして、身を整えること、そして、互いに愛しあうことを教えます。

私たちは、このペテロの持っているような終末感を持つ必要があります。

ペテロの時から、すでに2000年がたっていると考えるかも知れません。
しかし、その間にイエス様を知らずに死んだ人たちは、地獄に行ってしまったのです。

ですから、一人一人にとって、今は、恵みの時、救いの日、終わりの時です。
パウロも言います。
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神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
コリント人への手紙第二6章2節
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そして今は、さらに、本当の終わりの時が近づいています。
私たちは、イエス様の御再臨を見るのかも知れません。

ペテロは、そのような切迫した危機感を持って、この手紙を書いています。

さて、そのような中で、ペテロは言います。
これは、迫害と困難の中にある人たちへの言葉です。

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14 いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。
15 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。
ペテロの手紙第一 3章14-15節
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義のため迫害されながらも、心の中で主をあがめ、平安の中を歩む。そして、希望についての説明、すなわち、福音を語るそのための用意をしておくのだと書いてあります。

そして、それは、押し付けの言葉でなく、優しく、慎み、恐れて、正しい良心をもって弁明されるんのです。
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3:16 ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。
ペテロの手紙第一 3章16節
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人を救われるのは主です。
ですから、言葉がよければいいのではありません。
パウロも、そのことについて、こういいます。

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そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。
コリント人への手紙第一2章4節
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しかし、いい加減なことを話していいのではありません。
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むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。
エペソ人への手紙4章15節
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私たちは、愛をもって真理を語るのです。
そして、あらゆる点において、キリストにいたるまで成長するのです。

パウロの手紙は、その筋がしっかりと通っていて読みやすいのですが、
ペテロの手紙は、言いたいことがあちこちに飛んでしまっていると思うことがあります。
しかし、それは、ペテロの手紙が体験に基づくからです。

今回の箇所も、そのような中から、バプテスマの話へと入って行きます。
こう書いてあります。
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18 キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。
19 その霊において、キリストは捕われの霊たちのところに行ってみことばを宣べられたのです。
ペテロの手紙第一3章18-19節
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ここで、キリストが十字架で、死なれたことが出てきます。

そして、イエス様は、霊において捕らわれた霊たちの所にいって、福音を伝えられたのです。
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20 昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。
21 そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。
ペテロの手紙第一3章20-21節
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イエス様は、ノアの時代の人たちのところに行かれたと書いてあります。

ノアは、神様の命令によって、箱舟を作りそこにはいりました。
その箱舟は、水の中をくぐって生きてきたのです。

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21 そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。
ペテロの手紙第一3章21節
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このような型が聖書の中には出てきます。
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イスラエル人は海の真中のかわいた地を歩き、水は彼らのために、右と左で壁となったのである。
出エジプト記14章29節
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そして、モーセ自信も、水の中からとりあげられました。

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その子が大きくなったとき、女はその子をパロの娘のもとに連れて行った。その子は王女の息子になった。彼女はその子をモーセと名づけた。彼女は、「水の中から、私がこの子を引き出したのです。」と言ったか
らである。
出エジプト記2章10節
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また、ヨシュア記にもこうあります。

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14 民がヨルダン川を渡るために、天幕を発ったとき、契約の箱をかつぐ祭司たちは民の先頭にいた。
15 箱をかつぐ者がヨルダン川まで来て、箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき、――ヨルダン川は刈り入れの間中、岸いっぱいにあふれるのだが――
16 上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツァレタンのそばにある町アダムのところで、せきをなして立ち、アラバの海、すなわち塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面する
ところを渡った。
17 主の契約の箱をかつぐ祭司たちがヨルダン川の真中のかわいた地にしっかりと立つうちに、イスラエル全体は、かわいた地を通り、ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった。
ヨシュア記3章14節
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さて、このように、水をくぐってくることは、何を意味しているでしょう。
それは、一度死に、そして、また、生きることを意味しています。

また、バプテスマのヨハネが、こういいます。
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私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あな
たがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。
マタイの福音書3章11節
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これは、悔い改めのためのバプテスマです。

イエス様も私たち人間と同じになるために、バプテスマをお受けになりました。
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こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。
マタイの福音書3章16節
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そこに、聖霊様が下ったのです。

ヨハネはイエス様が、聖霊によってバプテスマをさずけられるといいました。
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21 そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。
ペテロの手紙第一3章21節
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このバプテスマは、ここに書かれているように、体を洗うものではありません。

さて、体を洗うことについては、イエス様が十字架に架かられるすぐ前の事として、このおはなしがあります。

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13:5 それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。
13:6 こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。ペテロはイエスに言った。「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。」
13:7 イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」
13:8 ペテロはイエスに言った。「決して私の足をお洗いにならないでください。」イエスは答えられた。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」
13:9 シモン・ペテロは言った。「主よ。わたしの足だけでなく、手も頭も洗ってください。」
13:10 イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。」
13:11 イエスはご自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みながきよいのではない。」と言われたのである。
13:12 イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。
13:13 あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。わたしはそのような者だからです。
13:14 それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。
13:15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。
ヨハネの福音書13章5-15節
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ここで、イエス様はペテロの足を洗ってくださいました。
このことは、日々の悔い改め、日々の聖めを意味しています。

私たちの足は、この世を歩く中で汚れる。それは、単に、見た目のことでなく、霊的な意味においてそうなのです。
世で遭遇するさまざまな出来事による怒り、不満。それらは、私たちの心を汚します。
そして、それを洗うためには、イエス様の前に出るしかないのです。

洗礼は、体をあらうのではありません。

わたしたちは、洗礼の時、イエス様の十字架と共に死に 
復活とともに蘇ったものになるのです。

本来これは、信仰によって与えられたものです。
しかし、洗礼は、そのことを人々の前に表明することであり、また、悔い改めの神への誓いでもあるのです。

いま、私たちは、この恵みの中に生かされています。
このことを覚えてお祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。




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シティーチャーチメッセージ20081130正しい良心の神への誓い
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