礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20081116
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永遠の贖い  
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、十字架で、永遠の贖いを成し遂げて下さった方、
私たちの救い主です。
この方を覚えて主の御言葉を聞いて参りましょう。

まずは、いつものように、今週の聖書の通読箇所を見てまいりましょう。

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11月16日(日)[ ]エゼ8-11 /[ ]ヘブ7
11月17日(月)[ ]エゼ12-14 /[ ]ヘブ8
11月18日(火)[ ]エゼ15-16 /[ ]ヘブ9
11月19日(水)[ ]エゼ17-19 /[ ]ヘブ10:1-18
11月20日(木)[ ]エゼ20-21 /[ ]ヘブ10:19-39
11月21日(金)[ ]エゼ22-23 /[ ]ヘブ11:1-16
11月22日(土)[ ]エゼ24-26 /[ ]ヘブ11:17-40
11月23日(日)[ ]エゼ27-28 /[ ]ヘブ12
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今週の聖書の通読箇所は、旧約聖書がエゼキエル書
新約聖書がヘブル人への手紙です。
エゼキエル書は、祭司エゼキエルが主から受けた言葉、また、見せられた幻をしるしたものです。
彼は、捕囚の地、ケバル川のほとりで、この幻を見ました。
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カルデヤ人の地のケバル川のほとりで、ブジの子、祭司エゼキエルにはっきりと主のことばがあり、主の御手が彼の上にあった。
エゼキエル書1章3節
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彼の名、エゼキエルは、神が強くされるという意味だそうですが、597年にエホヤキン王と共にバビロニヤに移されたようです。
このケバル川の場所は今ではよくわからないと言われます。
主は、捕囚の地でエゼキエルに、主の臨在がイスラエルから去っていく様、それでもイスラエルを主が愛しておられる事、やがて回復の時が来ることをお教えになります。

次jに新約聖書、ヘブル人への手紙ですが、聖書箇所ですので、後ほど見てまいりましょう。
皆さん、聖書を共に読みましょう。
聖書は、皆さんの霊を成長させ、神様との関係をしっかりとしたものにします。

では、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、
ヘブル人への手紙9章です。
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【 聖書箇所 】 ヘブル人への手紙9章11-26節
・新改訳Up398(贈呈p347英対p658)
・新改訳Vp434(贈呈p395)・口語訳p351
・新共同訳p411 (贈呈p411英対p608)
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9章の11節から26節までを司会者お読み下さい。

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【 聖書箇所のテキスト 】
9:11 しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、
9:12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
9:13 もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、
9:14 まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。
9:15 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。
9:16 遺言には、遺言者の死亡証明が必要です。
9:17 遺言は、人が死んだとき初めて有効になるのであって、遺言者が生きている間は、決して効力はありません。
9:18 したがって、初めの契約も血なしに成立したのではありません。
9:19 モーセは、律法に従ってすべての戒めを民全体に語って後、水と赤い色の羊の毛とヒソプとのほかに、子牛とやぎの血を取って、契約の書自体にも民の全体にも注ぎかけ、
9:20 「これは神があなたがたに対して立てられた契約の血である。」と言いました。
9:21 また彼は、幕屋と礼拝のすべての器具にも同様に血を注ぎかけました。
9:22 それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。
9:23 ですから、天にあるものにかたどったものは、これらのものによってきよめられる必要がありました。しかし天にあるもの自体は、これよりもさらにすぐれたいけにえで、きよめられなければなりません。
9:24 キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所にはいられたのではなく、天そのものにはいられたのです。そして、今、私たちのために神の御前に現われてくださるのです。
9:25 それも、年ごとに自分の血でない血を携えて聖所にはいる大祭司とは違って、キリストは、ご自分を幾度もささげることはなさいません。
9:26 もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。
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続いて、主題聖句をいいましょう。

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【 主題聖句 】
しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。
ヘブル人への手紙9章26節
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では、今日はこの所から、
永遠の贖いと題しまして、御言葉を見てまいりましょう。

さて、このヘブル人の手紙は、前回も言いましたように、ユダヤ人のクリスチャンたちに書かれた手紙です。
そこで、この手紙には、彼らユダヤ人が聖書と呼び、私たちが旧約聖書と呼ぶ、この聖書の中の特に、モーセ五書、その中でもレビ記に書かれた、律法の規定が沢山出てきます。
そして、これらのことの多くは、ユダヤ人たちが、体験的に知っている事柄だったのです。
それは、モーセの幕屋で、そして、ソロモンの建てた神殿で行われた礼拝でした。

ところで、今回の箇所、この章の始めはこう書いてあります。

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1 初めの契約にも礼拝の規定と地上の聖所とがありました。
2 幕屋が設けられ、その前部の所には、燭台と机と供えのパンがありました。聖所と呼ばれる所です。
3 また、第二の垂れ幕のうしろには、至聖所と呼ばれる幕屋が設けられ、
4 そこには金の香壇と、全面を金でおおわれた契約の箱があり、箱の中には、マナのはいった金のつぼ、芽を出したアロンの杖、契約の二つの板がありました。
5 また、箱の上には、贖罪蓋を翼でおおっている栄光のケルビムがありました。しかしこれらについては、今いちいち述べることができません。
ヘブル人への手紙9章1-5節
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ここには、幕屋の中の様子が書かれています。
先日、BFPフェスティバルの時、この幕屋の模型が展示されていました。

非常によく幕屋の中の様子、幕屋の構造のわかるものでした。

七つの枝の蜀台。並べておいたパン。祭壇。そして幕の向こうには、契約の箱、その上には、ケルビムがあり、


まあ、今いちいち述べることが出来ませんと書いてありますので、私も、次に行きたいと思いますが、
これらのもの、一つ一つに、大切な意味がありました。

しかし、なんといっても、重要なのは次です。
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6 さて、これらの物が以上のように整えられた上で、前の幕屋には、祭司たちがいつもはいって礼拝を行なうのですが、
7 第二の幕屋には、大祭司だけが年に一度だけはいります。そのとき、血を携えずにはいるようなことはありません。その血は、自分のために、また、民が知らずに犯した罪のためにささげるものです。
ヘブル人への手紙9章6-7節
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幕屋の奥には、年に一度、大祭司だけが入るのだと書いてあります。

大祭司は、そこに何をしにいくのですか?

彼は、いけにえの血を持って入り、そこで、民のための贖いをするのです。
それは、民のの罪の聖めのためです。
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29 以下のことはあなたがたに、永遠のおきてとなる。第七の月の十日には、あなたがたは身を戒めなければならない。この国に生まれた者も、あなたがたの中の在留異国人も、どんな仕事もしてはならない。
30 なぜなら、この日に、あなたがたをきよめるために、あなたがたの贖いがなされるからである。あなたがたは、主の前でそのすべての罪からきよめられるのである。
31 これがあなたがたの全き休みの安息であり、あなたがたは身を戒める。これは永遠のおきてである。
32 油をそそがれ、その父に代わって祭司として仕えるために任命された祭司が、贖いをする。彼は亜麻布の装束、すなわち聖なる装束を着ける。
33 彼は至聖所の贖いをする。また会見の天幕と祭壇の贖いをしなければならない。また彼は祭司たちと集会のすべての人々の贖いをしなければならない。
34 以上のことは、あなたがたに永遠のおきてとなる。これは年に一度、イスラエル人のすべての罪から彼らを贖うためである。」モーセは主が命じられたとおりに行なった。
レビ記16章29-34節
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しかし、そのことは、毎年毎年繰り返されます。

イエス様も、同じように、祭司として、主の前に出られました。

しかし、そのとき、イエス様がもって入られたいけにえの血とは、ご自身の血だったのです。
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9:11 しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、
9:12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
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この地上の幕屋の奥、そこには、契約の箱がありました。

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わたしはそこであなたと会見し、その『贖いのふた』の上から、すなわちあかしの箱の上の二つのケルビムの間から、イスラエル人について、あなたに命じることをことごとくあなたに語ろう。
出エジプト記25章22節
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その契約の箱のふた、贖いのふたの上のケルビムの間から主は語られました。
主はそこに臨在されたのです。

罪のためのいけにえについては、こう書いてあります。
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11 アロンは自分の罪のためのいけにえの雄牛をささげ、自分と自分の家族のために贖いをする。彼は自分の罪のためのいけにえの雄牛をほふる。
12 主の前の祭壇から、火皿いっぱいの炭火と、両手いっぱいの粉にしたかおりの高い香とを取り、垂れ幕の内側に持ってはいる。
13 その香を主の前の火にくべ、香から出る雲があかしの箱の上の『贖いのふた』をおおうようにする。彼が死ぬことのないためである。
14 彼は雄牛の血を取り、指で『贖いのふた』の東側に振りかけ、また指で七たびその血を『贖いのふた』の前に振りかけなければならない。
15 アロンは民のための罪のためのいけにえのやぎをほふり、その血を垂れ幕の内側に持ってはいり、あの雄牛の血にしたようにこの血にもして、それを『贖いのふた』の上と『贖いのふた』の前に振りかける。
レビ記16章11-15節
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ここで、香の煙は、贖いのふたをおおいました。そして、それはアロンが死なないためでした。

主は、その臨在に触れないように、そして、死なないように、アロンを守られたのです。

皆さん、主の臨在の前に出るというのは大変なことなのです。
もし、アロンが直接主の臨在に触れていたなら、たちまち死んでしまうのです。

主の臨在、それは、太陽のようなものです。
私たちは、この地上でさえ、太陽の光と熱で、熱射病や、熱中症になり、ひどい時には死んでしまいます。
もし、直接太陽にふれるなら、いや、そんなことは不可能です。

しかし、太陽さえ創られた主は、太陽以上の力に、エネルギーに満ちた方です。

この方に直接お会いすることは、生身の人間にはかなわないことです。
しかし、神の恵みと哀れみの中でそのことをした人がいます。
それは、モーセです。
彼は、顔と顔とを合わせて主と語り合ったと書いてあります。
そのため、幕屋から出てきたモーセの顔は、光っていたそうです。
それで、頭巾をかぶったと書いてありますね。

アロンの話にもどります。

まず、彼は、自分の罪の贖いをします。
しかし、それでも、主の前に出れません。

煙で、贖いのふたを覆います。

そして、彼は贖いのふたに血をかけて、そのあがないがなされるのです。
もしも、彼がそれと関係なく、勝手に入るなら、死んでしまうのです。

ですから、祭司の務めは命がけです。
命がけで、彼は、主の臨在に近づいたのです。

ですから、律法の中で、幕屋の中に入っていく祭司は、足に紐をつけるように書いてあります。
何故ですか?
彼が中で死ぬかも知れないからです。
そして、そのとき、誰もそこに入れなくなり、助け出せなくなるからです。

それほど命がけで、祭司は、民の罪の贖いの為に幕屋に入りました。

しかし、イエス様は、命がけでなく、命を捨てて、この働きをして下さいました。
十字架で死に、血を流して、そして、天の模型ではなく、天そのものに入って贖いをなされたのです。

地上の幕屋は、天の模型でした。
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9:23 ですから、天にあるものにかたどったものは、これらのものによってきよめられる必要がありました。しかし天にあるもの自体は、これよりもさらにすぐれたいけにえで、きよめられなければなりません。
9:24 キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所にはいられたのではなく、天そのものにはいられたのです。そして、今、私たちのために神の御前に現われてくださるのです。
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そして、イエス様は、模型ではない、天そのものに入って贖いをなされました。

律法の中では、契約は、必ず血が流される必要がありました。
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9:18 したがって、初めの契約も血なしに成立したのではありません。
9:19 モーセは、律法に従ってすべての戒めを民全体に語って後、水と赤い色の羊の毛とヒソプとのほかに、子牛とやぎの血を取って、契約の書自体にも民の全体にも注ぎかけ、
9:20 「これは神があなたがたに対して立てられた契約の血である。」と言いました。
9:21 また彼は、幕屋と礼拝のすべての器具にも同様に血を注ぎかけました。
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ここで、モーセは、律法の契約の為に、民に血をかけています。

アブラハムと神様の契約の時もそうでした。
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15:5 そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」
15:6 彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
15:7 また彼に仰せられた。「わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である。」
15:8 彼は申し上げた。「神、主よ。それが私の所有であることを、どのようにして知ることができましょうか。」
15:9 すると彼に仰せられた。「わたしのところに、三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山鳩とそのひなを持って来なさい。」
15:10 彼はそれら全部を持って来て、それらを真二つに切り裂き、その半分を互いに向かい合わせにした。しかし、鳥は切り裂かなかった。
15:11 猛禽がその死体の上に降りて来たので、アブラムはそれらを追い払った。

15:17 さて、日は沈み、暗やみになったとき、そのとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた。
15:18 その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。「わたしはあなたの子孫に、この地を与える。エジプトの川から、あの大川、ユーフラテス川まで。
創世記15章
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この箇所、大切な箇所ですが、
主は、百歳に近い、でも、子ども一人いないアブラハムの子孫が星のようになると言われました。
信じられますか?
あなたに、神様が、星の数ほどの子孫を与えるといわれたら、信じられますか?
ましてやアブラハムは百歳に近いのです。
信じられますか?
でも、アブラハムはこのことを信じました。

理屈に合わない、でも、主が言われたから、ただそれだけの理由で、アブラハムは、このことを信じました。
ここに、信仰による義の原点があります。

ただ、信じたアブラハムを、理屈ぬきで信じたアブラハムを主は祝福されたのです。

ただ、主が言われたそのままを、聖書に書いてあるそのままを信じる。
そのことを主は喜ばれます。

そして、沢山の子孫だけでなく、その土地を主は、アブラハムに与えるといわれました。

そこで、アブラハムは、そのしるしを求めました。
何によって知ることが出来ますか?

ここで、主の命令によって、アブラハムは、動物を連れてきて、それらを二つにさきます。
これは、古代の契約の方法です。
この引き裂かれた動物の間を、契約の当事者は通ります。
そして、もし、契約を破ればこの様になると、約束するのです。

ここで、煙の立つかまどと、燃えているたいまつとかかれた主の臨在が、この切り裂かれたものの間をとおりました。
アブラハムではなく、主がそこを通られたのです。
そして、契約は、主の一方的なものとして、サインされたのです。

この契約のときも、このように血が流されました。

イエス様は、ご自身の血をながして、契約をなされました。
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これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。
マタイの福音書26章28節
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そして、それは、たった一度、
ご自身をいけにえとして、なされたのです。
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9:25 それも、年ごとに自分の血でない血を携えて聖所にはいる大祭司とは違って、キリストは、ご自分を幾度もささげることはなさいません。
9:26 もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。
++++++++++
そのように、この贖いは永遠の贖いです。

この赦しは、イエス様の十字架より後だけ働くのではありません。
ダビデも、その罪の赦しをしっていました。
救い主を知っていたのです。

これは、過去、現在、未来に渡る、永遠の赦しです。

そして、すでに成し遂げられた救いなのです。
ですから、私たちの行いによりません。
これは、主の一方的な贖いです。

そして、この主はやがてこられます。
それは、何のためですか?
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27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、
28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。
ヘブル人への手紙9章27-28節
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この方は、罪をせおうためでなく、救いの為にこられるのです。
そのときが近づいています。

私たちの罪は完全に赦されています。
ですから、私たちは、この素晴らしい救いを、何とかして、周りの人々に伝えさせていただきましょう。
もちろん、私たちが人を救うのではありません。
しかし、あなたの家族、親戚、友人が、主を信じることが出来るように、祈りましょう。

お祈りしましょう。
<祈り>
[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。




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シティーチャーチメッセージ20081116永遠の贖い 
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