礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20081109
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押し流されないように 
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>


皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主は、万物の創造者、偉大な大祭司。
全てに勝る王の王、主の主です。

この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

さて、いつものように、まずは、聖書の通読箇所を見てみましょう。

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11月9日(日)[ ]エレ50 /[ ]ピレモン
11月10日(月)[ ]エレ51 /[ ]ヘブ1
11月11日(火)[ ]エレ52 /[ ]ヘブ2
11月12日(水)[ ]哀歌1-2 /[ ]ヘブ3
11月13日(木)[ ]哀歌3-5 /[ ]ヘブ4
11月14日(金)[ ]エゼ1-3 /[ ]ヘブ5
11月15日(土)[ ]エゼ4-7 /[ ]ヘブ6
11月16日(日)[ ]エゼ8-11 /[ ]ヘブ7
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今週の通読箇所は、
旧約聖書が、エレミヤから、エレミヤ哀歌、そして、エゼキエルへと入ります。
また、新約聖書は、ピレモン、ヘブル、と続きます。

哀歌は、預言者エレミヤの歌う、悲しみの歌です。

いまでも、ユダヤ人は、嘆きの壁のところで、この歌を歌うといわれます。

主に、従うことの大切さを教えてくれる歌です。

新約聖書は、ヘブル人への手紙へと入ります。

皆さん聖書を読みましょう。
では、このヘブル人への手紙の中から、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、ヘブル人への手紙2章です。
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【 聖書箇所 】 ヘブル人への手紙2章1-10節
・新改訳Up390(贈呈p340英対p644)
・新改訳Vp425(贈呈p387)・口語訳p344
・新共同訳p402 (贈呈p402英対p595)
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では、司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
2:1 ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。
2:2 もし、御使いたちを通して語られたみことばでさえ、堅く立てられて動くことがなく、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたとすれば、
2:3 私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにしたばあい、どうしてのがれることができましょう。この救いは最初主によって語られ、それを聞いた人たちが、確かなものとしてこれを私たちに示し、
2:4 そのうえ神も、しるしと不思議とさまざまの力あるわざにより、また、みこころに従って聖霊が分け与えてくださる賜物によってあかしされました。
2:5 神は、私たちがいま話している後の世を、御使いたちに従わせることはなさらなかったのです。
2:6 むしろ、ある個所で、ある人がこうあかししています。「人間が何者だというので、これをみこころに留められるのでしょう。人の子が何者だというので、これを顧みられるのでしょう。
2:7 あなたは、彼を、御使いよりも、しばらくの間、低いものとし、彼に栄光と誉れの冠を与え、
2:8 万物をその足の下に従わせられました。」万物を彼に従わせたとき、神は、彼に従わないものを何一つ残されなかったのです。それなのに、今でもなお、私たちはすべてのものが人間に従わせられているのを
見てはいません。
2:9 ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味
わわれたものです。
2:10 神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。
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では、続いて、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。
ヘブル人への手紙2章1節
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では、この所から、

押し流されないように

と、題しまして、御言葉を共に見て参りましょう。

さて、今回から、ヘブル人への手紙へと入ります。

ヘブル人というと、教会に普段通っていると、よく耳にする言葉ですが、日本では一般的に聞く言葉ではありません。
少々乱暴に、簡単にいいますと、ヘブル人とはユダヤ人のことです。
ここでは、この手紙jは、ユダヤ人で、イエス様を信じたものに対して書かれています。

ユダヤ人でイエス様を信じたものというと、今は、メシアニックジューという言葉があります。
これは、メシアを信じるユダヤ人という意味です。

キリスト教の信徒、つまりクリスチャンは、歴史上、大きな苦しみをユダヤ人に与えて来ました。
その苦しみの傷が、ユダヤ人の中にはあるので、クリスチャンという言葉を使わず、メシアニックジューという言葉を使っています。

ヘブルの話でしたが、ヘブルはヘブル語のイブリーという言葉で、これは、アーバルとうへブル語の動詞に由来します。
渡る、進む、通り過ぎる、超えるという意味を持った言葉で、向こうから渡ってきた人というような意味であったようです。

そして、聖書に初めてヘブル人という言葉が出てくるのは、この箇所です。
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ひとりの逃亡者が、ヘブル人アブラムのところに来て、そのことを告げた。アブラムはエモリ人マムレの樫の木のところに住んでいた。マムレはエシュコルとアネルの親類で、彼らはアブラムと盟約を結んでいた。
創世記14章13節
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ここで、アブラム。彼は、後に、アブラハムと名が変わりますが、アブラハムがヘブル人と呼ばれています。
アブラハムは、このカナンの地において、よそから来た人でした。
ところで、余談ですが、申命記にはこうかかれたところがあります。
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あなたは、あなたの神、主の前で、次のように唱えなさい。「私の父は、さすらいのアラム人でしたが、わずかな人数を連れてエジプトに下り、そこに寄留しました。しかし、そこで、大きくて強い、人数の多い国民にな
りました。
申命記j26章5節
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アブラハムは、アラム人の地から出て、カナンへと移り、ヘブル人となりました。
また、その孫であるイスラエルと呼ばれたヤコブは、エジプトに下り、大きな民族となりました。
このアブラハム、その子イサク、その子ヤコブとその子孫を神様は祝福されました。
しかし、イエス様を信じるものはみな、信仰によって、このアブラハムの子孫であります。

ですから、わたしたちもまた、地上においては、さすらい人でもあるのです。

この地上の多くの人の思いは、地上のことだけです。
しかし、私たちは天国の国籍を持っているのです。
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19彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。
20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
ピリピ人への手紙3章19-20節
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私たちの本当の国籍は天にあります。
そして、そこからキリストがこられるのを待っているとありますが、わたしたちも、そこから使わされて今の場所にいるのです。

ですから、私たちについて、こう書いてあります。
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しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたが
たが宣べ伝えるためなのです。
ペテロの手紙第一2章9節
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私たちは、主の民です。また、私たちは神のこどもです。
私たちは、そういう立場を持って、いまおかれたこの国の為に祈るのです。

聞くところでは、麻生総理大臣はカトリックのクリスチャンだそうですが、彼が、本当に天地を創られた真の神様にあって政治を行うことが出来るように祈ります。

さて、ヘブル人の話から遠くなりました。

このアブラハムの子孫がヘブル人です。
そして、今は、ユダヤ民族をヘブル人と呼びます。

このヘブル人の言葉が、ヘブル語で、旧約聖書は、そのヘブル語で書かれており、現在のイスラエルの公用語はヘブル語である。
というようなことは、皆さんほとんどご存知かと思います。

さて、そのヘブル人たち、イエス様を信じたユダヤ人に向けて、この手紙は書かれていました。
ただし、この手紙の著者は良くわかりません。
一つの謎として、いろんな本が出ていますが、皆さんもそれを知るために聖書を調べてくださるのも面白いかもしれません。

ところで、先ほど、お読みいただいた箇所の冒頭は、こうなっていました。
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2:1 ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。
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ですから、とはじまりますので、いったいなんのことなのか、その前の章を読む必要があります。
それで、その前の章のその最初を見てみましょう。

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1 神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、
2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
4 御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。
ヘブル人への手紙1章1-4節
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先ほどいいましたように、この手紙は、イエス様を信じたユダヤ人に書かれています。
神は、むかし先祖たちに
と書かれていますが、これは、現実に、預言者たちを先祖として持つということです。
そのように、この手紙を受け取るユダヤ人たちにとっては、この手紙は他人事ではありませんでした。

ところで、彼らは、このことばを、むかし誰から受け取りましたか?

主は、モーセや預言者たちを通して、また、いろいろな方法で、時には御使いを遣わして、御言葉をおあたえになりました。
彼らに御言葉を伝えたのは、そのような人たち、また、御使いたちだったのです。

しかし、この世の終わりの時について、こう書いてあります。
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この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。
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この言葉が重要です。
主は、御子イエス様によって語られました。

そして、この言葉が、この2章のはじめにつながるのです。

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1 ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。
2 もし、御使いたちを通して語られたみことばでさえ、堅く立てられて動くことがなく、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたとすれば、
3 私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにしたばあい、どうしてのがれることができましょう。この救いは最初主によって語られ、それを聞いた人たちが、確かなものとしてこれを私たちに示し、
ヘブル人への手紙2章1-3節
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聖書研究のようになってしまいましたが、
この手紙をうけとったのはユダヤ人たちです。
ローマ人への手紙でパウロはいいます。
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9:4 彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。
9:5 先祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。
ローマ人への手紙9章4-5節
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全ての約束は、もともと彼らのものでした。
彼らは、この約束が、モーセや預言者や御使いによって与えられた事をしっていました。

そして、その言葉、つまり聖書の言葉の大切さを知っていました。

その民に向けて、この著者は、この手紙の冒頭で、まず、御使いとイエス様を対比します。
また、さらに、モーセとイエス様、祭司とイエス様、そして、永遠の大祭司メルキゼデクにイエス様をなぞらえ、イエス様の祭司職について、説明していきます。

そういった流れで進んでいくヘブル人への手紙ですが、
一章の最後はこうなっています。
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13 神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」
14 御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。
ヘブル人への手紙1章13-14節
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この一章では、御使い、すなわち天使と比較して、イエス様の素晴らしさを確認しています。
さて、御使いは仕える霊です。

アメリカ人の多くは、自分の守護天使がいると信じているようですが、守護天使という考え方は、聖書の考え方の中心ではありません。
聖書は、イエス様ご自身が、聖霊様によってあなたとともにいて下さるということを教えています。

日本では、守護霊などといいますが、守護天使という考えも、これに似ています。
そして、少し間違うと、天使を拝むような、偶像礼拝となってしまいます。

みなさん。あなたを守られるのは、あなたの守護霊や、守護天使ではありません。
イエス様ご自身が、聖霊様によって、あなたと共にいて、あなたを守られるのです。

ですから、わたしたちは、このイエス様だけによりたのみます。
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しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。
ガラテヤ人への手紙6章14節
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私たちのより頼むものは、ただ、イエス様でなければならないのです。
そのイエス様は、どんな方ですか?

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4 御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。
5 神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」またさらに、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。」
6 さらに、長子をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。「神の御使いはみな、彼を拝め。」
ヘブル人への手紙1章4-6節
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ここにあるように、主イエス様は、御使いに勝るものです。

さて、このイエス様が、私たちの為になして下さったのが、救いのみわざです。
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私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにしたばあい、どうしてのがれることができましょう。この救いは最初主によって語られ、それを聞いた人たちが、確かなものとしてこれを私たちに示し、
ヘブル人への手紙2章3節
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この素晴らしい救いは、イエス様が、十字架の苦しみを通して勝ち取られたものです。

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9 ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わ
われたものです。
10 神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。
ヘブル人への手紙2章9-10節
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イエス様は、その死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。

このヘブル人への手紙は、イエス様のなされた救いの素晴らしさを、ユダヤ人の律法の上から見ようとしています。
そして、こう書いてあります。
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7 あなたは、彼を、御使いよりも、しばらくの間、低いものとし、彼に栄光と誉れの冠を与え、
8 万物をその足の下に従わせられました。」万物を彼に従わせたとき、神は、彼に従わないものを何一つ残されなかったのです。それなのに、今でもなお、私たちはすべてのものが人間に従わせられているのを見
てはいません。
ヘブル人への手紙2章7-8節
++++++++++
イエス様は、御使いに勝る方、また、モーセに勝る方、そして、永遠の大祭司である方です。
しかし、イエス様は、低いものとなられました。

御使いよりも低いものとなられ、人となって地上にこられ、救いの御業をなしとげてくださったのです。
そして、主は栄光と誉れの冠をお受けになりました。

聖書には、へりくだるものを高くされると書いてあります。

イエス様はいわれました。
毎週お読みするところです。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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イエス様は、私たちを休ませてあげますといわれます。
その主は、へりくだられた方、そして、その方と共に歩むとき、私たちは、本当の安息を得るのです。

あるときイエス様が神殿におられると、二人の人が祈っていました。
一人はパリサイ人、もう一人は、取税人でした。
パリサイ人は、律法を厳格に守る人でした。
かれは、神様の前で言います。
自分はあのことも、このこともしています。ささげものもしています。
しかし、取税人が祈ります。
罪人の私を赦してください。
ここで、イエス様は、義とされたのは、取税人だといわれました。

主は、神であられたのに、そのあり方をおいて、へりくだられた方、そして、へりくだるものを祝福される方です。

私たちは、この方と共に歩むものとされています。
いや、この方が私たちの行くところどこへでも行かれるのです。
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あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め。」と言うことばを聞く。
イザヤ書30章21節
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御使いではありません。
王の王であるかたご自身があなたと共に歩まれるのです。

そして、こう書いてあります。
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18 それは、変えることのできない二つの事がらによって、――神は、これらの事がらのゆえに、偽ることができません。――前に置かれている望みを捕えるためにのがれて来た私たちが、力強い励ましを受けるた
めです。
19 この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側にはいるのです。
20 イエスは私たちの先駆けとしてそこにはいり、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられました。
ヘブル人への手紙6章18-20節
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これらの事実は、安全で確かな、魂のいかりとなります。

このことを信じるあなたの魂は揺らぐことがありません。

あなたの状況が、嵐の中の舟のようであったとしても、その錨がしっかりと岩を捉えているなら、流されることがありません。
本当の平安がそこにあります。

わたしたちは、だまされてはなりません。
主は確かに共におられます。

ですから、私たちは、揺るがされてはなりません。
このしっかりとした魂の錨によって、わたしたちは、平安をえるのです。
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ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。
ヘブル人への手紙2章1節
++++++++++
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。





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シティーチャーチメッセージ20081109押し流されないように 
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