礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20081012
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いつも主にあって喜びなさい
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主はどんなときも私たちを守り導いてくださる方。
共にいてくださる方です。
この方を覚えて主の御言葉を見ていきましょう。

では、まず、通読箇所を見たいと思います。

今回の通読箇所は、
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10月12日(日)[ ]イザ45-47 /[ ]ピリ2
10月13日(月)[ ]イザ48-49 /[ ]ピリ3
10月14日(火)[ ]イザ50-52 /[ ]ピリ4
10月15日(水)[ ]イザ53-55 /[ ]コロ1
10月16日(木)[ ]イザ56-58 /[ ]コロ2
10月17日(金)[ ]イザ59-61 /[ ]コロ3
10月18日(土)[ ]イザ62-64 /[ ]コロ4
10月19日(日)[ ]イザ65-66 /[ ]Tテサ1
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旧約聖書がイザヤ書
新約聖書がピリピ、コロサイ、テサロニケと続きます。

中でコロサイは今回取り上げることが出来ませんが、偽りの教えに対する強い反対の言葉が出てきます。
異端との戦い、間違った教えとの戦い、そこに流されていく危険からの回避。
このようなことは、今の教会も同じです。

私たちが、道を外れないために必要なことは、まっすぐな心で聖書を読み、御言葉に従うことです。

主に信頼して参りましょう。

イザヤ書もようやく終わります。
しかし、その中に、要所要所に主の姿を見ることが出来ます。
旧約聖書であっても、救い主イエス様を覚えて、御言葉を開いて参りましょう。

さて続いて、聖書をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、ピリピ人への手紙です。
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【 聖書箇所 】ピリピ人への手紙4章4-13節
・新改訳Up355(贈呈p309英対p590)
・新改訳Vp387(贈呈p352)・口語訳p312
・新共同訳p366 (贈呈p366英対p548)
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司会者お願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。
4:6 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
4:8 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがある
ならば、そのようなことに心を留めなさい。
4:9 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。
4:10 私のことを心配してくれるあなたがたの心が、今ついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜んでいます。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。
4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。
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では、主題聖句を言いましょう。

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【 主題聖句 】
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
ピリピ人への手紙4章4節
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はい、ありがとうございます。では、この所から、
いつも主にあって喜びなさい。
と、題しまして、御言葉を見てまいりましょう。

さて、ピリピは、パウロがなんどか立ち寄ったところです。

使徒の働きにこう書いてあります。

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それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。
使徒の働き16章12節
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このピリピは、マケドニヤ第一の町であったようです。

交通の要所でもあったこの町をパウロは何度か訪れ、福音を伝えました。

この手紙は、そのピリピの人々が、パウロを助けるために贈り物を贈り、また、エパフロデトという助け出を送ったお礼であり、また、エパフロデトを送り返す際に持たせた手紙と考えられます。

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しかし、私の兄弟、同労者、戦友、またあなたがたの使者として私の窮乏のときに仕えてくれた人エパフロデトは、あなたがたのところに送らねばならないと思っています。
ピリピ人への手紙2章25節

私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。
私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。
ピリピ人への手紙4章17-18節
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そのような手紙ですが、このピリピ人への手紙は、4章しかない手紙の中に、13回も喜ぶという字の出てくる章のある喜びの書です。

今回の箇所の最初は、主題聖句にも選びましたがこれです。
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【 主題聖句 】
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
ピリピ人への手紙4章4節
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パウロは、何度も喜びなさいと、ピリピの人々にいいます。
そして、パウロ自身も喜んでいます。
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14 すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。
15 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、
16 いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。
17 たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。
18 あなたがたも同じように喜んでください。私といっしょに喜んでください。
ピリピ人への手紙2章14-18節
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しかし、その喜びは、パウロ自身のことに関する喜びではなく、ピリピの人々が神の子どもとして立てあげられる事であり、そのため、自分が供え物になっても喜ぶのだとパウロはいうのです。
ピリピの人たちが、傷の無い神の子どもであること、世の光として輝くこと、それが、パウロにとっての喜びでした。
このことは、ピリピの人たちへのパウロの愛の深さをあらわしています。
パウロは、そのような愛の中で喜び、また、周りの人たちにも、愛によって歩むことを勧めます。

そして、いま、主は、私たちを、同じ愛で見ておられます。
私たちが、神の子どもとして、また、世の光として歩むこと。
それが、神様の願いです。

イエス様も、喜びなさいといわれたところがあります。
そのひとつはこれです。
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11 わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。
12 喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。
マタイの福音書5章11-12節
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普通なら、迫害の中、落ち込んだり文句をいったりするかもしれません。
しかし、イエス様は、その様な中でこそ、喜ぶのだと言われました。
なぜでしょうか?それは、天での報いが大きいからです。
主にある犠牲、それは、天での報いと変えられます。ですから、私たちは、患難さえも喜ぶのです。

迫害という大きな患難があります。
しかし、小さな主にある犠牲もあります。
あなたが、仕事で疲れた体を引きずって、神様を礼拝に来る。
そのことも犠牲でしょう。
もちろん、私たちの救いは、そのような行いによりません。
しかし、あなたの神様を愛する行動は、天での報いにつながります。

わたしたちが、困難の中で喜ぶ事も、単なるやせ我慢ではありません。
確かな神様の約束に基づくものなのです。

一般には、良いことがあったら喜ぶ、うれしいことがあったら喜ぶ。
喜べというなら、何かうれしいことを持ってきてくださいというかもしれません。
しかし、イエス様は、迫害の中でも喜ぶことを教えておられます。

喜びは、本来、反応ではありません。
積極的な行動なのです。

あなたが喜ぶかどうかは、あなたの意思にかかっています。
そして、あなたの意思は、あなたの信仰に結びついています。

そしてまた、この喜びは、御霊の実のひとつです。
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しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
ガラテヤ人への手紙5章22節
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この最初から二番目に、愛に続いて喜びが出てきます。

キリスト教の教会では、平安ということを大切にします。
しかし、平安よりも前に、愛に続いて喜びが出てくるのです。

私たちが主にあって喜ぶということは大変重要なことです。

そして、その喜びは、御霊の実ですから、世によるものでなく御霊のもの、主が与えてくださるものです。

さて、主が与えてくださるものとして、イエス様が平安についていっておられるところがあります。
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わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりま
せん。
ヨハネの福音書14章27節
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主は、私たちに平安を与えてくださる方です。
それは、状況によりません。

聖書にこんなお話があります。
あるときイエス様が弟子たちと舟に乗り、ガリラヤ湖の向こう岸へ行こうといわれました。
漕ぎ出してしばらくすると、イエス様は寝てしまわれました。
そして、嵐がやってきました。

舟はゆれ、水が舟に入り、沈みそうです。
しかし、イエス様は寝ておられます。
弟子たちは、イエス様を起こしていいます。
「わたしたちが死にそうでもなんともおもわれないのですか?」
この質問から、彼らの信じていることがわかります。
まず、彼らは、確かにイエス様が特別な方だと信じています。
ですから、船が沈んでもイエス様は死なない。
そう信じています。
だから、
「イエス様。危ないからおきてください。」とは言いません。
でも、彼らは、イエス様と共にいることが安心だということ、
イエス様は、彼らを愛しておられ、助けて下さる方だということを信じていません。

イエス様が、与えようとされたのは、情況によらない平安です。

この私の平安と書いてある平安。それはどんな平安ですか?
イエス様はどんな平安をもっておられましたか?

イエス様は、天地すべてを造られ、収めておられる父なる神様と完全にひとつです。
ですから、嵐がこようと何が起ころうと安心です。不安などありません。

そのイエス様と私たちは、今、ひとつなのです。
だとすれば、私たちには、何も恐れることはありません。

しかし、私たちが不安を感じるのはなぜでしょうか?
その一番の問題は、あなたと神様との関係です。
はっきりと知りましょう。
イエス様を信じたあなたは神の子です。
そして、主はあなたを愛しあなたと共におられるのです。
そこに、本当の平安があります。

そして、この平安は、私たちの内側から、聖霊様によってあふれ出してくるものです。

同じように喜びも、聖霊様によってあふれだします。
それは、状況によりません。

私たちイエス様を信じたものは、どんな状況でも主にあって喜ぶ事が出来るのです。
ですから、パウロは別の手紙でこういいます。
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16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。
18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
テサロニケ人への手紙第一5章16-18
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いつも、喜ぶ。
私たちは、いつも、主と共にいます。
この方は、いつも、私たちを愛し、導いて下さる方、恵みを注いで下さる方です。
ですから、私たちは、いつも、喜ぶのです。

イエス様を与えるほどに私たちを愛してくださった父なる神様。
ご自身十字架にかかるほどに私たちを愛してくださったイエス様の愛のゆえに、わたしたちは喜ぶのです。

そして、絶えず祈りなさいと書いてあります。
いつも祈る、皆さん、主が共に、いつも、共におられます。

あなたが、誰かと二人で自動車に乗り、二時間、どこかに向かって走ると考えてください。
その間一言も口を聞かなかったらどうでしょう。
なんだか、いやな雰囲気です。

あなたが話しかけます。
でも、相手の人が答えてくれないならどうでしょう。
相手に腹が立つかもしれません。

イエス様は、あなたと共におられます。
24時間いつも、あなたとともにおられます。

そして、イエス様は、いつもあなたに語りかけておられます。
あなたは、答えておられますか?
このイエス様の語り掛けに答えることが祈りです。
そして、このイエス様の愛の中で、感謝をもって歩むのです。

パウロは、この喜ぶということが、身の安全にもつながると教えています。
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最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは、私には煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためにもなることです。
ピリピ人への手紙3章1節
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主にあって喜ぶ。

喜びは祝福を運びます。
また、この世の困難の多くは人間関係からはじまります。
営業マンでも、面白くない顔をしてやってきたら、はじめから相手にしたくありません。
ですから、営業をする人は、笑顔を整えます。

私たちの喜びは、主から来る喜びです。
作り笑いではありません。

あなたが、喜びをもって歩むなら、
もちろんそれでも迫害があるかもしれません。
しかし、それは、さらに大きな喜びとなります。

喜びはあなたを祝福し、あなたを守ります。

そして、私たちが、主に感謝して喜ぶとき、その喜びは、私たちの生活そのものを変える力を持っています。
ですから、皆さん喜びましょう。

あなたの喜びが、あなたを変え、あなたの周りを変え、この社会、この国を、世界を変える力をもっているのです。

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【 主題聖句 】
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
ピリピ人への手紙4章4節
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ともに、主のよろこびの中を歩ませていただきましょう。

お祈りします。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



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シティーチャーチメッセージ20081012いつも主にあって喜びなさい
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