礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20080928
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キリストとともに
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

みなさんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を褒め称えます。
主は、私たちの為に十字架にかかられた方、
今も生きて、共におられる方です。
この方を覚えて、御言葉を聞いてまいりましょう。

さて、まずは、いつものように、聖書の通読箇所を確認しましょう。
今週の通読箇所は、
旧約聖書が、イザヤ書
新約聖書がガラテヤ人への手紙へと入って行きます。

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9月28日(日)[ ]イザ6-8 /[ ]Uコリ13
9月29日(月)[ ]イザ9-10 /[ ]ガラ1
9月30日(火)[ ]イザ11-14 /[ ]ガラ2

10月1日(水)[ ]イザ15-18 /[ ]ガラ3
10月2日(木)[ ]イザ19-21 /[ ]ガラ4
10月3日(金)[ ]イザ22-24 /[ ]ガラ5
10月4日(土)[ ]イザ25-27 /[ ]ガラ6
10月5日(日)[ ]イザ28-29 /[ ]エペ1
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イザヤ書は、聖書の中の聖書といわれるところです。
新旧あわせた聖書の数と同じ、66の章があり、また、聖書の中央に位置します。
イザヤを主は不思議な方法で用いられ、イザヤを通して、イスラエルに預言されます。
しかし、イスラエルは悔い改めません。
滅びに向かうイスラエル。
それを救おうとされる神様。

イエス様に関する預言もたくさん書かれています。

新約聖書はガラテヤ人への手紙、
これは、聖書の中で一番重要な書です。
聖書の中でどこか一箇所よむならどこがいいですか?
と聞かれたら、私は迷わず、ガラテヤ人への手紙を選びます。

6章しかありませんが、非常に重要なことが書かれています。
それは、まるで聖書に書かれた信仰ということがらについての解説書のようです。

皆さん是非、読んで見て下さい。

では、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。

本日の聖書箇所は、ガラテヤ人への手紙2章です。

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【 聖書箇所 】ガラテヤ人への手紙2章11-21節
・新改訳Up334(贈呈p291英対p557)
・新改訳Vp365(贈呈p333)・口語訳p294
・新共同訳p344 (贈呈p344英対p518)
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では、司会者お読み下さい。

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【 聖書箇所のテキスト 】
2:11 ところが、ケパがアンテオケに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。
2:12 なぜなら、彼は、ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。
2:13 そして、ほかのユダヤ人たちも、彼といっしょに本心を偽った行動をとり、バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。
2:14 しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活
していたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。
2:15 私たちは、生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。
2:16 しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないに
よってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。
2:17 しかし、もし私たちが、キリストにあって義と認められることを求めながら、私たち自身も罪人であることがわかるのなら、キリストは罪の助成者なのでしょうか。そんなことは絶対にありえないことです。
2:18 けれども、もし私が前に打ちこわしたものをもう一度建てるなら、私は自分自身を違反者にしてしまうのです。
2:19 しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。
2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになっ
た神の御子を信じる信仰によっているのです。
2:21 私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」
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では、今日はこのところから、キリストと共にとだいしまして、御言葉を共に見てまいりましょう。

先ほど、いいましたように、今回のガラテヤ人への手紙は、大変重要なところです。

そして、この書をじっくりと読むなら、どんな人にも、信仰による義ということがわかるような書でもあります。

まず、この手紙の背景を見てみましょう。
この手紙は、ガラテヤの教会へ書かれました。

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1 使徒となったパウロ――私が使徒となったのは、人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです。――
2 および私とともにいるすべての兄弟たちから、ガラテヤの諸教会へ。
ガラテヤ人への手紙1章1-2節
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ガラテヤは、今のトルコに位置する地です。
そこにでは、パウロの宣教によって、たてあげられた教会がありました。

しかし、そこに、大きな問題が起こりました。

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6 私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。
7 ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。
8 しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。
9 私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。
ガラテヤ人への手紙1章6-9節
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ガラテヤの人々は、パウロの伝えた福音から離れていこうとしていました。
それが、どのようなことかは、ガラテヤ人への手紙の5章を見るとわかります。

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1 キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。
2 よく聞いてください。このパウロがあなたがたに言います。もし、あなたがたが割礼を受けるなら、キリストは、あなたがたにとって、何の益もないのです。
3 割礼を受けるすべての人に、私は再びあかしします。その人は律法の全体を行なう義務があります。
4 律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。
ガラテヤ人への手紙5章1-4節
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それは、律法を行うことによって自分の義をたて、救われようとすることであり、恵みの福音から完全に離れたことでした。
そして、彼らは、自分たちの義を立てるために、割礼さえ受けようとしたのです。

割礼は、男性のペニスの皮を切る儀式で、ユダヤ人はいまでもこのことを行います。
それは、創世記に書かれています。

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9 ついで、神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの後のあなたの子孫とともに、代々にわたり、わたしの契約を守らなければならない。
10 次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたの後のあなたの子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。
11 あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。
創世記17章9-11節
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ここで、割礼の目的はなんでしょう。
それは、契約のしるしです。

しかし、この契約は、割礼を受けることからはじまったのではありません。
割礼は、契約のしるしです。

アブラハムは、割礼を受けたら義とされたのではありません。

そうではなく、アブラハムが、神様を信じ、義とされ、神様とのあいだで契約を結んだそのしるしとして、割礼はあるのです。

ではアブラハムはどのようにして義とされましたか?
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アブラハムは神を信じ、それが彼の義とみなされました。それと同じことです。
ガラテヤ人への手紙3章6節
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アブラハムが義とされたのは、ただ、信仰によるのです。

信仰とはなんですか?
神様に対する信頼、神様の言葉に対する信頼です。

私たちが福音を語ると、
ある人は、いいます。

わたしは、自分で立派にやっていきますから、神様は必要ありません。

また、ある人はいいます。

この世の中を見て下さい、戦争や、飢饉があります。
神様なんていないでしょう。

ある人は、いいます。

神様のことより、私はやりたいことがあります。
自分の好きに生きていきます。

でも、ある人はいいます。

本当の神様がわかりました。
その方を信じます。

アブラハムは、神様を信じました。

私たちは、このアブラハムの信仰につながるもの。
アブラハムの子孫です。

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ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。
聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていたので、アブラハムに対し、「あなたによってすべての国民が祝福される。」と前もって福音を告げたのです。
そういうわけで、信仰による人々が、信仰の人アブラハムとともに、祝福を受けるのです。

ガラテヤ人への手紙3章7-9節
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この祝福、そして、この義は、律法を行っても獲得できません。

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というのは、律法の行ないによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」
ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる。」のだからです。
しかし律法は、「信仰による。」のではありません。「律法を行なう者はこの律法によって生きる。」のです。
ガラテヤ人への手紙3章10-12節
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だれも、律法で義とされるものはありません。
それは、のろいを生みます。

しかし、こののろいをイエス様は背負ってくださいました。

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13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。
14 このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。
ガラテヤ人への手紙3章13-14節
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このイエス様のなしとげてくださった、みわざ、それを信じる信仰。
それだけが、わたしたちを義とするのです。

では、私たちが、律法を守ることの意味はなんでしょう。
それは、救われるためや、天国にいくためではありません。
それは、ただ、あなたと神様の愛の関係によるのです。
あなたは、神様から愛されました。
その愛は、十字架で示されました。
この愛に答え、私たちは、神様を、イエス様を愛し、そして、イエス様が互いに愛し合いなさいと言われたので、互いに愛し合うのです。
そして、その愛が、律法を全うするのです。

イエス様を信じる信仰だけが、わたしたちを義とします。

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5 とすれば、あなたがたに御霊を与え、あなたがたの間で奇蹟を行なわれた方は、あなたがたが律法を行なったから、そうなさったのですか。それともあなたがたが信仰をもって聞いたからですか。
6 アブラハムは神を信じ、それが彼の義とみなされました。それと同じことです。
7 ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。
ガラテヤ人への手紙3章5-7節
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皆さん。
私たちの救いは、ただ、神の恵みを受け取ることにあります。

神様の恵みを受け取ること。
それが、信仰です。

神様の恵みはどこに示されましたか?
それは、神様が、イエス様を与えてくださったその事にしめされます。
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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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それは、何のためですか?
私たちの身代わりに死んでくださるためです。
それが、福音です。

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1 兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。
2 また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。
3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
4 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、
5 また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。
コリント人への手紙第一
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それが、もっとも大切なことだとパウロはいいます。

さて、私たちは、先週洗礼式をおこないました。
それは、何をいみしますか?
それは、悔い改めを意味しますが、その悔い改めとは、私たちが、キリストともに死ぬことです。

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1 それとも、兄弟たち。あなたがたは、律法が人に対して権限を持つのは、その人の生きている期間だけだ、ということを知らないのですか。――私は律法を知っている人々に言っているのです。――
2 夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫が死ねば、夫に関する律法から解放されます。
3 ですから、夫が生きている間に他の男に行けば、姦淫の女と呼ばれるのですが、夫が死ねば、律法から解放されており、たとい他の男に行っても、姦淫の女ではありません。
4 私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実
を結ぶようになるためです。
ローマ人への手紙7章1-4節
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私たちが、水につけられたとき、私たちは死にました。
死んだことで、律法から開放されたのです。

そして、水からあがったとき、わたしたちは、主と共に生きるもの、新しいものとされたのです。
そして、今、私たちは、キリストと共に生きています。
これは、目に見えません。

洗礼を受けても、あなたのいく職場、あなたのいく学校、あなたの暮らす家庭。
なにも、これまでと変わらないかもしれません。
しかし、あなたは、新しくされたのです。
あなたは、キリストにあって新しいものです。

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このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。
ローマ人への手紙6章11節
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パウロは、すこしやわらかく、思いなさいと書いていますが、これが、神様から見た事実です。
私たちが、キリストを信じるなら、私たちは、キリストと共に死んだものです。

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私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の
御子を信じる信仰によっているのです。
ガラテヤ人への手紙2章20節
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そして、この方は、わたしたちといつも共におられます。

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また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
マタイの福音書28章20節
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いつも共におられる主を覚えてお祈りしましょう。

<祈り>


[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。


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シティーチャーチメッセージ20080928キリストとともに
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