礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20080914
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どのような苦しみのときにも
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

みなさんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主をたたえます。
主は、私たちを愛し、守り、導いて下さる方です。

この方を覚えて、御言葉を聞いてまいりましょう。

さて、今週の通読は、
旧約聖書が箴言
新約聖書がコリント人への手紙第一から第二です。
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9月14日(日)[ ]箴言10-12 /[ ]Tコリ15:35-58
9月15日(月)[ ]箴言13-15 /[ ]Tコリ16
9月16日(火)[ ]箴言16-18 /[ ]Uコリ1
9月17日(水)[ ]箴言19-21 /[ ]Uコリ2
9月18日(木)[ ]箴言22-24 /[ ]Uコリ3
9月19日(金)[ ]箴言25-28 /[ ]Uコリ4
9月20日(土)[ ]箴言29-31 /[ ]Uコリ5
9月21日(日)[ ]伝1-3 /[ ]Uコリ6
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箴言の最後には、よい妻について書かれているところがあります。
これは、教会のあるべき姿を現しているといわれます。
             
この第二の手紙は、第一の手紙で悔い改め、心を痛めたコリントの教会の人々に書かれています。
パウロの主にある愛が伝わる書でもあります。
ぜひお読みください。

では、続いて、主題聖句をいいましょ。

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【 主題聖句 】
その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。
コリント人への手紙第二1章6節
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では、このところから、
どのような苦しみの時にも
と題しまして、御言葉を見てまいりたいと思います。

このコリント人への手紙の冒頭、パウロが自分の受けた苦しみについて話をしています。

それは、福音宣教の中での苦しみですが、大変な苦しみでした。

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1:8 兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり 1:9 ほんとうに、自分の心の中で死
を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。
1:10 ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。
コリント人への手紙第二1章8-10節
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この苦しみの中でも、主が救い出してくださった事を、この手紙は教えています。
パウロは、非常に困難な中、福音宣教を続けました。
しかし、主は、そのような中で、パウロを助け、導いてくださいました。
そして、いつも、キリストにある慰めがそこにありました。
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1:4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。
1:5 それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。
1:6 もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力
をあなたがたに与えるのです。
コリント人への手紙第二1章4-6節
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コリント人への手紙第一の中では、こう書いてあります。
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あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、
試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
コリント人への手紙第一10章13節
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人は、困難があると、これは、かってないことだ、最悪だといいます。
しかし、パウロは、人の知らないような試練はないといいます。
主は、あなたに耐えることの出来ない試練困難が起こることを許されません。
それどころか主はいつもあなたに最善をなさるのです。
ですから、最悪だということは、あなたに最善をなしてくださる神様に対して失礼なことです。

とはいえ、私たちは、最悪だといってしまうものです。
ダビデも、「わたしはもうだめだ」といって、しまったことがあります。
しかし、ダビデは全ての口はいつわりを言うものです。
と、そのことを悔い改めています。

わたしたちも、最悪だなどという、最悪を呼ぶような告白を注意しなければなりません。


さて、人生には、困難があります。
そのことについて、イエス様はこういわれました。
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わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
ヨハネの福音書16章33節
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よにあって、患難がある、しかし、イエス様が勝利をとられました。
そして、この方があなたと共におられるのです。

そして、イエス様は、どのような状況の中でも、変わらない平安を与えると約束してくださいました。
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わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりま
せん。
ヨハネの福音書14章27節
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そして、その平安は、わたしたちが主の下へ行くことで得ることが出来ます。

ですから、こう書いてあります。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
マタイの福音書11章28-30節
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ここで、イエス様は、平安を得る秘訣を教えておられます。

くびきとは、家畜の首にはめる枠です。
二頭の牛の首に、枠をはめると、牛は、まっすぐに進みます。
イエス様は、その枠の片方にイエス様、もう片方に私たちが入るといわれます。
つまり、それは、イエス様と共に歩むということです。

それは、主の前にへりくだり、主にしたがうことです。
そのとき、私たちの心は、平安を得ることが出来ます。

さて、この困難、また、迫害ということで、いま、インドのオリッサにおこっている、クリスチャンへの迫害のことを少しお話します。

現在、たくさんのクリスチャンが森へ避難していること、また、クリスチャンたちが殺されたりひどいめにあわされたことが知らされています。

これは、憂うべきことで、本当にいのらなければならないことです。

しかし、この状況はいまに始まったのではありません。

昨年は、このオリッサで宣教師がころされています。

そのようなことが頻繁におこる国だということもあるのです。
だから、わたしたちは、インドという国の為にいのらなければなりません。

その国の平和の為に。

ですから、目の前におこったことで、ことさら恐怖をいだくのでなく、よく見つめ、そして、祈っていかなければなりません。
インドのクリスチャンも、わたしたちと同じクリスチャンです。
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喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
ローマ人への手紙12章15節
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また主は、言われました。
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市場にすわって、互いに呼びかけながら、こう言っている子どもたちに似ています。『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、泣かなかった。』
ルカの福音書7章32節
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そのような困難を共感し、ともに祈るそのような関係が、互いに愛し合うことです。
心から、インドのクリスチャンのため祈りましょう。

さて世にあっては患難があるのです。
しかし、主は、どのような患難でも脱出の道を与えてくださいます。

あなたが信じている限り、主は助けを送られます。

しかし、私たちにとって、大切なのは、最終的には、その神様との関係です。
ダニエル書を見ると、迫害の中での信仰を見ることができます。
シャデラク・メシャク・アベデネゴの受けた迫害です。
王が作った偶像をおがまない彼ら三人を、王は燃える火の炉に入れようとしました。
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16 シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。
17 もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。
18 しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」
ダニエル書3章16-18節
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しかし、この三人を主がまもられました。

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3:25 すると王は言った。「だが、私には、火の中をなわを解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」
3:26 それから、ネブカデネザルは火の燃える炉の口に近づいて言った。「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ。いと高き神のしもべたち。すぐ出て来なさい。」そこで、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは火の中から
出て来た。
3:27 太守、長官、総督、王の顧問たちが集まり、この人たちを見たが、火は彼らのからだにはききめがなく、その頭の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火のにおいもしなかった。
3:28 ネブカデネザルは言った。「ほむべきかな、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神。神は御使いを送って、王の命令にそむき、自分たちのからだを差し出しても、神に信頼し、自分たちの神のほかはどんな神
にも仕えず、また拝まないこのしもべたちを救われた。
3:29 それゆえ、私は命令する。諸民、諸国、諸国語の者のうち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神を侮る者はだれでも、その手足は切り離され、その家をごみの山とさせる。このように救い出すことのできる神
は、ほかにないからだ。」
3:30 それから王は、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴをバビロン州で栄えさせた。
ダニエル書3章25-30節
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どんな状況の中でも、かれらは、主に信頼し、主に従いました。
その三人を主がまもられました。

クリスチャンの殉教の中では、焼かれたころされた信徒もいます。
しかし主はその心を、また、信仰を守られました。

聖書はいいます。
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5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
テサロニケ人への手紙第一5章16-18節
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どんな困難な状況の中でも主はあなたを愛しておられます。

わたしたちの全てを最善へと導かれるのは主です。
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あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、
試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
コリント人への手紙第一10章13節
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主の前にへりくだり、祈りましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。


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シティーチャーチメッセージ20080914どのような苦しみのときにも
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