礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20080907
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一番すぐれているのは愛 
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主なる神様は愛です。
愛によって私たちを救い、導いて下さる方です。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

ではまず、いつものように、聖書の通読箇所から見て行きましょう。

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9月7日(日)[ ]詩136-138 /[ ]Tコリ12:1-11
9月8日(月)[ ]詩139-141 /[ ]Tコリ12:12-31
9月9日(火)[ ]詩142-145 /[ ]Tコリ13
9月10日(水)[ ]詩146-150 /[ ]Tコリ14:1-19
9月11日(木)[ ]箴言1-3 /[ ]Tコリ14:20-40
9月12日(金)[ ]箴言4-6 /[ ]Tコリ15:1-19
9月13日(土)[ ]箴言7-9 /[ ]Tコリ15:20-34
9月14日(日)[ ]箴言10-12 /[ ]Tコリ15:35-58
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今週は、旧約聖書が、詩篇から箴言へと入ります。
詩篇は神様への賛美の歌詞そのものなわけで、楽器に合わせて歌われていたようですが、詩篇の最後150篇を見ますと、こう書いてあります。
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1 ハレルヤ。神の聖所で、神をほめたたえよ。御力の大空で、神をほめたたえよ。
2 その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。
3 角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。十弦の琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。
4 タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。
5 音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ。
6 息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。
詩篇150篇
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角笛、十弦の琴、立琴、タンバリン、雄琴、笛、シンバル。
こういう楽器が出てきます。
また、そのようすも、踊りを持ってと書かれており、最後に息のあるものはみな。
と書いてあります。

心から、力強く、神を褒め称えるその様子がここに現れています。
私たちも、そのように賛美を捧げていきたいと思います。

つづいて、箴言です。
箴言は、31章あり、さまざまな訓戒が並びます。
一日一章、毎日読まれる方もおられます。
ぜひ、お読みください。
中でも、箴言8章の後半で知恵について書かれているところは、神の言葉であるキリストの姿に重なります。

新約聖書はコリント人への手紙です。
第一がもう少しでおわります。

コリント人への手紙は、お話の中で見て行きましょう。

では、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、コリント人への手紙第一13章です。
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【 聖書箇所 】コリント人への手紙第一13章1-13節
・新改訳Up307(贈呈p270英対p515)
・新改訳Vp336(贈呈p308)・口語訳p271
・新共同訳p317 (贈呈p317英対p479)
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では、司会者お願いします。
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13:1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
13:2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。
13:3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。
13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
13:8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。
13:9 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。
13:10 完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。
13:11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。
13:12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全
に知ることになります。
13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
コリント人への手紙第一13章1-13節
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では、主題聖句を言いましょう。

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【 主題聖句 】
いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
コリント人への手紙第一13章13節
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今日はこのところから、
一番すぐれているのは愛
と題しまして御言葉を見てまいりましょう。

今回の箇所は、聖書の中で、もっとも輝いているところです。
愛とは何か?
宝石のように輝く愛の姿が、ここには書かれています。

それは、私たちが、一般に考える愛という言葉で表されるものとははるかに離れたものです。

何の説明も必要なく、ただ読むだけで愛の素晴らしさを感じる事が出来るかも知れません。
しかし、そのような言葉であってさえ、私たちは間違った捕らえ方をしてしまうことがあります。
 
たとえば、「愛は寛容であり、」と、書いてあると、
教会の中で、あの人は寛容でないといって、人を裁く人が出てくるときがあります。
しかし、さばくその人が寛容を失っていることを、忘れてしまっています。

聖書の言葉は、どこまでも、イエス様の十字架、恵みの福音の中で受け取らなければなりません。

そういうわけで、この箇所を、共に見てまいりたいと思います。

まず、今回の箇所の少し前を見てみましょう。
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27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
28 そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者など
です。
29 みなが使徒でしょうか。みなが預言者でしょうか。みなが教師でしょうか。みなが奇蹟を行なう者でしょうか。
30 みながいやしの賜物を持っているでしょうか。みなが異言を語るでしょうか。みなが解き明かしをするでしょうか。
31 あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。
コリント人への手紙12章27-31節
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この箇所で、まず、私たちは、キリストの体である。
そこには各器官がある。
そして、それは、働きを、また、賜物を示している。
ということがわかります。

そこには、使徒、預言者、教師、奇跡を行うもの、異言を語るもの、解き明かしするものといった御霊による賜物が書かれています。
しかし、それらにまさる道として、この13章に続くのです。

ですから、パウロは、全ての賜物にまさる道として、愛を書いています。

その愛は、神の愛、キリストの愛です。

その愛は、歴史の中ではっきりと示された愛。十字架に示された愛です。
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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネ3章16節
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人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
ヨハネ15章13節
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この二つの御言葉は、神の愛の深さを教えています。

そのような愛をさらに具体的に書き表したのがこの箇所です。

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4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
6 不正を喜ばずに真理を喜びます。
7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
コリント人への手紙第一13章4-7節
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この箇所で書かれている愛。
それは、実践するのがあまりにも困難に見える愛です。

しかし、だからといって、こんなことは不可能で自分と関係がないということは出来ません。

なぜなら、あなたに出来なくても、あなたの中におられるキリストはこのことをなして下さるからです。
私たちは、キリストにつながってすべてのことをなすのです。
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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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ところで、今回も、コリント人への手紙の中で、パウロがこの手紙を書いた目的をもう一度振り返ってみたいと思います。

それは、この教会に問題があったからでした。
そして、そのような問題のある教会の人たちをさしてパウロは聖なる人たちといいます。
全ては私たちの側にあるのでなく、私たちを聖なる者と呼んでくださる神にあるのです。

その事でも大切なのはただ、キリストに留まるという事です。

このコリントの教会の問題。
それは、それぞれが自分の意見、信仰を主張しあって争っているというものでした。

その大変な問題の解決は、互いの正義の追求や、賜物の追求ではなく、神の愛を追求することにありました。
それは、お互いの考え、お互いの主張から目を離し、神様に目を向けることです。

ただただ神様の愛を追求するなら、それは、ここに書かれているようなものになっていきます。
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4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
6 不正を喜ばずに真理を喜びます。
7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
コリント人への手紙第一13章4-7節
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この愛は、神の愛です。

神様は、私たち人類の罪を見ながら、寛容に悔い改めを待っておられます。
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それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。
ローマ人への手紙2章4節
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また、神様は親切です。
親が子にするように、豊かな恵みを与えてくださるのです。
そして、神様は、人をねたまれません。
神様は、全てを期待し、人々の悔い改めを耐え忍び待っておられます。

ところで、愛とはなんでしょう。

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愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
ヨハネの手紙第一4章8節
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神様は愛です。

聖書を見るとき、愛とは、結局のところ、神様と私たちのつながり、神様との関係を示すものです。

そして、その愛、すなわち神様との関係が、しっかりしているなら、その関係は、人への関係となってあらわれます。

つまり、あなたの中に愛がないなら、あなたは、この神様との関係を見直す必要があるのです。

そして、愛を求めるなら、あなたは、聖書を読み、祈り、神様との関係をさらに深いものとしなければなりません。

その愛は、人から受ける愛ではありません。
その愛は、人を愛する愛です。

そして、十字架に示された愛です。

今日も聖餐式があります。

私たちが聖餐式をするのは、私たちの為に死んでくださったキリストの愛を覚えるため、
また、この方とひとつとなるためです。

あなたの為に、イエス様は十字架で死んでくださった。これが愛です。
だから、教会に愛がないといわれる方。
あなたは、自分の愛されることばかり求めてこのキリストの愛を見失っていませんか?

私たちは、この神の愛、キリストの愛によって、互いに愛し合うのです。

しかし、その完全な愛は、いま、この世において知ることは出来ません。
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今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全
に知ることになります。
コリント人への手紙第一13章12節
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ここで、パウロは、私たちが完全に知られている
と、言っています。

神様は私たちの全てをご存知です。
しかし、私たちはいま、その全てを知ることが出来ません。

しかし、本当に主にまみえるときがきます。
そのとき、私たちは、主の素晴らしさを知るのです。
完全に、主の存在の全てを知るときがきます。

いまも、それは、ぼんやりと見えています。

聖書の御言葉を通して、また、祈りの中で、神様のことがわかります。
しかし、やがて。それをはっきりと見、また、感じるときがやってきます。

それがわかったらイエス様を信じますという方もおられるかも知れません。
しかし、それは出来ないことです。

なぜなら、それがはっきりとわかるとき、神の愛と共に、神の偉大さも目に入るからです。

そのとき、キリストにあって、愛によって神様につながっていないものは、
恐れで神様に近づくことは出来ません。
ですから、わたしたちは、それまでにイエス様を信じなければなりません。

そして、人々が信じるために、この福音を伝えなければならないのです。

イエス様が私たちの救いの為に来てくださったこと。
それが、イエス様の愛です。

私たちが、このイエス様の福音を伝えること、それは、イエス様にある私たちの愛です。

私たちは、それら全てのことを、変わらない神様の愛の中で行うのです。

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こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
コリント人への手紙第一13章13節
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お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。

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シティーチャーチメッセージ20080907一番すぐれているのは愛
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