礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20080824
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成長させたのは神です
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

みなさんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、全能なる方、私たちを愛し、守り、導いて下さる方です。
この方を覚えて、御言葉を聞いて参りましょう。

さて、今週の聖書の通読箇所は、
旧約聖書が詩篇
新約聖書は、コリント人への手紙第一です。

旧約聖書は、詩篇が続いていますが、ここは、本当に読みやすいところです。
ぜひ皆さんお読みください。
また、新約聖書はコリント人への手紙。
この箇所については、また、メッセージの中でも見て行きましょう。

では、いつものように、司会者に、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、コリント人への手紙第一3章です。

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【 聖書箇所 】 コリント人への手紙第一3章6-21節
・新改訳Up293(贈呈p257英対p491)
・新改訳Vp320(贈呈p294)・口語訳p258
・新共同訳p302 (贈呈p302英対p458)
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では、司会者お願いします。

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【 聖書箇所のテキスト 】
3:6 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
3:7 それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。
3:8 植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。
3:9 私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。
3:10 与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。
3:11 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。
3:12 もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、
3:13 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。
3:14 もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
3:15 もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。
3:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
3:17 もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。
3:18 だれも自分を欺いてはいけません。もしあなたがたの中で、自分は今の世の知者だと思う者がいたら、知者になるためには愚かになりなさい。
3:19 なぜなら、この世の知恵は、神の御前では愚かだからです。こう書いてあります。「神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕える。」
3:20 また、次のようにも書いてあります。「主は、知者の論議を無益だと知っておられる。」
3:21 ですから、だれも人間を誇ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。
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続いて、主題聖句をいいましょう。

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【 主題聖句 】
たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。
コリント人への手紙第一3章7節
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では、このところから、
成長させたのは神です
と、題しまして、御言葉をともに見てまいりましょう。

このコリント人への手紙は、第一、第二とあり、タイトルのとおり、パウロがコリントの人々に書いた手紙です。
それは、冒頭の挨拶からもわかります。
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1 神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから、
2 コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの
主であるとともに、そのすべての人々の主です。
コリント人への手紙第一1章1-2節
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この手紙は、主を信じるクリスチャンたち、聖なるものたちに送られたということがわかります。

そして、この手紙が書かれた目的も、続くこの箇所に書かれています。
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10 さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。
11 実はあなたがたのことをクロエの家の者から知らされました。兄弟たち。あなたがたの間には争いがあるそうで、
12 あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく。」「私はアポロに。」「私はケパに。」「私はキリストにつく。」と言っているということです。
13 キリストが分割されたのですか。あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか。あなたがたがバプテスマを受けたのはパウロの名によるのでしょうか。
コリント人への手紙1章10-13節
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この箇所で、彼らの間に争いがある。
分裂があるということが、問題になっているのです。
パウロは、自分の宣教したコリントの地のこの状況を知り、そして、彼らの為にこの手紙を書きました。

しかし、ここで、もう一度、冒頭の御言葉をふりかえりましょう。
この手紙は、聖なるものとされた方々へ送られています。

けっして、争いのある、困った人たちに送られているのではないのです。

パウロは、御霊によってこの手紙を書いています。
そして、パウロは、この手紙を受け取る人たちに、聖なるものたちと呼びかけるのです。

皆さん。皆さんがどうであったとしても、主は私たちを、聖なるもの、神様のものとしてみておられます。

このコリント人への手紙第一を見る上で、この手紙が、聖なるものに書かれたということ。
この手紙を受け取る人々には争いがあり、そのためパウロはこの手紙を書いたということ。
しかし、それでも、彼らは、主にあるものたち、聖なるものたちであり、主から愛されているということを、しっかりと踏まえてこの手紙を見て行きたいと思います。

さて、彼らは、自分たちの中のそれぞれの主義主張であらそいました。

そもそも、パウロは、イエス様について、のべつたえました。
アポロも、ケパと書かれているペテロも、みな、イエス様について述べ伝えました。
そこに、基本的な意見の食い違いなどあるはずはなかったのです。

しかし、それぞれに、強調点がちがったかも知れません。
推測することとして、
パウロは、伝道が大切だといったかも知れません。
御言葉に精通したアポロは、御言葉に親しむことを教えたかもしれません。
また、ケパと呼ばれたペテロは、イエス様と触れ合ったその体験を語ったことでしょう。
そのような中で、小さな違いを見つけて争う。
そのようなわなに、コリントの人々は、はまってしまったではないかと思うのです。

みなさん。
イエス様は、天にあげられる前、ひとつだけ、戒めをおあたえになりました。
それは、なんだったでしょう。
こう書いてあります。
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わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
ヨハネの福音書15章12節
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私たちが互いに愛し合うこと、それこそが、主が与えられた戒めです。

聖書にあるさまざまな戒め、それらを超えた、たった一つの新しい戒めがこれです。

また、こうも書いてあります。
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いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
ヨハネの手紙第一4章12節
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愛し合うところに神はおられる。
逆に、主は争いの中から離れてしまわれます。

皆さん。私たちは、愛の中に生きるようにと示されています。

ところが、彼らの中には、互いの主義の為に争いが生じました。
それは、パウロにとって大きな悲しみだった事でしょう。

今回の箇所でパウロはいいます。
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6 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
7 それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。
8 植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。
9 私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。
コリント人への手紙第一3章6-9節
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ここで、パウロは、成長させて下さるのは神様なのだと教えています。
種を植えるように福音を語ったパウロでも、御言葉を紐解いたアポロでもなく、ただ、神様によって成長させられるのです。
ですから、この神様にへりくだり、とどまらなければならないのです。

さて、この争い。キリスト教会の中では、いつもこのような問題が起こりました。

大きくは、カトリックとプロテスタントにわかれ、また、プロテスタントの中も、さまざまな考えで分かれています。
その教えにおいて、強調点は違うかもしれません。
しかし、主が与えられた戒めは、最終的にはひとつです。
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わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
ヨハネの福音書15章12節
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わたしたちは、この戒めの中に生かされています。

さて、今回の箇所で、パウロは、わたしたちが、神の家であると書いています。
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10 与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。
11 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。
コリント人への手紙第一3章10-11節
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この箇所で、キリストという土台の上に、家が建てられていると書いてあります。
この土台であるイエス・キリストは、神の愛を示され、十字架で死んでくださった方です。
父なる神様は、ご自身の愛を示すために、このイエス様をお遣わしになったのです。

ですから、そこには、父なる神様の愛、イエス様の愛があらわされています。

そして、こうつづきます。
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12 もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、
13 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。
14 もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
コリント人への手紙第一3章12-14節
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さて、土台は決まっています。
そこに人は、金や銀、宝石、そして、木、草、わらで建物をたてます。
それは、世の終わりに日には耐えることが出来ません。

それは、火によって焼かれます。
ただ、その土台がキリストであるので、人は火の中をくぐるように救われます。

では、ここで言う、金や銀とは、なにでしょうか?

それは、いつまでも残るもの、火で焼かれないもの、もっとも優れたものです。
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こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
コリント人への手紙第一13章13節
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教会には、教えのすばらしさ、道徳のすばらしさ、行いのすばらしさ、賜物のすばらしさ。いろいろなものがあるでしょう。
ある教会は美しい賛美、ある教会は、すばらしい社会活動、ある教会は、さまざまな奇跡や癒し、
ある教会は、さまざまな伝道のためのイベントで、すばらしい働きをするかもしれません。

しかし、どんな素晴らしい働きも、天国にもっていくことは出来ません。

いつまでも残るのは、信仰と希望と愛です。
そのどれにもまさって優れているのは愛です。
パウロは、この愛を追い求めるように勧めます。
わたしたちは、この愛の中に生かされてまいりましょう。

マルコの福音書で主はこういわれます。
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塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。」
マルコの福音書9章50節
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ここで、互いに和合して暮らすということが書かれています。

それは、互いに赦し合い、仕え合い、愛しあうことです。
わたしたちが、もし、主義主張をぶつけあっているなら、そのようなことは不可能です。

パウロでも、アポロでも無く、ただ、主を見上げていくのです。
成長させて下さるのは主です。
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19 なぜなら、この世の知恵は、神の御前では愚かだからです。こう書いてあります。「神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕える。」
20 また、次のようにも書いてあります。「主は、知者の論議を無益だと知っておられる。」
21 ですから、だれも人間を誇ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。
コリント人への手紙第一3章19-21節
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人を誇るのでなく、私たちを成長させて下さる主に目をとめる。

互いを攻めたり、自分を見ることをやめ、主に目を留め、主にへりくだるとき、私たちは愛し会うことが出来ます。
私たちはそのように、主につながるために、御言葉を読み祈るのです。
主によって、成長させていただきましょう。
お祈りしましょう。

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。




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シティーチャーチメッセージ20080824成長させたのは神です
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