礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20080817
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さばき合うことのないように
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11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<祈り>

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主をたたえます。
主は、私たちを愛し、赦してくださった方、
赦しのため、自ら十字架にかかられたかたです。
この方を覚えて御言葉を聞いてまいりましょう。

さて、CSKキャンプが終わりました。
皆さん。お祈りありがとうございました。
すばらしい祝福と恵みの時でした。

少し写真も見ていただこうと思います。

さて、今週の通読箇所ですが、
旧約聖書は、詩篇。
新約聖書は、ローマ人の手紙です。

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8月17日(日)[ ]詩64-67 /[ ]ロマ12
8月18日(月)[ ]詩68-69 /[ ]ロマ13
8月19日(火)[ ]詩70-72 /[ ]ロマ14
8月20日(水)[ ]詩73-76 /[ ]ロマ15:1-13
8月21日(木)[ ]詩77-78 /[ ]ロマ15:14-33
8月22日(金)[ ]詩79-82 /[ ]ロマ16
8月23日(土)[ ]詩83-87 /[ ]Tコリ1:1-17
8月24日(日)[ ]詩88-89 /[ ]Tコリ1:18-31
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詩篇の64からは、ダビデやアサフの賛歌が続きます。
この中に出てくる言葉として、マスキールがあります。
これは、教訓的な歌だと言われています。
そのような、マスキールとともに、力強い主への賛美が続きます。

新約は、ローマ人への手紙からコリント人への手紙に入っていきます。
ぜひ皆さん聖書をお読みください。

さて、今週の聖書箇所は、ローマ人への手紙14章です。

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【 聖書箇所 】 ローマ人への手紙14章1-13節
・新改訳Up285(贈呈p250英対p477)
・新改訳Vp311(贈呈p285)・口語訳p250
・新共同訳p293 (贈呈p293英対p446)
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では、司会者お願いします。

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【 聖書箇所のテキスト 】
14:1 あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。
14:2 何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。
14:3 食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。
14:4 あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。
14:5 ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。
14:6 日を守る人は、主のために守っています。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。
14:7 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。
14:8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
14:9 キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。
14:10 それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。
14:11 次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」
14:12 こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。
14:13 ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。
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では、つづいて、主題聖句を言いましょう。

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【 主題聖句 】
あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。
ローマ人への手紙14章1節
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では、このところから、
「さばき合うことのないように」
と題しまして、御言葉を見ていきましょう。

さて、ローマ人への手紙も、今回で最後ですが、律法を行うことではなく、恵みを信仰によって受け止めるのだということを、見てまいりました。
皆様、いかがだったでしょうか?

そして、ローマ人への手紙は、そのような、愛されたものとしてどう生きるのかということが続きます。

今回の聖書箇所は、この主題聖句からはじまります。

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【 主題聖句 】
あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。
ローマ人への手紙14章1節
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信仰の弱い人を受け入れる。
その意見をさばかない。

互いに裁かない。赦しあう。

皆さんイエス様は、何のため血を流されましたか?

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これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。
マタイの福音書26章28節
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晩餐の席で、イエス様は、それが、罪を赦すためだといわれました。

イエス様は、私たちを愛して、その罪を赦すために、十字架で血をながしてくださいました。

罪を裁くのではなく、赦すために、主は十字架で血を流されたのです。

愛については、イエス様はこういわれます。
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人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
ヨハネの福音書15章13節
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この究極の愛。
それが、イエス様の愛です。

そして、その愛は、十字架で赦しの為に血を流すという形で示されました。
父なる神様が、私たちを愛し、御子をさえおあたえ下さった、ここに愛があると、ヨハネの手紙第一に書かれています。
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私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
ヨハネの手紙第一4章10節
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ですから、父なる神様の愛。イエス様の愛は、この十字架に示されています。
そして、私たちは、その十字架の愛を、神からの恵みとして、信仰によって受け取ったのです。

それは、自分の行いによって義を立てることをやめ、神様の恵みと哀れみのもとに、へりくだることでした。
それが、前回まで見てきたことです。

そして、そのような、恵みの中に、自分自身が生かされているので、私たちは、主がわたしたちにしてくださったと同じ恵みを持って互いを赦し愛するのです。

イエス様は、こういわれました。
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私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕
もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。
しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。
マタイの福音書6章12-15節
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私たちが、人の罪を赦す。
そのとき、私たち自身も赦しを受け取る。
ということですが、これもまた人を赦すという行いによって神の前に義を立てるのではありません。

主は教会に性格も、習慣も違うものを集められました。
ですから、会わないと思うこともあるかも知れません。
私たちが他の人を赦すことが、もし、自分の努力であるなら、教会は我慢大会になってしまいます。

人を赦す上で、大切なことは、まず、神様の前にへりくだることです。
私たちが、神の恵みの前にへりくだるとき、私たちは、互いに赦しあい、愛し合うのです。

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次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」
こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。
ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。
ローマ人への手紙14章11-13節
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ですから、これらのことから大切なことが、主の前にへりくだることであるとわかります。

私たちが、互いの問題を見たり、また、自分自身の赦せない思いに苦しむのでなく、主に目を留め、主を賛美し、主の前にへりくだる。
そのことから、私たちは、互いに赦しあうようになるのです。

これら、信仰の基本でもあります。
なぜなら、どのような方法によっても、自分の義を立てることができないからです。
ただ、恵みにより、あわれみによって、義は与えられます。

その義は、律法を行う義ではありません。
その義は、エデンの園で、失われた義。
神様との正しい関係。愛の関係です。

その関係を取り戻すために、イエス様は十字架で死んでくださいました。
そこには、神様の本当の愛が示されていました。

ですから、この義を受け取るのは、ただ、キリストの前にへりくだる事だけなのです。

この箇所で、パウロはひとつの事例を挙げています。

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2 何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。
3 食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。
ローマ人への手紙14章2-3節
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ユダヤ人は律法の規定を守っていました。
そこには、守らなければならない食物の規定や、定められた日についての規定がありました。
ユダヤ人が律法に従って豚を食べないことは、よく知られたことです。

しかし、主は、ペテロにこういわれました。
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すると、再び声があって、彼にこう言った。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」
使徒の働き10章15節
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これは、ペテロが、異邦人への伝道に向かうときに、主から語られた言葉です。
ペテロにとって食べることの出来ない食べ物を前において、主は、このことを言われ、ユダヤ人であるペテロにとって、かかわることの出来なかった異邦人の所へペテロを導かれたのです。

マルコの福音書にはこうかいてあります。
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そのような物は、人の心には、はいらないで、腹にはいり、そして、かわやに出されてしまうのです。」イエスは、このように、すべての食物をきよいとされた。
マルコの福音書7章19節
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イエス様は、全ての食物を聖いとされました。
神が作られたすべての物はきよいのです。

感謝して受けるとき、捨てるべきものはないとも書いてあります。

しかし、逆に、ダニエル書には、こういうことが書いてあります。
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ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。
ダニエル書1章8節
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ダニエルは、バビロンに捕囚になったとき、王の食べる、偶像にささげられた食物を食べないようにしようとしたのです。
そして、野菜を食べたダニエルを主は祝福されました。

このような同じ思いをもって歩む人もいます。
そして、自分の信仰によって、野菜しか食べない人もいます。
しかし、それらについて、互いを裁いてはならないとパウロは言うのです。
ある人は主に感謝をもってどんなものでも食べます。
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日を守る人は、主のために守っています。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。
ローマ人への手紙14章6節
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食べるかどうかという行いではなく、どちらも、主の為におこなっているそのことが大切だということです。

誰かが、その人の信仰によって行っているなら、その行いがどうであっても主のためだと書いてあるのです。
続きの23節では、さらに明確にこう書いてあります。
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しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。
ローマ人への手紙14章23節
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信仰から出ているなら、行いによって問題になりません。
しかし、信仰から出ていないなら、それは、罪です。
どんな行いも、その行動そのものでなく、その人と神様との関係によるのです。

ですから、その行動を裁きあうことは出来ません。
しかし、その信仰は、その人と神様との間において、明確であり、申し開きしなければならないのです。

わたしたちは、全ての自分の行動について、信仰から出ているか、責任をもつ必要があります。
そのことについて、互いに励ましあう必要もあるでしょう。

しかし、全ては、ただ、信仰によるのです。
そして、私たちは、他の人の信仰について、赦しあい受け入れあうように命じられているのです。

それだけではなく、赦しには、もっと大きな働きがあります。
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あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。
ヨハネの福音書20章23節
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あなたが、罪の赦しを宣言することが、人を罪から開放するのです。

ゆるしにはまた、さらに大切なことがあります。
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こうしてヨセフは兄弟たちを送り出し、彼らが出発するとき、彼らに言った。「途中で言い争わないでください。」
創世記45章24節
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これは、ヤコブの子のヨセフの言葉です。
彼は、父に特に愛されたために、兄たちに恨まれ、外国エジプトに売られました。
しかし、その後兄たちと再会し、そして、父を自分の下に呼び寄せようとします。
これが、そのときの言葉です。

ヨセフは言い争わないようにいいました。
それは、争いはサタンの策略です。
それに対して、聖霊様は、愛と赦しの中に働かれます。

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ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。
ローマ人への手紙14章13節
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祈りましょう。

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
 (テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。




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シティーチャーチメッセージ20080817さばき合うことのないように
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